#10『涙と花火を夏の夜空に散らして 後編』

 

 八月二十日の午後九時四十分。

 ここからは少し離れた夢乃原市の海の方から打ち上がった花火が、夏の乾いた夜空を様々な色で彩る中、僕は意を決してこう返した。


「僕が約束を破る訳ないだろ 姉ちゃん」


 自分でも少し声が震えているのが分かった。

 ずっと堰き止めていた感情は、いまにも自分の身体の奥から溢れ出そうとしており、無駄な抵抗とは分かっていながらも、それに呑まれないようにギュッと唇を噛む、まるで血が出てしまいそうな程に。

 一方の春奈も僕の言葉を聞き、その瞳に大粒の涙を浮かばせて、涙を拭いながらこう答えた。


「そっか、やっと気付いたんだ」

「ああ」


 時は遡る事、四日前……



 ◇◆◇◆◇◆



 この日、バイトが休みだった僕は朝から家の掃除をしていた。

 定期的にしておかないと、いつ親が帰ってくるか分からない。嫌々ではあるが汚いのもそれはそれで落ち着かないので、スマホで音楽を流しながらノリノリに、鼻歌なんかも歌いながら掃除を行っている。

 既に拭き掃除を終え、掃除機を掛けて粗方完了。他に掃除するものは何かないかと辺りを見回すと、普段殆ど開けることの無い襖が目に入った。


「たまには襖の中の物も整理するか」


 そう思い立って襖を開けると、中には布団やダンボール等の色々な物が詰め込んである。

 ふと中身が気になったので、中からダンボールを幾つか取り出す。

 開けてみると、ダンボールの中身の殆どは着なくなったであろう服ばかり。中にはもう着れないだろうというサイズの服や、僕が小学生の時に来ていたパジャマまで仕舞ってある。

 高校生の自分にはどう頑張っても着れないサイズ、比較的小柄な体型の由希ですらこのサイズは無理だろう。捨てればいいのに何故とってあるのか不思議だが、勝手に捨てれば次に親が帰ってきた時に何か言われそうなので、そっとダンボールに戻す。


 結局、襖の中から取り出した五つのダンボール箱の内、四つの中身は全部服。

 となれば、最後の一つの中身も服だろうか?

 しかし最後の一つは他のダンボール箱に比べて小さく、また服が入っていたダンボール箱に比べて少し重みがある。


「まぁ、開けてみるか」


 表面に貼ってあるガムテープを剥がし、中身を確認。

 しかし中に入っていたのは服では無く、何やら丸い缶のようなものだ。


「なんだこりゃ」


 ダンボールに手を入れて持とうとすると、それはやはりずっしりと重みがあった。

 何とか持ち上げ、箱から取り出す……

 正体を現したのは丸い、クッキーのプリントがしてある少々お高い贈答用のお菓子の箱、百貨店なんかで売っているただのクッキーの癖に何千円とするアレだ。


「これ、どっかで見たな」


 箱から取り出したソレお菓子の缶に、僕は何処か既視感があった。間違いなく、自分はこれを何処かで見た事がある。

 その既視感の正体を探る為、恐る恐る缶の蓋を開けてみると、そこには山のように写真が入っていた。


「うわ、懐かしいなこれ……!」


 見覚えのある写真に、僕は声を上げながら中から次々と写真を取り出す。

 僕の父の趣味は写真撮影だった、まだ父が仕事で家を空けることが多くなる前は、何かイベントがあっても無くても、いつもカメラ片手に写真を撮り、記録を残す事をしていたのをよく覚えている。

 恐らく、缶に入っていた写真の殆どは父が撮った物だろう。

 家族で遊園地に行った時の写真、産まれた由希をまだ幼い僕が抱き抱えている写真、冬葵や梨花と笑顔でピースなんかをしている写真、僕や由希の入学式の写真なんかもある。

 写っているどれも、懐かしい記憶であり思い出。しかしどれだけ探しても、ココ最近の写真が一枚も無いのは、如何に父親が仕事で家を空けているが見て取れた。


「そういや、父さん達は次いつ帰ってくるんだ」


 今年のお盆は恐らく帰れない と先日父と母の両方から連絡が来た。結局、一度も入院している由希の面会に来る事はないまま由希は一時退院する事になるだろう。


「会う時間位作ってやってもいいだろうに」


 そんな事を呟きながら、写真を缶に仕舞ってから箱に戻す。

 その時、ダンボール箱の奥隅に何やらもう一つ箱か何かがあるのを見つけた。

 クッキーの缶を一度床に置き、奥隅の何かを取り出す。

 出てきたのは何やら軽く黒い箱。影と同化していて全く気づかなかったソレを何となく振ってみると、中からは『カタカタ』という音が聞こえる。

 何かが入っている。僕は中身を確認すべく開けてみると、黒い箱の中にも写真が二十枚程入っていた。


「誰だこれ…?」


 取り出した写真を一枚一枚、手に取って見てみる。

 写っているのは幼い少女。しかし、その写真のどれも被写体は由希では無いのは見て直ぐに分かった。

 ……だとしたらこれは誰だ?

 一枚、また一枚と写真を見ていると、ある写真を見つけて思わず手が止まる。

 映っていたのは、白いワンピースの少女がカメラへと目線を向けて笑っている写真。

 僕はこの少女の事を知らない、誰かも分からない筈なのに、不思議と、口から名前が出た。


「春奈、さん?」


 何処かイタズラっぽく笑う笑顔も、腰まで伸びた綺麗な黒髪も、吸い込まれそうになる綺麗な瞳も、正しくあの日、僕が病院の屋上で出会った『不思議な女性』の特徴にそっくりな少女。

 この時点で、僕は嫌な予感がした。心拍を増す心臓がそれを物語っている。

 それでも僕は疑惑を確信に変えるべく、写真を見進めていく中で、ある写真が僕の目を引いた。

 それは、ベッドの上にいる春奈さんらしき少女が赤ちゃんを抱っこしている写真。

 そしてその写真の端には母が書いたであろう字で、『春奈が隼人を抱いている写真!』と書き込んであった。

 これで、疑惑はある程度確信に変わる。

 その瞬間、僕の脳裏を、今日に至るまでの様々な記憶が駆けた。


『"隼人君"は私と出会う夢を見たんですね』


『居ます、可愛い弟が。』


『私は4歳でこの世を去ったので、きっと弟は私の事を覚えてないんです』


 あの日、初めて出会った時からそうだった。

 春奈さんは何故か、自分隼人の事を知っていたのだ。

 最初こそ、何処かで会ったのかとばかり思っていたが、『何処かで会った』なんて、そんな生温い関係じゃない。

 春奈さんは……僕の血の繋がった姉……。


『私はずっと夢だったんです。 大きくなったら、弟と二人でこの街の花火を見ることが』


『二十日の花火大会、私に会う時間をくれませんか?五分、いや三分でもいいです 私に、隼人君の時間をください』


『寧ろこれは"隼人君じゃないとダメ"何です』



「なんだよ……」


 驚嘆、困惑、悲哀…… 次々に湧き上がる様々な感情に翻弄され、涙腺はもう馬鹿になっているらしく、意図せず無意識のうちに大粒の涙が溢れては、重力に従って折角掃除した床へとポタポタと流れ落ちる。

 自分でも何故泣いているのか分からない。しかし、止まれ 止まれと心の中で叫んでも、涙は止まる気配が無い。


「何でだよ…」


「何でずっと黙ってたんだよ!」


 声を震わせ、訴えかけるように叫ぶ。僕の声は虚しく家の居間へと響いた。

 とはいえまだ確定したとは言えない、春奈の本当の正体に対して確実な答えが欲しい。

 すっかり力が抜けた足で何とか立ち上がると、リビングの机の上に置いていたスマホを手に取って電話帳を開く。

『上坂隆二』隼人の父親であるその電話番号をタップして、スマホを耳に当てる。

 時刻は十二時半、もしかしたら昼休憩で電話に出るかもしれない。そんな淡い期待を抱きながらコール音を聞いていると、六コール目で父親が電話に出た。


『もしもし…隼人か?』

「ああ、僕だ」

『どうした、何かあったのか?』

「ちょっと聞きたい事があってさ」


 息を大きく吸い込み、父に尋ねたい事を脳内で一瞬で整理してから口を開く。


「さっき掃除してたら写真見つけたんだ。この、『春奈』って人 僕の姉ちゃんだよね?」

『…』


 答えはすぐに返っては来なかった。

 父親も父親で、話すべき言葉を整理しているのだろうか、一分程沈黙が続き、僕は『これ電話切られてないよな?』と不安になって何度も『通話終了』になってないかスマホの画面に目を配る。しかし、会話は終わっていない。

 すると、ようやく父親は口を開いた。


『隼人、明後日昼から時間あるか?』

「あるけど」

『丁度 夢乃原市まで用事で行く、その時に話をしよう』

「……分かった。」


 僕は手短にそう返すと、電話は切れた。

 どうやら父親の方から切ったらしい、スマホには『通話終了』と表示してある。


「片付けるか…」


 スマホを机の上に戻し、襖の前に目をやると、ダンボール箱と取り出した写真が散らばっている。

 折角掃除をしたと言うのにこれではまるで意味が無い、目を真っ赤にしながらも箱を片付け、心の整理を付けるため、その日は一歩も外に出る事無く家で過ごした。


 ◇◆◇◆◇◆


 二日後。父と会う約束を果たすべく、待ち合わせ場所である、結衣とこの間行った喫茶店へと向かっていた。

 この日は本当なら昼からバイトのシフトを入れていたのだが、偶然休みだった梨花とシフトを代わってもらう事で事なきを得た。結果、今度梨花と再び外出の約束をする事になったが、それだけでシフトを変わってくれるなら安い御用だった。

 喫茶店へと到着した僕は、店内へと続く扉のドアノブを握りながら大きく深呼吸を一つする。

 父と会うのは大体二ヶ月振り、しかも会う理由が理由なので、何故だか緊張で心臓の鼓動が高まるのを感じる。


「ふぅ …よし」



 最後にもう一度深呼吸をしてから扉を開き、中に入る。

 入った瞬間、来客を知らせる軽快なベルが鳴り、それに気づいたのか奥から店員らしき人物がやってきた。

 この前店を訪ねた際には居なかった金髪の女性、バイトか何かだろうか。店内に入った僕へと笑顔で対応する。


「いらっしゃいませ! おひとり様ですか?」


 店内を見回してみる、どこにも父親の姿がないのでまだ到着していないらしい。


「後から一人来ます」

「お好きな席にどうぞ!」


 そう言われ、僕は空いていた窓際の席へ。

 そしてお冷とおしぼりを持ってきた店員の女性へと『アイスコーヒーとオレンジジュース一つ』と、予め2人分の注文をしておいた。

 二分程で注文していた品は到着。一人しか座っていない席へとアイスコーヒーとオレンジジュースが置かれ、『ごゆっくりどうぞ』という言葉を残して店員が戻っていくと同時に、ベルの音と共に店の扉が開く音がした。

 扉の方を見てみると、白髪混じりのスーツ姿の男性がハンカチで汗を拭きながら入店した。…父親だ。

 僕は立ち上がり、手を振って合図すると、父親も自分に気づきこちらへ向けてやってきて、真正面に座る。


「アイスコーヒーで良かった?」

「ああ、ありがとう」


 父は席に着くと、暑さで喉が乾いていたのかアイスコーヒーに口を付け、四分の一を飲む。

 確かに今日も暑い、僕も既に半分程飲んだ。


「久しぶり、だな」

「そうだね」

「由希は元気か?」

「来月一時退院するって」

「そうか…」

「うん」


 想定はしていたが、思うように会話は弾まない。

 その後も『学校はどうだ?』や『ご飯はちゃんと食べてるか?』と言った、如何にも離れて暮らす家族らしい会話が続き、痺れを切らした僕は自分から『春奈』について聞こうとした矢先……


「悪かったな…」


 と、父親は暗い顔で僕に対してに謝罪を述べた。

 別に謝られる様な事はした覚えはない、僕が『春奈』の事について尋ねたのも、ただ答えが知りたかっただけなのだから。


「いつかちゃんと話すつもりだった、お前の『お姉さん』の事」

「別にいいよ、怒ってるわけじゃないし それに父さんや、母さんが忙しいのは分かってる」


 両親が家を空けてまで懸命に働いて居るおかげで自分は生活が出来ているし、高校にも行けている。それに入退院を繰り返す由希の入院代だってかなりの負担な筈だ。

 ある程度は自分でバイトをして賄っているとはいえ、高校生が学業と両立しながら稼げる金額などたかが知れている。僕のバイト代なんて、実際には光熱費や電気代水道代を払うだけで消えていく程度の稼ぎなのだ。

 とはいえ、もう少し早く説明が欲しかったのは事実だ。いきなり『実は姉が居た』なんて言われていても心の整理が追い付くはずも無い。

 なんなら今でも信じられない、『屋上で出逢った不思議な女性』の正体が実は自分の血の繋がった姉だったなど。


「あのさ…」

「どうした?」

「姉ちゃんってどんな人だった?」


 大人の春奈の事は大体知っているが、幼い頃の春奈の事は知らない。僕は気になって父親に尋ねた。


「弟想いのいい子だった 毎日面会に一緒に来たまだ赤ちゃんだったお前を抱っこしては可愛がってたよ」

「花火の事、なんか言ってなかった?」

「何故それを…」

「教えてくれ」


 僕の口から出た『花火』というワードに驚いた顔をする父。きっとなにか思い当たる事があるのだろう。


「亡くなる数日前だった。『大きくなった隼人と二人で花火が見たい』そう言っていたよ」

「そっか…」


『私はずっと夢だったんです。 大きくなったら、弟と二人でこの街の花火を見ることが』


「あれ…?」


 ズボンを強く掴んでいた手の甲へと、一滴また一滴と涙が溢れ落ちる。我慢すると決めたのに、父親の前では絶対に泣かないと誓ったのに。

 自らの意思に反して溢れ出す涙に対して、何度も止めようとするも、一度決壊した感情の波は留まることを知らずに溢れ出す。こうなったら、自然に収まるまでは止める術は無い。

 涙を誤魔化す為にオレンジジュースに口をつける。


「塩っぽいな……」


 そのオレンジジュースは、なぜだかほんのり塩っぽく感じた。


 ◇◆◇◆◇◆



「ねえ、隼人」


 次々と打ち上がる花火を屋上から見つめながら、春奈は隣に立って同じように花火を見ている僕へと呼びかける。


「あれ、"君"は付けないんだ」

「だってもう、隼人に他人行儀する必要はないでしょ?」

「それもそっか」


 僕は笑いながらそう答えると、春奈も釣られるように笑い返す。

 その言葉を最後に、二人は再び静かになると、春奈はそっと僕の手を取り、そして握った。

 けれども僕はそれを拒む事はせず、寧ろ強く握り返す。

 こうでもしないと、今にも春奈が目の前から消えてしまいそうな気がしたから……

 握った手から感じる春奈の感触を通して、『まだ姉ちゃんはここに居る』と安心したかった。

「なんなら恋人繋ぎ、してみる?」と春奈は、いつもの悪戯っぽい笑顔を浮かべて、僕へと尋ねる。


「姉弟で恋人繋ぎはマズイだろ」

「私がしてみたいの」


 そう言うと、春奈は僕の指を絡ませて再び強く握る。

 指同士が食いこんで若干痛い、しかしそれを春奈に言うことはせず、その痛みすらも何も言わずに受け入れる。一体、こんな事どこで覚えたのだろう。


「……お父さんやお母さんを責めないであげてね 一番苦しかったのはあの二人だと思うから」

「それは分かってるよ」

「それとお父さんとお母さんをお願い」

「…ああ」


 こうしている間にも、二人の視線の先では大小様々な花火が光を放っては消えを繰り返している。その儚さはまるで、命の灯火に近い物を感じた。

陸から打ち上がる花火が産まれた時なら、大輪の花を咲かせるのは人生の最高潮で、散って消えていくのが死ぬ時。花火も人生も同じ様な物だ、形あるものは必ずいつかは散る。春奈がこうして早い内に亡くなってしまったのも、それが人より早すぎただけ。今を生きている僕の命だって必ずいつかは、あの花火と同じ様に散っていく、ただそれだけ。


 時刻は二十一時五十分を過ぎた、花火の方もそろそろフィナーレを迎える。

 そして、きっと花火が終わる頃には、もう隣に春奈は居ない。

 その事実に、言葉に出来ない感情が、我慢すると決めていた涙腺を刺激して自分の意志とは裏腹に瞳に涙を浮かばせる。歯を食いしばって耐えようとも、一度滲んだその涙は引っ込みが付かない。


「もう、泣かないでよ 私まで泣きたくなっちゃう」

「僕は…姉ちゃんが思ってるよりもずっと泣き虫なんだよ…」


 嗚咽を噛み殺し、声を震わせながら言い返す。

 春奈と手を繋いでいる右手とは反対の唯一空いている左腕で涙を拭っても、すぐにまた涙が浮かんで次第に前が見えなくなる。どれだけ綺麗な花火も、涙のせいで視界がボヤけ、色しか分からなくなってきた。

 そんな僕に追い討ちをかけるように、春奈はこう続けた。


「これでやっと心置き無く成仏できる、これも全部隼人のお陰…… 本当にありがとう」

「……ないから」

「え?」

「僕は、何があっても姉ちゃんを忘れないから」


 嗚咽を噛み殺して、震える声で精一杯春奈へと伝える。

 そんな僕を見ながら、春奈も釣られて泣きそうになったのを誤魔化すように上をむくと、更にこう続けた。


「隼人は、星空は好き?」

「……好きだよ」

「小さい頃ね、よくお母さんが私に言ってたの。人は亡くなったらお星様になって皆を見守ってるって」

「…」

「だからね、もし私が消えても、あの夜空に浮かぶ星になって隼人と由希を見守ってるから どれだけ離れてても心は繋がってる。 離れていても姉弟だからね」

「……ああ、分かってるよ」


 次の瞬間。握っていたはずの右手から春奈の感触が消えた。

 咄嗟に春奈の方を見る。春奈の身体は眩い光を放つよう、キラキラと輝き始めていた。

 僕はその様子を見て、もう姉弟として過ごす時間が残されていないことを理解した。


「もう、お別れ……みたい」


 何処か諦めた様子で、春奈は少し悲しそうに笑いながらそう呟く。

 その証拠にどれだけ先程の様に手を掴んでも、かつてのような感触はなく、前のように触れる事すら叶わない。

 別れは直ぐそこに近づいている、だとすれば……

 僕は今にも消えそうな春奈の方を向き、最後に涙を拭ってこう語った。


「僕が姉ちゃんに追いついたら、またこうやって二人で花火を見よう」


 これはきっと別れなんかじゃない。

 ちょっとの間会えなくなるだけだ。

 何れは自分も姉の元に追いつく、それが何十年後かまたは何年後か…もしかしたら何日後かもしれないし、何時間後かもしれない。

 しかし、きっと必ずこうしてまた会える そんな気がした。

 亡くなった筈の姉 春奈と自分がこうして運命的に再び出逢えたようにきっと……


「だから また会おう、姉ちゃん」

「うん、隼人の事待ってるね」


 最後に手を伸ばす。

 もう握れないとは分かっていながらも、今ならもう一度春奈の手をとれる そんな気がしたから。

 そんな僕の想いが奇跡を起こすように、春奈の手の温もりを感じ取って、僕はまた泣いた。春奈も同じように涙を流すが、お互いそれを拭いはしなかった。

そして二人で散々泣いた後に、春奈は先程まで立っていた場所から一歩下がると、こう告げた。


「じゃあね 隼人」


 春奈の口から出たのは別れの言葉。その一言と共に、春奈の身体はみるみる小さくなり、まるで魔法が解けたかのように、あの日写真で見た四歳の頃と同じ姿へと戻る。


「隼人、大好きだよ​──────」


 弟を心から愛していた姉が最後に見せたのは、瞳に涙を浮かべながらの最高の笑顔。

 そんな春奈の笑顔に応える様に、


「僕もだよ姉ちゃん」


 と言葉を返す。

 僕の言葉に満足そうな笑顔を再び浮かべた春奈は、今度こそ光の粒となって空へと消えていく。

 消える寸前に、幼い春奈の口が動いた。

何かを言っている様な口の動かし方、僕はその口の動きを真似てみると、それは『あ り が と う』だった。それを知り、ツーンとした鼻の痛みがした後に枯れ果てたと思っていた涙が再び溢れ出す。


 そして、春奈の身体が完全に消滅したと同時に、今年の花火大会を締めくくる最後の花火が打ち上がった。

 もう、春奈さんは……姉ちゃんは居ない。

 改めてそう考えると、唐突に無力感に襲われ、立つことすら、ままにならなくなった僕は、地面に膝を着く。


「これで良かったんだよ…… これでっ……!」


 倒れ込むように地面に両手を付き、自分の行いを肯定する様に、何度もそう繰り返す。

 まるで雨のように、僕の瞳からぼたぼたと零れ落ちる涙は、乾ききった夏の屋上のコンクリートを濡らしていく。

 もう涙を、我慢する必要はない。

ずっと喉元で堰き止めていた……溢れ出る感情に流されるまま、涙を流し、声を上げる。

 そして、そんな僕の横顔を、今年最後の巨大な花火が照らしつけたのだった。



 思い出すのは、初めて春奈と出会った日の事。

 腰近くまで伸びた綺麗な黒髪、吸い込まれそうになるほど綺麗な瞳に、よく似合っていた白いワンピース…

 絶対に忘れはしない…


 絶対に忘れてなるものか


 この夏に出会った大切な人の事を


 大切な人と過ごしたかけがえの無い日々を。


『離れていていても姉弟』

 僕はその言葉を胸に、静かになった夜空を泣きながら見つめた。



『七月二十一日、この日僕は病院の屋上で不思議な女性と出逢った。名前は上坂春奈 僕の大切で大好きな姉だ。』



 続く


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