#44『覚悟』

 もう一人の上坂隼人が消えてから、一週間が経った。

 ICUに入った由希は奇跡的に何とか持ち直した。ただ、今もあれからずっと生命維持装置に繋がれて眠ったまま。意識はあるが、目を覚ます事は無い。

 無断で飛び出したバイトに関しては、後日クビを覚悟に店に趣き、理由を説明したら納得してくれた。その時には梨花も一緒になって弁解してもらった。ついでに逆に励まされ、また何かあったら何時でも行っても良いとまで言ってくれた。日々、真面目に勤労に務めた甲斐があったと思う。


「にしても、来週はクリスマスだね」


 学校を終え、帰路に付きながら隣を歩く結衣がそう呟いた。

 十二月も中旬を過ぎ、クリスマスは来週に迫った。どこもかしこもクリスマスムードになり、別にキリスト教徒でもないであろう世間の殆どは浮かれている。

 それは勿論、隼人も例外では無い。

 初めて迎える恋人有りのクリスマス。勿論いつもよりは浮かれているが、そうとも居られない理由がある。

 まずは由希の事、そして結衣の事。

 もう一人の隼人の件は解決したが、この大きな二つは何も解決していない。


「じゃあ私はここで、上坂は病院でしょ?」

「ああ、またな」

「うん、また明日。じゃあね」


 駅前で結衣と別れ、病院に行く隼人は病院向けのバスを待つ。

 凡そ十五分程待った後、やってきたバスへと乗り込むと、バスに揺られて病院へと向かった。


 ◇◆◇◆◇◆


「上坂です、面会に来ました」


 病院に入り、受付にそう言って奥へと進んでいく。

 階段を幾つか登り、居ないとは分かっていながらも由希の暮らしていた病室に入る。

 中には当然誰も居らず、ただ由希の物であろう荷物と母の荷物だけが置いてあった。

 隼人はベッド横の丸椅子へと腰掛け、何も言わずにじっと主の居ないベッドを見つめる。

 触れても、そこに温もりは無い。もう数日もここに誰も居ないことは部屋に漂う空気感が教えてくれていた。

 ふと思い出すのは、ベッドの上でいつも明るく振る舞う健気な妹の姿。

 病気を感じさせない様なその笑顔の裏で、由希はずっと戦っていた。きっと隼人にはその姿を見せないだけで、一人でいる間は苦しんでいたのかもしれない。

 そう考えると、何だかやるせない気持ちが一杯になって、堪えられずに嗚咽が漏れる。


「……なんで、なんで由希なんだよ」


 拳を握り、掴んでいたシーツに皺が寄る。

 重力に従い、零れた涙は、真っ白なシーツにシミを一つ作った。零れ落ちる涙が増える度、それに倣ってシミもまた一つ、一つと増えていく。

 頭の中では理解していたつもりだった。由希が、死んでしまうかもしれないという事は。

 でも、実際の所はそんな事考えたく無くて、そんな不安が過ぎる度に掻き消していた。生を受けて産まれた以上、それが失われるのは突然だと言う事に気付いていたはずなのに見ないフリをしていた。

 いつまでも隣に由希が居ると思った。

 いつまでも兄妹二人で笑い合えると思った。

 そんな当たり前だと思っていた事が、いま失われようとしている。その現実に、事実に、とうの昔に隼人の心は壊れそうになっていた。


「……何もしてやれない、僕は」


「……由希を助けてやれない」


 何故、自分に二十日という命のリミットが掛けられたか、今なら分かる気がした。

 きっと、僕は……


「隼人君?」


 扉が開く音がして、名前を呼ばれて顔を上げる。

 視線の先には顔見知りの看護婦の姿があった。

 神山さん。由希のお世話をよくしてくれている人で、春奈と初めて出会ったあの日に、鞄を届けてくれた人。


「よかったまだ居た!さっき由希ちゃんが目を覚ましてね、隼人君に会わせてあげたくて」

「由希が!?」

「うん!どうする?会う?」

「会います!会わせて下さい!」


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


 神山さんに連れられ、隼人はICU内に入る事が出来た。

 当然、入るにはそれなり準備もあった。その全てを終わらせ、許可が出てから中へと入る。

 ドアを越え、少し開けた場所に出る。その先、ベッドの上で様々な機械に繋がれたまま横になる由希の姿があった。

 正直な所、その姿を見ただけで隼人の涙腺はもう限界だった。それでも何とか堪え、ゆっくりと由希の隣へ行き、腰を下ろして屈んだ体勢で由希へと声を掛ける。


「由希」

『お……兄ちゃん…?』

「ああ、僕だ」


 ゆっくりと、由希はこちらへと顔を向けて隼人の顔を見ると、少し笑った。


『お兄ちゃん……』

「やっと起きたか、待ってたんだぞ」


 少し声を震わせて、隼人は言い返す。

 寝起きの影響か、それとも別の要因か、由希の反応は鈍い。それでも、意識を取り戻したという事実だけで嬉しかった。


『お兄ちゃん、私も……ずっと会いたかったです』

「僕もだよ」

『……夢を見ました。お兄ちゃんと、冬葵君 梨花ちゃんと四人で花火を見に行く夢です。お兄ちゃんから綿飴を買って貰ったり、金魚掬いをさせてもらったんです。花火は、病室じゃなくて海岸で見ました……』

「ああ」

『お兄ちゃんと二人で遊園地にも行きました。二人でジェットコースターに乗って、観覧車にも乗ったんです……帰りは疲れた私を、お兄ちゃんはおんぶしてくれました』

「……」

『水族館にも、動物園にも、色んな所に行きました。水族館ではイルカさんのショーを見て、動物園ではうさぎさんの抱っこをして……』


 苦しそうに息をしながら、由希は、自らが見た夢について語る。それを、隼人は時折俯きながらただ聞いていた。


「……退院したら、行こうな。だから、頑張ろう最後まで諦めずに」

「……お兄ちゃん、私は… 由希はちゃんと妹出来てましたか……?」

「当たり前だろ、お前は自慢の妹だよ。いつも笑顔で、明るくて、たまに暴走するけどそれすらも愛おしい妹だ」

「……良かった」

「……由希?」

「生まれ変わっても、私は、お兄ちゃんの妹になりたいです……」

「…おい? おい!由希!」


 まるで再び眠る様に、由希の意識が落ちていく。見兼ねて、傍に立っていた看護婦も由希の元へと寄り、何度も名前を呼ぶが返答は無い。

 それに伴い、隼人も一度室内から追い出され、入れ替わる様に白衣を纏った医師達が入っていく。

 その様を隼人はただ呆然と見守るしか無かった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


 由希の意識が落ちてから数時間後、隼人は一人で自宅に居た。

 あれから病院から連絡があり、眠っているだけで今の所は命に別状は無いという報告があった。

 でもそれも、"今の所"というだけ。間違いなく、病状は悪化の一歩を辿っている。奇跡とやらを信じる時間は刻一刻と少なくなった。

 もう、打つ手は無い。迷っている時間も無い。

 するべき事は決まった、誰も悲しませずに全てを解決させる方法もある。

 正直な話、途中から何となく分かっていた。

 何故あの日自分自身に二十日という生命のリミットが課せられたのかを。


「……こうするしかないんだ」


 隼人はそう零し、スマホを開いて、ある人物へと電話を掛けた。


「……もしもし、僕だ。久しぶりに会いたい。」


 電話の相手と少しばかり話して、隼人は電話を切る。

 通話終了の文字と共に表示された画面には、の文字があった。


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