#14『嫌な季節がやってきた』

 

 九月二日の午前六時半、『夢を介して未来が見える』少女事 神崎瑠香と、まさかまさかの共同生活一日目の朝。

 顔を洗い、それでもまだ何処か寝惚けながらリビングへと向かった僕の目に入ったのは、美味しそうな匂いを放つこんがり小麦色に焼けた食パンと目玉焼き、そして更にはカリカリに焼けたベーコンにサラダと、言うならば僕にとって理想の朝食と呼べる物だった。


「これ……瑠香ちゃんが作ったのか?」

「はい!あ、もしかして、先輩は朝はご飯派でした…?」

「いや、パン派だけど…… 凄いなこれ……」


 食パンを焼かず貪り、そしてそれを牛乳で流し込むような食生活を送っている僕にとって、瑠香が作った料理はどれも素晴らしく思えた。自分では作ろうとは思わない手間の掛かり方……

瑠香は『この位誰でも出来ますよ?』と言っているが、僕には無理だろう。手間的にもやる気的にも。


「あっ、そうだ!」


 何かを思い出したかのようにキッチンへと向かった瑠香が持ってきたのは、風呂敷に包まれた謎の物体。

 これはまさか……


「これ、お昼のお弁当です!」

「あ、ありがとう……」

「いえ!しばらく泊めてもらう間、私にできるのはこれくらいしかないですから!」


 ここまでしてもらうと逆に申し訳なくなってくる。

 自分がしているのは家に泊めているだけなのにこれではアンフェアな気がしなくもない。


「それより、ご飯覚めちゃいますよ!」

「そうだね 戴きます」


 椅子へと座り、『いただきます』と手を合わせてから、食パンに齧り付く。

 焼いた食パンを食べるのはいつ以来だろうか、食パンというのは焼くとこんなにも美味しいのか……


「あ、マーガリンもありますよ」


 瑠香からマーガリンを渡され、僕は蓋を開けてパンへと塗り込む。

 このマーガリンは最後にいつ使ったっけ…… というか、賞味期限大丈夫だよな?

 様々な考えと不安が頭を過ぎりながらも、見て見ぬふりをして、満遍なく食パンへと塗り込み、しっかり染み込むのを待ってから再びかぶりつく。

 うん…… 美味しい。

 その後、瑠香が作ってくれた朝食をペロリと平らげ、完食。

 瑠香もその二分後に食事を終えた。


「ご馳走様、美味しかったよ 瑠香ちゃん」

「いえいえ! 後…私の事は『瑠香』って呼んでください!」

「え、まぁいいけど…… 『ちゃん』付け嫌な方だった?」

「別にそういう訳じゃなくて…… 私、年上には呼び捨てに呼ばれる方が好きなんです」


 幾ら後輩とは言え、まだそこまで関係が深まった訳ではない人間を呼び捨てで呼ぶのは少々気が引けるが、本人がそう言うならばそうしよう。

『瑠香』…… なんかムズムズするな……


「じゃあ私、お皿洗いますね」

「いやいや!皿は僕が洗うから! 家出るまで好きにしてていいよ」


 朝食まで作って貰って、皿洗いまで任せるのは流石に申し訳ない。瑠香を何とか説得して休ませ、朝から満腹で気分が良い僕は、鼻歌を唄いながら皿をササッと洗う。

 思い返して見れば、由希が入院してからこうして自分以外の分の皿洗いをするのは久しく感じる。誰かと一緒に家で食事をするのも。


 皿洗いを終え、家を出る支度へ。

 寝癖で少しボサついた髪をクシで梳かし、歯を磨いて制服へと着替えると、電車に間に合う様にいつも通りの時間に瑠香と共に家を出る。

 ドアを開け、辺りをチラチラ確認。隣とそのもう一つ隣の家に住む幼馴染二人が向かっている様子は無い。家を出るなら今しかないだろう。


「行こう」


 最後にもう一度、僕のみ敷地から出て確認…… オールクリアだ。

 もし高校の後輩と暮らしているなんて冬葵と梨花にバレれば厄介な事になるのは分かっている。質問攻めに遭い、関係性を聞かれるだろう。それが僕にとっては面倒くさい事なので、出来るだけ瑠香と暮らしている事はバレたくないのだ。


 家を出てからは瑠香と並んで駅まで歩く。

 特に会話は無いまま、気づけば駅に到着。本来ならばこのままずっと二人で居た方がいいのかもしれないのだが、流石に電車内まで一緒なのは変な誤解を周囲に与えると考え、瑠香とは一旦別れてから、駅へとやって来た高校行きの車輌へと乗り込んだ。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 電車は今日も通勤通学の人間で満員御礼大盛況。

 結局今日も座席は当たり前の様に埋まっており、僕はため息を付きながら吊革へと掴まり、車窓からの景色を見ていると、誰かが人と人の隙間を縫いながら隣へとやって来る。


「おはよう、隼人!」

「はぁ……」

「なんだよ、人の顔みて開幕溜め息だなんて失礼な奴だな」

「わざわざ僕なんかのところに来るお前が不思議で堪らない」

「理由聞きたいか? 一、幼馴染だから 二、隼人と話すのは楽しいから」

「変な理由だな」


 赤城冬葵、僕─上坂隼人のこの世に三人しか居ない友人の一人。スポーツ万能で学年の人気者である冬葵と、クラスの変人枠の自分とでは、真反対的存在の冬葵の爽やかさは朝から目に毒だ。

 そんな冬葵と隣同士で吊革に掴まりながら立ったまま、僕はいつもの様に話題を切り出した。


「あのさ、冬葵 お前がもし明日死ぬって分かったらどうする?」

「……由希ちゃん、そんなに悪いのか?」


 冬葵は何処か神妙な顔をしながら、真面目なトーンで返してくる。

 確かに由希の状態はいいとは言えないが、思い浮かべたのはどちらかと言うと『未来がない』神崎瑠香について。


「違う、単に気になっただけだ」

「なんだよビビらすなよ…… で、明日死ぬって分かってたら何するか だっけ?」

「ああ」

「そうだな…… まぁ、やりたい事して、食べたい物食べて、好きな人に会う…… かなぁ」

「ま、そんなもんだよなぁ」

「隼人もほぼ同じか?」

「まぁ、好きな人に会う っていうの以外はほぼ同じだな」

「隼人は上野さんの事どう思ってんの?」

「何度も言わせるな、ただの友人だ」

「隼人はそう思ってても、上野さんは違うかもしれないぞ。 学校じゃ、上野さんと話してる人間なんて隼人位しか居ないだろうし」

「アイツもアイツで可愛い所あるし、意外とモテてるんじゃないのか」

「その"可愛い所"も隼人にしか見せてない上野さんの姿かもしれないだろ」

「そうかぁ?」

「そうだ」


 僕は疑心の籠った声で反論するが、冬葵はキッパリと言い切った。ここまで真正面から言い切られると、返す言葉に困る。


「ま、どうであれ友達が俺と梨花しか居ない隼人に友達が増えたようで俺も嬉しいよ」

「お前は僕の親か……」

「隼人は手がかかる子供みたいなもんだなぁ」


 そんな会話をしていると、乗っていた電車は減速を始める。ブレーキで若干揺れる車内、吊革をぎゅっと握りしめて揺れを耐え、そして駅へと電車は到着。

 ドアが開くと共にゾロゾロと降り始める夢乃原高校の学生達の後を追って僕と冬葵も降りた。


 改札を抜け、駅を出た僕と冬葵は高校へと繋がる通学路を歩いていると、前方に誰とも話さず、また目を合わせないように下を向いたまま歩いている上野結衣を発見。本来なら後ろ姿だけでは上野結衣という確証はないはずなのに、いつものツインテールで上野結衣だと直ぐに分かった。


「あ、俺部活の集まりあるから先いくわ」

「は?おい!」


 取ってつけた様な言い訳と共に、冬葵は颯爽と前を歩く人の間を上手くすり抜けて走っていく。流石はサッカー部次期エース候補だ。少しイラつきながらも思わず感心する一人取り残された僕は、気持ち早足で上野結衣の隣に追いつくと、


「良い朝だな」


 と声を掛けた。


「おはよう、上坂も一人寂しくぼっち登校?」


 と、結衣も若干自虐気味に挨拶を返してくる。


「一緒に登校してた奴居たけどフラれたからそんなもんだな」

「なら一緒だね というか、神崎さんは?」

「駅までは二人で来たけど電車からは別行動」

「大丈夫なの?」

「なんかあったら僕のせいだな」

「そうやって自分を追い詰めるのはよくない…」

「分かってる多分大丈夫だと思う」


先程、クラスの友人と楽しそうに話ながら歩く瑠香を見つけた。あの様子なら、わざわざ僕が居なくても何とかなりそうだと思う。


「それより、今日から体育祭の練習あるんだっけ?」


 夢乃原高校は夏休みが開けてすぐに体育祭の練習が始まる。

 教師ではなく生徒会主導で行われるこの行事は、本番まで1週間、授業が練習で潰れる事があるので毎年生徒からの人気も高い。しかし、嫌いなものランキング第二位に『運動』が入る僕にとっては、体育祭は嬉しくもなければ楽しくもない、ただの避けて通れない厄介な行事でしかなかった。本当に、嫌な季節がやってきた。

 そして更に、体育祭の班は完全ランダムで学年関係なく決められる。

 望むはスポーツ万能の冬葵と同じ班になること、運動面で上坂隼人が赤城冬葵に勝てる要素は1%も無いので、出来れば敵ではなく味方としてが望ましい。後は気軽に話せる結衣や梨花辺りも欲しい所だ。


「ま、一緒の班になれたらいいな」

「……うん、私もそう思う」


 こうしている間に、僕らは高校へと到着。

 玄関で靴から上履きへと履き変え、僕は2-1の教室に入り朝のHRが始まるまでの十五分間を、窓から見えるキラキラと輝く海を見ながら静かに過ごした。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 一日の始まりの一時限目、体育祭のチームが書かれた紙を片手に教室へとやって来た担任の登場により、教室内は一気に緊張のムードになる。ここにいる誰もが『出来れば友達と同じチームがいい』と願っている事だろう、自分もその内の一人だ。こういう時、友人が少ないと困る。


「それじゃ、黒板に張り出すからそれぞれ確認しろよ〜」


 黒板へと赤組 白組 青組のメンバーリストが書かれた紙が三枚張り出され、生徒達は我先にと黒板へと密集。『自分は後でいい』と、僕はとりあえず傍観の構えを取り、他の生徒達がある程度捌けてきた所で確認へ向かう。

 大事なのはどの色分けなのかではなく、『誰と一緒なのか』だ。ぼっち体育祭だけは虚しいので回避したい。


 まずは白組……。梨花の名前は見つけたが、自分の名前はなし。残念ながら梨花とは敵らしい。


 次に青組……。色々あって一緒に暮らしている一学年下の後輩 神崎瑠香の名前はあったが自分の名前は無い。つまり……


 最後に赤組。あった、去年は青組だったが今年は赤組らしい。しかも冬葵と結衣という心強いメンバーも居る。ぼっち体育祭はどうにか回避したらしい。心底ホッとした。


 色分けが決まり、二時限目からはそれぞれの色に別れて決起集会。

 赤組は体育館へと集合してから顔合わせをして、次に『誰がどの競技に出るか』を決める。


「やったな隼人!今年は同じメンバーだぞ!」

「お前が相手じゃなくてホッとしたよ」

「"冬葵と一緒になれて嬉しい" ……って素直に言えよ〜」


 冬葵はそう言いながら、まるで子犬の様にじゃれてくる。それを見ていた他の生徒(特に女子生徒)からは思い込みかもしれないが『なんであの根暗野郎と赤城君(先輩)が?』と言いたそうな視線がグサグサと突き刺さる。

