第2章 『僕は明日、未来の君と笑う為』
#12 『非日常 は終わらない』
九月二日午前六時半。
アラームが、朝から嫌悪感を抱かせるような音を鳴らす五分前に目が覚めた僕の耳に入って来たのは、フライパンが何かを焼いている音だった。
そしてその直後に、何処からかやってきた香ばしい匂いが鼻腔を抜け、寝起きで空腹の胃を刺激する。
この家には基本、自分一人しか暮らしていないのにも関わらず、キッチンからは調理音が聞こえる。普通ならば今すぐでもベッドから飛び起きて原因を探りに行くのだが、僕には『キッチンで誰が何をしているのか』かが、寝起きで、今日が何日かもはっきりしない朧気な頭でも瞬時に理解出来たので何もしなかった。
そしてフライパンが何かを熱する音が止み、部屋は再び静かになる。
自分の部屋が一階にあるのとキッチンの割と近くに部屋があるせいで、こういう風にキッチンからの音が入ってくるのが小さい頃から悩みだ。どうせこの家には自分しか居ないなら、部屋を二階に移しても良いだろうか?まだ眠いが故に浮かぶ変な事を朝から考えていると、トタトタという可愛らしい足音共に、『誰か』が自分の部屋へと近づいてくる音がした。
もしこれがホラー映画やゾンビ映画なら、この状況は間違いなく死亡フラグ、入って来た怪物又はゾンビに襲われて死ぬ というのがありがちなオチ。
そうしている間にも足音は僕の部屋へたどんどん近づき、部屋の前でその足音がついに止んだ。
そして『ガチャッ』という音と共に開いた扉から現れたのはゾンビでも、恐ろしい見た目の怪物でもない、寧ろ真反対の存在と言える可愛らしい女の子。
「先輩、起きてますか〜?」
夢乃原高校の制服の上に黒いエプロンを纏い、一向に起きてこない
「丁度今起きたよ」
「ご飯出来ましたよ!冷める前に食べてください!」
笑顔でそう語る少女の名は『神崎瑠香』。
夢乃原高校に通う高校一年生で、最近まで知らなかったが小学と中学の後輩でもあるらしい。
何故自分がこうして高校の後輩と一つ屋根の下で暮らしているのか。
その答えは前日の昼にあった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「あのさ、隼人」
九月一日の午前八時。夏休みが終わりいつもの様に通勤通学で賑わう電車内で、僕と冬葵の二人は、今日も座席に座る事が叶わず、立ったままの状態でいつもの様に会話をしていた。
「なんだ?」
「隼人と上野さんってどういう関係?」
「…」
「あ、誤魔化しても無駄だからな 俺見たんだよ昨日夢乃原港の近くで二人が楽しそうに歩いてんの」
言い訳をしようとした瞬間に、冬葵に釘を刺される。
どうやら、言おうとしていた言い訳はもう通じないらしい。それにしても、まさか冬葵に見られてたなんて…… 失態だ。一生の汚点だ。
「その前に聞かせろ」
「何だ?」
「お前も、結衣の"あの噂"信じてんのか?」
上野結衣にはとある噂がある。
それは『上野結衣と目を合わせたら死ぬ』という誰が言い出したのか分からない小学生地味た噂。
それは、『誰とも目を合わせない』という結衣の行動が招いた噂ではあるが、僕は何故、結衣が誰とも目を合わせないかを知っている為に『誰とも目を合わせられない』という本人の苦しみを知らないままに蔓延る噂が、何だか心の何処かで許せなかった。
「あー、あの『噂』ね」
そして当然、冬葵も知っている筈。なんせ一年の頃は
一年も同じクラスだったなら、嫌でも一度は絶対に聞いたことあるはずだ。
「で、お前は?」
「ばーか、信じるかよあんな小学生みたいな噂」
「だよな」
冬葵の言葉を聞き、僕は心底ほっとした。
もしこれで冬葵が『目を合わせたら死ぬとか怖いよな!』なんて笑いながら言ってきたら思わず手が出ていたか、縁を切っていたかもしれない。
「お前が幼馴染で本当に良かったよマジで」
「なんだよそれ」
考えが杞憂に終わり安堵した僕が放った言葉に、冬葵は笑いながら答えると更に続けた。
「で、結局 上野さんとはどういう関係?」
「ただの友人、お前が思ってる関係じゃない」
「本当かぁ?」
冬葵は何処か疑心の籠った視線を送ってくる。
しかしどう疑われても、僕にとって、結衣は本当に『この世に三人しか居ない友人の一人』でしかない。確かに不意に結衣を可愛いと思う事はあるし、一緒に話していて楽しい。
とはいえ、今のところ恋愛の感情を抱いた事は無い。僕自身がそういう事に疎いのもあるかもしれない。
「本当だ」
「神に誓うか?」
「ああ、ロマンスの神様に誓うよ」
「いや、でも安心したよ本当に。やっと"吹っ切れたんだな"」
「は?」
冬葵の口から出た言葉に、僕は何処か引っかかるものがあった。
"吹っ切れた"? 一体何を?
