#15『ひとつ屋根の下で』

 

「隼人〜!遅いぞ〜!」


 昼休みが終わり、午後の練習が始まった。

 それぞれが各競技に向けて練習を行う中で、僕は冬葵指導の元、嫌々ながらも託された最終リレーへと向けての練習を始めていた。


「そんなんじゃ、小学生にも勝てないぞ〜」

「これが…… 僕の精一杯なんだがぁ……!」


 ゼェゼェと息を切らしながら、トラックを冬葵並走のもと走り込む。

 まだ半周だと言うのに既に息は上がり、また昼ご飯を食べすぎたのか横っ腹が痛い。気分も悪いし、折角可愛い後輩から作ってもらった手作り弁当を戻しそうだ。


「横っ腹痛い……」

「なら少しスピード落としてから深呼吸してみな」


 藁にもすがる思いで冬葵の提案に乗り、スピードを少し落としてからとりあえず深呼吸をしてみる。

 ……まだ少しじんじんと痛みはするが、さっきよりはマシな気がする。


「本番は一周、半周で弱音吐いてたら本番死ぬぞ」

「そうは言っても……スタミナがないのは……冬葵も知ってるだろ……」

「序盤に全力出そうとするから駄目なんだよ」


 確かに思い返してみると、スタートと同時に全速力で駆け抜けようとした為に半周程でスタミナが切れてしまった。無理なく走るにはペースを維持して走るというのも大事なのかもしれない。というかそこまで見抜かれてたのか。運動に関しては、どう足掻いたって冬葵には逆立ちしても勝てないだろう。元より、そんな事は分かっているが。


「とにかく隼人は走り慣れる所からスタートだな! 俺も毎日付き合うから、隼人もできる範囲で自主練しとけよ〜」

「……悪いな冬葵」

「いいって!このリレーは隼人がヒーローになるチャンスだろ」

「そうやって変なプレッシャーかけるのはやめろ……」


 ◇◆◇◆◇◆◇


 午後の二時間に及ぶ練習はようやく終わり、ヘトヘトになりながらも学校を出た僕は駅へと向かうと電車を待つ。

 周囲には夢乃原高校の制服を着た生徒達が何人も電車の到着を待っている。諸事情で共同生活を送る神崎瑠香もその一人。しかし、一人寂しくスマホを弄っている自分とは違い、クラスメイトであろう友人達と楽しそうにお喋りしている。

 電車が来るまで後十五分、思ったよりは時間があるのでスマホにイヤホンを差し込んで音楽を聴きながら電車を待っていた時、右耳に入れていたイヤホンを何者かに抜かれた。


「へぇ、隼人ってこんな音楽聴くんだ」

「びっくりした……梨花かよ……」

 僕から奪った右耳用のイヤホンを自分の左耳へと入れている梨花。そこまでイヤホンのコードにサイズがある訳でもないので顔がかなり近く、変にドキドキしてしまう。


「……梨花、僕から離れろ」

「え?なんで?」

「距離が近すぎ、変な勘違いされるぞ」


 辺りを見ると、近くに居た生徒が何やらヒソヒソとこちらを見ながら話している様子が目に入った。会話は断片的にしか聞こえなかったが、『あの人が小宮先輩の彼氏?』とか『よく駅でイチャイチャできるよね』なんて会話がイヤホンを奪われた右耳から聞こえてくる。


「僕なんかと付き合ってるなんて変な噂流れたら大変だろ」

「別に?」

「なっ……」


 梨花の返答に驚き、自分でも可笑しいと思える程の素っ頓狂な声が出てしまった。

 そして更には、まるで周りに見せつける様に梨花は僕の右腕にしがみついた。


「梨花」

「ん?何?」

「お前のメンタル、凄いな」


 もし自分が梨花の立場なら、自ら進んで腕にしがみつく様なマネはしない。というか、男の自分が梨花の腕に抱きつくなんて事をしたら通報モノだ。

 こうして梨花が自分の右腕に抱きついたまま、電車は夢乃原高校前駅へとやってきて停車。電車がやってくるまでの十分間、周りに居た生徒から怪訝な視線をずっと送られ、明日からどうやって学校生活を送るか、車窓から映り込む綺麗な景色を見ながら僕は考えるのだった。

 

 ◇◆◇◆◇◆◇


 電車の中では梨花の家族の愚痴をひたすらに聞かされたが、気付けば自宅の最寄り駅へと到着。梨花はバイトのシフトがある為、駅で別れ、僕は瑠香と微妙な距離感で自宅を目指して歩く。

 自宅まで後500mと言った所で少し小走りになった瑠香が僕の隣へとやっ来ると、何も言わずに僕のシャツの裾を掴んだ。

 思いがけない瑠香の行動に、思わず足を止める。


「どうかしたか?」

「……何にも」


 絶対嘘だ。

何も無かったらこんな事はしないはず。


「……ならいいけど」

「あの!」

「?」

「小宮先輩とはどういう関係なんですか?」

「どういう関係って……ただの幼なじみ」

「それは知ってます…… 私が聞きたいのはそうじゃなくて、つ……つ……」


「別に僕と梨花は付き合ってない」


 瑠香が言おうとしている事は何となく予想がついたので、僕は先読みして言葉を返す。


「本当ですか?」

「ああ、本当だ。アイツは昔からああいう風なんだよ」

「そ、そうですかぁ……!」


 僕の返答を聞き、何処か安堵した表情を浮かべた瑠香は再び家の方へと歩みを進めた。こうやって勘違いされるから梨花の行動には困った物だ。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆


「て事になってるんだよ」

「それは、お兄ちゃんも大変ですね……」


 午後十六時。僕は一人、いつもの様に病院で入院中の由希の元を訪ねていた。

 当然、『誰かに殺される未来』が待っている瑠香には家で留守番を頼み、誰かが尋ねて来ても出ないように言いつけてある。

 瑠香は聞き分けがいいのできっと守ってくれると信じているが、とはいえ何処か不安なので由希とは三十分ほどココ最近あった事や体育祭の話などの会話をしてからこの日は帰ることにした。


「由希、悪いけど体育祭が終わるまでは面会来れない日があるかもしれない」

「ちょっと寂しいけど大丈夫です!退院したらその分お兄ちゃんパワーを補給するので!」


 お兄ちゃんパワーという意味不明なワードを語る由希の頭を撫で、この日僕はいつもより早く病室を後に。

 もうすぐ、由希は一時退院できる。同時に『由希が退院する前にゴタゴタを片付けなければ』という考えに、脳内を支配される。


「厄介事に巻き込まれたな、本当」


 病院の廊下を歩きながら僕は溜め息を付き、家で待つ後輩の元へと急ぐ。

 時刻はまもなく十七時、昼間はあれだけ青かった空も茜色に染まり始めている。

 病院から自宅までの帰り道で通る駅前の大通りは、仕事終わりのサラリーマン等で賑わっており、人で溢れ返っている。今日はバイト先のファミレスも客で大賑わいだろうか、ふと脳裏にシフトが入っている梨花が過ぎり、冷やかしにでも行こうかと思ったが、道草食わずに真っ直ぐ帰ることにした。


