#7 『夏は巡る』

 時は過ぎ、八月十日。

 1ヶ月とちょっとある夏休みも遂に三十日を切る中、僕 ─ 上坂隼人は変わらずいつも通りの日常を過ごしていた。

 いつも通りに朝起きて、いつも通りにバイトに勤しみ、いつも通りに由希に会いに行くついでに春奈さんと話す。

 そんな変わらない日常ではあるが、僕自身はそんな平凡な日常に充分満足していた。今までの夏休みで一番充実してるようにすら感じる。

 しかし、楽しい日々も長くは続かない。どんな物事にも始まりがあれば終わりがある様に、この楽しい日常も次第に終わりに近づいていく……


 ◇◆◇◆◇◆


「今日も暑っついなぁ……」


 いつものように自宅からバイト先へと歩く僕は、雲ひとつない青空の下、燦々と照りつける太陽に顔を歪ませながらそう呟いた。

 今日の夢乃原市は36℃あるらしい、家を出る前に流し見していたニュースでは、美人で人気のお天気キャスターが『今日は各地で猛暑日になりそうですね』と伝えていたのを思い出す。

 場所によっては40℃近い場所もあるらしく、改めて夏というのが嫌になった。


「季節なんて春春秋秋で回ればいいのにな……」


 正直季節は四種も要らない、過ごしやすい春と秋だけで回ればいい。

 暑さのせいか、自分でもよく分からない事を口にしながら、けたたましく鳴く蝉の鳴き声が聞こえる街路樹の下をぶつくさ言いながら歩く。

 既にシャツは汗でべっとり、出る前にシャワーを浴びて来たがてんで無意味だった。汗で背中に引っ付くシャツに何処か嫌悪感を抱きながら歩く事五分、ようやくバイト先のレストランが見えてきた。


 裏にある従業員用出入口へと周り、ドアを開ける。

 休憩スペースは空調がガンガンに効いており、思わず『寒っ』と声が漏れた程だ。

 かいた汗が冷えて、これでは風邪を引いてしまう。

 更衣室へと行き、予め持ってきていた替えのシャツに着替えて、ウェイター用の制服をその上から着ると、休憩スペースでシフト開始まで時間を潰す。

 バイトが始まるまで後十五分、夕方十七時までのシフトだ。ココ最近十四時上がりが多かったので、稼げる時に稼いでおかないといけない。

 それにしても、暇つぶしにスマホでネットサーフィンをして過ごす十五分と実際に働いている間の十五分は何故これほどまでに時間の感覚が違うのだろう。これも相対性理論とかいう奴なのだろうか?

 そんなことを考えている内にあっという間に十五分が過ぎ、タイムカードを押して僕はホールへと向かった。


 ◇◆◇◆◇◆


 相変わらず、今日も店は大繁盛。

 どの店でも一番忙しいであろう昼頃には喫煙席 禁煙席関係なく席は埋まり、一つの席の接客が終わったかと思えば別の席から注文で呼ばれ、一段落したかと思えばまたすぐに呼ばれる…… という状態。

 これだけ死ぬ気で働いても、本当に誰も来ない暇な時と給料は変わらないなんて、正直不服だ。

夏休みの忙しい時期くらいは50円でもいいので時給上げてくればいいのに。

 と、そんな恨み言を心の中で呟きながら、退店した客の皿を片付けていると、来客を知らせるベルがまた鳴った。


「少しお待ち下さ〜い!」


 大急ぎでキッチンにいる皿洗いの担当に皿を持っていき、僕はレジ前で案内を待っているであろう客の元へ急ぐ。


「おまたせしまし…た」

「よ!隼人!」


 涼しい顔でやってきたのは僕─上坂隼人の数少ない友人の一人、赤城冬葵。しかも、なんと今日は女子連れだ。


「席空いてる?」

「ああ、今丁度空いた」

「了解、座ろうぜ"優里奈"」


 冬葵はそう言いながら、隣にいた女性の手を引っ張って席へと向かう。

 冬葵の隣にいた女性が誰なのかは、見た瞬間に分かった、冬葵の彼女だ。そして心做しか、冬葵の彼女に睨まれた気がする。

 正直睨まれる理由が多々あり過ぎて言い返す言葉が無い。


「全く… これだから冬葵は嫌いだ…」


 自分に非があって誰かに嫌われたり敵視されるのは構わないが、自分に非がないのに勝手に嫌われるのは御免だ。現に冬葵の彼女に嫌われているであろうが、原因を作ったのは全て冬葵のせい。どれだけ思い返しても自分に非はない。

