#8『突きつけられる現実』

 

 8月11日の午前10時、この日バイトが休みの僕 ─上坂隼人は朝早くからとある用事で病院に居た。

 用事とは月に一度の担当医との面談。

 本来ならば親が出るべきなのだが、両親は仕事の都合で帰って来れず、欠席。なので代わりに僕が駆り出される事となっている。

 看護婦の人には『用意が出来たら呼びますね〜』と言われているので、大人しく病室で由希と話しながらその時を今か今かと待っていた。


「それで、体調はどうだ?」

「はい!今日も私はバッチリです!」


 由希は相変わらず自信満々の笑顔でそう答える。

 この調子なら本当に来月には一時退院出来そうだ、本来ならば自分が夏休みの間に退院して欲しかった想いではあるが、こればかりは仕方がない。

 時刻はまもなく十一時になる。少しお腹が空いてきた頃ではあるが、まもなく呼び出しがかかるはずなのでじっと耐える。家を出る前に何か食べるべきだった。

 そうこうしている内に病室の扉からノックの音が鳴り、看護婦の人がやって来た。


「用意出来ました、由希ちゃんのお兄さんは私に着いてきてください」

「じゃあ行ってくるよ」

「はい!行ってらっしゃい、お兄ちゃん!」


 笑顔で手を振ってくる由希に見送られ、僕は病室を後にする。

 看護婦の人に連れられ廊下を歩いていると、前を歩いていた若い看護婦の人に話かけられた。


「由希ちゃんは本当にお兄ちゃん大好きっ子なんですね」

「由希にはいい加減お兄ちゃんっ子を卒業して欲しいですけどね」

「そうは言っても、今の由希ちゃんにはお兄さんしか居ないんですから好きなだけ甘えさせてあげてくださいね」

「ま、それは分かってます」


 由希の元へは中学の同級生や教師、また小学校からの知り合いが面会に来てくれているのは知っているが、毎日の様に来るのは僕しか居らず、また両親は今回の入院から一度も来れていない。

 こういう時、親ならば時間を作ってでも会いにくるべきだと思うのだが、それが難しい事も僕は知っているので複雑な心境だ。


「ここです、中で先生が待ってます」


 看護婦の女性は突然立ち止まり、部屋へと案内。

 どんな話をされるのか分からないし、緊張する。僕は恐る恐るスライド式のドアを引き、中へ入ると、そこには白衣を纏った三十代位だろうか?思いの外若い外見をした如何にも仕事の出来そうな男の先生が険しい顔でカルテを読みながら僕を待っていた。


「どうぞ、お座りください」

「失礼します」


 案内された丸椅子へと腰掛け、担当医の先生は目の前のパソコンで『上坂由希』と書かれたフォルダを開き、僕に見せてきた。

 画面に映し出されているのはレントゲン画像。しかし、医師もでもなければ医学生を志している訳でもない自分には、見せられたレントゲンであれこれ説明されてもなんのこっちゃ分からず、次々と医師から説明を受けながらも『はい』や『そうなんですか』と恰も聞いてますという風に相槌を打ってごまかす。

 そうして粗方よく分からない説明が終わった所で、医師は改めてこう告げた。


「現状、由希さんの体調は安定しています」

「進行度はどうですか?」

「今は投薬治療で病気の進行を遅らせてはいますが、まず言えるのは心臓移植をしない限りは中学の卒業は厳しいかもしれません」


 医師の口から出た言葉に、僕は言葉失う。

 心臓移植?それをしないと中学の卒業も厳しい?それはつまり… 由希は死ぬかもしれないってことか?

 突然突きつけられた現実に、一気に頭の中が真っ白になる。


「…助かるんですよね?」

「心臓の移植さえしてしまえば助かります、ただそのためにはドナーが必要になります」

「ドナー…」

「私も由希さんに出来る最善は尽くすつもりです、でも悲観はしないでください お兄さんが悲しい顔をすればきっと由希さんも悲しみます 移植は絶対に受けられる、諦めずそう信じてください」

「…分かりました」


 ……歯痒い。由希はあんな小さな身体で懸命に病気と戦っているのにも関わらず、自分には応援くらいしか出来ない、助けてやれない。

 そしてその事実が自分の心に容赦なく突き刺さる。


「とにかく、来月は一時退院して自宅で様子を見てみましょう お兄さんも退院したら由希さんに寄り添ってあげてください」

「…はい」

「私からはこれで終わりです。お兄さんからは何かありますか?」

「…あの! 20日の日にある花火大会に妹を連れて行ってやりたいんですけど…」

「夢乃原花火大会ですか? うーん…体調は安定してはいますが、もしものことがあった際に…」

「やっぱり厳しいですよね…」


 まぁ、こうなるのは予想していた。外出の許可が出ない事も予想の範疇ではある。

 冬葵には悪いが、由希を花火大会につれて行ってやるのは諦めるしか……

 すると、担当医の先生は咳払いを一つして、ある提案を持ちかけてきた。


「これはお兄さんが良ければ何ですが、ここの病院の病室からは少し遠くではありますが花火は見えます 当日は由希さんの病室から見るというのはどうですか?」

「いいんですか!?」

「ただ、あまり騒がしくしないでくださいね 他の患者さんもいますから」

「…ありがとうございます!」


 僕は椅子から立ち上がると医師へと頭を下げる。

 そんな僕の行動は医師にとっても想定外だったのか、少し焦った様子で『頭をあげてください』と何度も言われ、僕はそれに従って頭を上げると、取り繕う様に椅子へと再び掛け直した。


「それ以外に何かありますか?」

「いえ、ないです」

「ならこれで面談は終わりです 次は来月の一時退院の前にまた面談をしましょう 今日はお疲れ様でした」


 こうして面談は終了。僕は医師の先生へと礼を言いながら再び頭を下げ、部屋を出る。

 由希の病室へと戻る途中に病院内の購買へと寄り、アンパンとパックの牛乳を買ってから、休憩室のベンチへと腰掛けて、袋をあけてアンパンへと思いっ切りかぶりつく。

 朝は何も食べずに家を出たのでおおよそ16時間振りの食事、空腹は最高のスパイスと言うがどうやら本当の事らしい、いつもの倍美味しく感じるアンパンを早いペースで完食し、餡でパサパサになった口を牛乳で潤す。

「そうだ、冬葵に一応言っとくか」

 スマホを取りだして電話帳を開くと、あ行の1番上に登録されている『赤城冬葵』の電話番号をタップ。

 スマホを耳に当て、コールが5回鳴った所で冬葵が出た。


『もしもし』

「僕だ」

『どうした隼人?珍しいな』

「今大丈夫か?」

『デート中』

「そりゃ悪かった 掛け直すわ」

『いやいいよ、優里奈ならいま服見てて俺は退屈してたからさ 用事は?』

「花火大会の件、医者に聞いた」

『何だって?』

「無理だとさ」

『そっかぁ…』


 僕の報告を聞き、冬葵の声は何処か残念そうだ。余程由希を花火大会に連れて行ってやりたかったのだろうか。とはいえ、話には続きがある。


「外出許可は無理だったけど、当日由希の病室で花火見てもいいって お前がいいならだけど」

『それ本当か!?』

「ああ で、どうする?」

『答えは1つだろ、行くよ 梨花には俺から話しとく』

「分かった任せるよ それじゃデートの邪魔して悪かったな」

『おう またな』


 電話を切り、僕は残り少ない牛乳を一気に飲み干すとベンチから立ち上がる。

 冬葵の彼女には悪いが、やっぱり今年も冬葵を借りる事になりそうだ。


「やっぱり冬葵の彼女に恨まれても文句言えないな」


 僕は笑いながらそう言うと、由希が待つ病室へと向けて歩き出した。


 ◇◆◇◆◇◆


「おかえりなさいお兄ちゃん!」


 面談を終え、病室へと戻ってきた僕を、由希は笑顔で出迎える。

 何と健気な笑顔だろうか、この笑顔の裏で刻一刻と病状は深刻化しているのかもしれないと考えると心が痛くなってくる。

『心臓移植をしないと中学校の卒業は厳しい』

 先程の医師の言葉が何度も脳裏で反響し、ヤスリのように僕の心を削っていく。できるだけ由希の前では悲しい表情をしないで欲しい とは言われているが、由希が置かれている状況を知ってしまった以上、前のように接するのは少しばかりきついものがあった。