 駅前から歩く事二十分、自宅へと到着。

 ポケットに入れていた鍵で家へと入ると、ドアの音に気付いたのか、エプロン姿の瑠香が僕を出迎える。

その様子は、同棲と言うよりかは最早新婚だ。


「お帰りなさい!先輩!」

「ただいま、僕が家を空けてる間 誰か来なかった?」

「いえ、誰も来てませんよ」

「そっか、ならいいや」

「ご飯出来てますよ!あ、先にお風呂にします?それとも……」

「じゃあご飯で」


 なんだが瑠香が変な事を言う気がしたので、遮る様に『晩ご飯を先に食べる』という選択肢を取る。

 瑠香は遮られた事に対して、ぐぬぬ……と何処か不服そうな顔をしたが、知らないフリをしてリビングへと向かった。


「ハンバーグか……」

「あれ?お嫌いでした……?」

「そんなまさか、ハンバーグが嫌いな男なんてこの世に一人も居ないよ」


 根拠はないが、恐らくそうだろう。菜食主義者でもない限りは。

 手を洗ってから椅子に座り、食前の挨拶をしてからハンバーグに箸を伸ばす。

 ハンバーグに箸で切れ込み入れると肉汁が溢れ出し、見ているだけで食欲を唆った。

「うん美味い! 本当に料理上手なんだな」

「私、両親が共働きで二人とも家に帰るのが遅い事が多くて…… だから家事や料理は中学生の頃からやってましたから」

「僕も中学生位から両親とは離れて暮らしてるけど、料理だけは一向に上手くならないから羨ましいよ……」

 家事は何とか出来るようにはなったが、相変わらず料理だけ上達しない。

 この前も、由希が一時退院して家に帰っていた時に由希に手料理を振舞ってみたが、『明日から晩御飯は私が作りますね』と苦笑いで言われてしまった。


「料理が上手くなるコツとかあるの?」

「コツですか?う〜ん……レシピ通りに作る事ですかね!」

「変なオリジナリティは要らないって言うことか……」

「それより先輩、お風呂どっちが先に入ります?」

「なら、僕が先に入らせてもらおうかな」

「分かりました!ならご飯食べたら先に入って下さいね」


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


「風呂上がったから入っていいよ」


 食事を終え、風呂から上がった僕はリビングでテレビを見ていた瑠香へと声を掛ける。

 流石に血の繋がりもない女子が入った湯船に、後から男の自分が浸かるのはなんだが倫理的に不味い気がしたので先に入り、順番を待っていた瑠香にお風呂を譲った。一応湯船には入らずシャワーのみ。


「先輩、お風呂覗かないでくださいね」

「覗かないよ」

「絶対覗かないで下さいよ……?」

「わかってるって、鶴の恩返しか」


 変なやり取りを終え、風呂場へと入っていく瑠香の背中を見守り、僕はリビングのソファへと腰掛ける。


「あそこまで念を押されると、逆に覗けって言われてるみたいだな……」


 当然、覗く訳にはいかない。挑発に乗せられて覗きなんてしたら明日から変態の烙印を押されそうだ。

 一度瑠香の言葉を忘れ、僕は何となくテレビを見ていると、机に置いていたスマホに着信が入った。こんな時間に、一体誰だろうか?

 連絡をしてきた相手を見ると、それは結衣からだった。


「もしもし?どうした、珍しいな結衣から電話掛けてくるなんて」

『ちょっと思いついた事があって、電話した』

「それはこの状況をどうにかしてくれる奴か?」

『もしかしたら、ね』

「……聞かせてくれ」

『私の目の事覚えてる?』


 上野結衣の目、それは『人に残された時間』が見えるという物。

 小学生の頃、上野結衣は『見えない物が見える』せいで幼馴染に残されていた時間を見てしまった。それが原因で、今では僕以外の人間と誰とも目を合わせないのだが……


「あんな話聞かせられて忘れる訳ないだろ」

『もし、神崎さんが本当に死ぬ未来が待っているなら、私が目を合わせれば残された時間が分かるんじゃないかなって』

「成程な、けど僕に残された時間は分からなかったんだろ?」

『そう、けどそれが『上坂だから』分からなかったのか、もしくは『見えない物が見える目を持っているから』なのかハッキリ出来る。それに、私は神崎さんが本当に未来が見えているのか正直疑ってる所もあるからね』

「おいおい疑ってたのかよ」

『でもそれをハッキリさせられるでしょ?』

「まぁな…… 僕は瑠香が嘘をついているとは思ってないけど、かと言って瑠香が見た未来を見た訳でもないからな…… 分かった、明日昼休みでも時間作って検証しよう」

『うん、それじゃまた明日ね』

「ああ、お休み結衣」


 通話が終わり、ツーツーという音が流れる。

 結衣との電話が終わったと同時に、瑠香もお風呂を上がったらしく、湯上りで何処か顔が火照った瑠香がリビングへとやって来て、隼人の隣へと腰掛けた。


「電話ですか?」

「ああ、結衣からな なぁ明日の昼休み何か予定あるかな?」


 僕の提案に、瑠香は少し考える素振りを見せてから


「いいえ、多分ないと思います!」

「なら昼休みに図書室に来てくれないか?確かめたい事がある」

「いいですけど……それなら先輩が教室まで迎えに来てくれないですか?」

「別にいいけど、なんか勘違いされそうだな」

「……私は、先輩となら勘違いされてもいいです……よ?」


 瑠香はそう言うと、身体を僕の方へと寄せる。

 これはまずい、瑠香の顔がもうすぐ近くにある。その上、シャンプーかボディーソープのいい香りが鼻腔を抜け、なんだかクラクラしてくる。

前から思って居たが、瑠香の距離感は何処かバグっている気がする。


「き、今日はもう疲れたから寝る! じゃあお休み瑠香!」


 僕はソファから立ち上がり、逃げ帰るように自分の部屋へと戻る。

 これ以上あの状態が続くと、何だがまずい気がしたが故に取った行動……。


 そんな隼人を見て、瑠香は『先輩の意気地無し……』とポツリと呟くと、リビングの電気を消して同じく部屋へと戻るのだった。




 続く。

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