#11『夕焼け空に君を想う』

『君は、夕焼け空は好きですか?』


 茜色に染まる夕焼け空を背景に、何処か見覚えのある目の前の女性は微笑みながら僕にそう問い掛けた。

 いつか見た夢。それを今、僕は再び見ている。

 だとしたら、既に返す答えは決まっていた。


「好きだよ、夕焼け空も ……姉ちゃんの事も」


 あの日、途中で遮られ、返せなかった言葉。

 そんな僕の言葉に、目の前の女性は微笑むとこう語った。


『私も好きだよ、隼人』


 春奈は笑顔でそう語ると、あの日と同じように光の粒となり消えていく。その光景を目の当たりにして、僕はもう、追うことも嘆く事もしない。

 今度こそ、僕の言葉は遮られる事無く春奈へと届いたのだから。それだけで僕は言葉にできない満足感があった。

それに、これはきっと今生の別れではない。

出会う筈が無かった僕と姉が再び巡り会えたように、もう一度奇跡は必ず起きると、僕は信じながらこれからも生きていく。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 八月二十四日の午後十八時

 この日、バイト終わりの僕─上坂隼人が向かっていたのはバイト先から歩いて三十分程の場所にある墓地。

 幾つもの立派なお墓が並ぶ墓地を、来る途中に買ってきた供える用の花と、水の入ったペットボトルを抱えて、『上坂家』のお墓を探す。

 探し始める事おおよそ五分程で僕は目的の上坂家のお墓を探し当てた。


  上坂家のお墓は本当に立派なお墓だった、ここに『上坂家』の人間が安らかに眠っているらしい。

 幼い頃よく家に行っていた父方の祖父と祖母に、姉…… 『上坂春奈』もここに安らかに眠っている。

 お墓参りには家族で何度か来たことはあったが、まさかここに姉も眠っていたなんて。

 久しぶりの墓参りで、すっかり忘れてしまった作法は、家を出る前に調べてきた。

 僕は花立てに持ってきた花を入れ、すっかり乾ききってしまっていた水鉢に水を注ぐと、線香に火をつけてから、目を閉じて手を合わせる。

 どうか、姉ちゃんが天国に行けますように。

 合掌をしながら、心の中で何度も唱える。


 自分も何れは死に、この墓に入るはず。

 それが何年後の事になるのかは分からないが、それまでの間、天国で待っているであろう姉へと『生きている間にこんな事があったよ』といい土産話ができる日常を送りたいと思う。

 目を開け、立ち上がった僕は墓へと顔を向けると


「また来るよ、姉ちゃん 爺ちゃん婆ちゃん」


 と語りかけ、上坂家の墓を後にした。

 絶対にまた来よう、来年も再来年も。今度は由希や母さんと父さんと一緒に。


『待ってるね、隼人』


「っ!?」


 驚きながら僕は振り返るも、やはりそこには誰も居ない。

 でも今確かに春奈の声がした気がした。


「…気のせいだよな」


 頭をポリポリと掻きながら、僕は呟く。

 もう春奈は……姉ちゃんはこの世界に居ない、花火大会の夜に今度こそ現世に残したしがらみを絶って本当に消えたのだ。

 それが正しい事だったのかは今でも分からない、けれどもあの日、姉が僕に見せたのは、『大きくなった弟の自分と花火を見る』という夢を叶え、心から安心した笑顔だった気がする。

 それを確認する手立てはもう無いが…… 少なくとも姉ちゃんは満足したから消えた筈だ。


「待っててよ姉ちゃん 絶対にいつか追いつくからさ」


 茜色に染まった夕焼けを見ながら、僕は言葉を零す。

 思い返せば、春奈と初めて出逢った時の空もこんなに紅かった。


『君は、夕焼け空は好きですか?』


 あの言葉から始まった、一夏の一生忘れられない思い出。

 最初こそ『見えないものが見えている』事について戸惑ったりはしたが、今ではむしろ感謝している。

 こうして大切な存在に気付けて、ちゃんと別れを告げられた。

 悲しい出来事というのは心の準備もさせてくれないまま突然襲ってくる、その中できちんと別れを告げられる事は本当にラッキーな事なのだと思い知らされた。

 まだあの日を思い出すと心が痛い、それに唐突に悲しみに襲われるけれど、この痛みや悲しみを越えて更に前に進むしかない。

 それが遺された人間に唯一出来ることなのだから。


『離れていても姉弟』


 春奈の言葉を胸に、僕はあの日の夕焼け空を思い出しながら、また『いつも通りの日常』へと戻っていく。


 ◇◆◇◆◇◆


 そして、長かった夏休みは遂に最終日を迎えた。

 明日からはまたいつもの様に学校が始まり、普段通りの日常へと戻る。

 そんな日常へと戻る前の最後の休みは何をしようか考えた結果、僕は市街を一人歩いていた。

 夏休み最終日からか、街に学生の姿は少ない。自宅で溜まった課題でもやっているのか、いつもなら小学生等で賑わうショッピングセンターのゲームコーナーもメダルゲームを楽しむお爺さんお婆さんの姿しか無かった。

