#50「見えない物が見える僕達は」
結論から先に言うと、世界は書き換わっていた。
心臓の病に侵されていた上坂由希も、まるで何事も無かったかのように食卓に座り、隼人の目の前で食パンを頬張っている。
「なぁ、病気は大丈夫か?」
もぐもぐと、まるで小動物の様に両手でパンを握りながら咀嚼する妹へと、隼人は問い掛ける。
直後、口に入っていたパンをちゃんと飲み込んでから由希はこう答えた。
「病気?私は別に大丈夫ですよ?」
何事も無いと言わんばかりの表情で、由希は答える。
由希からすれば、何気ない普通の答え。だけれどもそれは、隼人からすれば、長年由希の口から聞きたかった言葉だ。故に、そんな答えを聞いて少し涙が滲み出てくる。
隼人はそれを誤魔化すように、コップの牛乳を一気に飲み干した。
「おはよ〜由希、隼人」
そんな隼人と由希の居るリビングへと、如何にも寝起きだと言った"誰か"がやって来る。
────まだ、夢を見ているのかと思った。
目の前に現れた"その人"を見て、いつの間にか隼人の瞳からは涙が零れていた。
「……姉ちゃん」
上坂春奈。隼人と由希の姉。
隼人が産まれてすぐ亡くなった、生きていて欲しかった人。
「ちょっ!隼人なんで泣いてるの!?」
「お兄ちゃん大丈夫ですか!?」
突然泣き出し始める隼人を見て、あたふたする姉妹二人。
そんな二人をさて置き、隼人はただひたすらに、溢れ出る感情の波に翻弄されていた。
生きていて欲しかった人が、生きている。
それも、揃う事は無かったと思う二人が。
……余りにも自分に都合の良すぎるこの世界。五ヶ月程度の時間の巻き戻りがかなり些細に見える中、隼人の中では同時に不安が過ぎる。
世界を変えたツケ。きっとそれは、"時間の巻き戻り"だけでは無い。
姉が持ってきてくれたタオルで涙を拭き、隼人は立ち上がって自分の部屋へと戻った。
部屋に戻るや否や、再びスマホを手に取る。
連絡先を開き、上から順に見た。
「……ある」
連絡先に存在する、上野結衣 の名前。
隼人はその名前をタップすると、電話を掛け、スマホを耳に当てた。
呼び出し音が鳴り、それが五回続いた後、通話に変わる。
「結衣」
『上坂、上手くいったんだね。妹さんは?』
口振りを見るに、結衣には前の世界の記憶がある。それはつまり、上野結衣も"違う世界"を視
ているという証。
「生きてる。それだけじゃない、姉ちゃんもだ」
『……本当?』
「あぁ、そのせいか時間が巻き戻ってる。大体五ヶ月程。だけどそれだけじゃない気がする」
『それは、私も感じてる。後で話そう、どうせ今日は学校だし。いつもの場所で待ってるから』
「あぁ、また学校で」
通話が終わり、隼人はスマホをベッドへと投げた。
結衣の言う通り、七月二十一日なら今日は一学期最後の日。そして同時に、全てが始まった日でもある。
思う事は幾つかあれど、隼人は朝の支度を済ませ、由希と春奈に見送られて家を出た。
◇◆◇◆◇◆◇◆
世界が書き変わり、時間が戻ったこの世界は、別にいつもと変わった様子は無かった。
駅に向かって歩く途中に出会う学生達の話を盗み聞きしてみても、『昨日まで十二月だったのにいきなり七月になったよね』『寒かったのにいきなり暖かくなって辛い』なんて会話は別に聞こえない。
街の様子も変わりなく、売れ残ったクリスマスケーキをうる洋菓子店も、年末セールを行う店も無い。
凡そ、この世界で時間が巻き戻った事を認知している人間は隼人と結衣の二人しか居ないのだ。
今の所は、特に不都合はない。
改変の代償は今の所、何とか生き抜いた五ヶ月を戻されただけ。スマホの連絡先を見るに、冬葵も梨花も居たので、誰かが消えた訳でもない。
「いや、有るな」
一つだけ思いつく影響があった。
生き抜いた五ヶ月が消えたという事は、その間に出会った人間との繋がりも無くなったという事。それは、夏希と瑠香、優衣。彼女らとの繋がりの消失を意味する。
「……また、地球上に友人が三人しか居ない人間に逆戻り、か。」
なんなら、結衣とは恋人なので二人だ。さらに減った。
