#34『忘却』

 目覚ましの音で目を覚ます。

 時刻は午前六時半。まだまだ外は暗いが、れっきとした朝だ。

 あれから、家に帰った後も上野結衣からの連絡は無かった。

 その代わりに遭遇したのは上野優衣。

 僕の初恋相手で、中学までの同級生。覚えている・知っているのはそれだけ。それからは何故か、上野優衣という存在そのものが記憶から大きく欠落していた。

 まぁ覚えていないという事は、それだけ僕にとっては忘れたい記憶なのだろう。だとしても、名前まで忘れるなんて余っ程だが。


 そんな初恋相手との再会よりも、大変な事が起きている。

 僕の数少ない友人である梨花と瑠香の二人の中に、僕の記憶が無いのだ。

 理由は不明、最初は冗談かと思ったが様子を見るに冗談ではない。

 だが、僕からしたらこんな状況こそ冗談ではない。

 不幸中の幸いか、唯一と言っても過言ではない男の友達である冬葵が僕の事を覚えていてよかった。


 記憶から消えていた初恋相手の再会と、僕の事が記憶から消えた友人二人。正直な話、関連性しかない。

 なんなら昨日は元凶に会ったと言っても過言ではなさそうだ。

 そう思える理由として、"上野優衣は一昨日、小宮梨花に遭遇している"。

 梨花から僕の記憶が消えた事と、上野優衣の存在。嫌な予感しかしない。


「寒っ」


 いつもに増して寒い朝に震えながら、僕はベッドかろ降りてカーテンを開けた。

 まだ外は薄暗いが、空から雪が降っているのが見える。

 久しぶりの雪。一月かそこら辺以来だが、状況が状況なので素直に喜べない。

 カーテンを再び閉め、目を覚ます為に顔を洗いに行こうとした時、スマホにメッセージが入った事を知らせる通知が来た。

 思わず手に取り、誰からかを見ると、それは結衣だった。


 "返信遅れてごめん、昨日は風邪を引いて休んでた。"


 一切連絡が取れず、また学校にもいなかった理由がやっと分かった。

 どうやら結衣は風邪を引いていたらしい。


 "結衣の所 両親共働きだろ?ちゃんと飯食ったか?"

 "想像におまかせする"

 "家行くわ 何となく場所知ってるし"

 "本当は断りたいけど、来て"


 どうやら重症そうだ。都合のいい事に今日は土曜日で学校が休みな上、バイトのシフトも入れていない。

 とりあえず朝の支度を済ませてから、僕は八時過ぎには"友達の看病行ってくる"と母に告げ、家を出た。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 家を出てから、とりあえずコンビニに寄って色々買い込んだ。

 生憎ドラッグストアもスーパーも朝の八時には開いておらず、大した物は買えなかったが、最低限必要なものは買い揃えられた。

 雪が降りしきる夢乃原市の街を歩きながら、自分の記憶を辿って結衣の家を目指す。

 正確な場所は知らない(教えてくれない)が、過去に近くまで結衣を送った際、"この道を行けば真っ直ぐだから"と言われた所まで向かい、家が建ち並ぶ住宅街を歩く。

 山口 下田 小池……様々な苗字の表札が掛けられた住宅の前を歩きながら、漸く『上野』の表札がかけられた住宅を見つけた。

 扉の前に立ち、呼び出しのチャイムを鳴らす。

 ……応答は無い。もしかして家を間違えたのだろうか。

 他にも『上野』の表札が書かれた家が無いか調べようとしたその時、少し遅れてドアが開き、中から頭に熱冷まし用のシートを貼りパジャマに身を包んだ結衣が出てきた。


「おはよう結衣」

「……おはよう」

「色々買ってきた、家あげてくれ」

「うん……」


 家へと戻る結衣に続き、自宅へと入る。

 家の中は特に変わった所がない。少し違いを感じるとすれば、何だか人の気配が余りにも薄い。

 それを感じさせるのは、玄関に並べられた靴の数だらうか。結衣が通学時に履いているローファーと、出先で会う際によく履いているスニーカーとスリッパ。あとは二足ほど靴があるのみ。

 結衣に姉妹が居ないのは知っているが、三人家族でももう少し靴があってもいいはず。

 まるで、この家には結衣しか居ないみたいだ。


「……上坂の事だから、この家には生活感がない とか思ってるんでしょ」

「なんだよお前、夏希みたいに人の心読めるのか」

「顔に書いてある。 ……まぁ、ほぼ上坂の思ってる通りだよ。私の両親は二人とも仕事に生きてるからね。娘が風邪を引こうが、関係なく仕事が大事なんだよ」

「そうだろうと思ったから来たんだよ。ほら、僕って一応彼氏だろ?」

「……ありがと」

「礼ならいい、ほらお前は寝てろ。簡単になんか作ってやる。キッチン借りるぞ」


 僕は持っていた袋を一旦起き、結衣に寝るように促してからキッチンに立った。


「米は……あるな、雑炊でも作るか」


 人様の家の物を使って何かを作るのは若干気が引けるが、今は結衣の体調が一大事だ。

 僕は買ってきた材料を使って、雑炊を作る事にした。


 ◇◆◇◆◇◆


 数分後、完成した卵雑炊を持って結衣の元へと向かった。


「ほら口開けろ」

「ご飯くらい自分で食べられる」

「病人は黙って言うこと聞け」

「……ん」


 何処か照れそうにしながらも、結衣は口を開く。

 火傷しないように、十分に冷ましてから口へ運ぶと、美味しそうに食べた。可愛い。


「なんか、懐かしい」

「味がか?」

「ううん、こうやって誰かに食べさせて貰うのが。昔、同じ様に風邪引いた時にお母さんが食べさせてくれたから」

「結衣が望むなら今度またやってやる」

「恥ずかしいからいい けど、風邪を引くのも悪くないね、こうやって誰かに甘えられるから」

「結衣はもっと甘えてもいいんだよ」

「なら……」


 そう言って結衣は、両手を横に広げた。


「ぎゅってしてほしい」

「ああ、いいとも」


 持っていた卵雑炊を一旦置き、僕は結衣へと抱き着く。

 熱があるせいか、抱き締めた結衣の身体は仄かに温かい。


「……上坂の事好きになって、よかった。」

「……」

「一生つまらないと思ってた人生が楽しいと思える様になったから。上坂に会ってからそう思う。それに、ちゃんとお別れもできたし。」

「悠未、か。」


 数週間前、春奈と同じ様に消滅した夏希と結衣の幼馴染。

 "友達にお別れを言いたい"という願いを叶え、今度こそ悠未は安らかな眠りについた。


「なぁ、こんな時に言うのもなんだけどさ」

「どうしたの?」

「大変な事に巻き込まれてる」

「……また」


 お互い一度離れ、向き直る。

 それからもう一度雑炊を手にして、結衣へと与えた。


「話は飯の後だ。今回は結衣にも影響があるかもしれない」


 ◇◆◇


「これで完食だ」

「で、私にも影響がありそうって何?」

「……瑠香と梨花が僕の事を忘れた」

「え?」

「原因は何となく分かってる。……上野優衣、お前と同姓同名だ。漢字も性格も違うけどな。」

「知り合いなの?」

「ああ、僕は覚えていないけど初恋相手らしい。だけどさ、普通忘れたい淡い恋の記憶だとしても名前も姿も覚えてるもんだよな」

「その口ぶりからすると、何も覚えていなかったんだ」

「まぁな」

「つまり、上坂はその子が小宮さんや神崎さんの記憶を消したと?」

「僕はそう思ってる、現に、梨花が記憶を無くす先日に上野優衣と会ってるんだよ」

「ふーん」


 そう言うと、結衣は何か考える素振りをした。


「どうした?」

「いや、上坂って女難の相ありすぎじゃない?本格的にお祓い行ったらいいと思うよ」

「だよなぁ……」


 そろそろ自分でも本腰を入れて探そうかな、いいお祓いをしてくれる所。

 このままではいつか女性関連で死ぬ気がする。


「その上野優衣って人は、小宮さんや上坂の同級生だったんでしょ?」

「まぁな、中学の」

「それなら上坂と小宮さんが仲良いのを知ってるのは分かるけど、なんで神崎さんまで?」

「僕も最初はそう思ったが、分かりやすい理由が有った。」

「そうか…… あの映像」


 僕と神崎瑠香が未来と戦った際、僕がナイフを持った男に刺された動画が拡散された。あれは中々の騒ぎになったし、学校内じゃ僕と瑠香の二人はデキてるだのある事ない事散々言われまくったが、もしあの映像を上野優衣が見たなら、映っていた神崎瑠香も対象になるかもしれない。

 それに


 "大切な人に忘れられる気分ってどんな感じ?"


 という上野優衣の一言。

 おそらく上野優衣の狙いは正真正銘僕だ。だとすれば、僕と結衣の関係がバレた途端に結衣も記憶を消す事の対象に入るのは間違いない。


「上野優衣は僕を恨んでるんだろ。"上野優衣のことを忘れた事"を。だから、僕の周辺の人間の記憶を消してる。自分が感じた同じ気持ちを僕に味わせる為に。」

「……じゃあ上野優衣は」

「"記憶を消す目"。僕や結衣、夏希が持っている目が"見えないものが見える"様にする目なら、上野優衣が持っているのは"見えていたものを見えなくする目"に近い。」

「上坂はどうするつもりなの?」

「話し合うしかないよな、でも多分最終的には僕も記憶を消される気がする。今度は全部忘れるかも、自分の事も。だからさ、結衣 頼む。僕が全部忘れたら思い出させてくれ。どんな手を使ってもいい、ビンタでもドロップキックでも。」

「じゃあさ、ノートにとりあえず自分の事書いたら?名前とか友人の名前とか……それがトリガーになって思い出すかも」

「"備忘録"的なやつか。いいかも、帰りにノート買って帰るか。 」

「行動に移すならすぐがいいよ。上坂のおかげでだいぶ楽になった。」

「本当に大丈夫か?べつに1日中ずっと居てもいいんだぞ」

「うん、私なら大丈夫。夜には両親帰ってくるし、それに明日までにはちゃんと治す様に頑張るから、雑炊ご馳走様。」

「……なら帰るけど。なんかあったらすぐ連絡しろよ。見送りはいいから寝とけ」

「うん、今日はありがとう上坂。お陰で元気出た。」

「お大事な」

「うん」


 布団の上の結衣から見送られ、僕は結衣の家を後にする。

 帰る途中でコンビニに寄り、僕はノート一冊買った。

 来る日の決戦に備えて。





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