「いや、だって『もう二度と梨花以外の女子とは喋らない』って言ってた隼人にこうして女子の友達が出来たんだからさ 」
「は??」
冬葵の言葉に、クエスチョンマークが増えていく。
『もう二度と梨花以外の女子とは喋らない』なんて言った記憶は頭の片隅にもどこにも無い。そこまでの決心を語っているはずなら、例え物覚えのいい方ではない僕でも覚えているはずだ。
何処か困惑する僕を他所に、冬葵は更に続ける。
「それにしても隼人も変わってんな、あんだけ悲しんだ癖に、似たような名前の女子と仲良くなるとかさ」
「……あのさ、さっきから何のこと言ってんだ?」
「え?何って、『上野優衣』の事だよ お前の"初恋相手"の。まさか覚えてないのか? "優"しい に "衣"って書いて優衣。」
「…誰だそれ」
僕の口からでた言葉に、冬葵は驚き、目を見開く。
しかし本当に "知らない" ……誰だ?
自分が知っているのは『上野結衣』という暴言を吐いてくるがいざという時に頼りになる黒髪ツインテのみで、『二度と梨花以外の女子は喋らない』なんて決心をさせられた『上野優衣』なんて人物なんて記憶の何処にもない。
「マジで言ってんのか?」
「ああ、マジだ」
「梨花が言ってた、『隼人が嘘をつく時は右耳を触る』って つまりマジで覚えてないんだな…?」
梨花は本当に俺の事をよく見ているらしい、そんな癖自分でも知らなかった。今度から気をつけよう。
それにしても、"誰だ"。『上野優衣』って。
◇◆◇◆◇◆◇
僕らを乗せた電車は『夢乃原高校前駅』へと到着し、電車を降りた僕達は高校を目指す。
その道中では、別の車輌に乗っていた梨花と合流し、幼稚園からの幼馴染三人で仲良く通学路を歩いていた。
梨花とこうして会うのは三日ぶり、三日前には突然バイトのシフトを代わって貰った埋め合わせをする為、二人で遊園地へと行った。最初こそ、自分は乗り気では無かったものの、なんやかんやで帰るのが少し嫌になるくらいには楽しんだ。今度退院した由希を同じ遊園地に連れていこうと思う。
「冬葵ってやっぱり焼けたよね」
そんな梨花は冬葵を見て開口一番、小麦色に焼けた肌を指摘する。
梨花の指摘を聞き、改めて冬葵を見ると確かに一ヶ月前に比べると大分焼けているような気がしてきた。電車の中で話している時は視線を車窓に向けていたので全く気にならなかったが。
「まぁ、彼女と海行ったり部活とかあったからなぁ」
「そういえば結局仲直りしたのか?」
「まぁな 今ではすっかり元通りだ」
そう言いながら冬葵が見せてきたのは、海で冬葵と、冬葵の彼女の優里奈が、夢乃原海岸で夕日を背景に仲良くピースをしながら映っているツーショット。
何故、朝からこんなものを見せられているのだろうか。惚気なら他でやって欲しい。
「まぁ仲直りしたなら良かったよ 喧嘩するのは勝手だけど、僕や梨花を巻き込むなよ」
「次は気をつけるって」
「どうだか……」
そんな話をしている内に校舎へ到着。
クラスが違う冬葵とは教室の前で別れ、僕と梨花は『2-1』の扉を開けて中へ入る。
梨花を見るや否や『久しぶり〜!』と声を掛ける同じクラスの女子は複数居ても、相変わらず僕に対しては誰も『おはよう』という言葉すら掛ける人間は居ない。
ここまで存在が空気だと、たまに自分は他人に見えているのかとても心配になってくるのだが、少なくとも冬葵や梨花、そして結衣には見えているっぽいので特に気にする必要はなさそうだ。その三人と由希にさえ見えていれば、僕はそれでいいのだから。
