第三十三話 茶わん蒸し

 今日は文芸コンテストの審査員に呼ばれている。

 朝早く家を出るのは大変だが、それでも私はこの仕事が好きだった。


 まず素晴らしいことにお昼にお弁当が出る。一食浮くというのは嬉しいことだ。何よりここのお弁当は美味しいものが多い。

 三時になればお菓子が出る。普段食べることのないルマンドやチョコラングドシャを食べつつ、出版社の人々と歓談できるのは楽しみの一つだった。


 これだけだと、ただ食い意地が張っていると思われるかもしれない。


 さらに魅力的なことがある。それはただ行きさえすれば一日分の仕事をしたことになることだ。

 これは日頃の煩わしい考えから解放される。スケジュールに対してどれだけ仕事ができたか、今日の仕事量がどれだけのギャランティになったのか、それは経費に対してどうなのか。

 そんな地味に神経をすり減らせるストレスと無縁になれるのは実に楽だ。


 ……結局、何の名誉回復にもならなかった。


 目の前に詰まれた原稿を手に取る。なんだかんだ、大量の文書を目にするときは紙に印刷プリントされたものを読むのが手っ取り早い。読むのが速い編集さんだと、電子書籍をページ送りするだけの時間で、紙の原稿を何ページ分も読んでいたりする。

 私には速読の技術がないので、大量に読まなければいけない時は四苦八苦するが、それでも紙であれば目に通せる情報量が増えるのでありがたい。


 こんな時代でも手描きの原稿が交ざっている。ご苦労なことだという気持ちはあるが、読みやすいのであれば、それもまたよい。

 その一つを手に取るが内容は奇妙だった。もの凄い達筆で綺麗な字であったが、内容はトイレの清掃用具についてである。それも、清掃用具にまつわる物語が書かれているのでなければ、清掃用具の使い方を紹介するような内容でもない。

 ただ、自分の家のどこに何という清掃用具を収納しているか、それだけが延々と書かれている。この人はものすごいトイレ清掃マニアなのだろう。1000点以上のトイレの清掃用具を所持しているらしい。その商品名と収納場所が淡々と書かれているのだ。

「うぉう」

 思わずつぶやいてしまうが、やはり手書きの原稿ならではの迫力である。私は無言で原稿を封筒にしまい、シートに落の文字を記入した。落選理由に「意味不明」と書くと、次の人のボックスに入れる。


 もう一つ、手書きの原稿があった。嫌な予感がしつつも目を通す。鉛筆で書かれていて異様なほどに筆圧が強い。綺麗な字で読みやすいのだが、筆圧の強さにすでに圧倒されていた。

 その内容はコンビニエンスストアーで何を購入するか逡巡する男の葛藤が延々と書かれている。そしてラストシーン、脈絡なく主人公は死ぬ。これだけの力強い筆致(物理)でいったい何を書いているのか。

「う、うん」

 私は無言で原稿を封筒にしまうと、シートに落の文字を記入する。落選理由に「筆圧が怖い」と書き、次の人のボックスに入れた。


        ◇


 仕事が終わり、心地のいい充実感があった。今日はもう仕事はしないでいいだろう。なんとなく、まったりと酒でも飲んでいたい気分だ。(いつだって、酒飲んでだらりとしていたいけれども)

 そんな気持ちのまま、ルリエーマートのクトゥルフお母さん食堂に向かうことにした。


「あらぁ、麓郎ちゃん、いらっしゃい」

 ルリエーマートのクトゥルフお母さん食堂で、クトゥルフお母さんが出迎えてくれる。

「今日はもう仕事終わりだから、何か落ち着けるものが欲しいんだ」

 私がクトゥルフお母さんに尋ねた。すると、クトゥルフお母さんは少し考えた後、青白い燃えるような吐息とともに言葉を発する。

「そうねぇ、お惣菜を見てみる?」


 クトゥルフお母さんにお惣菜コーナーを案内してもらう。

 肉じゃが、揚げ出し豆腐、きんぴらごぼう、切り干し大根の煮物など、興味を惹かれるメニューが多い。だが、茶わん蒸しが目に入った瞬間にピタリとはまるものがあった。

「これにしようかな」

 茶わん蒸しを手に取っていた。

「あぁ、それもいいものよ。こだわりの強い調理担当のおじさんがつくっているのよねぇ」

 私はクトゥルフお母さんに後押しされるように、茶わん蒸しを持ってレジに並んでいった。


        ◇


 よし、酒を飲もう。今日は米焼酎だ。

 ただ、米焼酎はあまり飲まないので、何がいいのかよくわからない。麦焼酎ならいいちこ、芋焼酎なら黒霧島が庶民派の代表格だが、米焼酎は何が相当するのだろう。川辺をお薦めされたので、「じゃあそれでお願いします」と言って川辺を買ってきていた。

 どうでもいいが、川辺と聞くと、「鈴木先生」のカーベェを思い浮かべるのは私だけだろうか。……私だけのようです。


 グラスに氷をジャラジャラと入れる。そして、純米焼酎の川辺をとくとくと注いだ。氷が溶けてカラカラと鳴る。

 擬音でごまかそうとしている感があるかもしれないが、いい音が鳴っているので良しとしよう。


 グラスを口に運び、川辺を口に流す。

 まろやかな舌触りが優しく、米の香りもまた面白い。米が原材料だけあって甘さや深い味わいがあり、日本酒を飲んでいるような感覚もある。なんだ、米焼酎も美味しいではないか、素直にそう思った。

 だが、お気づきの読者もいるかもしれない。私はさっきから米焼酎と書こうとしては、芋焼酎とミスタイプし、その都度打ち直している。私はいまだ芋焼酎の呪縛から解き放たれてはいないのだ。


 戯れ言はこのくらいにして、茶わん蒸しを食べよう。

 すでに湯煎で茶わん蒸しを温めていた。鍋から取り出して、パッケージを開ける。


 スプーンで一掬い。口に運んだ。

 まったりとした卵の味わいに、優しい出汁の味付けがよく合っている。なにより熱々の茶わん蒸しはホクホクとしており、温かさは幸せを与えてくれるものだと実感させてくれた。全身に温かさが巡っていく。


 次の一口でシイタケも入れる。柔らかで弾力のある食感とともに、強烈な旨味、香りによって口内が支配された。子供の頃は苦手だったけど、これほど美味いものもほかにないと今では思う。

 次いで、タケノコ。コリコリとした独特の歯ごたえが心地いい。タケノコならではの香りと味わいも茶わん蒸しの卵と出汁の味付けとマッチしていた。

 しばらく、シイタケとタケノコを具材にして茶わん蒸しを食べ進める。この二つのコンビネーションはなかなか大人の味わいだといえよう。


 鶏肉やカマボコも少しずつ入っている。

 鶏肉の柔らかさと主張し過ぎない旨味が優しい出汁の味わいとよく合っている。肉の満足感を得られるというのもいいことだ。

 カマボコは食べやすく、そして美味しい。その一片に魚介の美味しさが詰まっているのだ。


 そして、いよいよ茶わん蒸しの核心に近づく。茶わん蒸しの醍醐味は宝探しだといってもいい。私は茶わん蒸しの最奥にスプーンを突き刺し、ついに手にしたと感じた。それを掬い、口に入れる。銀杏ぎんなんだ。

 秋の味覚といえばなんだろうか。秋刀魚さんま、栗、さまざまな果物も美味しい。松茸だという主張もあるのだろう。だが、個人的には銀杏をその王者として挙げたい。

 その特徴的な香りの高さ、モチモチとした独特の食感、ほんのりとした苦みのアクセントに、木の実であるということを思い出させてくれるまろやかな味わい。そのどれもが一級品なのだ。

 茶わん蒸しを食べるに当たっては、鉱山の奥で宝石を掘り出したような、迷宮ダンジョンの最奥で奈落にかかる橋を渡って宝箱を見つけたような、不思議な高揚と最高の美味しさをもたらしてくれる。


 では、銀杏を食べた後はもう楽しみはないのだろうか。そんなことはない。

 やはり、ルリエーマートのクトゥルフお母さん食堂である。最後の楽しみが二段構えになっている。

 私が残りの茶わん蒸しをかっ込んでいると、隠されたもう一つの宝が口の中に入ってきた。あまりにも豊かな香り、圧倒的な旨味、それは海老であった。

 茶わん蒸しの出汁の優しさには海老が使われていたのだ。当然、茶わん蒸しとの相性は抜群で、噛みしめるごとに伝わってくる。甲殻類の美味しさは格別だ。その味わいは茶わん蒸しを締めるのに相応しいものだった。


 そして、米焼酎を一口。茶わん蒸しと米焼酎の相性もなかなかのものだ。


        ◇


 なんとなく、右目の辺りがこそばゆい。目をこすった。すると、ブチッとした感触がある。何事かと目の辺りをまさぐると、潰れた虫のようなものがあった。

 ぞわっとした恐ろしさを感じたが、それだけでは終わらない。左目からもモゾモゾとした感覚があり、さらに鼻からも、耳からも、何かが整列して出てきているように感じた。

 やがて、それが腕にまで伝わってくると、その正体がわかった。蜘蛛である。蜘蛛が列をなして私の中から湧き出ているのだ。


 私はどうにかして蜘蛛を身体から振り払おうとするが、それよりも私の体内から出現する量の方が多い。私の全身は蜘蛛で覆われ、そして足元にも大量の蜘蛛で満ち満ちていた。

「うわぁ!」

 思わず叫びつつ、跳び上がった。そして、落下する。私の足元にはすでに地面はなくなっていた。跳び上がったまま、私は落下するしかなかった。


 どこへ行くのかもわからない暗黒の中をただ落ち続ける。気の遠くなりそうな時間をひたすら落ちていたが、急に何者かに掴まれた。

 いや、掴まれたのではない。絡み取られていた。私の足が糸状の何かで巻き取られ、バンジージャンプでもしていたかのようにビヨンとその場で吊るされる。


 その場所がなんなのか、そこにいたものが何者なのか。それを理解するのにしばらくかかった。どうやら橋のようであった。そして、それを構成するのは蜘蛛の巣である。どこからどこまで続くかはわからない橋がそこには架かっていた。

 そして、私を拾い上げたのは巨大な蜘蛛であった。時折見える頭部のような部位は人間の顔があるかのように見える。だが、基本的にはひらすら橋をつくる作業に忙しくしているようだった。


 これはアトラック=ナチャであろうか。

 アトラック=ナチャは蜘蛛の姿をした旧支配者だ。蜘蛛の姿をしていると言ったが、実際には蜘蛛がアトラック=ナチャの姿をしていると言った方が正確である。あらゆる蜘蛛はアトラック=ナチャの眷属であり、中生代に生み出された「アトラック=ナチャの子ら」であるのだ。

 アトラック=ナチャは覚醒の世界とドリームランドの間にある底なしの裂け目に蜘蛛の巣で橋をかけることに時間を費やしており、その橋が完成する時が二つの世界が終わる時だといわれている。

 私が食べた茶わん蒸しもアトラック=ナチャのつくったものだったのだろうか。


 つまり、私はその裂け目に落ちてきてしまっていたのだ。私はこれからどうなるのだろう。

 しかし、そんな心配はする必要はなかった。私の足はアトラック=ナチャの糸によって捕らえられていたが、次第に糸そのものに変わっていっていた。この侵蝕は足だけに留まらず、私の腰、腹、胸がどんどん糸に侵され、糸になっていった。

 そして、私の首も、顔も、頭も、脳も糸に変わった。私は世界が終わるまで、橋としてこの奈落をつなげ続けることになるのだろう。


 アトラック=ナチャはせわしなく糸を紡ぎ、橋をつくり続ける。

 私はその傍らでいつまでも放置されながらも、紡がれ、橋の一部とされるのを待ち続けていた。

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