#48『灯火』
「私は上坂の目は幽霊が見えるんじゃないんだと思ってる。」
結衣の言葉を聞いて、隼人は思わず唖然とした。
そもそも、自分が見えていたものに対して何も疑問を抱いてなど居なかった。故に根底に、そんな考えなどない。
自分は幽霊が見えるんだ と、そう思いながらこの半年を過ごしてきたのだ。
「じゃあなんだよ、僕は何が見えてるんだ」
「夏休みに入る前に、私とした会話覚えてる?駅のホームで。」
「駅のホーム……」
かれこれ半年以上前の話。それも、まだ自分に変な物が見えると気付くギリギリ前の。辛うじて、結衣と電車を待ちながら何かの話をした事だけは記憶にある。
記憶を探り出す様に頭をフル回転させ、会話を思い出す。思考を張り巡らせる事二分。漸く、何かを思い出した。
「心霊番組の話か!」
「そうそれ、その時の上坂が言ってた。『自分は幽霊なんて非科学的なもの信じない』って。」
確かに隼人にはそんな事を口にした記憶があった。
前日の夜にやっていた心霊番組とやらを見て寝不足になった結衣とした会話。現に、あの時は幽霊の存在など微塵も信じて居なかった。その後、死んだ筈の春奈と出会い結果的に"視える"ようになったのだが。
「その時、上坂に対して私はこう言ったと思う。"上坂は何でも否定から入りそう"って。上坂自身も、私の言葉を否定はしなかったし、なんなら肯定してた。」
「まぁ、実際そうだし。で、結局幽霊が視えるのが僕の本当の力じゃないなら、実際はなんだと思うんだ?」
「ここまでで気付かない?」
「まぁ」
「鈍いね上坂は。……まぁ、これも仮定なんだけど、私が思うに上坂の本当の力は、"否定したモノを視る"事なんだと思う。」
「否定したモノを視る?」
「そう。幽霊の存在を否定していた上坂は"否定していた筈の幽霊を視た"。上坂が言ってた別の世界に迷い込んだってのもそう。言葉にはしてなくとも、上坂は何処かで強く妹の居ない世界を否定した。」
「ちょっと待ってくれ、そうなるととんでもない事だぞ」
少なくとも、仮に結衣の言う仮説が本当だとすれば、上坂隼人は世界そのものを作り替えた事になる。そんなの、有り得るはずが無い。
「有り得ないって言いたいんでしょ?でも、私たちは有り得ない事象を味わってた。色んな人間に触れてきた上坂なら尚更。」
結衣の言葉には説得力があった。
確かに、上坂隼人は有り得ない事象をこの半年で散々味わった。死んだ人間を観測し、これから起こりうる未来を補足した。それに、何も隼人自身だけでは無い。
夏希には人の心が見えるし、結衣には人に残された時間が見える。優衣なんかは様々な人の記憶から好きになった人間の記憶を消せる。
確かに有り得ないと言えば有り得ない。でも、それらと比べても、自分の力は他を凌駕し過ぎている。
「世界を書き換えるって事だろ……?そんな事……」
「私が思うに、上坂の力はテレビを見るみたいな感じなんだと思う。上坂が生きているこの世界というAの番組と、上坂が迷い込んだ"妹さんが存在せず、お姉さんが生きている"Bの番組。平行世界ってあるでしょ?きっとこの世界以外にも様々な世界線という名の番組があるんだと思う。それを上坂は、"否定する"という行為で、まるでリモコンで番組を変えるように切り替えて視認できる。」
結衣の説明を聞いても、それでも隼人はまだ納得いかなかった。
多少分かりやすく説明してくれたお陰で頭には何となくで入ったが、それでも、そうだとすれば余りに強大すぎる。
「じゃあ僕が視認していない他の世界はいまこの時も同時に存在してるって訳か?」
「それは分からないけど、存在してる可能性はある。ただ観測してない・出来ないだけでね。でも同時に観測してないんじゃ無いにも等しいかもね。シュレディンガーの猫ってあるでしょ?物事は観測されてようやく立証される。つまり、上坂が見ていないこの世界以外は存在しているし、また同時に存在してない状態って事。あくまで仮定だけどね」
ここまで結衣の話を聞いて、隼人は何となくは理解出来てきた。
それに結衣の言っていた希望とやらも分かった。
つまるところ、"否定したモノを視る"力で、由希の生きているこの世界を否定する。そうすれば、あの時"由希が存在せず春奈が生きている世界"に迷い込んだ様に、世界書き換えられるかもしれない。
ようやく指した一筋の希望の光。しかし、隼人には不安はまだある。
「あくまで、これは可能性の話。私の仮定を信用して決めるのは上坂自身。だけれど、これだけは覚えておいてほしい。私も、上坂の幼馴染も、神崎さんも夏希も、上坂には生きてほしいって思ってる。」
結衣から伝えられる純粋な願い。その言葉は、上坂隼人の考えを変えさせるには十分なものだった。答えに悩む隼人、その時突然、ポケットに入れていたスマホが鳴った。
スマホを取りだし、相手を見る。母からだ。
「もしもし?」
「由希が目を覚ましたの、隼人も今すぐ来て」
昏睡状態だった由希が目を覚ました連絡。電話を切り、隼人は医師の言葉を思い出した。
『もし次、由希さんが目を覚ました時、それは由希さんと話せる最後のチャンスだと思ってください。』
その最後のチャンスが、いま起きている。
そう考えると居ても立っても居られず、隼人は結衣の手を引き、屋上を後にした。
◇◆◇◆◇◆
別棟にあるICUまで、気持ち小走りで駆ける。
到着するや否や、結衣には待ってもらい、隼人は準備を終えてナースのお姉さんに案内されながらICUへと入る。
室内は独特な雰囲気だった。機械音のみが響き渡るこの一室で、父と母は既にベッド横に立ち由希の手を握っていた。
「由希、お兄ちゃんが来たよ」
隼人の到着に気づいた母が、優しく由希へ語り掛ける。
由希は反応するようにゆっくりと目を開き、力を振り絞る様な状態で、隼人の方へとゆっくり顔を向けた。
「お……兄ちゃん……」
装着された酸素マスクのせいか、それとも衰弱しきったせいか、またその両方か、声は弱々しかった。機械音にすら掻き消されそうなその声は、耳を澄ませないと聴き逃してしまいそうな程だ。
「……由希」
そんな状態の妹の姿を見て、隼人は既に限界だった。どんな状況でも、妹の前では泣かないでおこうと誓っていた隼人も、気付けばそんな誓いを簡単に破る様に、瞳にじんわりと涙が浮かんでいる。
隼人は、ベッドの方へと近付き、由希の手を握った。体温は微かに冷たい、それすらも涙を増長させる理由になり得た。
「泣かないで……お兄ちゃん」
「馬鹿言うな、そんな姿見せられて、泣かない訳ないだろ……」
隼人の頬を流れる涙の理由は、悲しみだけでは無い。これが最期になるかもしれないとはいえ、再び妹と話せたのだ。それだけでも十分に涙の理由になる。
「隼人、二人でお話しててね」
今にも泣き崩れそうな母は自分のこの姿を子に見られたくないと思ったのか、父に連れられて、病室を後にする。
ポツンと残された隼人と由希。隼人は由希の手を優しく握り、再び視線を由希へと向けた。
「由希、謝らないといけない事がある」
「なぁに、お兄ちゃん」
「僕には、由希を救えない」
真剣な眼差しで、隼人は由希へとそう告げる。
それに対して由希は、なんの動揺もせず、ただ静かな頷く。
「一つだけ、方法はあった。けど馬鹿げた方法でさ。冬葵にはめちゃくちゃ怒られた。あの冬葵がだぞ?」
「珍しい、です」
少しニコニコしながら、由希は答える。
隼人は続ける。
「その方法ってのは、僕が死んで、由希に命を繋げるってやつ。今日まで本気でしようと思ってた。なんなら、今でも。 ……なぁ、由希。」
「はい」
「もしこの方法で由希が助かるなら、この可能性に、賭けてみるか?勿論、これが出来たら僕は居ない。それでも、やってみるか?」
「……私は」
由希は、視線を天井へと向ける。それから目を瞑った。手は握ったままだ。
そうして二分程経った後、ようやく目を開け、由希は隼人の方を向く。
「……お兄ちゃんが居ない世界なら、私は生きたくありません。」
「……」
「お兄ちゃんは、私が生きる理由だから。私がお兄ちゃんの事大好きなのは、お兄ちゃんが私に一杯愛をくれたからです。忙しいのに、毎日病院に来てくれたり、欲しい物は無理してでも買ってくれたり、愛してくれたから。そんなお兄ちゃんが居ない世界を生きるなら、私は私のまま終わることを選びます。好きな人には、生きていて欲しいんです」
「それは……」
握っていた手の甲に、ポタリと涙が落ちる。
「それは僕だって同じだ! なんで由希なんだよって何度も思った!なんで僕じゃないんだって!おかしいよな……頑張ってる人間やいい人程いなくなる。僕みたいな嫌われ者が生きていくのに、なんで由希が死ぬんだって!」
「お兄ちゃんは、嫌われ者じゃないですよ。だって、冬葵くんも、梨花ちゃんも、私も、お兄ちゃんの事大好き、ですから」
「……ッ」
気が付けば、自分でも驚くくらい泣いていた。
決壊した涙のダムは留まる事を知らずに、ベッドのシーツを濡らして大きなシミを幾つか作っていく。
「お母さんから聞きました。私には、お姉ちゃんも居たんですよね?私と同じ病気の、お姉ちゃん。」
「……ああ」
由希が話すのは、同じく心臓の病に侵されていた姉 春奈の事。
「もし私の願いが叶うなら、私は、お姉ちゃんと、お兄ちゃんの三人で、夢乃原の、花火が、見たかったです」
苦しそうにしながら、由希は願いを語る。
だけれどその願いは、決して叶う筈の無いもの。現に、春奈は既にこの世に存在しない。
「……お兄ちゃん」
「……ああ」
「お兄ちゃんの妹に生まれて、幸せでした。一杯、愛してくれて、ぎゅってしてくれて、お話してくれて、ありがとう」
「……僕も、由希が妹で良かった」
「……いつまでも、私の事、忘れないで、ね」
「忘れるかよ、過剰なまでにブラコンの妹なんか……」
「……」
隼人の言葉に、由希の返答は無かった。
その様子に、傍から見ていた看護婦さんが飛んでくる、その後には医師の先生も駆けつけ、意識を確かめるように由希の名前を何度も呼ぶ。それにすら反応は無い。それでも、生命維持装置の反応は変わらずあった。
「再び、眠ったみたいです」
医師の先生が、隼人を見ながらそう告げる。
その言葉の裏はつまり、"もう由希と会話するチャンスはありません"という意味でもあった。
隼人は立ち上がる前に、由希の手を握る。
微かに感じる命の感触。だがそれも、終わりが近い。
「……答えは出た。迷いは無い。」
隼人は立ち上がり、看護婦さんに連れられてICUを後にした。
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