第二十四話 にしんそば
今日は妹を一人、預かることになっていた。
猛暑の中、珍しく降った雨の中、傘を差して駅まで向かう。
褐色の肌の少女が駅前で佇んでいるのを確認した。ひとまず、無事に着いていることを喜ぶ。小学校低学年の女児が一人で電車に乗るというだけで、なんとなく心配してしまっていた。
「
声をかけると少女がこちらを振り向き、ニコっと笑顔を見せる。
クリっとしたドングリ眼が可愛らしい。黒い肌にチリ毛の毛髪、彼女は黒人と日本人のハーフだった。
彼女は私の両親が引き取った子供の一人で、その中でも仲の良い女の子だ。とはいえ、私は彼女の出生もよく知らないし、知ろうとも思っていない。それは、ほかの妹たちとも同じだった。
「麓郎くんだ」
彼女――佳ちゃんは私を見てニコニコと笑う。
私の両親が揃って急な用事があるということで、家にいる妹たちは親戚縁者のもとに預けられることになっていた。そんな中、佳ちゃんが私のところに行きたいと主張したらしく、私は一日だけ彼女を引き取ることになったのだ。
佳ちゃんは年少の妹ではあるが、家にいる時にはよく遊んだし、私が引っ越すときについて来たりと、何かと付き合いがあった。写真を撮る時に、私の持っている古い記録媒体であるブルーレイディスクを噛みながら決め顔をしたり(ブルーレイは破損した)するなど、問題行動も多いのだが。それも数年経っているので収まっていることを期待したい。
そういうわけで、私は佳ちゃんと手をつないで、ルリエーマートのクトゥルフお母さん食堂へ行くことにした。
◇
ルリエーマートのクトゥルフお母さん食堂にやって来た。
「あらぁ、麓郎ちゃん、いらっしゃい。今日は可愛い子を連れているのねぇ」
クトゥルフお母さんが私と
「この子はうちの妹で、なんか今日預かることになったんですよ」
なぜか、早口でクトゥルフお母さんに言い訳してしまった。そのまま、早口で佳ちゃんに尋ねる。
「何か、食べたいものある?」
そう言うと、佳ちゃんは一つの商品を指差す。それは、にしんそばだった。
「あらぁ、見る目あるのねぇ。それはいいものよぉ」
クトゥルフお母さんが太鼓判を押してくれる。
「佳ちゃん、それでいいの? お肉とか、そばでも冷たいのもあるし」
私は心配で佳ちゃんに確認してしまった。
「これがいい」
佳ちゃんは
「麓郎ちゃん、これ、買ってあげたら。とても美味しいから、問題ないわよ」
クトゥルフお母さんは人差し指を立てながら、太鼓判を押してくれた。その指先からは、自然と炎が燃え上がっている。
クトゥルフお母さんは老若男女あらゆる相手に商売をしている。そんな彼女がそこまで言ってくれるのだ。だったら、問題ないと思っていいだろう。
私は佳ちゃんとともに、そばを二人分買ってレジに進んだ。
◇
家に帰ってきた。
彼女の前で酒を飲むのもよくないので、今日は麦茶にしておこう。
麦茶を二人分グラスにとくとくと入れる。透明感のある小麦色が美しい。
その色合いに感動を覚えつつ、口に近づける。麦の香ばしい香りが鼻先に広がった。一気にぐびりと飲み干すと、冷たい感触が喉を通り抜ける。全身に水分が行き渡っていくような気がした。
久しぶりに飲むと、麦茶とは美味しいものだ。
「麓朗くん、ジュース飲も」
とはいえ、佳ちゃんは麦茶を喜んでいないようだった。
「カルピスあるから食事の後に飲もうね」
私は適当にごまかす。チーンと音が鳴り、にしんそばができたのを知った。
片方を佳ちゃんの前に置き、もうひとつを私の前に置く。
温めることでゼラチン状になっていたつゆが溶けていく仕組みのものなので、ふたを開けるだけで食べられる状態になっていた。
「それじゃ、いただきます」
「いただきます」
まず麺をすする。そばの温かさが伝わってきた。噛みしめることで蕎麦の独特な香りが口の中に広がっていく。出汁の効いたつゆの味わいが後から感じられ、確かな満足感を得られる。
素そばを味わったので、続いてにしんを食べてみよう。
身が柔らかいため、箸でつつくだけで簡単に切り分けられる。ほろほろと身が崩れ、つゆと溶け合うようだ。
にしんの身を掴んでそばと一緒にすする。にしんの魚らしい香りと甘露の甘さがそばとよく合った。にしんは口の中で溶けていくようだが、それでいてしっかりした肉質もあり、豊かな味わいがある。まるでその姿を自在に変化させているかのようだ。
上品な味わいながらも満足感があった。つゆもすすってみるが、醤油と魚介系の出汁に甘露の甘さが加わって、新しい旨味を感じられる。
ネギとカマボコもトッピングされており、ネギは爽やかな香りを、カマボコは柔和な歯ごたえで蕎麦の邪魔をせず、新鮮な旨味を追加してくれる。
一通り食べたので、七味を加えて味を少し変える。ピリッとした辛さと複雑な香りが加えられ、より一層食欲が推進される。勢いのままそばを平らげていく。
◇
にしんそばを食べ終えて一息つき、
どこか目の焦点が合わず、顔の影が濃いように思えた。彼女の褐色の肌がより黒くなっているようだった。
「佳ちゃん……」
声をかけると、その目がギョロリと私を見た。その目は血走っており真っ赤に見える。そして、額に傷が走ったかと思うと、その傷口が開き、まるで第三の眼のような異相となった。
「ああ、なるほど。お前は確か、麓郎……だったな。その体、その魂、輪廻を繰り返して歪みに拍車がかかっておる」
そういうと、佳ちゃんはクックックッと含み笑いする。
しかし、私には何のことかよくわからない。
「へ? 何が? どうかしたの?」
思わず口から疑問が湧いて出る。そんな私の様子を見て、佳ちゃんは狂ったように笑った。
「愚か者が、笑わしよるわ。お前の父の行った、あの
そして、これほどに悪夢めいた、残酷な事態を繰り返しながら、何もわかっていないとはのう」
大声で笑う佳ちゃんの背後に大きな影が現れた。大柄な
それでいて、目の前の佳ちゃんは先ほどから変わりなく、真っ赤な三つの眼で私を睨んでいるのだ。
「え、えぇー……」
私はただうろたえるしかできなかった。
そんな私めがけて影の長い顔が鞭のようにしなると、影の私の頭に迫り、突き刺さった。すると、影はシュルシュルと小さくなり、佳ちゃんと同じ大きさに戻っていった。
「一度くらいは我が手で直々に与えてくれるわ。また会うこともあろう。せいぜい繰り返すがよい」
佳ちゃんはそう言うと、額の眼が次第に閉じていく。充血していた赤い眼も次第に元の色に戻っていった。
それに対して、異変が起きたのは私の方だった。急激に体が痺れていくような感覚があった。呼吸もだんだん苦しくなってきた。頭がズキンズキンと痛み、何か耳鳴りのような音が鳴り響き続ける。皮膚を見ると、みるみるうちに黄土色に変色していくのがわかった。それだけでなく、全身に大きな
ゲボッ
急激な吐き気に襲われ、思わず嘔吐した。しかし、喉の筋肉もまともに動いていないのか、それは口から吐き出されることもできず、喉元に留まった。
意識が薄れかける中、私はつぶやく。
「あ、あれは、ニャルラト……テ……プ……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます