#49 『世界を超えて、君に届け』

 隼人が控え室に戻ってくると、結衣が一人、置いてあったベンチに腰かけて居た。

 隼人の存在に気づき、結衣は立ち上がって『上坂』と声を掛ける。


「由希と話をしてきた。由希はまた眠ったけど、医師の話が確かなら、多分もう目覚める事はないと思う」

「それって……」

「ああ、今ので最期だ。本人も、それとなくわかってたんだと思う。」


 思い返せば、由希の放つ言葉はどれも、最期の別れを孕んだようなものばかりだった。

 それもそうだろう、自分の身体に終わりが近い事など、医師や隼人なんかよりも余程本人が理解しているはずだ。


「それと、決めたよ」

「……」

「最後の賭けを試してみる。由希本人から、"上坂隼人から貰う命なら要らない"って直接言われてしまったから。なら、最後の賭けに全てを託してみようと思う。」

「私も、それがいいと思う。ただ、上坂は不安なんでしょ?」

「そりゃまぁな。"否定したモノを見る"のが僕の力なら、僕が今からやる事は"上坂由希が生きている"事を否定するってことだ。そんな事易々と出来るかよ」


 それに、視た結果どうなるかも分からない。

 また由希の存在そのものが消えるかもしれないし、隼人自体が居なくなる可能性だってある。

 隼人が思うに、この力は"何かを得たら、何かを失う"気がしていた。

 前回は春奈という存在を得て、由希を失ったように。


「それに、違う世界を見たとき、この世界はどうなる?」

「それに関しては、私も考えてた。けれど上坂が違う世界を見ていた時の記憶に何の異常もない。少なくとも私には"何も変わらない日常"でしか無かった。仮説の段階では、上坂が違う世界を見ているだけかと思ってたけど、どうやら違う気がする。本当に、世界そのモノを書き換えてるんじゃないかな?」

「それなら、幾分か気持ちが楽かも。この世界に、結衣を残さなくて済むってことだろ? 」

「まぁそういうことになるね。けど」

「けど?」

「無理かもしれないけど、私も、上坂が見る別の世界を見たい。不可能かもだけどね」

「いや、不可能じゃないかも」


 隼人の言葉に、結衣は、え?と言いたげな表情を浮かべる。

 それでも、隼人には確信があった。なんせ、二回ほど経験している。

 一度目は瑠香と、二回目は何なら結衣自身と夏希が。

「そっか、確かに。」

 数秒考えた後、結衣にも思い当たる節が見つかったのか、納得をした様な顔をする。


「後、今日は病院に泊まっていこう。」

「なんで?」

「なんでって、今日クリスマスだろ?忘れたのかよ、自分がこの日にどうなるのか」

「あぁ、完全に抜けてた」

「抜けてたって、お前ねぇ……」

「仕方ないでしょ、自分の事がどうでも良くなるくらい、考える事あったから」


 その考える事が、自分の事だと何となく察して、隼人はこれ以上の追求をしなかった。

 それだけ、結衣は隼人には生きていて欲しかったという考えの裏返しなのだから。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 由希の病室に戻り、隼人は母親と父親に事の顛末を話した。

 由希と最後の話をした事、いま付き合っている結衣の存在、今日は二人で病室に泊まる事。

 母経由で病院には了承を取り、隼人と結衣は泊まれる事になった。生憎風呂はないが、冬場に一日くらい入れないのは耐えるしかない。

 そんなこんなで夕方には父親が母を連れて帰り、気が付けば十八時前には病室で二人きりになった。

 クリスマスだと言うのに、迂闊に外にも出れない。初めて恋人と過ごすクリスマスだと言うのになんとも悲しいものだ。

 強いて言えば、母が買ってきてくれたケーキ二切れが唯一のクリスマス要素。それを二人で食べ、することもないので二十二時を回る前には部屋を暗くして、並んでベッドに入っていた。


 暗闇の中で、薄らと窓を照らす灯りが降り落ちる雪を可視化させる。

 それをただ、隼人はベッドの上から見ていた。

 お互いに会話はない。ただ、手だけは握っていた。温もりを感じ、隣に居るという事実だけは感じている。

 そうして、ベッドに入って三十分が経った頃、静寂を破る様に結衣が口を開いた。


「上坂、起きてる?」

「寝てる」

「嘘つき」


 隣で、布が擦れる音がした。

 隼人も音のする方へと頭を向けると、いつの間にかこちら側を見ていた結衣と目が合った。


「上坂」

「なんだ」

「ありがとう」


 突然結衣の口から放たれる感謝の言葉。

 隼人には、感謝を言われる理由が思いつかなかった。


「僕、なんかしたか」

「一応伝えとこうと思って。もし目を覚ました時、どうなってるか分からないし」

「まぁ……確かに。けど、結衣に感謝されるほどの事はしてないだろ」

「充分してるよ、少なくとも学校に行くのが楽しいと思えたのは上坂が居てくれたから。それに、悠未ちゃんにもちゃんと別れを言えたから。特に後者は、上坂が居ないと出来なかった事だし」

「まぁ受け取っとくよ、その感謝。こちらこそありがとうな。結衣が居てくれたから、少しは立ち直れたし考え直せた。今考えてみれば、自分の命を犠牲にして、由希が喜ぶ訳無いのに」

「私が上坂と同じ立場でも、きっと同じ事を考えたと思う。それに私の方こそ言いたい。生きる道を選んでくれて……ありがとう。」

「……可能性が出来たから、それに気付いたよ。世界を変えるのに、"由希が生きていたこの世界"を否定する必要はないって。僕が否定するべきは、"由希の病気"だ。」


 例えどんな結末になろうが、隼人は強く否定する。

 例え自分に何が起きようが、隼人は強く否定する。

 かつては春奈を苦しめ、今も由希の身体を蝕む病を。


「……やべ」


 視界がグラッと歪んだ感覚がした。

 直後、急激な眠気に襲われる。そしてこの感覚は初めてでは無い。故に、この後に起きる事は分かる。


「結衣、手を」


 横向きになった際に離れていた手を伸ばして、隼人は結衣の手を握る。先程まで感じていた仄かな体温も、感覚も、まるで痛覚が消えたかの様に感じれなくなっていた。そしてそれは、隼人の手を取った結衣にも同じ現象が起きていた。


「……上坂」

「……?」

「私と出逢ってくれて、ありがとう。好きになってくれて、ありがとう。私は上坂の事、大好きだから」

「あぁ、僕もだ。」

「……眠くなって来ちゃった。多分、これがそうだよね」

「多分な。そして目覚めた時に、きっと何かが起きてる。 もし、その世界に結衣が居ないなら、僕は何度でもやり直して、結衣を見つけ出す。その度に何かを失っても、きっと。」

「待ってるね、上坂の事」

「あぁ、だから。幸せになろう、二人で。」


 最後に、隼人は最後の力を振り絞って、結衣を抱きしめた。

 結衣は既に眠ったのか、反応はない。

 そしてそれに倣う様に、隼人の意識もまた、深い闇の中へと落ちていく。

 意識が途切れる寸前、ここに至るまでの様々な事が脳裏を駆けた。


 春奈の事、瑠香の事、夏希や梨花に優衣に冬葵。

 本当に色んな事があった。一緒に笑って、泣いて、出逢いがあったからこそ別れもあった。

 危ない思いもしたりはしたが、全部、全部大切な記憶。例え、世界が変わっても、忘れはしない。この記憶はきっと、残り続けるだろう。

 あの時書いた備忘録の様に。


 そして、世界を書き変えてでも、辿り着いてみせる。

 元気な君と笑い合える世界を。

 この想い、世界を超えて届け。


 意識が、世界が、融けていく。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


 聞き覚えのある音で、目を覚ます。

 まだ半分夢の中に投げていた意識は半ば強制的に連れ戻され、朧気だった意識が次第に明瞭になっていく。

 時刻は午前六時半。枕元に置いてあったスマホにはそう表示されている。

 ゆっくりと身体を起こし、隼人はその瞬間に違和感を身体で感じ取った。

 記憶が確かなら、昨晩は病院のベッドで寝た筈が、自宅のベッドで寝ている事については特に思うことは無い。理由はそれ以外にある。

 とりあえずベッドから降りて、違和感の正体であるカーテンを開けた。

 寝起きの目には明らかに悪影響の眩い太陽の光。そしてこれこそが感じた違和感の正体。

 隼人はもう一度ベッドに戻り、枕元のスマホを手に取る。

 時刻は六時三十五分を回った所。やはり、違和感は間違いではなかった。


「十二月じゃないよな、今」


 隼人の記憶が確かならば、昨晩の隼人が居たのは十二月二十四日の筈。それなのに、この時間帯の外の明るさは明らかに十二月のそれでは無い。十二月のこの時間帯はまだもう少し暗い筈なのだから。

 隼人はもう一度スマホを見た。そこには、

 それを見て、隼人は呆然とした。

 なんせ時間が、巻き戻っているのだ。

 驚きの余り、手からスマホが溢れ落ちてドンッという強い音が部屋に響く。

 その音を聞いてハッと我に返り、隼人はかがみ込んで、落ちたスマホを拾い上げた。

 不幸中の幸いとやらか、傷は無い。

 その事に安堵していると、隼人の部屋へと誰かが向かってくる足音がした。

 一歩、また一歩と音は扉へ近付いてくる。

 やがて音は止み、ゆっくりと扉が開いた。

 開いた扉の隙間から見えた音の主を見て、隼人は目を開く。


「お兄ちゃん」


 その姿を見ただけで、既に隼人の瞳には涙が浮かんでいた。

 そして、震える声でその名を呼ぶ。

「……由希」

 と。









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