 頭は良くない方だが課題はコツコツやるタイプで本当に良かったと思う、そのお陰で夏休み最終日に優雅に散歩なんか出来ているのだ。


 お昼になり、お腹が空いた僕はファストフード店へと入るとハンバーガーのセットを注文。

 注文して二分で『六番のお客様〜』と呼ばれ、商品を受け取り、小洒落た包装をされたハンバーガーとMサイズのポテトと同じくMサイズのドリンクが乗ったトレーを持ち、空いている席を探しながら練り歩くと、空いている窓際の席を見つけて座る。

 この量で大体六百円。少々高いのでは?とは思いつつも、ついつい食べたくなってしまうこの味。

 塩が少々かかり過ぎなポテトのせいで塩っぽい口を洗い流すようにコーラに口を付けていると、突然誰かが自分の真隣へと座った。

 他に席は幾らでも空いているのに何故僕の隣に?と思いながらチラッと横を見ると、その人物は"今日は"見覚えのあるツインテールをしていた。


「上坂の事だから家で課題やってると思ったけど、もしかして上坂は課題はやらない主義?」

「人聞き悪い、僕はコツコツとやるタイプなんだよ」


 自分のことを『上坂かみさか』と呼ぶツインテールは思いつく限り一人、上野結衣だ。


「意外だね 諦めるタイプだと思ってた」

「そういうお前は終わったのか」


 もちろん愚問だとは分かっている。上野結衣は学年でも一二を争う頭脳派。課題なんてとっくの昔に終えているはずだ。


「私は七月の間に終わらせた」

「流石、レベルが違うなぁ 勝てねえわ」


 悔しいが、頭脳で結衣に勝てるわけが無い。

 きっとササッと解いた終わらせたのだろう、心底羨ましい。分けて欲しいものだ、その頭脳を。


「上坂が望むなら勉強教えてあげるよ」

「なら今度の中間考査は家庭教師をお願いしようかな」

「上坂の得意教科って何」

「保健体育だな」

「…本当にバカだね」

「男は皆、意図せず保健体育だけ賢くなるんだよ」

「なら男は皆バカだね」

「そうだよ、バカばっかだ」


 そう言って、僕は笑いながらポテトを口に運ぶ。

 …やっぱりこの店のポテトは塩を掛けすきだと思う、口の中が塩辛い。

 急いでコーラが入ったストローに口を付けるが、既に飲み干したらしく『ズゾゾゾ』という虚無を吸い取る音が鳴るだけで、甘くてシュワシュワした液体はいくら吸っても口を潤す気配はない。


