#9『涙と花火を夏の夜空に散らして 前編』

 

 2020年8月20日。

 一ヶ月とちょっとの、長いように思えた夏休みはあっという間に過ぎ、残り十日となったこの日。

 僕─上坂隼人は、今日は花火大会当日だというのにも関わらず、開店の時間からバイトに勤しんでいた。

 祭は夕方から。それまでは特にする事はないと考え、一ヶ月前に入れたシフトだったが間違いだった、朝から惰眠を貪るべきだったと思う。

 ちょくちょくため息を付きながら接客や片付けをこなし、時刻は忙しくなる昼時。

 流石の梨花も今日はシフトを入れておらず、バイト先でも孤立気味な僕は、話し相手がいない退屈な休憩時間を過ごし、あっという間に時刻は十五時になった。


「後はお願いします」


 退勤時間を迎え、交代でやってきたパートのおばさんに後の事を託して僕は店を出た。


 ◇◆◇◆◇◆


 大通りを歩きながら、何となく街並みを見ていた。

 道ですれ違う人は女性に限らず、男性も浴衣を身に纏っていて、街の至る所では『祭』と書かれた提灯なんかがぶら下がっており、改めて今日が花火大会当日だと言うことを思い知らされる。

 街全体がお祭りムードで、何だかいつもの倍は活気がある感じだ。


「そういや梨花、浴衣着てくるのかな」


 去年は梨花だけが浴衣を着て、僕と冬葵はTシャツに半パンという風情の欠片もない格好で祭の会場へと三人で行った筈。

 今年は病室から花火を見ることになるので、少し残念ではあるが、浴衣は恐らく着てこないだろう。

 そんな事を考えながら道を歩いていると、またも珍しく上野結衣とばったり出くわした。


「上坂、なんか顔キモいよ」

「お前、会って早々それは無いだろ」


 何の躊躇もない、結衣らしいドストレートな一言を浴びせられ、思わず苦笑いで返す。

 今日も結衣の毒舌は絶好調らしい。


「結衣も祭か?」

「ううん、上坂のバイト先に行こうかと思って だけどその様子だと今日はもう終わりみたいだね」


 そう言いながら、結衣は少し残念そうな顔を浮かべた。

 そういえば、僕がシフトの日に来店して投書を送るなんて言っていた気がする。


「連絡してくれればシフト教えたのに」

「仕方ないからまたの機会にするよ 上坂は祭?」

「まあな、病院の粋な計らいで病室から花火見ることになった」

「あそこ、病室から花火見えるんだ」

「まぁ会場で見るよりかは少し遠いけどな 妹の外出許可出なかったから病室で見る事になった」

「あの幼馴染2人組も?」

「そうだけど、なんなら結衣も来るか?」


 僕が出した提案に、結衣は少し考える素振りをしながらも……


「遠慮しとく 幼馴染3人組に部外者の私が入るのは悪いし、上坂の妹さんと面識もないから」


 と、結衣は少し残念そうに断った。


「そっか… なら頼み事していいか?」

「妹さんの『残された時間』を見るのは嫌だよ」


 確かにそれも少しばかり気になる事ではあるが、僕が結衣に頼みたい事はそれではない。


「そうじゃなくて、二十一時三十分に僕のスマホに電話をかけてほしい」

「それは何用?」

「ちょっと三十分程病室から抜け出す必要があってな」


 病室から抜け出さないといけない用事。

 それは九日前に春菜とした約束を果たす為。


『五分でも三分でもいいので、私に隼人君の時間を下さい』


 どうやら春奈さんが現世でやり残した事を果たして成仏する為には自分が必要らしい、本人は五分でもいいとは言っていたが、恐らく今日で会うのが最後になる。"言いたい"事と、告げたい別れがあるので、大分余裕をもって、今年の花火大会は春奈さんへと三十分程時間を譲る事にしたのだ。