(顔覚えられたかな……)

 別の席のテーブルの片付けをしながらそんな事を考えていると、呼び出しがかかる。

「今向かいまーす!」

 ササッと片付けを終え、注文内容を記録するハンディ端末片手に、呼び出しがかかった席へと向かうと、それは冬葵の席からだった。


「……ご注文は?」

「このチーズハンバーグ一つ、優里奈は?」

「…私はカルボナーラで」

「後ドリンクバー!」

「チーズハンバーグが一つ、カルボナーラが一つ、ドリンクバーが2つ…… 以上でよろしいでしょうか?」


 ここでバイトを始めた時に習ったマニュアルに則った対応で受け答えている間も、冬葵の彼女からの視線がグサグサと突き刺さり、痛い。

 正直この場から一秒でも早く逃げ出したい気持ちで一杯だ。


「うん、以上で なんかこうして隼人が働いてる見ると面白いな」

「僕は見世物じゃない…… それじゃしばらくお待ち下さい」


 逃げるように冬葵達の席から離れ、キッチンのメンバーへと注文内容を伝えてから接客へと戻ろうとする途中、店長から呼びとめられた。時給アップの話かもしれないという僅かな希望を胸に抱きながら耳を傾ける。


「上坂、しばらく俺が入るから今のうちに休憩入ってくれ」

「分かりました」


 悲しい事に時給は上がらなかったが、正直助かった。冬葵には悪いがこれ以上は胃に穴が空きそうなので店長に後は任せて、僕は休憩スペースへと逃げるように戻る。

 時刻は十三時、あと一時間もすれば忙しい時間帯は終わり、客足も大分落ち着いて来るだろう。

 僕はパイプ椅子に腰掛け、大きな欠伸を一つ。


「後、四時間…か」


 まだ二時間しか働いてないというのに、疲れがドッと来る。

 欠伸をした事により目尻に浮かぶ涙を親指で拭っていると、従業員用出入口のドアが開き、『お疲れ様でーす』という聞きなれた声と共に、いつも通り昼からのシフトの梨花がやって来た。


「お疲れ……」

「お疲れ隼人!」


 既に限界状態の僕と違い、昼からのシフトの梨花は元気一杯。まだ疲れを知らない人間というのは見ていて何処か羨ましい。

 制服へと着替えた梨花は更衣室から戻ってくると、いつも通り自分の隣へ。別に席は幾らでも空いているというのに何故かいつも隣に座ってくる梨花の行動に困惑しながらも言及はせず、無心でただ虚空を見つめていると、梨花が話しかけてきた。


「隼人は昨日の心霊映像特集見た?」

「そういや昨日もあったのか」


 夏恒例の心霊映像特集。この前結衣が見たと言っていたのとは別の局の奴だろう。何度かCMで放送告知をしていたので、昨日の晩に放送だということは知っては居たが、幽霊存在否定派の僕にとっては特に興味もないので全く別のバラエティ番組を見ていた。ましてやテレビなんかで見なくても現在進行形で幽霊は見てるし、何なら触れられる上に話せる。


「隼人って幽霊信じるタイプ?」

「幽霊が見えるタイプだな」

「えっ嘘!?」

「嘘だよ」


 嘘ではなく本当。だが、詳しく話す気にもなれない上に信じてくれなさそうなので、嘘だと否定しておいた方が楽。

 昔こそ幽霊は信じない人間だったが、今は信じる所か見えてしまっている。存在を否定していたものが見えるというのは、何とも言えない感じがある。


「さて、午後からも頑張りますか」


 店長に任せっきりにするのも何だか悪いので重い腰を上げ、僕はフロアへと戻った。

 どうか冬葵一行が帰っていますように と、心で願いながら、僕は勤務へと戻る。


 ◇◆◇◆◇◆


 時刻は十七時過ぎ。

 とても忙しく長いように思えた一日はようやく終わり、店を出た僕は夕暮れの街並みを見ながら歩き出すと、店のすぐ隣にある公共掲示板へと貼られているポスターが僕の目を引いた。


『夢乃原市花火大会 八月二十日』


 気がつけば後十日に迫った夢乃原市の花火大会を知らせるポスター、やはり今年も冬葵は彼女からの誘いを断って自分達との花火大会を優先するのだろうか、そう考えていたら冬葵の彼女の視線を思い出して胃が痛くなってくる。


「あ、上坂」


 足を止め、ポスターをジッと見ていると、聞き覚えのある呼び方で呼ばれる。見なくても誰かは分かった、結衣だ。


「珍しいなこんな所で」

「そういう上坂は一人寂しくレストランで夕飯?」


 視線を移した先に立っていたのは僕の友人No3事、上野結衣。

 今日はこの前会った時とは違い、長い綺麗な黒髪をサイドで纏めたツインテール姿だ。


「あそこ、僕のバイト先」


 バイト先のファミレスの近くに立っていたから一人で夕飯を食べに来たと思われたのだろうか。

 生憎、ファミレスへと1人で入れるメンタルは、いくら孤独に慣れた僕でも持ち合わせていない。

 否定するようにファミレスを指さしながら、僕は指摘する。


「へぇ、なら今度上坂がバイト中に私も行こっかな それで、『上坂隼人という店員の接客態度が悪い』って投書を送る」

「クビにしようとするのは辞めてくれ」


 バイトをクビにされるのは勘弁だ。もちろん冗談とはわかってはいるが、結衣の言う事は何処か冗談に聞こえない。


「てか、やっと僕の目を見て話してくれるようになったんだな」


 気づいたことが一つ、それは先輩や教師だろうと絶対目を合わせない上野結衣が、何も気にせずに僕の目を見て話しているという事。

 思い当たるのはこの前結衣から『誰とも目を合わせない理由』を聞いた時の出来事だ。

上野結衣の『残された時間』を見る目を持ってしても、僕の『残された時間』は見えなかった。だから目を合わせてもOKという事だろう。


「どれだけ上坂の目を見ても、『残された時間』は読み取れないよ」

「まぁ、そのお陰で結衣の可愛い顔が見れるならそれでいいかもな」

「…本当、よくも恥ずかしげもなくそんなことが言えるね」


 何処かバツが悪い様に呟く結衣を見て僕は笑うと、今度は結衣から別の疑問が飛んでくる。


「で、そんなバイト終わりの上坂は帰宅途中?」

「いや、今から病院」

「へぇ、やっとそのオメでたい頭を治す気になったんだ」

「馬鹿が病院で治るなら苦労しないっつーの」


 笑いながらそう語る僕に対して、結衣も『そうだね』と愉快そうに笑う。

 何とも生産性のない会話を楽しむ僕達だったが、病院が設定している面会時間終了まで時間が無い。僕は最後にある質問を結衣へと尋ねる事にした。


「最後に一つ聞きたいんだけどさ、幽霊が成仏せずにずっとその場に留まるのってなんでだと思う?」

「それは上坂が見たって言ってた幽霊の話?」


 結衣からの返答に僕は無言で頷くと、結衣は下を向いて考える素振りを見せながら、ある可能性を口にした。


「幽霊に関しては私は得意分野外だけど、何かを成せないまま亡くなったとか?例に挙げるなら地縛霊は自分が死んだ事を受け入れられなかったりして自分が死んだ土地に霊として残るっていうのは定番だけど」

「成程…」

「せっかく幽霊と会話ができるなら、その人が成せなかった事を上坂が叶えてあげたら?」

「僕にできる範囲内ならな、ありがとう参考にするよ」

「どういたしまして、早く妹さんの所に行ってあげたら」

「そうする、またな」

「うん、また」


 こうして結衣と別れ、僕は病院へと向けて歩き出す。バイトで疲れ切っていた身体は結衣との談笑のお陰か、少し軽く感じる。笑う事は疲れに効くのかもしれない。

 そんな軽い足取りのままバス停の前を素通りしようとした時に、丁度病院方面行きのバスがやってきた。

 病院までの運賃は350円、そして財布には400円。時間もない、今日は奮発してバスで病院に向かうことに。


 バスに揺られる事十六分。いつもならヒィヒィ言いながら登っている長い坂道をバスで優雅に駆け登り、病院前のバス停へと到着。

 病院前のバス停留所までの運賃は、ただでさえ軽い財布にそこそこ打撃だが、ここまで歩いてやって来る徒労への代価だと自分に言い聞かせ、なけなしの運賃を払い、いつもとは軽い足取りで病院へと入るのだった。





 続く


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