#2『予兆』

『不思議な女性』春奈との出会いから一夜が経った。

 耳障りな目覚まし時計の音に顔を歪ませながらも、僕──上坂隼人はベッドの上で目を覚ます。

 昨晩は良く眠れなかった。オマケに屋上から転落する夢を見て、朝から気分は最悪。

 今日は用事があるので、家を出る支度をする為に二度寝の誘惑を断ち切って、ベッドから身体を起こして洗面台へと向かう。

 開口一番、僕は鏡に映った自分の顔を見て『コンディション最悪だな』とため息混じりに呟いた。

 目の下には少し目立つクマ、そして髪は寝癖で爆発。

 今日は前々から約束していた梨花と買い物に行く予定があるというのにこれでは格好が付かない。

 寝癖に関しては家を出る前にシャワーを浴びるのでそのままにして、朝食を摂るべくリビングへと向かう。


「おはよう…」


 誰も居ないリビングへと朝の挨拶をしてから、僕は棚から食パンの入った袋を取り出すと、焼かずに頬張る。

 この場に親が居れば『行儀悪い』なんて言われただろうが、この家には、そんな自分の行動を叱る両親は居ない。

 サラリーマンの父は単身赴任で別の街へ、そしてテレビ局員の母は海外の支局に赴任中。更に妹の由希は病院へと入院しているので、この家には実質僕一人しか住んでいない。学校でも孤立、家でも孤立と来たものだ。お陰で一人で居ることには慣れた。

 今日も、家に誰も居ない寂しさを紛らわせる為にテレビの電源を入れると、朝の情報番組をやっていた。

 この時間帯にやっているコーナーはニュースではなくエンタメ情報、近日公開の映画や、今夜から放送されるドラマに出てくる主演俳優の特集などをやっており、それらに微塵も興味は無いが、ただぼーっと眺めている。


 そんなこんなでパパっと食事を済ませ、シャワーを浴びてから服を着替えて、最後に髪をちょっとだけセットして準備は完了。

 時刻は九時十分。待ち合わせは十時で、待ち合わせ場所の駅までは歩いて二十分程で到着するので出るにはまだ早い。

 僕は椅子に座りながら、ただぼーっとテレビを見ていると、見ている番組のコーナーは、いま話題の五人組アイドル『5☆STARS』の特集になった。

 番組のインタビュアーから質問を受けているのは、5☆STARSのリーダー 山下夏希。アイドルには大した興味が無い僕だが、山下夏希の事は、ちょくちょく冬葵が会話の話題に上げていたので名前だけ知っている。

 黒髪のミディアムロングに綺麗に切り揃えられた前髪、流石はアイドルと言った所か、随分と可愛らしい見た目をしている。

 そんな山下夏希へと別に見惚れている訳ではなくただジッとテレビの画面を見ていると、もう1人居た別のインタビュアーから質問が始まった。


『5☆STARSの山下夏希さんは『神対応アイドル』として人気沸騰中ですがその秘訣は?』

『はい!私、『人の心が読める』んです!その人が考えている事、どうすれば喜んでくれるかが手に取って分かるんで!』


 テレビ画面越しで、夏希は満面の笑みで答える。

『人の心が読める』、いま確かにそう言った。

 今やアイドル戦国時代と呼ばれる程に増えたアイドルというのは、他のグループとは差別化を図る為にキャラ付けが大事とは聞く。

どうやらこのアイドルは『人の心が読める系アイドル』らしい。


「んなアイドルがいてたまるか」


 僕はツッコミを入れながらテレビの電源を消し、椅子から立ち上がって時計を確認する。

 九時三十分、今出れば丁度いい時間に着きそうだ そう考え、重い腰を上げて家を出た。


 ◇◆◇◆◇◆


 今日は土曜日。世の中の学生の殆どは夏休みなので土日かどうかは関係ないが、夏休みのない社会人にとっては、ブラック企業や土日休みがない仕事に就いている訳でもない限りは唯一羽根を伸ばせる日だろう。

 その証拠に、いつも自分が家を出るのと同じ時間にスーツ姿で道を歩いているのを見かける近所の男性は、朝早くから家の近くの河川敷で何やら釣りを楽しんでいる。

 釣果はどうだろうか? 少し気になる所ではあるが、特別親しい訳でもないので、待ち合わせ場所へと向かうことを優先して歩みを進めること十五分。

 辺りは家が並ぶ住宅街から、店などが建ち並ぶ市街へ。

 駅は近い、僕は自宅から数えて三つ目の横断歩道を渡った先を右に曲がると、目的地の『夢乃原駅』へと到着。

 待ち合わせ場所は駅前の広場の大きな時計の下、しかし周囲を見回しても梨花の姿はなかった。

 時刻は九時五十分、到着していてもおかしくはない時間帯ではあるが、周辺を探してもやはり梨花の姿はない。

 まぁもうすぐ来るだろう、そう考えて梨花が来るまでの間、スマホで暇を潰そうとポケットからスマホを取り出すと、メッセージが来ている事を知らせるようにスマホの左上が緑色に光っている。

