#47『生きて欲しいと思う人』


 病院の屋上に男女が二人。

 一人は上坂隼人。もう一人は上野結衣。

 今この場に、上野結衣の存在がある事は、隼人にとっては想定外の事態だった。居るはずのない人物を前にして、隼人は言葉に詰まる。動揺故か、その様子は明らかに平静では無かった。


「お前、なんで……」


 浮かんだ疑問を、言葉にして結衣へとぶつける。

 隼人の想定では、結衣からは自身の記憶は消えていて、この場にいるはずは無いのだ。

 ……いや、待て。

 隼人は優衣から届いたメッセージを思い返す。あの文脈から読み取るに、優衣は結衣に記憶を消す様に頼まれた旨を話した という結論を導き出す。寧ろそうでしかない。


「凡そ、上坂の想定内だよ」


 まるで、こちらの考えを見透かすかの様に、結衣はゆっくり近づきながらそう告げる。

 そして一歩、また一歩と隼人の元へと近づき、結衣が隼人の目の前へと立った所で、パァンという乾いた音が辺りに鳴り響いた。

 隼人の右頬に走る、じんわりとした痛み。それはゆっくりと広がっていき、右頬を赤く染めていく。


「…どうして」


 俯いた結衣が呟く。それは、今にも消えそうな声だった。

 次に結衣が顔上げた時、その瞳には今にも溢れそうな涙が浮かんでいた。


「上坂の馬鹿!」


 今まで聞いたことがないような声量で、結衣が叫んだ。

 突然のことに、隼人は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、結衣を見る。


「勝手に決めて、勝手に突き進んで…私には何も言わずに!」

「……」


 久しぶりに見る、結衣の怒った姿。

 でも当然だと、隼人は自分でも思っている。自分が結衣の立場なら、同じ様に怒った筈だ。

 けれども、その後ろめたさが結衣から、友人の中から自分という存在を消したいと思わせた動機でもある。悲しませたくないから。傷つけたくないから。結果的にバレている以上、こんな風に悲しませているから結局は一緒だが。


「……上坂がしようとした事は分かってる。なんで、上野さんにそんな事頼んだのかも。」

「全部お見通しってことか」

「嫌な予感はしてたから。……私は上坂のやりたいことを肯定してあげたい。だけれど、を経て、妹さんに命を繋ぐ行為を、私は黙って見過ごせない。きっと、それは妹さんも望んでない。」


 少し前に、冬葵から言われたような台詞を、結衣は隼人へと放つ。


「そうするしかなかったんだ。由希にはもう時間がない、医者の話が確かなら年を跨ぐことすら危ういくらいには。」

っていう割に、よく考えてないよ上坂は」

「どういうことだ?」

「死因が自死なら、移植が認められない可能性がある。論理的に、それがまかり取ってしまうと、上坂みたいに身内の自殺を誘発しかねないからね。」

「なら……」

「そうなれば、上坂の命が無駄になるかもしれない。もしそうなったとき、上坂の両親は妹さんも、上坂自身も失うことになる。……命を失うって、そういうことなんだよ。残るのは悲しみだけ。それでも、上坂は無駄になるという可能性を抱えながら僅かな希望に賭けるの?」

「僕は……」

「あくまで、私は部外者でしかない。全てを決めるのは上坂自身。けどこれだけは知ってほしい。上坂が居なくなって悲しむ人間は居る。上坂の幼馴染も、神崎さんも、夏希も、両親も、妹さんも。そして私も。我儘だって思われてもいい、全てが終わったあと嫌われてもいい、私は……」



「上坂に生きていてほしい。」



 結衣は、そういいながら真っすぐな澄んだ瞳で隼人を見る。

 久しぶりに真正面から見る、結衣の瞳。浮かんでいた涙のせいか、空の光によって僅かに輝いて見えた。

それでも、その言葉を聞いても、隼人は俯く。


「……失うのが怖いんだ」


 しばらくの沈黙の後に、隼人が口を開く。


「姉ちゃんを同じ病気で失ったことを知って、あれから何度も考えた。なんで僕じゃないんだって。なんで由希なんだって。最初は頭の中で親を責めたりしたけど、寝ている由希の隣で『丈夫な体に産んであげられなくてごめん』って泣いてる親を見て、口が裂けてもそんなこと言えなくなった。もし由希が居なくなれば、親はそれ以上に悲しむ。僕はそんな姿見たくない。由希が居なくなるという現実も。」


 だから、人生を閉じることにした。

 見たくないもの見ないようにするのは簡単だ。見なければいい話。

 随分と無理やりではあるが、自分が居なくなれば見なくて済む。それに、由希にも未来が生まれる。十七年それなりに生きてきた。これからの僕が歩むはずだった人生を、由希に分け与えたい。

 それが結衣達を悲しませることにはなる決断ではあっても。


「けど、無理そうだな」


 この考えも、さっき潰えた。

 確かに結衣の言う通り、これは可能性が僅かしかない無理な賭けだ。

 そもそも移植が受けられるかという問題から始まる。死に方よっては、無駄死にだってなり兼ねない。

 そんなことになれば、結衣の言う通り、ただ親をより悲しませるだけの行為になる。


 ……これで、またスタート地点に戻った。

 行けると思っていた自身の行為は無駄だと分かり、再び別の策を練らないといけない。

 こうしている間にも、由希の病気は進行して行っていると言うのに。ようやく見えた一筋の光は、再び闇へと変わる。


「……一つだけ、僅かな希望がある」


 思考を張り巡らせる隼人へと、結衣がそう言い放つ。

 思わず結衣の顔を見る。この状況なら、どんな些細なものでも構わない。寧ろそれに縋れるなら縋りたい。


「この前、前に上坂が言ってた事を思い出した」

「僕がか?」


 隼人の問い掛けに、結衣は何も言わずに首を縦に振る。


「前に言ってたでしょ、上坂が"別の世界"に迷い混んだって」


 それは凡そ一か月前の話。

 隼人が迷い込んだ、"由希が存在せず、春奈が生きている世界"。

 なんで迷い込んだのかもよく分からないまま、その世界を脱し、こうして元の世界にいる。


「あれから色々考えてみた、それで引っかかる事が一つだけあった」

「なんだ?」

「これはあくまでも仮定でしかないけど、私は上坂の目はんじゃないんだと思ってる。」



 続く。





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