肩を落としながら歩いていると、背後から誰かに肩を叩かれた。
振り返った先には、冬葵が居た。
「おっす、隼人」
「冬葵、おはよう」
上坂隼人の、この世に三人しか居ない友人の一人、赤城冬葵だ。
「どうした?そんなしょぼくれた顔して。せっかく明日から夏休みなのに」
「僕にも色々あるんだ、朝一のお前は眩しすぎる」
「それ褒め言葉か?」
「好きに受け取れ」
「じゃあ褒め言葉として受け取っとくよ」
冬葵と並んで歩き、駅を目指す。
駅に着いてからは電車に乗り、相変わらず座れないので冬葵と並んで吊り革を握った。
「隼人、夏休みの予定は?」
「僕か?バイトと、妹の面会……」
「あれ?由希ちゃんどっか悪いっけ?」
ふと我に返る。この世界では、由希の身体に悪い所など無い。今までの夏休みは、それが当たり前だったのでついつい言葉に出てしまった。
「……間違えた、バイトとデートだ」
「へぇ、バイトとデートねぇ」
「デートォ!?」
ほぼ満員に近い電車の中に、冬葵の声が響く。
目の前に座って眠っていたスーツ姿のサラリーマンの男性も、冬葵の声量に思わず飛び起きた。
「お前、声でかいぞ」
「そりゃそうだろ!?いつ彼女出来たんだよ!?」
「失礼な、僕だって彼女の一人や二人居てもいいだろ」
「そりゃそうだけど…… 親友の俺にくらい出来たら言えよ……」
「恥ずかしいだろそんなん」
「……うーん、じゃあ夏休み中にダブルデートしような」
「断る、お前の彼女怖いから」
そんな話をしている内に、電車は高校最寄りの駅へと着く。
ぞろぞろと降りていく学生の群れと電車を降り、駅を出て学校を目指す。
今日は快晴。雲一つない青空故に太陽から、暑さを誘発させる日差しが容赦なく差し込み、道路から見える海をキラキラと照らした。
今日は暑くなるな、そう思いながら隼人は学校へと到着した。
◇◆◇◆◇◆◇◆
校長からの有難い話が終わり、教室へと戻ると担任からの有難い話が始まり、解散になった。
遂に開幕する夏休みに湧き上がる中、隼人はそんな教室の様子に目もくれず、結衣の言う"いつもの場所"へと向かう。
教室のある棟から渡り廊下を超えた先にソコはある。
横スライド式のドアを開けて隼人は中に入ると、既に教室内に結衣は居た。
「上坂、丁度いいところに」
「どうした?」
既に座っている結衣の真向かいの席へと腰掛ける。
「ずっと考えてた。時間が巻き戻った以外の代償とやらを。」
「それは僕もだ。今の所は夏希や瑠香と出会った事も無くなってる事だな。」
「それは、時間が巻き戻った事による影響でしょ?それとは別に私は見つけたよ」
「マジか?なんだそれ?」
「私が思うに……いや、思うって言うか実際に体験した。上坂にはピンと来ないと思うけど」
「なんだよ、やけに勿体ぶるな」
「今から話すよ。色々考えてる時に思い付いて試してみた。恐らくだけど、見えてたものが見えなくなってる。」
結衣の口から出た言葉に、隼人は若干ピンと来なかった。
見えてたものが、見えなくなってる……
「まさかだけどさ」
「そのまさかだよ、あんまり気が進まなかったけど学年で一番嫌いな人間の目を見てみた。けれど、"見えなかった"。」
ここで、被験対象に嫌いな人間をチョイスするあたり結衣らしい。
大方、その被験対象者とやらは結衣と目が合った事を嫌がっただろう。その様が想像せずとも脳裏に浮かんで少し可笑しい。
「人に残された時間が、か?」
「うん。これは仮定だけど。世界を書き換えた代償とやらは、時間の巻き戻りと、見えてたものを見えなくする事だと私は思う。私から消えているという事は、書き換えた当事者である上坂からも当然消えていると考えていい。神崎さんや夏希だって例外じゃない。」
「つまり、力を失ったってことか?」
「失うと見るか、元に戻ったと見るか。それは解釈次第。けれども、もう上坂は世界を書き換えれない。否定した世界を見れないからね」
見えないものが見える 事で生まれた繋がりがあった。瑠香と夏希は特にそうだ。
