#43『僕はお前で、お前は僕で』

 すっかり暗くなった夜道を、息を切らした隼人は走っていた。

 頬を撫でる風はてんで冷たく、露出している肌の部分を冷気が冷やす。

 時刻にして十九時過ぎ、目に入るのは規則正しく置かれた街灯とぼんやりと光り続ける自動販売機の灯りのみ。そんな人通りの少ない通りを抜けた先に、目的地である病院が佇んでいる。


「すみません!上坂です!あとから2人来ます!」


 入るや否や、隼人が来るのを待ってくれて居た顔見知りの看護師さんへとそう告げて、隼人は再び駆け出した。

 静まり返った病院の廊下に、足音が木霊する。

 しばらく走り続けた先に、母の姿があった。


「隼人…!」

「由希は!?」

「…ICUに入った。それよりバイトは?」

「勝手に抜けてきた、クビかも」


 さっきからポケットに入ったスマホから着信が鳴り続けている。相手は見なくてもわかる、恐らく店長だろう。


「何があったんだ」

「二人で話してる途中に急に胸を抑え出して、苦しそうにして…… 」

「先生は何か言ってた?」

「……最悪の事態も考えてくださいだって。お父さんも今向かってる」

「……そっか、冬葵と梨花も来るって」


 冬葵達には"由希ちゃんに何かあったらすぐ連絡しろ"と常々言われているので、向かう最中に連絡済。二人揃って『今行く』と返ってきた。


「エントランスに居るよ、アイツら来るだろうし。なんかあったら連絡して」

「うん分かった」


 隼人はそう言い残し、母の元から離れてエントランスに向かう。

 途中、低い機械音を出しながらぼんやりと光る自販機の前に立ち、財布からなけなしの小銭を入れて水を買った。

 ガコンッという商品が落ちる音が、静寂に包まれたこの階へと響き渡る。

 水を取りだし、一口飲んでから、隼人は考え事をしながら歩き出した。


『心臓移植をしなければ、中学を卒業するのは厳しいかもしれません』


 脳裏に、この夏に由希の担当医から言われた言葉が反響した。

 内心、まだ先だと思っていたリミットが、気が付けばもうそこまで迫っている。

 正直言って、隼人の精神状態は既に限界に近い。

 大切な人の死が迫り、大切な妹の死が迫っている。

 確かに、死は逃れられ無いものだ。

 生を受けてこの世界に産まれた以上、どんなモノにも必ず終わりは来る。それは隼人自身も例外では無い。

 ……だとしても、いくら何でも早すぎる。

 そんな事を考えている内に、エントランスへと辿り着いた隼人は、何も言わずにソファへと腰掛けた。

 そこから一つ溜息を吐き、両手で頭をくしゃくしゃにしながら目を瞑って最善策を練る。

 結衣を救って、由希を救う。

 無理難題かもしれない、上坂隼人は医者でもなければ病気を治せるヒーローでもない。

 正直言って、奇跡を信じる時間はもう無い。


「隼人」


 名前を呼ばれ、隼人は顔を上げると、冬葵と梨花の二人が立っていた。


「大丈夫か?隼人」

「……あぁ、最高の気分だ」


 そう言ってから、隼人は持っていたペットボトルの水を飲み干して、立ち上がった。


「由希ちゃんは」

「ICUに入った、つまりヤバい。」

「マジかよ」「そんな…」

「先生は何か言ってたか?」

「今年の夏の時点で、中学の卒業は厳しいかもしれないって言ってた。今日は最悪の事態も覚悟しろだと」

「……そうか」

「ああ。」


 その言葉を最後に、二人は静かになった。

 何も言わない。というより、想像していたよりも遥かに悪い事態で言葉が出ないという方が正しいだろうか。

 静まり返った病院のエントランスの中心に、男女が三人。

 隼人は近くの壁にもたれかかって、静寂を破る様に口を開いた。


「一個だけ、由希を救う方法がある」

「…マジか?」

「ああ、でもこれは確定では無いし、僕じゃ無理かもしれない。やるだけやって無駄に終わるかもな」

「それって何…?」

「冬葵には前に話したよな、"僕の目"の事。」

「…"見えない物が見える"って奴か」

「ああ、神崎瑠香の話もしたろ?"未来が見える"って子」

「隼人と噂になってた女の子?一個下の」

「そう、その子。瑠香がつい最近未来を見た。……結衣が死ぬって夢を。」

「…嘘だろ」

「まぁこれに関しては不確定だ、で、その話を聞いて思い付いた。結衣を庇って……」


 隼人が話を最後までするよりも先に、冬葵は隼人の服の襟を掴んだまま、隼人を壁へと押した。


「冬葵!」


 静かなエントランスに、壁に身体がぶつかった衝撃音と、梨花が冬葵の名を呼ぶ声が木霊する。


「…お前いい加減にしろよ…!」

「……」


 十何年の付き合いの隼人ですら今まで見た事無いような形相で、冬葵は隼人を睨む。

 その様子に、隼人は言葉を呑むしかなかった。


「隼人の命を犠牲にして、移植を受けるって事だろ!そんな方法で助かって、由希ちゃんが本当に喜ぶと思ってんのかよ!」


 再び、隼人は襟を掴まれたまま壁に押し当てられる。その衝撃で後頭部を軽く打ち、じんわりとした痛みが隼人を襲う。


「いいか!?由希ちゃんはお前が居るから幸せなんだ!それなのに、そんな方法で由希ちゃんが助かって、治った後にお前が居なかったら何も意味無いだろ! お前といつまでも居たいから!由希ちゃんは頑張ってきたんだろ!?」