「それ、上坂が前に言ってた幽霊と関係ある?」

「ある、めちゃくちゃある。」

「なら協力するよ」

「ありがとな結衣」


 礼を述べ、結衣と別れた僕は一度自宅に戻ってシャワーを浴びる事に。

 これで下準備は整った、後は夜になり、花火が上がるのを待つだけだ。


 ◇◆◇◆◇◆


 時刻は十八時。

 ササッと支度を済ませ再び家を出た僕は、由希の待つ病院へと向かう前に、一度祭の会場へと寄ってから由希の病室を訪ねた。


「入るぞ」


 いつものように扉を2回ノック。コンコンという軽快な音の後に、『はい!どうぞ!』という可愛らしい声が聞こえ、了承を得てから病室へと入る。


「悪いな今日は遅くなって」


 一応この日はバイトやらで訪ねるのが遅れる事は前もって伝えてはいたが、僕は改めて謝罪を口にしながら、ベッド近くの丸椅子へと腰掛ける。


「お詫び、来る途中に買ってきた」


 由希へと渡したのは、由希の顔位ありそうなピンク色をした大きな綿飴。男子の高校二年生が、しかも一人で、小さな子供に混じって綿飴の行列に並ぶのは、それはもう色んな恥ずかしさもあったが、妹の為だと自分へと言い聞かせて買ってきた物。


「凄いです!お兄ちゃん!これふわふわです!」

「そりゃ綿飴だからな」


 由希は僕が渡した綿飴に興味津々の様子。

 それもそうだろう、幼い頃から余り外に出られなかった由希にとっては、綿飴すらも新鮮な物なのだ。


「私はいつか綿飴の上で寝てみたいです!」

「確かに気持ち良さそうだけど、随分とベタベタしそうだなソレ」


 僕が思っていたよりも由希は喜んでくれた。

 これなら恥ずかしい思いをして並んだ甲斐があると言う物だ。

 僕は由希が綿飴を美味しそうに頬張るのを見守っていると、コンコンと、病室の扉からノック音が聞こえてきた。


「そろそろ来たか」


 そろそろあの二人が来る時間だろう。僕は椅子から立ち上がり、ドアを開ける。


「うっす、隼人」

「由希ちゃーん!久しぶり〜!」


 病室を訪ねてきたのは梨花と冬葵の二人。両者の両手には、自分と同じく病院へと来る前に祭の会場に寄ったのか、色々な物が入った袋で塞がれている。


「梨花ちゃん!冬葵くん!」


 やってきた梨花と冬葵の姿を見て、由希も喜んでいる様子だった。

 こうして由希が冬葵と梨花の二人に会うのはいつ以来だろうか?覚えているだけで五ヶ月前……?それよりもっと前か……?とにかく、久しぶりに再会した二人の顔を見て、由希は何処か嬉しそうだ。


「由希ちゃん少し大きくなった!?」


 梨花の方は病室に入るや否や、由希へと抱きつくと、まるで"由希は自分の物だ"と言わんばかりにマーキングする様、自分の頬と由希の頬を擦り合わせる。それ食らっている由希も、最初は梨花の行動に少し戸惑いと驚きを見せていたが、直ぐに受け入れ、嬉しそうにしながら梨花に応えた。

 そんな微笑ましい二人の様子を見守る冬葵と僕。

 とりあえず冬葵に対して予め釘を指しておく。


「言っとくけど冬葵はやるなよ」

「は?駄目なのか?」

「当たり前だろ、馬鹿かお前」


 割と真剣なトーンで返され、僕は困惑しながら答えた。


「お義兄さんは手厳しいな」

「僕の目が黒い内は許さないって言ったろ」

「お義兄さんには、俺と由希ちゃんの禁断の愛を認めて貰うために頑張らないとな」

「それ、彼女の前で言ってみろ」

「今、絶賛喧嘩中」


 少しため息を付きながら、何処かバツが悪そうに冬葵は答える。

 原因なんて幾らでも思いつくので、僕にはどれが発端が分からない。


「原因は僕らか?」

「まあな いつまでも幼馴染とつるむの辞めろってさ」

「それは、ごもっともな意見だな」


 彼女の言っている事は正しい。少なくともあれだけ可愛い彼女が居ながらも、そんな彼女の誘いを断ってまで幼馴染の時間を大切にしようとする冬葵は何処かイカれてるのではとも思ってしまう。


「俺にとっちゃ隼人や梨花との時間は何とも比べられないかけがえないもんなんだよ」

「ま、僕も冬葵や梨花には一生幼馴染してもらうつもりだからな」

「それは俺も同じ、隼人には一生親友やってもらわないと」


 言ったそばから、お互い少し照れ臭くなり、僕らはそれを誤魔化すように冬葵と梨花が持ってきた袋を漁る。


「たこ焼きに、焼きそば それと焼き鳥……」

「祭って言ったらこんなもんだろ?」


 そう言いながら、冬葵はタレ味の焼き鳥を取り出して一気にかぶりついた。僕もそれに倣うように焼き鳥を口に運ぶ。


「冬葵ったら『由希ちゃんに金魚取っていこう!』とか言い出してね」

「家にも病院にも水槽なんてないぞ」

「そう言うと思ったから止めたの」


 流石は梨花、ナイス判断だ。

 うちには水槽も、ましてや水槽を置くスペースなんかない。そもそも自分の事で手一杯だと言うのに金魚まで育てる暇なんてない。


「まぁ、とにかく花火打ち上がるまではまだ時間あるし買ったものでも食おうぜ」


 それから僕ら4人は冬葵達が買ってきた焼きそばや焼き鳥を取り出して食べ始めると、『冬葵は彼女と仲直りしろ』だとか、『冬葵の彼女は何処か気に入らない』とか、『アイツはアイツで可愛い所がある』『隼人も彼女作れ』『お兄ちゃんに彼女が出来たら私は死んでしまいます!』なんて会話に花を咲かせながら、食事を楽しんだ。

 僕も時間が経ち、ほんのり温かい焼きそばを食べながら、窓から見える景色を見ていた。

 日も落ち、もう夜だというのに祭会場のある港の方は照明で随分と明るい。一年に一度の祭故に人の多さは伊達じゃないらしい。



「花火、もうすぐだな」


 それぞれが食事を終えた頃、冬葵が時計を見ながら呟く。

 釣られて壁に掛けてある時計を見ると、時計の短針は八時を捉え、長針の方は五十分を指している。

 花火は二十一時から二十二時までの一時間の間、おおよそ数千発もの花火が夜空を照らす。もう少し都会の方なら何万発となるのだろうが、夢乃原市はそこまで大きな町では無い故にそこまでの数は上がらない。

 刻一刻と迫る打ち上げ時間に、僕ら四人はワクワクしながら待つ。残り時間が二分を切った所で梨花が『気分を上げる為』と言いながら部屋の照明を落とし、冬葵が『音聞こえた方が良いだろ』と窓を開けた。


 時刻は遂に二十一時。病院から遠くの海の方からではあるが、口笛に良く似た音が聞こえてきた直後に、夏の良く晴れた夜空を鳴り響く炸裂音の後に大輪の花が彩る。

 いつも見ている距離に比べ、遠くからではあるがそれでもかなりの大きさに感じる、思わず息を呑んだ。


「綺麗……」

「お兄ちゃん!花火です!」

「ああ、花火だな」

「でっけえな…」


 四人はそれぞれ思い思いに感想を述べ、夜空を彩る花火へと見惚れていた。

 いつもなら何を見ても何も思わない僕も、花火を前にすればさすがに『綺麗だな』という感想は出て、同時に『近くだと絶対五月蝿いよなこれ』という少しひねくれた感想も出る。

