#40 「病み上がり」

 翌日、何とか風邪から快復した隼人はいつもの様に六時半に目覚め、朝の支度を行っていた。

 本来ならば大事を取ってもう一日休むべきなのかも知れないが、期末テストが近い故にそうはいかない。一日程度の遅れなら梨花に力を借りればなんとでもなるが、二日の遅れとなると面倒だ。生憎インフルエンザの様な感染症でもなく、ただの風邪っぽい上に身体も中々に快調なので今日は思い切って行くことにした。


「まさか僕が風邪を引くなんてな」


 思い返して見ればなんと珍しい事だろう。

 最後に風邪を引いたのなんて、思い出せるだけで小学生の低学年以来。なんとも丈夫な身体だ。

 若干、まだ鼻に違和感はあれど、特に気にしないことにして、支度を終えてから家を出た。


 一日振りの外は恐ろしく寒い。

 日もまだ完全には上がって居らず、少し強めに吹く風とそれに連なる様に吹き付ける雪で視界もあまりいいものでは無かった。

 病み上がりなので手袋にネックウォーマー、口には一応のマスクと厚手の上着を羽織り、中には貼るカイロを貼った完全防寒で駅を目指す。

 昨日は一日中ベッドの上に居たせいか、いつもならば何とも思わない通学路も、積もった雪などに足を取られたりするせいか少しキツく、少し歩いただけだと言うのにあっという間に息が上がる。

 それでも何とか歩き続け、隼人は夢乃原駅へと辿り着いた。

 マスクによる呼吸のしにくさと、病み上がりの体力では駅までの道すらも遥かにキツく感じる。

 大人しくもう一日休むべきだったと遅い後悔を一つしながら改札を抜け、高校方面へと走る電車が止まるホームで立ち止まった。

 それから、隼人は目に入った自販機に釣られ、数ヶ月前には一足先に冬を迎えていた財布の中から泣け無しの小銭を出して、温かいコーンポタージュの缶飲料を買った。

 カシュッというプルタブの開く音と共に、じんわりと缶の熱さが指を経由して染み渡っていく。外気で冷えきった身体故に幸福感がある。


「あ、隼人じゃん」


 中々落ちてこない最後の六粒のコーンに苦戦しながら電車を待つ隼人の目の前に、コートを羽織り、マフラーを巻いた防寒スタイルの冬葵が現れた。


「おはよう冬葵」

「風邪大丈夫か?昨日"本当は"休んでたらしいけど」

「"本当は"って、昨日は本当に風邪だったが。夜までずっと寝込んでたっての」

「…じゃああれ見間違いか」


 何とも気になる反応を冬葵が見せる。

 人の風邪を疑ってみたり、見間違えだのなんだの言ってみたり、何やら冬葵の様子がおかしいという気待ちが隼人の中で芽生えていた。


 …それは同時に、隼人にとってはこれから自分を待つ厄介事の予感でもあった。


「なんだお前、昨日僕の生霊でも見たってのか?」


 冗談っぽくそう語る隼人に対し、冬葵の方は神妙な顔をしながら、

「かもな」

 なんて言い出す始末。

 顔つきからして、隼人には冬葵の言葉が冗談の様には思えなかった。故に、尚更面倒だ。

 いっその事、隼人からすれば『なーんちゃって!嘘だよー!』と言いながらお退けて欲しいくらいだ。


「いや、昨日帰りに駅前歩いてる時にさ、隼人のこと見たんだよ。まぁ見た時には、梨花から隼人が休みだって聞いてたから知ってたんだけど」

「一応もう一度言うが、本当に昨日は寝込んでた。どうせ、僕に似た奴でも見たんだろ。」


 世の中には 自分に似てる人間は三人居る なんて言葉がある。

 きっと冬葵が見たのは自分の空似だろう。

 大体、上坂隼人が二人いるなんてそんな訳が……


 訳が……


「おーい隼人ー?」


 直立不動で動かない隼人へと、冬葵が声を掛ける。

 その間、隼人の脳裏には"少し前"の出来事が過ぎった。

 その出来事と言うのは、"この世界"では無く、少し前に迷い込んだ別の世界上坂春奈が生きていた世界での事。

 その世界で隼人は、絶対に出会う筈のないもう一人の自分に出会った。

 あの時は"元の世界に戻らないといけないと思う自分"と、"この世界に居たいた思う自分"という二つの気持ちがあったこと故に生まれた半身だと勝手に結論付けたが、何故この世界でももう一人の自分が…


「大丈夫か?隼人?」


 冬葵に両肩を持って揺さぶられ、考え事に耽っていた隼人はハッと我に返った。


「…考え事してた」

「で、もう一人の隼人は前に隼人が言ってた"見える"ことについて関連か?」

「分からない、けど正直関係ありそうだと思ってる」

「ま、なんかあったら言えよ。できる限りで手貸すからさ」


 やはり持つべきは頼れる友人だ。

 冬葵の言葉を聞いて、隼人は改めてそう感じた。

 そんな会話をする二人の元へと、夢乃原高校へと向かう電車が到着。

 二人はその電車へと乗り込み、今日も席が空いてない事に嘆きながら吊り輪に掴まると、電車はゆっくりと加速を始めて走り出す。

 走り出した電車からは、雪が街に降り積る様子が車窓が見えた。

 この調子ならば、明日にはまた雪が積もるだろう。溶け切る前に、もう一度昔みたいに由希と雪遊びが出来たらななんて考えながら、隼人は車窓に視線を向ける。


「そういえばさ、由希ちゃんって今どんな感じなの」


 同じく並んで車窓からの風景へと視線を向けている冬葵から、疑問が投げかけられる。


「こないだまた入院した。あんま良くなさそうだな」


 もしかしたら、由希の容態が変わらずこの調子ならばクリスマス所か、年末年始も病室かもしれない。これが初めてでは無いとはいえ、あの歳の女の子がクリスマスも気軽に出られないなんて可哀想すぎる。


「いっその事、クリスマスとかの行事の間は僕が由希の病気請け負ってやりたいんだがな」


 なんなら、行事だけじゃなくてもいい。

 由希を蝕む心臓の病を、全て自分自身が代わりに患ってやりたいと、隼人は思う。

 これまで適当に生きてきた十七年間、それなりには楽しんできた。満足したと言えばした。


「難しい話だよなぁ…なんなら俺でもいいから由希ちゃんと代わってやりたいよ。あの歳の女の子なんて色んな事したい盛りだろうに」

「何だよ、お前中学生の女の子の気持ち分かるのか?男兄弟だろ」

「何となくだよ、でもまぁ長い時間近い距離で梨花見てたら何となく分かるだろ」

「その例を出されると確かにな」


 隼人と冬葵の二人は ハハハ と周りに迷惑をかけない程度の声量で笑った。


「ま、僕たちは医者でもないからどうしようもないよな。できる事って言ったら、移植のドナーが現れてくれるのを待つか、現代医療を信じるのを待つか、だし。結局のところ、僕達一般人に出来る事なんて祈る事くらいだ」

「だよなぁ…分かってるけど、歯痒いっていうか」

「な。」


 そうこう言い合ってる間に、乗っている電車がブレーキを掛け始める。

 車内に流れるアナウンスを聞くに、高校の最寄り駅へと到着したらしい。

 冬葵と隼人の二人は、ゾロゾロと電車から降りる夢乃原高校の生徒に続いて電車を降りた。

 今日も、また一日が始まる。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 午前の授業を終え、隼人は昼休みのいつもの居場所である図書室へと向かっていた。

 片手には、再び自分で作る羽目になった弁当を携えている。と言っても、妹があんな状態なので付ききりで病院に居る母には文句は言えないし、また文句も無い。

 寧ろどう頑張っても夕方にしかいけずまた毎日通える訳でも無い自分が行くよりも、仕事を一時休んでいる母が一緒の方が由希も安心するだろうと隼人は思っている。仕事の都合上、長く一緒に居れた訳では無いが由希にとっても隼人にとっても実の母だ。

 何なら、ずっと一緒に居たかったのは母の方だろう。愛する娘であった姉の春奈を失い、その上、同じ様な病を由希は患っている。苦しさや歯痒さは隼人自身よりも父と母の方が何倍も味わっている筈だ。


「うーす、二日振りー」


 隼人はそう言いながら図書室のドアを開く。

 室内には、いつもと同じように本を読んでいる結衣が居た。


「…学校来たんだ。今日も休みだと思ってた。」

「悩んだけど来た、ほら結衣に会いたくてさ」

「…馬鹿」


 照れているのか、結衣は顔を逸らして顔を見えなくした。

 覗き込もうとかと思ったが、足を踏まれそうなので留まる。


「上坂に、二つ言わないといけない事がある」

「何だよ、怖いな」

「まず一つ… 一昨日はいきなり約束すっぽかしてごめん」

「一昨日…あぁ。」


 一昨日、由希に結衣を会わせる予定だったが、結衣自身は『予定あるのを思い出した』とだけ言って帰ってしまった。隼人自身はそこまで気にして居らず、結衣からの謝罪を聞いて確かにそんな事あったなと思い出した。


「まぁ予定あったなら仕方ないだろ。由希に会うのはいつでもいいし。で、もう一つは?」


「…昨日、上坂に会った。」


 結衣の言葉に、隼人は思わず固まった。

 ここにまた一人存在したのだ、"もう一人の上坂隼人"を観測した人間が。


「…何処で出会った」

「駅前の商店街を歩いてたら会った。話もした。でもあれは私が知ってる上坂じゃないと確信したよ」

「なんでだ?」

「一人称が"俺"だったから。私の知ってる限り、上坂は少なくとも私の前では自分の事を"俺"なんて言ったりしなかった。」

「よく見てんだな僕の事」

「…好きな人の違う所くらいすぐに分かる」


 少し顔を真っ赤にしながらそう語る結衣が、隼人からすれば愛おしく感じる。

『よっ!可愛いね!』なんて言って弄りたいところだが鉄拳が飛んできそうなので、理性で止めた。


「上坂は、前にももう一人の自分に会ったんでしょ?何でか覚えてる?」

「さぁな、僕が聞きたいよ。いきなり現れたかと思ったらいきなり消えた。会ったのは一回だけ。」


 覚えている限りは一度。

 "上坂由希が存在しない世界"に迷い込んだ時に出会ったのが最初で最後。あれ以来目の前に現れた記憶は無い。そもそもの話、もう一人の自分に出会うなんてイベントがそう何回もあってたまるかと隼人は思った。


「まぁ、僕が生きていくのに害を為さないなら勝手に存在してくれって感じだ。」

「まぁね、でも上坂気をつけた方がいいよ。」

「何が?」

「よく言うでしょ?ドッペルゲンガーに会ったら死ぬって」

「…あーなんか聞いたことあるなソレ、懐かし」


 小学生の頃に読んだ本に書いてあった気がした。なんでももう一人の自分に会うと対消滅してしまうらしい。

 正直言って、隼人からすれば非科学的すぎる。現にもう一人の自分には既に会っているのに普通に生きているし、なんて事はなさそうだ。

 強いて言うなら、死にはしなかったけど風邪を引いたくらい。ショボイものだ。


「…いや待てよ」

「どうしたの上坂」

「いや、珍しいなと思ったんだよ。僕が風邪引くなんてさ。もしかしてドッペルゲンガーって生霊としての性質もある?」

「まぁ、ドッペルゲンガー自体、幻覚の一種や生霊の一種とは言うね」

「なるほどな、上坂隼人という人間が分裂した結果、僕の皆勤記録を破壊した訳か。決めた、もう一人の僕に会って1つになってくる」


 害を為さないならどうでもいいと言ったが、考えが変わった。

 元々一つだった身体が二つに分裂した結果、ウイルスの耐性も半分になり風邪を患った なんて逆恨みに等しい理論を導き、隼人はもう一人の自分を取り返す事を決意した。


「必ず取り返すからな…!待っとけもう一人の僕…!!」


 謎の決意を固める隼人。そしてそれを見つめる結衣は『何を馬鹿な事を』と言わんばかりの表情で隼人を見つめるのだった。



 つづく


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