 ある程度は察したがスマホを開くと、やはり梨花からメッセージが届いていた。


『ごめん二十分程遅れます! ──君の可愛い幼馴染より♡』


 梨花が遅刻してくる怒りよりも、呆れてため息が出た。

 遅刻してくるのは実は想像の範疇、幼馴染としてかれこれ十五年の付き合いをしていると梨花がどんな人間かは、一年程度の付き合いの梨花のクラスの友人よりもよっぽど理解している。

『小宮梨花』という人間は時間にとてもルーズで、自分から指定した時間に遅刻せずに来る事は、僕が覚えている限り一度しかない。

 なので十分か二十分の遅刻は想定の範囲内。それよりも呆れてため息が出たのは、自分の事を『可愛い』と呼べる自信についてだ。

 もし自分が『かっこいい幼馴染より』なんて梨花に送れば恐らく一生話題に上げられて、ことある事に掘り返される。もしくは連絡先をブロックされるかもしれない。

 ここまで自分に自信を持っていると逆に尊敬できるレベルだ、そして何よりその自信があながち間違いでもないのが少し腹立たしい。



「お待たせ〜」


 宣言通り二十分後、梨花は遅れて待ち合わせ場所へと到着。

 遅れた理由については粗方予想がつくので言及する事は辞め、「じゃあ行くか」と言いながら駅の方へと歩き出そうとした時、何処か不満の篭った目をした梨花によって腕を引っ張られ、足が止まる。


「なんだよ」

「まず何か言うことないの?」


 ちょっとムスッとしながら、梨花はそう語る。

 遅刻してきた人間が何を言うのか、まずはそっちが遅刻してきたことを詫びるのが先のはずではないだろうか。決して口にはしないが心の中で訴えかける。


「言うことって..... 今日は晴れてよかったなー」


 僕は空を見上げながら少し棒読み気味に言う。

今日は快晴だ。見た限り雲一つないのでめちゃくちゃに暑いだろう。


「天気の話じゃない!」

「前髪切った?」


 よく見ると、昨日会った時より前髪の長さが違う気がする。


「ちょっと切ったけど.......そうじゃなくて他に!」

「よく似合ってるよその服、すげえ可愛い」

「言うのが遅い!80点!」


 思ったよりかは高得点だ。前髪を切った事に気付いたので加点されたのだろうか。

 それは置いといて、僕は改めて梨花の服装を見た。

 肩を露出したピンクのオフショルのトップスに、黒色のデニムパンツ。生足が見えないのが僕としてはとても残念ではあるが、梨花らしくてとても似合っている。

 メイクも服装にマッチしており、15年の付き合いで正直今までの中で1番可愛い……と思う。


「ま、言うのは遅かったけど合格にしてあげる!」

「ちょっ……」

「さ、行こ!」


 何処か嬉しそうな顔をした梨花は、僕の右腕に抱きつく。右腕に当たる柔らかい感触に頬を赤らめながら、今度こそ駅の方へと歩き出した。

 自分には強すぎる刺激に頭が回らない。

 そしてカップルでもないのに、ここまで密着して歩いてると周りの目が気になって仕方がない。

 そもそもこういうのはやるにしても冬にやって欲しい、少なくとも夏にやる行動ではないと思う。

 心の中でブーブー文句を垂れながらも、口にはせず、結局、駅のホームに並ぶまで梨花は僕の右腕に抱きついたままだった。目的地の方に向かう電車が止まる2番ホームに並んだ所でやっと離れてくれたのでホッとする。別に悪い気はしないが、辺りの目が気になるのと、同級生に見られるかもしれないと思うと気が気じゃない。


「次は手、繋ぐ?」


 何処か悪戯っぽく笑いながら梨花は尋ねる。


「そういうのは好きな奴としろ 勘違いされるぞ」

「はぁ.......鈍感だなぁ.......」


 梨花が何やら呆れた表情でため息を付くと同時に、2番ホームへと電車がやってくるのを知らせるアナウンスが流れた。

 少し乗り出してから見てみると奥から電車がこちらへ、そしてその直後にスピードを落として僕達の前で停車すると、機械音と共にドアが開いて中からゾロゾロと人が降り始める。

 流石は夏休みと言った所か、いつも利用しているよりも数倍の乗客で電車内は賑わっている。見る限り座れる所はない。

 仕方がないのでドアの近くに立つことに決め、吊革につかまったまま、発車時刻を迎えた電車は次の駅へと向けて走り出す。

 ここから目的地のショッピングモールまでは電車で二十五分程、最寄り駅に着くまでには多少は時間があるので梨花と談笑をしながら暇を潰す。


「そういや、冬葵が今年も祭行こうってさ」

「また彼女の誘い断ってるのかな」

「だろうな....... 冬葵の彼女に会ったら刺されるんじゃないか」


 冬葵の彼女には一度だけ会った事がある。あれは確か一年前に冬葵が付き合い立ての頃、僕のバイト先のファミレスに偶然 冬葵が彼女を連れてやってきた時に一度見た程度。冬葵の彼女は別の高校の生徒なのであれ以来会ってはいない。

