第八話 幕の内弁当
太陽が昇り始め、小鳥のチュンチュンというさえずりが聞こえてきた。
爽やかな朝の目覚め、と言いたいところだが、その逆だった。仕事が終わって、今帰ってきたところだった。
カタログの校了に当たって、印刷所に出向いていた。
私が担当した記事は大した分量ではなかったが、取引先の会社の人たちがリニューアルした部分の校正にてんてこ舞いになっていたため、彼らに付き添って手伝いをしていた。いつの間にか夜も更け、そして夜が明け、こんな時間になってしまった。
取引先の会社の社長さんがラーメンでも奢るよ、と言ってくれたが断った。
連続三日ラーメンを食べていることになってしまうし、何よりクトゥルフお母さん食堂の商品を晩御飯にするのを楽しみにしているからだ。
もう朝方だが、私にとっては晩御飯前なのである。
◇
ルリエーマートのクトゥルフお母さん食堂にやって来た。
「あらぁ、麓郎ちゃん、おはよう。なんだかお疲れみたいねぇ。もしかして、寝てないの?」
クトゥルフお母さんが気遣いの言葉をかけてくれる。その言葉を嬉しく思いつつ返事する。
「さっきまで印刷所にカンヅメになってまして。もう眠いですよ」
クトゥルフお母さんは顔中の鱗をピシピシと震わせる。
「あらあらぁ、大変ねぇ。お仕事大変だと思うけど、しっかり休んでねぇ」
私は商品棚を見渡す。お弁当を食べたいと思った。
徹夜明けにはコンビニ弁当を食べながらビールを飲むのが好きだった。魂がこの世から抜け出ているような、フワフワした感覚のまま、ビールでほろ酔いするのが妙に心地いい。徹夜明けのすきっ腹にはお弁当がちょうどよく、油っこいコンビニ弁当にはビールがよく合う。
奇妙なトライアングルが成り立つのだ。
私は手ごろな値段の幕の内弁当に手を伸ばす。
「麓郎ちゃん、目の付けどころがいいわねぇー。これ結構、贅沢なお弁当なのよぉ」
チョイスをクトゥルフお母さんに褒められた。なんとなく照れ臭く思う。
そんな気持ちを隠しつつ、私はレジに進んでいった
◇
さっきも話したが、徹夜明けにはビールが飲みたい。
私は冷蔵庫から生ジョッキ缶を取り出した。これは何十年か前に爆発的なヒットになったビールで、店で飲む生ビールを再現したという変わり種のビールだ。ブームは去ったものの一部の熱狂的なファンが残ったたため、ロット数を抑えつつも現在まで生産が続いている。隠れた人気商品なのだ。
私もその愛好者の一人で、このビールを見かけるたびにいくつか買っているので、冷蔵庫には何本も貯まっている。
缶を開ける。普通の缶ビールだと飲み口の部分だけが開くところが、この缶だと食べ物の缶などと同じように上辺の部分がすべて開くようになっている。一瞬にして缶がビールジョッキに変わったかのようだ。
そして、缶を開けて一呼吸して泡がシュワシュワと湧いてくる。この感覚がたまらない。
泡が湧き切ったのを確認すると、一息に飲む。クリーミィな泡の舌触りが心地よく、決して邪魔にならない。
そして、ビール自体の味わいはフルーティでキレがあり、爽やかなものだ。苦みが少ないのは少し残念だが、甘いとさえ思えるその味わいはそれでも満足感がある。
ビールのアルコールで少しトロンとする。徹夜明けのビールはなかなかに効く。
さあ、お弁当を食べようかな。
お弁当を食べるに当たり、戦略が重要になることは、もはや異論を挟むものはいないだろう。
私はお弁当を眺めながら作戦を考える。
ご飯のエリアとおかずのエリアが分かれているが、それを跨って鮭が陣取っている。
そして、その脇に牛すき焼き、その奥にタルタルソースの乗っかったエビフライ、少しご飯よりの場所に卵焼き。
この辺りがこのお弁当のメインであろう。
さらに、奥まった場所に、高菜と油揚げの炒め、タケノコの煮物、お漬物がある。
ご飯の上には日の丸よろしく梅干しが乗っている。
まずは鮭を食べる。炭焼きなのだろうか。香ばしい焼け加減が職人の仕事ぶりを思わせる。淡白な味わいと塩加減がちょうどよく、そのまま白飯を口にする。ご飯と鮭、これは抜群の相性だ。まるで長年連れ添った夫婦であるかのように何の違和感もないコンビネーションを感じさせる。なにより、日本人なら古来から抱いてきた海への憧れを喚起させるのにふさわしい美味さだった。
おかずが多めである以上、食べるご飯の量を調整しながら食べていく必要がある。
魚介や肉と野菜系を交互に味わうことで、味覚をリフレッシュすることも大切だ。
だが、ここで敢えて私は牛すき焼きを食べる。
牛肉な高貴な旨味が口いっぱいに広がる。かの食通・海原氏も牛肉を最も美味く食べる方法と言っていたが(※注)、すき焼きダレの甘い味付けが濃厚で、肉の風味を完全に活かしている。そして、その肉も弾力があり歯ごたえがありながら、いざ噛み砕こうとすると不定形生物でもあるかのようにとろけるように口内に入ってくる。これはまさに極上の肉だった。
この味わいに感動した私はわけもなくピョンピョンと飛び跳ねる。
