#29『一難去ってまた一難』

「なぁ隼人」

「なんだ」


 悠未との別れから一夜、いつもの様に学校へと向かう電車の中で、僕は冬葵と並んで吊り革へと捕まりながら車窓からの景色を見ていると、冬葵に呼び掛けられた。


「昨日、上野に会った」

「お前って結衣の事 苗字呼びしてたって?」

「違う、隼人が忘れてた上野優衣の方だよ」

「あー……そっち」


 僕には、既に初恋相手が居た……らしい。

 しかし不思議な事に、その人物の顔を思い出せない上、名前すらも覚えていない。まるで最初からその人間の存在を知らなかった様に。


「隼人は元気か?だって」


 名指しで僕の名前を挙げるなんて驚きだった。僕は覚えてないとは言え、一応初恋相手なのに。


「で、お前はなんて答えた」

「元気だけど、上野優衣の事は覚えてない って伝えた」

「お前酷い奴だな」

「覚えてない方が酷いだろ」


 冬葵は笑いながら僕にそう指摘する。

 確かに言う通りだ、返す言葉も無い。


「ま、上野優衣の方も気にしてなかったけどな。寧ろ、やっぱりー って感じだった」


 "やっぱり"?

 どういう事だろう、上野優衣とやらは僕が覚えてない事を知っているだろうか。

 僕から上野優衣の記憶が消えている事がまるで当たり前の様に言う本人の言動に、何処か引っ掛かりを覚えながらも気にしない事にした。

 深入りすればする程、何だか厄介な事になりそうな気がしたから。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


 学校に着いてからは特に変わった事は無い。

 普通に授業を四時間受ければ、勝手に昼休みがやって来る。

 僕はいつもの様に時間を潰す為、図書室へと向かおうと教室を出る。


「上坂」


 声を掛けられた僕が後ろを見ると、そこには結衣が居た。

 いつもなら結衣の元へと向かう僕だが、今日は結衣からの出迎えらしい。


「珍しいな」

「上坂 昼ご飯は?」

「まだ食べてない」

「なら……一緒に食べよ」


 結衣からの提案に乗り、二人で別棟を歩きながら、相変わらず誰も居ない図書室の中に入る。

 一つの机を挟み真向かいになるように座り、僕は買ってきたパンを、結衣は弁当を出して食べ始めた。


「昼飯一緒に食べようなんて、どうしたいきなり」

「"カップル"らしい事をしたかったから」

「"カップル"ねぇ…… なんか自覚ないよな、いつも一緒にいたから」


 昨日の夜、僕と結衣は"友人"という枠を超え、"恋人"になった。

 キッカケは結衣からの告白。

 拒む理由が無かった僕は結衣からの告白を了承して、恋人同士になったのだが…… 正直な所、こうして付き合う前から、いつも一緒に居たような気がするので心境の変化はそこまでない。 関係性が進化しただけだ。


「私も、正直な話 同じ事思った」


 卵焼きを口に運び、咀嚼をして飲み込んでから結衣は答える。

 どうやら結衣も同じ様に考えていたらしい。


「悲しい事に、この歳になるで恋愛経験が無いから、何すればカップルらしいのかも分からないし」

「……なら……キスする?」

「へ?」


 唐突な結衣の言葉に、思わず僕の身体が固まる。

 キス……? 恋人同士が口と口でする、あの!?


「……上坂が相手なら 私は構わない」


 酷く動揺する僕を他所に、結衣の方は随分と乗り気だ。


「な、なら やるか! 僕達恋人同士だしな……!」

「……いいよ」


 結衣は顔を真っ赤にしながらも、ついに目を閉じた。

 準備は万端、ということだろうか。ならば、後は僕が勇気を出すのみ。

 キスくらい、今どきの高校生カップルならば一つや二つしている筈だ、何らおかしなことでは無い。

 そう自分に言い聞かせてから、僕は心を落ち着かせる為に大きく深呼吸を一つしてから、ゆっくりと、結衣の顔へと自分の顔を近づけていく。

 結衣の吐息が僕の頬を撫で、何処かくすぐったい。

 僕の唇が結衣の唇に届くまで、あと1cmという所で、授業開始五分前を知らせる予鈴が、二人しか居ない図書室にも鳴り響く。

 お互い、驚きの余りビクッとなる程に驚く、ムードは完全に壊れてしまった。

 初キスはまた今度にお預けらしい。

 急いで昼飯を食べ終え、お互い何処かモヤモヤした雰囲気のまま僕達は教室へと戻った。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 午後の授業も終わり。