 本当にチラ見した程度なのでうっすらとしか覚えていないが、とても綺麗な子だった気がする。それこそモデルに居そうな風貌で、あの完璧人間の冬葵ですら釣り合っていないように見える、そんな人間。


「名前なんだっけ?」

「優里奈.......じゃなかったか? まぁ綺麗な人だったよ」

「隼人がそう言うんなら綺麗なんだろうね」

「ま、気が強そうではあったよ 喧嘩したら面倒くさそうなタイプ 僕には無理だな」


 そう言いながら、視線を電車の車窓に移す。

 住宅街の沿線を走るこの路線の電車は、車窓を見ていても、見えてくるのは家ばかりで何の楽しさもない。車窓から海が見える夢乃原高校に着くまでの路線が恋しくなってくる。

 その後、電車は途中で四駅程に停車しながらも目的地の最寄り駅へと到着。夢乃原市よりも栄えているこの街の駅は流石は都会と言った所か、自分達以外にもゾロゾロと乗客は降り始め、あれだけ埋まっていた座席はあっという間に空いてしまった。

 僕ら2人もそんな乗客に続いて電車降りて改札を抜けると、ひとまず駅を出る。

 時刻は十一時、駅の近くには食事処が幾つかあるが昼ご飯を食べるは少し早い時間帯。


「ちょっと、トイレ行ってきていいか?」

「別にいいけど、ここで待ってるから」


 梨花を待っている間に飲んでいた炭酸飲料のせいか、突然尿意に襲われたので駅前の広場に梨花を残してから駅に一度戻ってトイレへ。二分後にササッとトイレを済ませてから、梨花が待つ駅前の広場に戻る途中、何処からか聞こえてきた恐らく小さな女の子であろう泣き声が僕の耳に入った。

 辺りを見回すとその正体はすぐに分かった、僕が立っている場所から見て、斜め前のバス停の停留所の裏で、小さな女の子が親とはぐれたのか泣いているのが見えた。

 あんなに小さな子が泣いているのに、その近くを歩く誰もが、小さな女の子を心配する素振りも見せず、まるで見えていないかのように前を素通りしていく。現代社会を生きる人々はこれ程までに心が寂しくなったのだろうか。

 梨花が待っているとは言え困っている女の子を放っておくことが出来ない僕は、意を決して、近づいてから女の子の目線に合わせるように中腰になって声を掛けた。


「もしかして迷子か?」

「……お母さーん!」


 まぁ恐らくは迷子だろう、これだけ駅周辺に人がいれば、親とはぐれる事があっても何らおかしな話では無い。

 にしてもこういう時、どうすればいいのだろうか。十七年間の人生で、迷子の子を助けるという経験がないのでどうすればいいのか分からない。

 考えに考えを重ね、とりあえず駅員の元へと行き、一緒にこの子の親を探すことに決め、その旨を女の子へと伝える事に。


「ほら、もう泣かなくてもいいから、お兄ちゃんがお母さんを探すの手伝ってやる だからもう泣くな」

「本当.......?」

「ああ、だからお兄ちゃんについてこい 駅の人に頼んでお母さん探して貰おう」

「う、うん.......」


 僕の慰めに多少は救われたのか、女の子はようやく泣くのを辞めた。

 あとは駅の人に頼んで母親を探してもらい見つかれば万事解決。一方、女の子は泣きやみはしたものの、何処か不思議そうな顔をしながら、耳を疑う事を僕へと尋ねた。




「ねぇ、お兄ちゃんは私の事見えるの?」




「は.......?」








「隼人〜!」

 女の子が口にした言葉に、その場に固まったままの僕の後ろから、いつまで経っても戻ってこない僕を心配してやってきた梨花が声をかける。


「あ、いた! ねぇ、しゃがみ込んで何してるの?」

「え?いや女の子が泣いてたから.......」

「女の子? 居ないけど……?」


 梨花からの指摘に、先程まで女の子が立っていた場所へと顔を向けるが、そこには既に女の子の姿はない。

 立ち上がり、辺りを見回してみてもどこにも居ない、背中に嫌な汗が流れるのが分かった。そして僕はこの状況に既視感があった、そう、春奈さんの時と同じ状況。


「隼人、大丈夫?」

「あ、おう 昨日寝てなかったし暑いから幻覚見えてたかも 大丈夫だから行こうか」


 梨花に変な心配をさせる訳にはいかない、とりあえずこの場を取り繕ってから、僕は梨花と共に買い物の続きに戻るのだった。

 ​────何か面倒な事に巻き込まれた、という予兆を感じながら。




 ─────続く。


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