◇◆◇◆◇◆◇
時は進んで昼休み、四時限目終わりのチャイムと共に教室からダッシュで駆け出す生徒の後に続き、僕も走って、とある場所へと向かう。
目的は、玄関前にやってくるお昼のパン屋の移動販売。お昼のこの時間は学年問わず、自分が食べたいパンを手に入れるべく一年二年三年男女入れ乱れての争奪戦が行われ、毎日熾烈な争いが繰り広げられている。
いつもならばそんな熾烈な争いが巻き起こっている場所へとわざわざ行く事は無いのだが、今日は昼飯を用意するのを忘れるという失態を犯したので、こうして急いでパンの移動販売車の元へと駆けている。
今日の自分の狙い目はクリームパン、ぎっしりと詰まった甘いカスタードクリームの入ったクリームパンは間違いなくNo1人気で、クリームパン一個と別のパン二つで交換という取引が裏で行われているという噂が立つほどの人気商品。
教室を抜け、階段を降りてから最後のカーブを曲がった所で玄関へ。靴を急いで履き替えて玄関を出るとパン屋の移動販売の車を補足。
既に何人かがクリームパンを手にしている、頼む…まだ残っていてくれ!
思いっきり息を吸い込み、学生の群れを掻き分けながら進んで店主へと向かって
「クリームパンとカレーパン下さい!」
と、いつもの日常生活で出している倍の声量で声を上げた。
……………………………
……………………………
「どうしたの上坂、今日はいつもに増して気持ち悪いくらい上機嫌だね」
「はは、まあな これを見ろ」
争奪戦後、結衣がよく居る図書室へとやってきた僕は、ある物を真向かいに座っている結衣へと見せた。
「……クリームパン?」
「ああ」
争奪戦を越え、この日僕はあのクリームパンを手に入れた。
一日に十個しか売ってない人気商品、それが自分の手にあるなんて何だが食べるのが勿体ない気すらしてくる。いや、普通に食べるけども。
「クリームパンでそんなに喜べるなんて、上坂は本当に幸せな人間だね」
「いや!だって一日十個だぞ!?」
「はいはい で、クリームパンを自慢しに来たの」
「そんな訳ないだろ、ほら」
僕は袋から取り出したクリームパンを手で半分に千切る。ぎっしりと詰まったカスタードクリームが今にも溢れそうになるのを何とか止め、そして半分を結衣へと差し出す。
「これでお互い『図書室で食事をした』共犯な」
「……ありがと」
差し出されたクリームパンを受け取り、結衣も同じ様に頬張る。
流石は人気No1のパンといった所だろうか、いつもは無表情でクールなあの結衣も、余りの美味しさに頬が緩んでいる。
しかし、すぐこちらの視線に気づいたのか、顔をサッと逸らして顔を見えなくした。
写真でも撮って残そうかと思ったのに残念だ。
あっという間にクリームパンは完食。次はいつ手に入るかは分からないが、もし手に入れる事があれば次は梨花か冬葵辺りにも分けてやってもいいかもしれない。
「あのさ上坂」
「なんだ?礼ならいいぞ、お前には恩があるし」
「いやそうじゃなくて、上坂はあの後幽霊は見えたの?」
結衣が聞いてきたのは『見えないものが見えている』事について。
振られた話題について僕は五秒ほど考え、直ぐに答えを出した。
「いや、見えてないな」
「そうなんだ」
自分には幽霊が見える(らしい)。いつから発現したのか、少なくともこの夏休みから二回程幽霊を見た。
一回目は亡くなった筈の自分の姉、二回目は梨花と共に出かけた際に出会った小さな女の子。
