第4章 『明日、僕から君の記憶が消えても』

#30『君だけが居ない世界』

 僕には姉が居た。

 名前は上坂春奈。僕よりも四つ歳上で、生きていれば大学生か社会人。そう、"生きていれば"。


 何を隠そう、妹の由希と同じ様に心臓の病に侵されていた姉の春奈は、当時治療法が確立していなかった事もあり、四歳という若さで命を落とした。

 そして、"幽霊が見える"という不思議な目を得た僕と幽霊の姿で再会し、現世に残したしがらみを絶って花火大会の夜に消えた。


 ここまでが、記憶にある中の僕と姉との思い出。

 だが、春奈は生きている。"この世界では。"


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


 洗面台へと向かい、寒さでキンキンに冷えきった水を顔にこれでもかと浴びせて、目を覚ます。

 余りの冷たさに顔が痛い。

 でも、今の僕にはこれくらいが丁度いい。

 僕は濡れた顔をタオルで拭い、それから鏡を見て言葉を零した。


「……何が起きてるんだ」


 死んだ筈の姉が、生きている。

 今まで味わった不思議な事象の中でも、トップクラスに有り得ない事態だ。

 僕の記憶が正しければ、春奈はあの夜の日に消えた筈なのだから。


「夢、じゃ無さそうだな……」


 頬も抓った、顔に冷水浴びせて眠気も断った。

 寝起きで朧気だった頭も、今ではすっかり覚醒した。

 ここまでしてこれなら、ここは夢ではなく現実という結論を出すしかない。

 にわかには信じ難いが、生憎信じられない事象なら散々味わってきた。


 ◇◆◇


 顔を洗い、リビングへと向かった僕が目の当たりにしたのは、これまた違和感の塊しかない光景だった。

 スーツ姿でコーヒーを啜りながら新聞を読む父親に、エプロンを身に付けてなにやら家事をする母親、ソファへと腰かけてテレビを見る姉。

 どれもこれもが、一般世間ではありふれた光景な筈なのに、上坂家にとっては有り得ない光景……。

 いや、少し前まではこれが普通だったのに、有り得ない光景になってしまったと言うのが正しいのかもしれない。

 何故なら、父親は単身赴任で隣町に居るはずで、母親が帰ってくるのは明日なはずなのだから。

 両親はここに居るはずが無いのだ。


「おはよう隼人、さっさとご飯食べて支度しなさいよ」

「……あっ、うん」


 母親から声を掛けられ、僕は従う様に椅子へと座って朝食を摂る。

 有り得ない事態に混乱しているとは言え、学校へと行かなくてはならない。

 僕は用意され、机の上に並んでいた朝食を、気持ち少し急いで頬張った。


「春奈、テレビばっか見てないで こっちちょっと手伝って」

「えーいい所なのに〜」

「お父さんも、呑気に新聞読んでる時間ないでしょ」

「おっと、もうこんな時間か」


 揃うはずの無かった家族が、揃って迎える朝の団欒。

 僕はその光景に違和感を覚えた。

 しかし同時にソレは、僕の理想としていた家族像でもあった。


「隼人 弁当、ここに置いとくから 忘れずに持っていってね」

「ありがとう、母さん」


 久しぶりに口にする、母への感謝。

 いつぶりだろうか、こうやって家族全員で迎える朝は……


 ……全員?


 先程から、僕はずっと言葉に出来ない違和感を感じていた。

 まるで未完成のパズルを見つめているようなその違和感の正体…… その一つが分かった、由希が居ないのだ。

 珍しい。いつもなら由希は、この時間にはとっくの昔に目覚めている筈。


「母さん、由希は?」

「由希?」







「​─────誰それ?」


 母親が何の躊躇いもなく放った言葉は、鋭い槍の様に僕の胸を貫く。

 そんな筈がない、お腹を痛めて産んだ子の事を忘れる筈が……

 本能が嫌な予感を感じ取る。


「……誰って 妹の由希だよ」


 恐る恐る、僕はこう口にした。

 それでも、母は変わらない調子で……


「妹って……隼人の兄弟は春奈だけでしょ?」


 そんな事を口にした。

 それに、おかしな事を口にするのは母だけでは無い。


「もー 今日どうしたの隼人、まだ寝ぼけてる?」

「もう一度顔を洗ってきたらどうだ?」


 まるで、まだ僕が寝ぼけてるかのように、家族揃って寄ってたかって心配をしてくる。

 そんな筈がない、僕には確かに妹が居る。

 ちょっと暴走する時もあるが兄想いで、小さな身体で病気と戦い続ける妹の由希が。

 だけど、この家には……この世界には……


「……ごめん、確かに寝惚けてるかも」


 "この世界"に於いて、間違っているのはきっと僕だけなのだろう。

 恐らくここは、


 上坂春奈が生きていて、上坂由希が存在しない世界。


 一体何が原因でこの世界に迷い込んだのかは分からないが、だとすれば戻らなくてはいけない。

 僕は僕の世界に。


「……ご馳走様でした」


 急いで朝食を胃の中へと押し込み、僕は支度をしてから逃げる様に家を出た。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「……本当に何が起こったんだよ」