幸か不幸か、"見えないものが見える"事によって生まれる苦しみは無くなるが、彼女達との繋がりはもう生まれないのだ。
そして、変に前の世界の記憶があるせいで、何に巻き込まれるかを知ってしまっている。逆に言えばどうすれば回避出来るかも知っているという事でもある。一度未来を予習しているのだから。
自分がどういう人間かは、自分が一番理解している。恐らく、知っているからこそ無視はできない。
面倒だ、なんて言いながら彼女達を助けに行くだろう。だから、後の事は、未来の自分に託す事にしよう。
「……頑張れよ、未来の僕」
◇◆◇◆◇◆◇◆
そうして、幾つかの月日が経った。
長いように感じた夏休みも、気が付けば終盤を迎え、あと数日で終わりを迎えようとしていた。
「お兄ちゃん!早く!」
「待ってくれ…… 元気すぎるだろ……」
八月二十日の夕方十九時。
この日は、夢乃原市が一年を通して一番活気を迎える夢乃原花火大会がある。
その祭に、由希と隼人、春奈の上坂3兄妹と冬葵 梨花の幼馴染二人、更には結衣の六人でやってきた。
「ねぇ上坂、本当に私来てよかったの?邪魔じゃない?」
「いや別に、折角だし」
「上坂が良くても、私が気まずい……」
幼馴染&姉妹の中に入っているからか、いつも寡黙な結衣の寡黙さに磨きがかかる。そんな様子が隼人には面白く映った。。
「上野さんだったよね?いつもウチの隼人がお世話になっててごめんね?」
「い、いえ……」
「おい姉ちゃん、親ヅラするなよ……」
「いいでしょ!親みたいなもんじゃん!」
後から知った事だが、この世界でも上坂家は親とは離れて暮らしていた。
ただし少し違い、単身赴任の父親に母がついて行っている様だ。
それ故か、ブラコン気味だった姉の春奈はどちらかと言うと親のような接し方で隼人と由希と接している。
「いやーまさか隼人の彼女と祭来る日が来るなんてなー。来年は俺も彼女連れてくるか」
「やめとけ、絶対やめとけ。そもそもお前の彼女が嫌がるだろ」
「……まぁなあ、今日も行く時めちゃくちゃ言われたし」
「お前はいい加減彼女と行け」
「地元の祭位は幼馴染達と行ってもいいだろ、どうせ来週の祭は彼女と行くしさ」
「ほら、由希ちゃん!梨花お姉ちゃんが綿飴買ってあげる!」
「本当ですか!?」
「隼人の何処が好きになったのー?」
「それは……」
「何だかカオスだな……」
結衣に絡む姉の春奈に、由希を連れて屋台へと向かっていく梨花。このメンツで祭へ行く事を提案をしたのは隼人自身だが、想像以上にめちゃくちゃな事になっている。
『もし私の願いが叶うなら、私は、お姉ちゃんと、お兄ちゃんの三人で、夢乃原の、花火が、見たかったです』
ふと、元の世界の由希が放った言葉が脳裏を過って、歩みを進めていた足が急に止まった。
光っては消えを繰り返す花火を病室から見ながら、来年はもっと近くで四人で見ようと約束した。人数は六人にはなったが、そのどちらも由希が望んだもの。当の由希は覚えて居ない・知らないだろうが。
自分の中では、今でも世界を書き換えたのは逃げだと思っている。自分では由希を救えないからこそ、無かった事した。閉ざしたのだ。
とはいえ力を失った以上、もうあの世界には戻れない。だから、これはせめてでもの罪滅ぼし。
自分が救えなかった
「お兄ちゃん!」
「隼人!」
「……あぁ、今行くよ」
もう後には戻れないから、僕は前へと進む。
差し出された由希の手を取り、僕はそれを握り返した。
その温もりを感じて、また思い返す事もあった。後悔することもあった。
気を抜けば涙が出そうだったけど、何とか食いしばり耐えた。
泣くわけにはいかない。じゃなきゃ、元の世界捨てた意味がなくなる。
きっとこの先も、こんな風に何百回も後悔して、何千回も胸が痛くなるだろう。
だけども僕は、それすらもバネにして前を向いて進んでいく。
ようやく取り返した、普通の日常を歩いていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます