第四十五話 焼き餃子
特にすることもないので、のんびりしている。
今年も実家には帰らなかった。
父母は何かにつけて理由をつけて帰ってくるよう言ってくるが、私は私で何かにつけて理由をつけて帰らないようにしていた。
今年は仕事が忙しいと言って帰らないことにした。むしろ、仕事がなくて困っているくらいであるのだが。
しかし、私が実家に帰ると何か怖しいことが起きる。そんな気がしてならないのだ。
なので、お正月は家でゆっくりする以外のことはできなかった。
おせちめいた異形の物体を生み出し、お雑煮めいた名状しがたきものを食べる。そうして、正月らしさをひとしきり味わったが、もういいだろう。
ルリエーマートのクトゥルフお母さん食堂に行って、ご飯を買ってこよう。今こそ日常に戻る時なのだ。
◇
ルリエーマートのクトゥルフお母さん食堂にやって来た。
「あらぁ、麓郎ちゃん、いらっしゃい。
明けましておめでとうございます。今年もよろしくねぇ」
クトゥルフお母さんに年初の挨拶をされる。私も「明けましておめでとう」と挨拶を返した。
「今日は何をお求めかしらぁ? おせちやお雑煮も置いてるけど、欲しいのはそういうのじゃないみたいねぇ」
クトゥルフお母さんは私の意図を察してくれている。私は通常の食品の置かれたコーナーに向かった。
そして、ビビッと来るものがあった。よし、これにしよう。
私は餃子を手に取っていた。
「あ、それを選ぶのねぇ。うーん。それもいいものなのよぉ」
クトゥルフお母さんの言葉は歯切れが悪かったが、とはいえ、別に貶めているわけではないようだ。
たまには、そういう不安要素のあるものを食べてみるのもいいか。そう思い、私はレジに進んだ。
そして、帰り道。
正月早々、不安なものを食べるのってどうなんだ。
私の心に一抹の疑問が浮かんでいた。
◇
餃子を食べる前にやることがある。ラー油をつくろう。
材料は一味唐辛子に鷹の爪、にんにく、たまねぎ、長ネギ、花椒に八角、それにサラダ油とごま油だ。
とりあえずニンニクをチップ状に切ったら鍋に入れ、サラダ油も注いで、弱火で温める。こうすることでニンニクを揚げるとともに、油にニンニクの匂いを付与することができるのだ。
その間に、玉ねぎをみじん切りにして、鷹の爪と長ネギも切る。長ネギは青い部分だけ使う。
ニンニクが揚がったら、皿に選り分け、今度は玉ねぎを揚げる。玉ねぎはこんがりキツネ色になるまで。玉ねぎの甘味と旨味、それに香ばしさが油に抽出される。
その後は、鷹の爪、長ネギ、花椒、八角を揚げよう。これは香り付けと辛さの付与だ。花椒の痺れる味が好きだから、多めに入れる。
八角もたくさん入れよう。その方がチャイナ感が上がるし、ほかに使い道もないし。それに、星形をしていておめでたい感じがあるから、正月に合っているのだろう。
15分が経った。
保存用の耐熱ビンに唐辛子を入れ、そこに具材を取り除いた油を少しずつ入れる。
ボワンと唐辛子が小爆発を繰り返す。
なんだ、これで正解なのか? ええい、ままよ!
徐々に入れていた油を一気にぶちまける。唐辛子はさらなる誘発を引き起こし、大爆発する。
よし、これで完成だ。
皿に選り分けていたフライドオニオンとフライドガーリックを入れ、さらにごま油を継ぎ足した。
完成したラー油は一掬いを取り皿に入れ、さらに醤油と酢を入れる。
これで餃子のたれができた。
それでは、餃子を焼こう。
冷凍された餃子はカチコチと固く、まるで石のようだった。これが焼くだけで美味しい餃子になるというのだから驚きだ。
フライパンに油を敷いて、餃子を敷き詰め、熱湯を注ぐ。そして、蓋をして、中火で加熱。熱湯が蒸発したら、蓋を開けて、油を注ぎ、しばし待つ。
これだけで柔らかな餃子が出来上がった。石化解呪の巻物なんて必要ないんだ。
◇
さあ、これで安心して酒が飲める。
今日は
「汾酒は薄めてはいかん。その芳醇な香りが薄れるからな。水を用意してチェイサーとするのだ」
ありがとう、老師。というか、汾酒が老師のイメージに合ってるお酒だから、今回から登場すれば良かったね。
グラスに汾酒を注いだ。それだけで豊かな香りが漂ってくる。
その杯を傾けて一息に飲む。圧倒的なアルコールの高さだが、それ以上に独特な香りが私の心を掴んだ。
爽やかでありながら、この空間を支配するほどに強く、まさに中華ならではの酒という印象だ。蓮の葉の上で舞う美妓の姿が見えるかのようだ。
そして、アルコールの力でぼんやりとする脳は、水を追って飲むことで
いよいよ、餃子だ。餃子を先ほどつくったタレに漬ける。邪道と言われるかもしれないが、ひたひたに浸して食べるのが好きだ。
そうして、たっぷりタレの付いた餃子を口に運ぶ。皮のもっちりした噛み心地が優しい。味わい深い餡が口の中で弾けていくようだ。ニラとニンニクの匂いが強く、強烈な匂いとともに深い旨味を感じる。タレの味わいともマッチしており、まさに最高の餃子だった。
噛みしめるごとに肉汁が口いっぱいに広がっていく。肉の旨味が多幸感を生んだ。まるで象の肉のように野性味と力強さがあり、蛸のようにしなやかな繊細さがあった。
うおおおぉぉぉぉ!
身体の中にエネルギーが湧き起こってくる。これを鎮めるにはご飯を食べなくてはならない。
実はご飯も炊いておいたのだ。私はご飯をよそうと、餃子とともに口いっぱいに頬張った。これ以上の幸せはありえない。
餃子以上にご飯と合う食べ物があるだろうか。実際にはあるのかもしれないが、今この瞬間には餃子以上のものは考えられない。
私は夢中で餃子を口に入れ、ご飯をかっ込んでいった。
食べながら、子供の頃に餃子を作ったことを思い出す。
豚ひき肉にニラやキャベツ、ショウガ、ニンニクに調味料を混ぜ合わせて、餃子の餡を作ったんだ。
それを妹たちと一緒に皮で包んだ。綺麗に包むのが、意外と難しかったな。
餃子は父と母が焼いてくれた。
それを夢中になって食べた。
たくさん作ったはずなのに、家族が多いから、食べられるのは6個か7個だったなあ。美味しかったけど、思ったよりも食べられないのは不満だった。
でも、楽しい思い出だ。
思い出せるのは楽しいことばかりなのに、どうして実家に帰りたくないんだろう。
汾酒を飲み過ぎたのか、そのことを考えると頭が痛かった。
◇
なぜだか、しんみりしている。
そんな気分を一新すべく、
だが、身体が固い。どうにか酒瓶を手にしたものの、グラスまで持っていくだけのことが難しかった。どうにかグラスに汾酒を注ぐが、関節が固いのか、手を持ち上げることができない。もったいないことに汾酒を注ぎ続け、グラスから溢れてしまっている。
――体が動かないのか。
声に出したつもりだったが、声にならない。
私の身体は硬直し、動くことができないのだ。声帯すら固まっている。
私の口からむわぁーんとしたものが吐き出された。ニンニク臭ではない。
そのむわぁーんとしたものは、おぼろげながら姿が見えてくる。それはおぞましいものだった。身体のあちこちに触手のような腕があり、鼻は象のようにうねっている。その姿は一定ではなかったが、体中を覆う鱗と皺は認識できた。そして、もっとも恐ろしいのはその長方形の瞳が私を睨んでくることだった。
私は恐怖に駆られ、身体はより固くなり、石になっていた。
これはガタノゾーアだろうか。ムー大陸のヤディス=ゴー山に出現した旧支配者だ。ムーの人々によって信仰され、その姿を見たものは皆立ち竦み、その皮膚を硬化させていまうという。その石化から身を守ろうと巻物を作った
それにガタノゾーアはクトゥルフお母さんと何か関係があった気もするけれど、石化した脳ではこれ以上のことは思い出せない。
時間が過ぎた。たびたび電話が鳴ったが、私は出ることはできない。
しばらくして、様子を見に来る人があった。妹たちだ。
その後、警察が来ることもあったが、私は放っておかれた。
また、時は過ぎる。
轟音が鳴り響いていた。これは爆撃だろうか。
第五次世界大戦はなしくずしに収まったと思っていたが、また戦争が始まったのだ。
爆撃は私の家にも降り注ぎ、私はその衝撃で地中深くに埋まってしまった。
これでは、もはや私の身体を見つけることのできるものはあるまい。
どれだけ時が過ぎただろうか。私の意識も朦朧としている。
私を掘り起こすものがあった。それは
この生物は人類の後に繫栄した知的生命体だとでもいうのだろうか。
無限とも思える時が過ぎた。
今までに聞いたことのない爆音を聞く。まるで、太陽が爆発したような、地球が崩壊したような、そんな音だった。
それは実際にその通りだったのだろう。私の周囲の地面も崩壊し、私は宇宙空間に放り出された。
くるくると宇宙空間を回り続けるが、周囲に光は見えなかった。
太陽がなくなったのだ。私はそのことを察していた。
しかし、私はいつまで石のままなのだろう。
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