「……じゃあ!僕はこれ以上どうすればいいんだよ!結衣も死ぬかもしれない、由希も死ぬかもしれない…同じ状況にお前がなった時、お前は僕とは違う考えを出せるのかよ!僕だって色々考えたさ!でもな、思い付くのはこれしかない!結衣はまだ助かるかもしれない、けどな!由希には……由希にはもう奇跡を信じる時間はないんだ……」


 鼻腔が痛くなり、目頭が熱くなったかと思えば、次の瞬間には隼人は泣いていた。

 零れ落ちた涙は、頬を伝って冬葵の腕に落ち、冬葵はゆっくりと隼人を掴んでいた腕の力を緩めた。


「……悪い」

「いや、いいんだ。ズルいよな、僕は。由希の為なら幾らでも命を捧げてやってもいいって思ったのに、馬鹿な事言って本気で怒ってくれるお前を見て、やっぱり生きたいと思ってしまった。駄目だな、僕は」


 ……あぁ、そうか。これが原因か。

 由希の為なら死んでもいいと思う僕と、心の奥底に居る"やっぱり生きたい"と思う僕。

 これが、もう一人の自分を生み出した理由。


「隼人はズルくないよ、ずっと頑張ってる。普通は夏休みの間も平日も妹の為に毎日病院行けないよ。それはちゃんと近くで見てきた私達が理解してるから」

「だから、一人で抱え込むなよ。お前が死んだら悲しむ奴らはちゃんと居るんだぞ。俺や梨花、上野さんに、夏希ちゃん。後輩ちゃんもな」

「…そっか、ならもう少し信じて見るよ。奇跡って奴に。それで無理そうならまた考える。悪い、冬葵。」

「いや、俺もごめん。感情的になってお前の事押したりして。今日は帰るよ本当にごめんな」

「いいよ、僕にも非はある。それに僕も今日は帰るさ」


 持っていたペットボトルのゴミをゴミ箱に捨て、隼人は母に自宅に帰る事を告げてから久しぶりに三人で帰路に付いた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 それぞれの家の前で、冬葵と梨花の二人と別れて、家に入る。

 玄関の明かりをつけてから靴を脱ぎ、廊下を歩いてリビングへ向かうと、もう一人の隼人が待ち構えるかのようにソファへと腰を掛けていた。


「ただいま」

『おう、おかえり』


 自分から自分に帰宅の挨拶をするのは何とも気持ちの悪い感覚がする。

 隼人はそんな事を考えながら、冷蔵庫を開けて幾つか物を取りだして机に並べた。今から夕飯の支度をする。


「…お前も食うか」

『いや、いい』

「そう」


 背中で返答を聞き、隼人は火を付けてフライパンを熱する。


『由希は』

「ICUに入った。かなりヤバいとさ」

『そうか。で、お前なんで帰ってきた』

「お前と話がしたくて。夕飯の支度しながらでもいいだろ。暇だからちょっと付き合えよ。中々、自分と話をする機会なんて無いだろ」


 隼人は野菜を切りながら、そう答える。

 肝心のもう一人の隼人の方はテレビを見たまま何も答えない。沈黙は肯定だと曲解して、隼人は話を始めた。


「僕は、由希の為なら死んでも良いと思ってる。でも、お前は生きたい。そうだろ?」

『……』

「でも、僕も今日冬葵にあんな事言われて、少し考えを改めた。確かに、僕が居ないんじゃ由希が助かっても由希は喜ばないかも。それに僕にもあった、生きたいって思う心が。確かにお前は僕だ」

『…やっと、気付いたか。』

「あぁ。」


 油の引かれたフライパンに切った野菜と豚肉が載せられ、油の跳ねる音がする。

 しばらくそれらを炒め、隣に置いてあった皿にそれを盛り付ける。


「やっべ、僕しか食わないのに作り過ぎた。やっぱりお前も食えよ…… ってあれ?」


 振り返った先に、上坂隼人は居ない。

 視線の先に有るのは、付けたまま放置されたテレビのみ。

 隼人はリビングを離れ、トイレや、二階の由希の部屋等を見て回ったが姿は無かった。


「……消える時は呆気ないのな」


 自らの身体を触りながら、隼人は零す。

 一つになった感覚は無い。けれども、もう一人の隼人は居ない。

 キッチンに戻り、『飯くらい最後に食ってけよ』と思いながら、隼人は皿に盛った一人で食べ切るには少し多めの野菜炒めを一人で頬張るのだった。








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