「お兄ちゃん、どうかしました?」

「え?」


 由希は何処か心配した表情でこちらを見てくる。どうやら無意識に顔に出てたようだ、気をつけないといけない。


「なんでもないよ、あと花火大会連れていくのは無理だった」

「え!? そんなぁ…」


 由希は驚いた表情を浮かべ、何処か残念そうな顔をしてから下を俯く。この短時間で面白い程にコロコロと変わる表情を見て少し笑いそうになった。

 それにしても余程楽しみにしていたのだろうか、だけどそれは僕も、そして冬葵や梨花も同じだろう。


「ま、その代わり、当日はここから花火見るよ 冬葵や梨花も連れて来て」

「……本当ですか!?」

「ああ本当と書いてマジだ 近くからは見れないけどな」

「全然いいです! お兄ちゃんと花火を見られるなら!」

「当日はバイト入ってるから僕が来るのは夕方だけど、来る途中に出店でなんか買ってくるよ」

「はい!楽しみにしてます!」


 あれだけ残念そうか顔をしていた由希から暗い表情は消え、今度は満面の笑みに。

 由希にはこうしてずっと笑っていて欲しい、そのためにもドナーが見つかる事を祈るしかない……


 ◇◆◇◆◇◆


 時刻は十五時、少し速いが『また明日来るからな』と由希に別れを告げ、病室を後にした僕は迷うこと無くいつも通り病院の屋上へと向かう。

 目的は一つ、春奈さんと会うため。色々聞きたいこともあった。

 長い階段を登り、行き止まりと言わんばかりに静かに佇む鉄の扉を開け、屋上へと足を踏み入れる。

 今日の空は雲が多め、そういえば午後から少し雨マークが入っていた気がする。


「春奈さんは……居ないな……」


 辺りを見回しても、いつもなら屋上で黄昏ながら空を見ている春奈さんの姿はない。

 居ないなら仕方ない、雨も降りそうだし今日は帰ろうか そう考えて後ろを振り返った先に、春奈さんがニコニコしながら立っていた。


「うおわおおおおお!!!?」


 驚きの余り、恐らく十七年間の人生で一番大きな声が出た。僕の叫び声は木霊の様に響き渡った。

 本当に心臓に悪い。居るなら居ると言ってくれればいいのに、驚かす様に背後に立つのは幾ら幽霊でも反則だと思う。


「もう……本当に……驚かさないでくださいよ……」

「幽霊は人をびっくりさせるのが大好きなんです!」


 春奈さんはそう言いながらニコニコ笑っている。…こちらは笑い事ではないレベルで心臓がバクついているのに呑気な人だ。危うく、僕までもが幽霊になる所だった。

 とまぁ、気を取り直して、僕は昨日からずっと聞きたかったことを、柵へと寄り掛かりながら心地良さそうに風を浴びている春奈さんに聞くことにした。


「前から思ってたんですけど、春奈さんって兄弟居ないんですか?」

「居ますよ、可愛い弟が」

「その弟さん、羨ましいなぁ こんなに綺麗な姉が居るなんて」


 心の底から出た言葉。自分よりも下の兄妹が居る長男や長女は、どうしても兄や姉には憧れるものだ。似たような事を同じく弟が居る冬葵と妹がいる梨花が言っていた。また、僕も同じようにそう考えている。


「でもまぁ、私は4歳でこの世を去ったので、きっと弟は私の事を覚えてないんです」

「……4歳ですか?」

「はい、4歳です 早いですよね」


 それは、余りにも早すぎる死。

 しかし本当に4歳で亡くなったのだとすれば、今こうして目の前にいる春奈さんが"大人の姿"なのが説明がつかなくなる。幽霊というのは自由に成長したり、幼くなったりできるというのか。


「私、心臓の病気だったんです 私が幼い頃はまだ今と違って医療もそこまで進歩してなくて、私は大人になれないのを知ってました。けれどこうして亡くなってから願いが通じて、こうして大人の姿で隼人君の前にいます」


 今の春奈さんの姿、それは幼い頃の春奈さんが望んだ物。

 皮肉にも、その願いはこの世を去り幽霊となったことで叶うことになった… という事らしい。

 真実はなんだか、想像していたよりもとても切ない話だった。


「私はずっと夢だったんです! 大きくなったら、弟と2人でこの街の花火を見ることが」

「それが、春奈さんが現世に留まってる理由ですか?」

「はい。 だから、隼人くんにお願いがあるんです」


 春奈さんは僕の方へと身体を向き直すと、今まで見せたことの無い真剣な眼差しで僕を見つめる。


「20日の花火大会、私に会う時間をくれませんか?5分、いや3分でもいいです 私に、隼人君の時間をください」


 現世に留まっている理由が、『弟と花火を見ること』ならば、つまり春奈さんは成仏しようとしていることになる。とはいえ、あくまでも『弟』と見る事が成仏の理由なら、何の血の繋がりもない僕が一緒に見た所でどうにもならないと思う。

 まぁ、花火大会当日はどの道この病院へと来る、途中抜け出せば屋上へ来ることなど容易いだろうが……


「僕なんかが弟さんの代わりになるんですか?」

「はい!寧ろこれは"隼人君じゃないとダメ"何です」

「…分かりました 僕なんかが弟さんの代わりになれるなら」

「ありがとうございます!」

「あの…… 春奈さんはもう成仏したいんですか?」

「こうして霊体になってもう十年以上も経ちます、いい加減自分の気持ちに決着をつけたいんです」


 春奈さん自身がそう望むなら止める理由はない。それにしても……『隼人じゃないとダメ』というのが何とも引っかかるが、頼まれたのなら叶えてあげるべきだろう。結衣にも『その人が成せなかった事を叶えてあげたら?』と言われたばかりだ。僕なんかにその願いが叶えられるのなら断る理由もない。

 

「それじゃあ、20日の花火大会で」

「うん、じゃあまたね」


 春奈さんはそうしてその場パッと姿を消す。

 幽体というのは本当に便利だと思う、壁をすり抜けられ、簡単に姿を消せる。

 屋上に一人取り残された僕は、下の階へと続く階段へと歩きながら、今日の夕飯について考えるのだった。



 続く

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