 家を出て、駅へと向かう通学路を歩きながら僕は言葉を零した。

 本当に何が起こったのだろうか、原因が分からない。

 昨日は特に何か変な事が起こるキッカケとなる出来事があった覚えはない。

 いつもの様に学校へと行って、昼休みに結衣とご飯を食べて、結衣と一緒に帰って、家事を少ししてから寝ただけ。

 それだけなのに御覧の有り様だ、幽霊が見えたり 未来が見えたりする事はあったが、まさか世界線を越える羽目になるとは思いもしなかった。


 となると、これから先どうするか。

 まずは現状の把握。もしかしたら由希の事を覚えている人間がいるかもしれない。

 次に、原因の特定。最後に、元の世界に戻る方法を探す。


「やる事多すぎだろ……」


 一つを解決すれば、また一つ……と言う風に厄介事が増えていく。

 平穏に過ごす筈だった僕の日常とやらは、いつの間にか失われた様だ。


「おっ、隼人!」


 とぼとぼ歩いている内に、僕よりも遅く家を出るはずの冬葵に追い付かれた。

 世界は変わっても、コイツとは仲がいいらしい。


「どした、なんか疲れた顔してるけど」

「疲れてるんだよ既に」

「何したんだよ 話なら聞くけど」

「こっちも聞きたい事がある」


 こちらとしても聞きたい事があるが、とりあえず電車に乗る事に。

 僕は冬葵と共に改札を抜け、駅のホームに並んで電車を待ち、やってきた電車に乗り込む。

 この世界でも、この時間帯の電車の席は空いていない。仕方なく吊り革に捕まると、電車はゆっくりと次の駅へと向けて走り出した。


「なぁ、冬葵」

「どうした」

「今年も花火大会行ったよな」

「行ったな」


 話題は八月に行われる、夢乃原花火大会の事。

 いつもならば会場のある港の方へと行き、海上から打ち上がる花火を海の近くから見るのだが、今年は由希の病室から見た。

 "何処で見たか"の答え次第では冬葵は由希を覚えている事になる。


「何処で見たか覚えてるか?」

「何処って……」






「会場近くの岸壁だろ」

「……だよな」


 返ってきた答えを聞いて、僕は下唇を噛む。

 無情にも、冬葵の答えは僕が想像していた物とは違う答え。

 やはり、冬葵も由希の事を知らない。

 あれだけ由希の事を可愛がったり、心配してくれていた冬葵ですら知らないという事実は、何よりも心に来た。


「どうした隼人、お前そんなに忘れっぽかったっけ?」

「お前を試したんだよ」

「なんだよそれ」


 笑いながら答える冬葵を尻目に、僕は車窓からの景色を眺めながら、内心頭を抱えるのだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 先に結論から言うと、梨花も由希の事を覚えていなかった。

 全く同じ質問を投げ掛けてみたが、返って来たのは冬葵と全く同じ答え。

 つまるところ、この世界に於いて僕が知ってる人物で由希の事を知っている人間がいる可能性は0になった。

 結衣は由希の存在は知っていても会ったことは無いし、瑠香と夏希も同じ。

 由希が通う学校の同級生に関しては僕が知らないので尋ねようが無い。


 他に分かった事があるとするなら、由希が居なくて春奈が居る事以外は昨日まで居た世界と何ら変わった事が無い事。

 スマホに入っている連絡先を見るに、瑠香と夏希の名前があると言うことはそういう事だろう。

 この世界の僕も、瑠香や夏希と共に色んな事があり今の関係に至ったという事だ。

 それを裏付ける証拠として、僕が刺されている動画や、5☆STARSリーダー山下夏希 活動休止の記事がある。


「とりあえず結衣に話してみるか……」


 結衣に話した所で何か進展がある訳でも無いのは分かっている。

 それでも、解決に繋がる何らかの糸口は見つかるかもしれない。僕はそんな淡い期待を抱きながら、いつも通り図書室へと向かった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「結衣、いるか?」