しかし、花火大会の日に『春奈』との別れを経験して以降、幽霊らしき者と出会った覚えも、また見た覚えも思い返してみるとなかった。
「ま、僕のは結衣と違って『目の前の人間は幽霊』っていう情報が無ければ幽霊なのか生きてるのか分からないからなぁ」
「何だか、羨ましい」
「僕の目がか?」
結衣は静かに頷く。
「知らなくていいことを知ってしまうほど辛い事は無いから」
そう語る結衣の顔は、何処か寂しげな表情をしていた。
「確かになぁ…… でも、知らなくていいことを知ったからこそできる事もあるだろ」
「例えば?」
「例えばって言われると難しいけど…… 医者とかどうだ?病気で先がない人に優しく寄り添える、そんな医者になるのもありなんじゃないか」
「お医者さんなら治す方法が探る方が先でしょ」
「まぁ確かにな」
そんな会話をしていると、僕ら二人しか居ない図書室にも午後の授業開始五分前の予鈴が鳴った。
昼休みは終わり、あと二時間の授業を乗り越えれば下校だ。
椅子を立つ前に大きな欠伸を一つして、立ち上がろうとしたその時だった、目の前に立っていた結衣が、まるでその場に固まったかの様に一点を見ていた。
「どうした?」
僕は結衣の視線を追うようにして後ろを振り返ると、女子高生が一人何か言いだけな表情で僕達二人を見ている。
夢乃原高校は女子はリボン 男子はネクタイの色によって学年が分かるようになっている、振り返った先に立っている女子生徒のリボンの色は青。つまり一年生。
「あ、あの!さっきのお二人の話……聞きました」
「あちゃー……」
つまるところ、僕達二人は図書室に他の生徒が居るのに気付かずにペラペラと『見えないものが見えている』事について語ってしまっていたらしい、話に夢中で完全に気を抜いていた。
とはいえ、聞かれた以上誤魔化しはもう効かない。
「"話"ってのは『見えないものが見える』事についてかな?」
「はい…… もしかして、先輩達も"見えるんですか?"」
目の前の女子生徒の言葉に何処か引っかかりを覚えた僕は、ちらっと結衣の方を見る。
「分かってる、あの子も私達と同じかもしれないって言いたんでしょ」
「目を見ただけで僕の考えてる事が分かるなんて、僕らはいい夫婦になれそうだな」
「変なこと言ってると蹴るよ」
多分結衣の性格的に『自分で取れ』って言われそうだけれど…
とまぁ、そんな妄想は置いといて……
目の前の女子生徒は恐らく僕や結衣と同じ様に『見えないものが見えている』可能性がある。だとすれば話を聞きたい、そう考えて椅子から立ち上がった僕は意を決してこう尋ねた。
「もしかして、君も?」
「あの!助けて下さい!」
目の前の女子生徒は何処か泣きそうな目をしたまま僕らへと頭を下げた。
助けて下さい どうにも訳ありらしい、まさかまた変な事に巻き込まれるのか?
そして僕はため息をつくと同時に、続けてこう尋ねる
「……何かあった?」
「……けてください」
「え?」
よく聞こえなかったので聞き返す。
すると、少女は再び、今度こそ聞こえるように大きな声で口にした。
「お願いします… "未来"の私を、助けて下さい!」
再び僕ら二人へと頭を下げて、彼女は必死に助けを乞う。
どうやら、僕の『ちょっと変わった日常』は終わらないようだ……
続く
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