 冬葵のじゃれ付きから何とか逃れ、次に結衣の元へ。


「朝言った通り 一緒の色分けで良かったな」

「上坂は私と一緒で嬉しいの?」

「そりゃそうだろ」


 結衣からの問いかけにキッパリと答える。話す相手が多くて困る事はないのだから。


「ま、お互い優勝目指して程々に頑張ろう」

「うん、頑張る」


 結衣の決意を見届け、赤組の面々は顔合わせと出場競技の打ち合わせへ。

 打ち合わせは午前の授業が終わるまで続き、結衣は借り物競争と玉入れ、スポーツ万能の冬葵はほとんどの種目、そして僕は綱引きと最終リレーへと出場が決まった。

 正直言って、足が速いわけでもない自分が得点比率が高い最終リレーへと駆り出されるのは納得がいかないが、三年生の先輩からの申し出を断る事など当然出来る訳もなく、「はい……頑張ります……」と渋々了承。

 それを隣で見ていた冬葵からは「明日から走る練習しような」と慰めるように肩をポンっと叩かれた。

 あぁ…… どうかこの世から体育祭という物が無くなりますように……


 ◇◆◇◆◇◆◇


 午前の授業が終わりお昼休み。いつものようにある場所へと向かう僕はいつもと違い、片手に風呂敷に包まれた弁当を携えて図書室へと侵攻。

 相変わらず、室内には静かに小説を読んでいる上野結衣しか居ない。"図書室の番人"の二つ名は伊達じゃなさそうだ。


「珍しいね、上坂が弁当持参なんて もしかして神崎さんお手製?」

「当たり」

「本当、まるで新婚だね」


 何処か呆れた様子で結衣は呟く。言われてみれば、一つ屋根の下で血の繋がっていない男女二人が暮らしているなんて新婚か同棲しているかのどっちがだ。


「……やっぱりまずいよな?」

「今更気づいた訳?」

「お前もまずいと思ってたなら止めろよ……」

 少なくとも、あの場の結衣は瑠香の肩を持った。止めてくれたって良かったのに。

「私は上坂の困った様子を見るのが好きだから」

「ドSかお前……」


 そんな事を呟きながら椅子に腰掛けた僕は弁当の風呂敷を解いてから蓋を開ける。

 弁当には卵焼きやウインナー ミートボールに一応健康を気遣ってか、申し訳程度にサラダが入っている。

 思い返してみれば昨日の夜に、『先輩は卵焼きは甘い方が好きですか?』と聞かれた気がするが、まさか弁当に入れる卵焼きの味付けの事とは思わなかった。


「いただきまーす」


 礼儀正しく、両手を合わせてから卵焼きを口に運ぶ。

 口に入れた瞬間、甘みが口に広がってとても美味しい、卵焼きを食べるのなんていつ以来だろうか。小学生の頃、学校行事で行ったピクニックのお昼休憩で食べた母お手製の弁当に入っていた卵焼きを思い出して、何故か懐かしくなった。思い返せば、母の手料理を最後に食べたのはいつだっただろう。


「上坂はこれからどうするつもりなの?」


 瑠香お手製弁当を味わっている途中、結衣は唐突に疑問を投げかけてきた。

 僕は口に入ってた物をとりあえず飲み込んでからこう答えた。


「決めてない」

「だろうね」


『そういうと思った』と言わんばかりの即答が返ってくる。そして結衣は更にこう続けた。

「ねぇ、上坂は神崎さんのことどう思ってるの?」


 結衣は何処か不安そうな顔をしながら、僕へと問いかける。とはいえ答えは一つ。


「別に… ただの後輩としか思ってないけど……」

「本当?」

「本当だって、どうした結衣?お前そんなに恋バナが好きな女子だったか?」

「もういい……」


 少し不機嫌そうな様子ながらも、僕から見えた結衣の横顔にはどこか安堵に近いものを感じた。

 理由はよく分からないが、とりあえず残りのおかずを食べ終え、「ご馳走様でした」と手を合わせた後に弁当箱を閉める。


 それにしても、問題が山積みだ。

 一つは瑠香の件、二つ目は一週間後の体育祭、三つ目は由希の事。一つ解決したかと思えばまた一つ……二つ……と解決すべき問題が増えるのは厄介。

 本当に、夏休みのあの出来事から平凡に暮らす筈だった日常が一転してしまった。

 いつになったらこの『ちょっと変わった日常』から脱出出来るのか。

 僕は自分に自問自答しながら弁当箱の風呂敷を締め、午後からの練習に備えるのだった。



続く

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