 そんな事を思いながら眺めていると、隣に居た由希がポツリと何かを呟いた。


「来年は、もっと近くで見たいです……」


  病室から見える、打ち上がっては消えを繰り返している花火を見ながら、由希は消え入りそうな声で呟いた。

 そんな由希の言葉に応えるように、僕はそっと由希の頭にポンっと手を置いて撫でると、


「来年はもっと近くで見ような この四人でさ」


 と笑顔で言い聞かせた。

 梨花も冬葵も、そんな僕の言葉に笑顔で、そして静かに頷く。

 冬葵の彼女にはちょっと悪いが、来年の夏のこの日も冬葵を借りる事になるかもしれない。

 こうしている間にも花火は次々と打ち上がり、大きな音を響かせながら、赤 青 緑と言った様々な色の花火が、真っ黒な夜空という名のキャンパスを彩っていく。


 こうして幼馴染と過ごす夏はいつまで続くのだろうか。幼稚園からずっと同じとは言え、きっと何れはそれぞれが別の道を歩む。

 大学へ進学する事となっても、これまで通り三人一緒という事は絶対なく、それぞれにやりたい事があって、それぞれに別の未来がある。

 いつかは離れ離れになり、長くは続かないであろうこのかけがえの無い時間を噛み締める様に、僕は続々と打ち上がる花火と時間を、記憶に刻み込んだ。


『〜♪』


 思い耽ていると、突然、ポケットに入れていたスマホの着信音が鳴り、着信が入った事を知らせるようにバイブした。

 見なくても相手は誰か分かった、恐らく結衣だ。


「悪い、ちょっと電話してくる」

「すぐ帰ってこいよ」

「善処するよ もしもし…」


 スマホを耳に当て、照明も落ちて真っ暗になった廊下を、暗闇に自ら呑まれて行くように歩く。

 足元に気を付けないと簡単に転げてしまいそうだ。


『上坂』

「ありがとな結衣、時間ピッタリだ」


 正直言って、花火を意識を取られすぎて時間の事など頭になかった、結衣が電話をかけてくれなかったら春奈さんとの約束を忘れてしまっていたかもしれない。


「結衣も花火見てんのか」

『うん、家から見てるよ』


 通話をしている最中も、結衣の方からはちょくちょく割と大きな音で花火の音が入り込んでいる。

 つまり、結衣の自宅は会場からそんなに遠くはないらしい。

 なんだかストーカーのような思考をする自分に嫌気がさしながらも、僕は続けた。


「ちょっと今から幽霊を成仏させてくる」

『出来そう?』

「まあな、全て落ち着いたらまた報告する」

『うん、気をつけて』

「ああ じゃあな」

『またね』


 電話を切り、僕はスマホの明かりだけを頼りに屋上へと繋がる階段を登る。

誤って階段を踏み間違える なんて事がないように細心の注意を払いながら階段を登りきり、そして屋上へと繋がる鉄の扉の前へと立ち尽くした。


 恐らくこれが春奈さんとの最後の別れになる。僕は目を閉じながら深い深呼吸を一つして、ドアノブへと手を掛けると、そして力強く扉を押し開けた。


 屋上には、既に花火を見つめる白いワンピース姿の女性が一人。まるで絵画の様に儚いその後ろ姿を捉え、僕は何も言わずに春奈さんの隣へと並んだ。


「ちゃんと約束 守ってくれたんですね、隼人君」


 春奈さんはこちらを見る事無く、視線をそのままで花火を見ながらそう語る。

 今日で『屋上で出会った不思議な女性』との日々も終わり。

春奈さんを前にして、僕は改めてそう思うと、何だか胸の奥がキュッと締め付けられる気持ちになった。


 しかし、今日はちゃんと別れをすると決めたのだ。

 もう一度大きく息を吸い込み、何かを決心した顔で、僕は春奈さんへと言葉を返した。





「僕が約束を破るわけ無いだろ」








「姉ちゃん」





 意を決して返した言葉。

 僕のその言葉を聞き、春奈さん……いや姉ちゃんは驚いた表情を浮かべると共に、突然湧き出た大粒の涙が頬を伝った。

 そして溢れ出した涙を指先で拭い、ようやくこちらを見て笑うと、こう口にした。



「そっか、やっと気づいたんだ」





 



 続く。





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