 図書室へと到着して早々、ドアを開けて中に入りながら結衣の名前を呼ぶ。

 日が差し込まず、若干薄暗い室内の中で今日も結衣は本を読んでいる様子。


「上坂、声でかい」

「大変な事態になった」

「また厄介事?呪われてるんじゃない?お祓い行ったら」

「今回はマジでヤバいんだよ。」

「上坂が言うヤバい事態なら今までも散々味わったでしょ で、今回は何?」

「その前に、僕の家族構成言えるか?」

「夢乃原市の中では割と大きめな企業に勤める父親に、専業主婦の母。大学生の姉に、厄介事に巻き込まれるのが得意な高校二年生 どう?」

「やっぱり結衣もダメかあ……」


 やはり結衣も由希の事を知らない。

 過去に何度か心臓に病を患った妹が居る事は告げているので、結衣が知らないという事は無いはずだ。

 僕は項垂れる様に机に突っ伏した。


「……何、なんだか腹立つね。家族構成と厄介事に何の関係があるの」

「……起きたら、死んだはずの姉が生きてて 生きていたはずの妹の存在が消えてた」

「上坂……」




「……頭大丈夫?」


 結衣の口振りからするに、恐らく僕の話を信じていない。

 それもそうだろう、いきなり『起きたら違う世界に居ました』なんて信じられる筈がない。

 僕が結衣の立場でも同じ事を思うに決まっている。


「僕の頭がおかしい で済む問題なら悩んでないが」

「だろうね、でも信じられないよ」

「だよなぁ……僕も嘘であって欲しい」

「キッカケは?」

「分かったら苦労してない、普通に寝て起きたらこのザマだ。」


 いくら思い返しても、世界から由希の存在が消える様なキッカケになる出来事は無かった。多分。


「じゃあ上坂には本当に妹が居なかったんじゃない。妹だと思ってたのはただの幻。」

「それだと僕がとんでもなく頭のおかしい奴になるだろ」

「私にとっては、上坂が言っている事はそう捉えるしかないよ。少なくとも、昨日までの上坂は"妹が居る"なんて一言も言った記憶はない。……ブラコン気味の姉の存在は知ってるけど。 兎に角 今の私に言えることはただ一つ、明日起きて上坂の言う妹が居ないなら、元から存在しなかったんじゃない?」

「……そうなるか。」

「仕方ないよ。逆に聞くけど、上坂は妹が居たと証明できる何かを持ってるの?」

「……無いな」


 思い返しても、何も無い。

 恐らく由希の部屋だった場所には今、姉の春奈が居るだろう。そうなれば由希の物は無い。

 由希から物を貰った事はあるが、まだ中学一年生なので精々文房具程度。妹の存在証明するにはどうにも弱い。かと言って、妹の名前が記された何かを持っている訳でもないし、仮に持っているならそれはそれで別の問題が発生する。


「上坂、この状況なんて言うか知ってる?」

「詰み、だな……」


 僕の言葉に、結衣は無言で首を縦に振った。

 確かに詰んでいる。この世界で由希の存在を知っているのが僕しか居ない以上、どれだけ僕が『妹が居る』と言っても誰も信じない。ましてや、両親揃って妹の存在を知らないのだ。これを詰みと呼ばずになんと言うか。


「上坂は戻りたいの?」

「戻れるなら戻りたいよ、確かにこの世界は心地が悪い訳じゃない。死んだはずの姉ちゃんは生きてるし、仕事で家にいない両親が揃って家に居る。悪くないけどさ、"逃げてる"感じがするんだよ」

「逃げる?」

「僕の妹…… あぁ、由希って言うんだけど心臓に病気があってさ、小さい時からずっと入院してて、移植を受けないと多分中学卒業出来ないらしいんだ」

「……死ぬって事?」

「ああ、だからずっと悩んでた。本当に由希は移植を受けられるのか、この先ずっと一緒に居られるのか。 悩んで悩んで……悩み続けた結果これだ。」


 確かにこの世界の僕から、由希の病気 という悩みは消えた。大変な事に"由希の存在事"。

 "この世から戦争を無くす為に、人類諸共消す"なんて事と結果は変わらない。

 つまり解決したようで何も解決していない、むしろ悩みの種が増えただけだ。

 由希の病気と、この世界からの脱出という悩みが。


「明日目覚めたら、世界が元に戻っていますように……」


 今の僕に出来ることは祈る事だけだ……。


 


続く











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