#46『Xデー』
Xデーまであと二日。
この日の夕方、隼人は由希が眠るICUの控え室に居た。
眠っていた由希のバイタルに異常があり、医師に呼ばれるままに母と、遅れてやってきた父親と駆けつける。
忙しそうに部屋を行き来する看護婦や医師の姿を、家族三人でただ見守るしか無かった。
そんな状態が暫く続き、ようやく落ち着いたのか、奥から医師が現れた。
「皆さん、どうぞこちらへ」
案内されるがまま、家族三人で部屋へと入る。
扉の向こうには、装置に繋がれたまま横たわる由希の姿があった。
機械とベッドのみの質素で静かな部屋に、生命維持装置の機械音のみが何度も響き渡る。
そして、誰一人口を開かない重い空気の中、最初に沈黙を破ったのは医師だった。
「もし次、由希さんが目を覚ました時、それは由希さんと話せる最後のチャンスだと思ってください。」
開口一番、耳を疑うような台詞が投げ掛けられた。
母も父も、隼人も、みな揃いに揃って顔では平静を保ちながらも、瞳の奥に動揺が浮かぶ。
「投薬ではもう抑えられないステージまで来ました。これから先は移植を受けない限り、"由希さんが味わう苦痛を如何に和らげるか"の戦いになります。」
「つまり……」
その言葉の裏は"もう由希に助かる見込みは無い"という事になる。
治療ではなく緩和、助かる訳ではなく"どうやって楽に最期を迎えさせてあげるか"という事。
「そんなの……実質死の宣告じゃないですか」
「……」
隼人の言葉に、医者は黙り込んだまま答えない。
否定をする訳でも、肯定する訳でも無い。
でも、沈黙はある意味、隼人の言葉を肯定するかのように感じた。
隣で母が泣く声がする。父はそんな母の肩を持って視線を下に落とした。
機械音と、すすり泣きの声が鳴り響く部屋の中で、隼人はただ、何も言わずに横たわる妹の姿を茫然と見守る事しか出来なかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
由希が危険な状態になって二日が経った。
今日は十二月二十四日。多くの子供やカップル等が待ち望んでいたであろうクリスマスイブ。そして、結衣の見た"上坂隼人に残された時間"のカウントが0になる日でもある。
この日、隼人は昼前には家を出て、クリスマスムード賑わう駅前の通りを、一人で歩いていた。
恋人が居る初のクリスマス。それなのに、隣には肝心の彼女である結衣の姿は無い。
その理由は午前中に掛かってきた友人からの連絡にあった。
上野優衣、"人の記憶を消す"目を持つ彼女に頼み、幼馴染二人と、彼女である上野結衣の記憶から"上坂隼人"という存在を消してもらうように頼んでいた。
あれから数日が経った今日、頼み事が終わったという連絡が優衣からやってきたのだ。
これで、上坂隼人 という人間を覚えているのは数少ない者だけになった。本来なら、優衣や瑠夏や夏希からも上坂隼人という人間の存在を消したかったが、欲張りは言えない。
忘れられる と言うことは本当は悲しい事だ。
以前、自分はそれを身を持って理解した。けれど今度はそれを利用させて貰う。
今から自らがやろうとする行為に、"上坂隼人の存在を知る"という事は不都合なのだ。
今日で全てが終わる、きっと。
僕の█も。██も。
それが悪い事だとしても、罵られたとしても、僕には、上坂隼人には、誰かに譲りたい未来がある。
「行くか。」
全て決めた表情を一つして、隼人は病院へと向けて歩き出した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
駅前から歩いて凡そ四十分。
歩くには少々骨が折れる様な坂を登り、病院へと辿り着く。
それから受付を済ませ、由希の眠るICUへと向かう前に、久しぶりに病院の屋上へと出た。
半年前、全てが始まったこの場所。
ここで春奈と出逢い、それから連なる様に様々な出来事が起こった。
瑠夏と出会い、夏希・悠未と出会い、優衣と再会して、結衣と結ばれた。
解決すれば別の問題が起きての繰り返しに頭を抱えたりもしたけれど、一生かけても忘れることの無い思い出。というか、忘れられる筈もない。
ポケットに入れていたスマホが鳴る。
着信、相手は優衣。隼人は電話を取る。
「もしもし、どうした?」
『一応、口頭でも報告しとこうと思って。頼まれた事はしたから 』
「ああ、ありがとうな」
『いいよ、隼人君には借りがあったし。いま何処に居るの?』
「病院、屋上にいる」
『なるほどね。まぁ、何があってこんな事頼んだかは聞かないけど、…私は隼人君の事忘れないから』
「ああ、優衣だけでも覚えといてくれよ。じゃあな、ありがとう」
『うん、じゃあね』
プツリと電話が切れる。
隼人はスマホをポケットに仕舞い、柵にもたれ掛かる様に身体を預けた。
この光景を見るのも、あと残り少しになる。
最後に、この目に焼き付けておこうとした時、屋上へと繋がる扉が開く音が背後でした。
音に反応し、咄嗟に振り返る。
視線の先に居た人物の姿を見て、隼人は驚きと共に言葉を失った。
……同時に、ポケットに仕舞ったスマホが振動する。
恐る恐るスマホに手を伸ばすと、それはメッセージアプリから。
送信主は優衣だ。
『私を振った復讐ね。ちゃんと二人で話し合った方がいいよ』
「優衣……」
スマホを再び仕舞い、視線を前に戻す。
その先には、"記憶が消された筈"の上野結衣の姿があった。
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