 同級生はそれぞれ部活へ向かったり、掃除を始めたりしている中、特に用事のない僕は帰りの支度をしてから走早に教室を出る。

 玄関のある一階へと続く階段前には、一足先に帰りのHRを終えた結衣が僕が教室から出てくるのを待っていた。


「帰ろ」

「だな」


 玄関で靴を履き替えてから学校を出て、二人並んで歩きながら駅を目指す。


「上坂、来週の土曜日暇?」

「早速デートのお誘いか」

「違う、悠未ちゃんの命日だから」

「この時期なのか」


 十年前、事故で命を落とした結衣と夏希の親友であり、僕の六人目の友人。

 "友達に別れを告げたい"という願いを叶え、悠未はこの世に残した未練を断ち切り、僕らの前から消えた。

 別れは悲しいが、きっとこれで良かったと思う。

 夏希も結衣も、この悲しさをバネに前へと進めるはずだ。かつて僕がそうだったように。


「にしても、今回ばかりは色々あったなー…… 流石の僕も疲れた」


 夏希をストーカーから救ったり、悠未との別れがあったり……結衣と恋人になったり。

 今までも散々だったが、今回ばかりは色んな事が重なって大変だった。


 ……とはいえ、これで僕の肩の荷が降りた訳では無い。

 これとは別に、僕は数年前から解決しようがない事象を抱えているのだ。


「……後は、由希の心臓の病気さえ治ればな」


 現在進行形で、妹の由希を蝕む心臓の病。

 様々な逆境を越えてきた僕でさえも、この事ばかりはどうにもならない。

 上坂隼人は、どんな病気も治せる医者でもなければ、触れるだけで病気を消せる能力者ではない。

 今の僕に出来ることは現代の医学を信じる事だけだ。


 "由希が居ない世界なんて、嫌だ"


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 その日の晩、執拗く僕のベッドに入ろうとする由希を何とか自分の部屋に戻し、二十三時前には照明も落とした暗い部屋で眠ろうとしていた。

 明日も学校がある、それに朝早く起きて朝食やらの支度も。

 それに、明後日には母親が帰ってくると連絡があった。朝六時起きの生活も、あと少しの辛抱だ。

 心を無にして瞼を閉じる。

 意識が遠のき、眠りに落ちるまで、そう長くは掛からなかった。


 ◇◆◇


 瞼の裏に光を感じて目を覚ます。

 時計を見ずとも、設定した筈のアラームよりも遅く目覚めた事を、感覚で感じ取る。

 枕元に置いてあったスマホを手に取り、時計を見た。

 ……時刻は六時五十九分、凡そ一時間遅れの起床。

 見ていた時計が七時を示したと共に、"何故か"スマホのアラームが鳴った。

 そんな筈がない。

 僕は昨晩、スマホのアラームが六時にセットされたのをちゃんと確認してから眠りに着いたのだ。それに僕は音に敏感で、スマホのアラームが鳴れば何時であろうと飛び起きる。

 スヌーズでもう一度鳴るにしても、この時間に鳴るまでには目覚める筈だ。

 ……何かがおかしい。そう感じるのは、アラームの時間だけでは無い。

 先程からリビングが何やら騒がしいのだ。流石の由希も、こんな時間に大音量でテレビを見る様な常識がない子ではない。それに、何やら会話をしている様子。

 母親が帰ってくるのは明後日。ならば、今この家に居るのは僕と由希の二人だけなはず。


 寝起きでまともな思考ができない。

 そんな僕の居る部屋へと、誰かが近付いてくる足音が聞こえた。

 一歩、また一歩と近づき、そしてドアが開く。


「隼人ー 起きてるー?」


 ドアを開け、現れた人物の姿を見た僕は、

 "あの時と同じように頬を抓った"

 まだ夢を見ているみたいだった、でもこの痛みを感じるという事は夢じゃない。

 ヒリヒリする頬をさすりながら、僕は恐る恐るその人物へとこう声を掛けた。







「……姉ちゃん、だよな?」


「そうだけど、隼人まだ寝惚けてるの?」


 数ヶ月前に消えた筈の"上坂春奈"は、不思議そうにそう語る。





 ​──── 一難去ってまた一難。

 この日、上坂隼人が目覚めたのは"昨日まで居た世界とは違う"別の世界だった。




 続く。






















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