「飲む?」


 そんな自分を見兼ね、結衣は自分のドリンクを差し出す。


「いいのか?」

「別に」


 一秒でも早くこの塩辛い口内をどうにかしたいと願う僕は、刺さっていたストローを抜き、一応自分が使っていたストローをはめ直してから結衣のドリンクを貰う。

 結衣の助けもあり、塩辛かった口はコーラで洗い流された。


「悪い」


 感謝を述べ、ドリンクを返す。


「ここのポテト塩辛いな 塩かけすぎだ」

「本当?」

「食ってみろ」


 ポテトはまだ残っている。全部食べたら血圧が上がりそうなポテトを結衣へと差し出し、それを受け取った結衣は四本ほど纏めて口に運ぶと


「確かに塩辛いね」


 と言って笑いながら、ドリンクに口をつけた。


「あ…」

「…?」


 素っ頓狂な声を出した僕を、結衣は不思議そうな目で見る。

『どうしたの?』と言いたげな結衣はある一点を見ている僕の視線の先を追うと、視線はストローに向かった。


「あ…」


 結衣もまた、なにか気づき自分と同じく素っ頓狂な声を出すと、僕に真っ赤になった顔を見られないように逸らす。


「間接キスだなこりゃ」

「…黙って」


 何処か顔を真っ赤にした結衣は、僕を黙らせる為、ポテトを7本ほど掴むと僕の口へと突っ込む。

 その後、店内には、僕の声にならない叫びが木霊した


 ◇◆◇◆◇◆


 ファストフード店を後にした僕と結衣の二人は、その後、宛も無くただひたすらに歩いていた。

 結衣のせいでまだ口の中が塩っぽい、まるで海を泳いでいる時に海水を飲んだ直後の様。

 道中で見つけた自販機で水を買い、それを飲みながら歩いていると、気づけば僕らは海の方に出た。

 少し遠くには夢乃原港が見える、そしてその港には漁が終わって帰ってきたのか水揚げ途中の漁船の姿も見える。


「そういやさ、結衣の家ってこの辺なのか?」

「上げないよ」

「別に家に上げろとは言ってない この前電話した時花火の音がちょくちょく入ってたからさ」

「上坂はストーカーの才能あるよ」

「だよなぁ」


 自分でもそれは思っていた事なので、敢えて否定はしない。そのせいで結衣からは怪訝な視線を送られた。


「上坂がブタ箱に入らないように信じてるよ」

「僕が居なかったら学校に友人居ないもんな」

「やっぱり警察に捕まったら?」

「学校で結衣を一人にさせないように、捕まらないように気をつけとく」

「捕まる事をしなかったらいいでしょ」

「一理あるな」

「馬鹿言ってると馬鹿になるよ」

「それはつまり結衣は僕の事を馬鹿だとは思ってないって事か?」

「もうその発言が馬鹿っぽい…」


 何処か呆れながら語る結衣を尻目に、僕は丁度いいサイズの石を拾い上げると、思いっきり振りかぶって海に投げた。

 綺麗な放物線を描きながら海に落ちた石は、『ポチャッ』という心地よい音を立てながら水面に波紋を立てて沈んでいく。


「結局、あの日の夜は何があったの?」

「あの日?」

「私が上坂に電話した日。『全て落ち着いたら報告する』って言ってたけど私まだ何も聞いてない」

「あー……そういやそうだったな」


 完全に頭から抜けていた。

 あの日は、花火が終わった後に自分を待っていたのは何処かご機嫌斜めな冬葵と梨花の二人。『どこで何をしてたんだよ』『花火終わったよ!』と散々に捲し立てられ、言い訳する暇すら付かせてくれなかったが、散々泣いて目を真っ赤にした自分隼人を見てからは、何かを察したのか二人はいきなり何も言わなくなった。

 それから、家に帰ってからも自宅に戻った瞬間に壊れるように泣いて、気が付いたら眠っていて朝。

 本当に色々ありすぎて結衣との約束なんて完全に頭に無かった。


「まぁ…… 簡単に言うなら自分に姉がいて、その幽霊が姉ちゃんだったって感じかな」

「いつ気づいたの」

「花火大会の数日前」

「それは……大変だったね」

「まぁそれなりに大変だったなぁ〜」


 今でこそまるで他人事だが、思い返してみても本当に大変だった。心の整理がつくまで三日はかかったし、事ある事にあの日の別れを思い出しては涙して、メンタル的にも本当に参っていた。食欲も何故だか失せ、お陰で2kgほど意図せずダイエットに成功した。このままではただでさえ細身なのにますます細くなってしまう。


「上坂はさ、自分の事責めてる?」

「何でだ?」

「お姉さんの事 」

「…僕が姉の願いを叶えて、もう会えなくなった ってか?」

「うん…… 」


『大きくなった弟と一緒にこの街の花火を見たい』

 それこそが春奈の願いであり、現世に残したしがらみだった。

 そして僕はそれを叶え、春奈は今度こそ安らかな眠りについた。

 でも、もしその夢を叶える事を僕が拒んだら?

 もしかしたら、今も幽霊の身となった姉とは夏が終わっても会えたかもしれない。


「最初は思ったよ 家に帰って散々泣いて、『もしあの時一緒に花火を見るのを断ってたらまだ姉ちゃんとは一緒に居られたかもしれない』って」


 僕はそう語りながらもう一度、足元にあった石を拾い上げ、再び大きく振りかぶり海に投げる。


「だけどそんなの僕のエゴだろ 少なくとも、姉ちゃんは自分から成仏するつもりで僕に願いを託したんだから なら叶えるしかない」


 二投目の石も、一投目と同じく綺麗な放物線を描いて海へと落下。

 ひ弱な肩なので、強く投げすぎて痛くなってきた。


「悲しいけど、それをバネにして前に進むしかない それが遺された人間にできる事だからさ」

「……上坂は強いね 本当に」

「そういうお前こそ、自分の事を責めるなよ」

「…私は」


 きっと、自分よりも結衣の方が後悔をしている。

『親友に遺された時間を知りながらも何も出来なかった』

 そうやって今も自分を責めている筈だ。

 そして、それ故に誰かと関わりを持つことを恐れている、誰とも目を合わせないのは、きっともう、二度と悲しい想いをしたくないから。


「少なくとも、僕は一生結衣の友人で居てやるよ」

「本当?」

「ああ、なんなら友達以上の関係でもいいぞ」

「…本当に上坂は馬鹿だなぁ」


 曇っていた結衣の表情は晴れやかになり、僕達二人はまた、今日が夏休み最終日という事も忘れて、宛も無く歩き出した。



 ◇◆◇◆◇◆



 そして長かった夏休みが終わった。

 今日から二学期が始まり、不思議な女性との出会いから始まった『ちょっと変わった日常』が終わって、またいつも通りの日々が始まる…… 『見えないものが見えている』事による騒動はこれで終わりな気がしないがそう信じている。

 本当にこれ以上の厄介事は勘弁だ、しかしこの時の僕はまだ知らなかった。



『幽霊』との一悶着の次は、


『未来』と闘う事になるなんて…





『九月一日、この日僕は『未来が見える少女』と出逢った。名前は神崎瑠香、夢乃原高校に通う一年生で、彼女には『誰かに殺される未来』が待っていた』



 続く

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