肉の濃厚さをいったん切り替えるため、今度はタケノコの煮物に手を付ける。シャクシャクッとした独特の歯ごたえ。その風味は竹林のような静逸で荘厳なものをイメージさせる。だが、食べ進めていくうちにそのイメージはなぜか火星に変わった。火星の洞窟で雄大に生きる巨大な植物が私の空想の中にあった。
エビフライを口にする。先端の部分にだけタルタルソースがかかっているが、贅沢にもその部分を一口でかじる。海老の風味に卵とマヨネーズの絶対的な美味さが加わる。不味いわけがない。私はそのまま白米もかっこむ。これこそ純粋な旨味だ。その旨味はまるで猟犬か何かのように私の心を追いかけてくるようだった。耐え切れずに、残りのエビフライも平らげてしまう。
梅干しをかじる。その酸味が口中に行き渡る。だが、ただ酸っぱいだけではない。爽やかな旨味が濃縮されている。やはり日本人なら梅干しだろう。いや、むしろ、地球人ならと言い換えたい。地球の根源的なエネルギーが伝わってくるような気がした。この酸味のエネルギーを逃さないようにご飯を口いっぱいに頬張った。
ここですでにご飯は半分ほどに減っていた。おかずはそれ以上に残っている。やはり、梅干しはご飯の消費量が大きい。
ここからは今まで以上にご飯を有効活用していく必要があるだろう。
それを踏まえつつ卵焼きを口にする。卵焼きは甘いので、ご飯を消費しなくてもいい。だが、鮭に醤油をかけた際に一緒にかけてしまったため、しょっぱくもある。少しだけご飯を口に入れる。
高菜と油揚げの煮物。これも逸品だった。高菜が中華ダシで尖がった味付けをされているのを、名脇役たる油揚げが見事にフォローしている。このお弁当の中でも際立つ存在でありながらも調和がとれている。野菜料理でこれができているのがすごい。これもまたご飯のすすむ一品であるが、ここはビールを飲む。私の采配も捨てたものではあるまい。
残りの鮭を食べる。やはりご飯によく合う。
そして、手を付けていなかった漬物だが、金色といってもいい見事な輝きをしていた。シャクシャクと心地よい噛み応え。どことなく粘着性を感じさせるところも味わいに奥行きを感じさせる。ご飯もこれですべてがなくなる。
牛すき焼きは単品で食べて、その余韻をビールで流す。贅沢な締めとなった。
◇
私は満腹感を感じながら、ビールをもう一缶開けた。生ジョッキ缶は美味い。一缶では物足りなさがある。
そう思いつつ二本目を飲んでいたが、さすがにビールに飽き始めていた。お腹もタプタプになってきている。ビールは一本で十分なものだ。
そんなことを思いながらもまどろみ始めていた。食卓で寝てしまうのはよくない。私は寝床に向かおうとした。
立ち上がろうとした瞬間、私は一つのことに気づいた。踏み出すべき足がなかった。私は踏み出すことができずに転倒する。
倒れ込んだ先で私の足を巨大な魚のようなものが食べていることがわかった。それは二匹いて、それぞれが右足と左足を食べている。まるで
そこまで考えて気づく。まさか、ダゴンとハイドラだろうか。
以前に私の食べた鮭はハイドラであった。それは別のハイドラであったのだが、今回は母なるハイドラそのものなのだろうか。そして、ダゴンは穀物の神でもある。私の食べた白飯は父なるダゴンを炊き込んだものであったというのか。
やがて、私の右腕も咀嚼されていることに気づいた。食べている存在がにやにやと笑っているのがわかる。産毛で覆われたカエルのようなその顔からツァトゥグアを連想する。牛すき焼きは地底世界に住まう聖なる
左腕は雑に食い破られた。鋭角に斬撃が走っていく。角度の鋭さとは対照的に鈍い痛みに私は悲鳴を上げる。これはティンダロスの猟犬か。エビフライの正体は禍々しき狩人であった。ティンダロスの猟犬から身を守るには鈍角を探せばよいとされているが、そんな時間はない。私は苦痛にあえぎながら、食い尽くされるのを待つしかない。
私の腹を貫いて出てきたのは植物だった。樹木のように太い幹が私の体を養分にして膨れ上がる。そして、私の胸に一輪の可憐な花が咲く。まるで妖精のような赤い華やかな花だった。これは火星の洞窟に住まうという旧支配者ヴルトゥームであろう。タケノコの煮物は彼のものであった。
私は肉体のほどんどを失い、残されたのは頭だけであった。
残された脳の中に地球の記憶が走馬灯のように流れていく。私の食べた梅干しはウボ=サスラであった。太古の地球に飛来して地球上のすべての生命を創造したという神であった。私は彼の記憶の中で
そして思う。私は死なないのだな。
矛盾しているようだが、私は地球の記憶となって生き続ける。その記憶こそが原初の地球で生命を生み出した原動力となるのだ。
私は地球の数多の生命がなければ生まれてくることはなかった。それと同時に地球の数多の生命も私がいなければ生まれてくることはなかったのだ。
生命は循環する。時間も循環する。
私はウボ=サスラの中で地球の生命として生き続ける。
※注:「美味しんぼ」の海原雄山氏の言葉だとすれば、「牛肉を一番まずく食べる方法だろう」です。麓郎氏は間違えています。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます