第四十三話 焼き鳥の盛り合わせ

 急遽、スケジュールが変更になってしまい、てんてこ舞いだった。

 優先順位の上がった原稿に取り掛かるべく、資料にどうにか目を通し、必死の思いで原稿を仕上げる。


 後回しにしてしまった仕事を片付け、外回りに出かけたのは、それから数日たってからだった。

 借りていた資料を返すついでに、くだんの出版社へも挨拶に行く。


「麓郎さん、今月の原稿、早かったですね!」


 出版社の編集者さんの一人がそう挨拶してきた。

 ん? どゆこと?

 そう思っていると、私に依頼をしていた編集者さんがその話を聞いていたらしく、話に入ってくる。


「麓郎の原稿を上げるスピードを知りたくてさ、今月は締め切りを早めてみたんだ。結構、速いんじゃん」


 その編集者は周囲の編集者さんと談笑しつつ、そんな話を続ける。

 しかし、私はその言葉を受け入れられないでいた。


 はあ? 勝手に人を試したってこと?


「麓郎、また仕事頼むよ。お前は合格だから、さ」


 そう言って、馴れ馴れしく肩を手で叩いてくる。


 触るんじゃあない。

 だいたい、麓郎ってなんだ? なんで、下の名前を呼び捨てで呼んでくるんだ? そんなに仲良くないだろ。


 もちろん、そんな言葉を外に出すことはない。

 この人からもらう仕事がなくなるのは痛いし、それ以上にこの出版社の人たちから悪印象を持たれたくない。それだけで私の生活は立ち行かなくなる。

 涙を飲んで耐えるしかなかった。


 悔しく思いつつもその会社を後にし、近くのレストランで昼食を取る。

 帰ったら、絶対やけ酒を飲もう。そう思っていた。

 そんな時、ラジオから会話が流れてくる。


「私はねぇ、やけ酒だけは飲まないようにしてるんですよ。そんなのワインに失礼でしょ。ワインはその美味しさを最大限に味合わなければならないんですよ」


 カッチーン


 酒に逃げることさえ許さないって何なんだ。そっちがその気なら、今日はワインでやけ酒を飲もうじゃないか。

 いつの間にかワイン勢に追い詰められてしまった私は、ルリエーマートのクトゥルフお母さん食堂に向かっていた。


        ◇


 ルリエーマートのクトゥルフお母さん食堂にやって来た。

「あらぁ、麓郎ちゃん、いらっしゃい。いつもお仕事お疲れさまぁ。大変だったのねぇ」

 クトゥルフお母さんが労ってくれる。私の心労を理解しているのだろうか。

「クトゥルフお母さん、世の中、嫌なことばっかりなんだ」

 ついつい本音が出てしまっていた。


「あらあらぁ。大丈夫、麓郎ちゃんが悪いわけじゃないから」

 クトゥルフお母さんの言葉には、ささくれ立っていた私の心が落ち着いていくようだった。彼女の声には川のせせらぎや小鳥のさえずりのように、人の心を落ち着かせるものがあった。

 ぐぎゅぅとお腹の音が鳴る。お腹が減っている。

「あ、今日、何を食べよう」

 私がそう呟くと、クトゥルフお母さんが答えてくれた。


「今日から、ホットフードのコーナーで焼き鳥やっているのよぉ。見ていったらどうかしらぁ」

 その言葉に強い興味を引かれる。焼き鳥は大好きだ。どんな部位の肉を売っているのか興味が引かれた。

「うふふ、夢みたいに美味しいって評判なのよぉ」

 私はクトゥルフお母さんに案内されてホットフードの焼き鳥コーナーに連れていってもらう。


「ここはパラダイスか!?」

 そう言葉が漏れるほどの景色だった。あらゆる焼き鳥の櫛が揃っている。それに、どれもが美味しそうだ。

 後ろ髪を引かれる思いで、焼き鳥を注文していく。

「タレにしますか? 塩にしますか?」

 店員に尋ねられる。どっちも好きなので迷うが、今回はタレにした。私にはワインが待っているのだ。


        ◇


 ワインを開けよう。

 何を隠そう、近所のスーパーで一番高い赤ワインを買ってきたのだ。銘柄はよくわからんが、これは期待できるぞ。

 ボトルに付いている紙を引っぺがし、コルクを栓抜きで引っこ抜く。コルク抜き、久々に使ったなあ。


 ここで、私の心の中の老師が語りかけてくる。

「赤ワインを飲むときは底の広がったデキャンタに注ぎ、一時間ほど待つのだ。空気にさらすことでワインが酸化して、香りが開き、味がまろやかになるぞ」


 ありがとう、老師!

 でも、うちにそんなデキャンタはないし、一時間も待てないよ。今すぐ飲みたいんだ、俺は。

 そんなわけで、ワインを直接グラスに注いで、飲むことにした。


 なお、老師はこれからレギュラーキャラクターになります。


 ワインを飲む。渋い味だ。葡萄の味わいが口いっぱいに広がってくる。しかし、渋い。

 甘味も感じられず、その奥に旨味も感じない。芳醇な香りとやらも感じることはできなかった。

 これが老師の言葉を無視した報いだというのか。


 そろそろ焼き鳥を食べよう。

 まずは、ももからだ。

「うん、うまぁっ!」

 口の中に入れた瞬間にそんな言葉が飛び出した。やや淡白で軽い印象もあるが、凝縮された旨味は堪えられないものだった。

 鶏ももはどう調理しても美味い。ましてや、炭火焼で香ばしく焼かれて、美味くないわけがない。

 加えて、タレの甘辛い味付け。どこか奥深い夢のような味わいが感じられる。これはルリエーマートのクトゥルフお母さん食堂ならではの秘伝の味なのだろうか。

 思わず夢中で食べてしまい、まるまる一本がなくなってしまった。


 ももがなくなって悲しい? そんな心配はご無用。当然、二の矢を用意している、

 ねぎまだ。

 鶏ももにネギを挟むだけでここまで印象が変わるというのか。炭火焼の香ばしさに、ネギの香ばしい匂いが加わり、食欲が刺激されていく。豪快に鶏肉とネギを一気に喰らう。

 ネギの甘さ、香り、シャキシャキとした食感、そのどれもが鶏ももの美味しさに拍車をかけている。このマッチングは幸せのマッチングだ。

 思わず、恍惚としてしまう。


 次は皮にしよう。

 噛みしめると、カリっとしてた歯ごたえの奥に、弾力のあるぶよぶよした食感が伝わってくる。それがいい。たれの味付けが良く絡んでいて素晴らしいが、噛みしめるごとにどんどん鶏皮本来の旨味が漏れ出てくる。

 好き嫌いはあるのかもしれないが、私は鶏の皮が好きで堪らない。脂を食べているような感覚もいいし、なにより、この旨味が最高なのだ。


 そして、ぼんじり。鶏の尻周りの肉だ。これは通好みの部位だろう。

 肉厚な食感もいいのだが、その中に軟骨の歯ごたえが混じっているのが堪らない。甘いタレと絡み合い、何とも言えない美味しさを醸しだしている。


 レバーを食べよう。ご存知、肝臓だ。

 とろけるような舌ざわり。血の塊のような独特の味わいがあり、クセが強いがそれが美味しい。

 血がそのまま体の中に入っていくようだ。酒が進む。ワインの渋さもこの血の香りと合わせることで生きているようだ。


 つくね。すり身にした鶏肉を団子にしたものだ。

 噛みしめた瞬間に旨味が広がる これまでになかった美味しさだ。たれが絡んでしっかりした味わいがあるが、それ以上の旨味があった。つくねの中に肉ともにネギや大葉が入っているのだろう。肉の美味しさが引き立てられ、バージョンアップが為されているような印象がある。


 最後に残っていたのが、ハツだ。

 コリコリとした弾力のある独特な噛み応え。レバーと同じく血の塊のような味わいがあるが、それよりも爽やかというか 一つの塊という印象がある。それに生まれる食感。血を噴出するような味わい。これこそがハツだ。


 焼き鳥はどれも美味しい。

 串に残った肉を食べつつ、ワインを飲んだ。これは最高の瞬間だろう。気がついたら、ワインの渋みも心地のいいものになっていた。


        ◇


 ドンドンドン


 扉を叩く音がした。

 こんな夜中になんだろう。そう思っていると、ガチャリとドアが開く音がする。まさか鍵をかけていなかったのか? それとも、鍵をこじ開けて入ってきたのか?

 いずれにせよ、夜に見知らぬ他人が家に入ってくることほど恐ろしいことはそうそうない。私は脅えていた。


 警戒する私の前に現れたのは奇妙な生物だった。一見人間のようにも見えるが、強烈な違和感がある。顔に鼻がないのだ。その脚はまるでカンガルーのようだった。蹄があり、筋肉質で、飛び跳ねるように移動している。


 これはガストだろう。

 ドリームランドに生息する生物で光に弱く、ズィンのあなを棲み家とするが、夜になると外に出て食屍鬼グールやガグを襲うという狂暴な種族だ。

 しばしば共食いを行うにもかかわらず、群れを成すという奇妙な生物でもある。


 ガストは私に襲い掛かると、ももと尻に喰らいつき、その肉を貪り食った。あまりの苦痛に私はのたうち回り、もはや立っていることもできず、その場でうずくまった。

 だが、ガストはそれ以上は危害を加えず、立ち去っていく。もしや、私の食べたももとぼんじりはガストの肉だったのだろうか。


 ドンドンドン


 再び扉を叩く音が鳴った。

 やはり、ガチャリとドアが開くと、現れたのはネズミのような姿をした生物だった。大きさは猫ほどもあり、鼻と口の間に触手が生えているのが特徴的だ。

 まさか、ズーグ族か? ドリームランドに棲む生物で、魔法の森を棲み家とする。昼間であれば害のない生物だが、夜になると肉を求める捕食者になるという。彼らの言葉で意思疎通を図れば協力的になるらしいが、残念ながら私はズーグ族の言葉を知らない。


 ズーグ族はのそのそとした動きで私に近づいてくる。本来は俊敏な動きをするのだろうが、私が動けないと見て、舐め切っているのだろう。

 かと思うと瞬発的に動き、私の腹に喰らいついた。そして、少し離れた場所に移動し、何かを食べている。

 それは肝臓だった。私の食べたレバーはズーグ族のものだったのだろう。普段、酒ばかり飲んでいる私の肝臓はフォアグラのように美味だろうか。


 ズーグ族はさらに私の身体からあちこちの肉を食い漁っていく。それはまばらなもので、すべてを食い尽くすことはない。

 これは、つくねの分だろうか。

 そして、気づいたらズーグ族はいなくなっていた。


 ドンドンドン


 三度みたび音がする。しかし、これは扉からではない。

 屋根だ。それに壁だ。私の家が何者かに破壊されていた。


 ガシャーンという破壊音とともに、巨大な人影が現れた。その影は巨人のようにも見えるが、腕が四本ある。

 次第に巨人が近づいてきており、その恐ろしい姿が見えてきた。全身が毛でおおわれており、やはり四本腕。だが、それ以上に恐ろしいのはその顔だ。

 顔のほとんどを占めるその口は、縦に裂けており、鋭い牙が並んでいる。その両サイドにある血走った眼がギョロリとこちらを見ていた。


 ガグだ。やはりドリームランドの生物である。

 ガグは記念碑のようなものを作る風習があり、ガグのいた場所には奇怪なモノリスが遺されているという。その内容は這いよる混沌ニャルラトホテプを崇拝するためのものであり、それを恐れた地球本来の神々によって地下深くに追放された。


 ガグはその巨大な腕で私を掴むと、全身の皮を剥ぎ、心臓を抜き取ると、貪るように食べた。

 皮と心臓を食べ終えると、興味をなくしたように私を地面に落とし、そのまま去っていく。

 私の食べた皮とハツはガグのものだったのだろう。


 全身が血まみれになり、体中に穴の開いた状態で、私は意識を失っていく。最後の力で呟いた。


「随分、食い散らかしてくれるじゃないか」

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