第三十九話 秋刀魚の味

 日本映画の零落は今に始まったことではなかった。


 今日は編集者さんに誘われて映画に来ていた。映画を観るのは楽しい。そして、その楽しさを最大限に味わうには何も知らない映画を観るのがいいだろう。

 そんなわけで誘われるがままに映画を観るというのも一興だった。これは本当に何も知らずに映画を選べるからだ。


 その編集者さんの会社の本社は映画会社で、今回観るのもその会社の映画だ。そのおかげか、無料ただで観られるという。

 もっとも、条件はあるわけだが。


 映画を観終わった私たちはニコニコと笑顔のまま、劇場から出てくる。そして、その出口付近にいる記者ロボットに、笑顔のまま朗らかに感想を語った。もちろん、点数は100点満点中の100点だ。

 やはり、笑顔を保ったまま映画館を後にし、しばらく経つと、私と編集者はニコニコした顔のままお互いを見て、深々とため息を吐いた。その顔は憎々し気なものとなっていた。


「だから邦画はダメなんだよ!」

 地元近くの喫茶店に場所を変え、二人で今日観た映画について話していた。この暴言は私でなく、編集者のものだが、私としてもある程度は同意する。

 邦画はもうダメだ。死んでしまった。そう思うことは多々ある。


 しかし、邦画にも華やかなりし時代はあったのだ。

 黒澤明、溝口健二、小津安二郎。そんな名前を聞いたことがあるのではないだろうか。彼らは先鋭的な映像美と娯楽性を併せ持ち、国際的に映画界をリードした偉人たちだ。

 現代においては、派手さとエンタメ性で黒澤明が知名度トップに立つだろうが、筆頭には小津安二郎を置くべきだ、という声もある。


 まあ、偉そうに映画通ぶってみようとしたものの、私はあまり映画を観ていない。

 溝口健二は一本も観ていないし、黒澤明も数本しか観ていない。「七人の侍」を観たら、「菊千代ぉぉぉぉっぉぉぉぉぉお!!!!」と叫ぶ程度の映画ファンだ。


 小津安二郎も「東京物語」と「秋刀魚の味」しか観ていない。小津映画はその二つさえ観ていれば事足りる、と誰かが言っていたからだ。

「東京物語」は正直よくわからなかった。上京した老夫婦が周囲の人々から邪険にされるというストーリーだが、あまりにのんびりした映画だからか、のめり込むことができなかった。ただ、今なお鮮明に思い出せるシーンが多いので、あまりに上質過ぎて味がわからない、という現象かもしれない。


 反面、「秋刀魚の味」は面白かった。

 適齢期の娘を嫁に行かせるべきかどうか、老境に入りつつある男寡おとこやもめが迷う、というストーリーの映画だ。ところが、この映画にはタイトルになっている秋刀魚は出てこない。印象的な食べ物ははもの茶わん蒸しだ。

 主人公の感じるほろ苦さ、それこそが「秋刀魚の味」なのだ。そういう意味合いらしい。


 さて、そんなことを考えていたら、秋刀魚を食べたくなってきたので、ルリエーマートのクトゥルフお母さん食堂に行くことにしよう。


        ◇


 ルリエーマートのクトゥルフお母さん食堂にやって来た。

「あらぁ、麓郎ちゃん、いらっしゃい。今日は随分日が早いのに来るのねぇ」

 クトゥルフお母さんが出迎えてくれる。しかし、その言葉は少し心外だった。

「その、昼過ぎに起きてばかりじゃ……」

 言っていて、なんだか情けなくなってきた。こんな言い方じゃ、いつも昼過ぎに起きているみたいじゃないか。そうだけど。


「今日は秋刀魚を食べたいなあと思ってきたんだけど、ないかな?」

 よく考えるとコンビニエンスストアーに秋刀魚はあまりないかもしれない。そう思うと、語尾が弱くなってしまう。

「うふふ。あるのよぉ」

 それに対して、クトゥルフお母さんは笑顔で答えてくれた。

「がんばって掴まえてきたんだから、じっくり味わってねぇ。

 ただ、まだ調理中なのよぉ。ちょっと見てくるねぇ」


 クトゥルフお母さんはそう言うと、2階への階段を上っていく。

 ついつい、その姿に見惚れていると、スカートの奥の青白い鱗のびっしりと生えた艶めかしいふくらはぎが露になっていた。私はぶんぶんと頭を振るい、見なかったことにする。


        ◇


 秋刀魚を食べるに当たって、必要なものってなんだろうか。

 まずはご飯だろう。あの重厚な味の前にあって、白米がないのでは話にならない。

 実はルリエーマートに行く前にご飯を炊いておいたのだ。家に帰ってくると、タイミングよく炊飯器がピーピーと鳴った。


 もう一つ。味噌汁もつくろう。

 とはいえ、せっかく焼きたての秋刀魚を買ってきたのだ。すぐに食べ始めてしまいたい。

 味噌汁はインスタントでいいだろう。長ネギと豆腐のお味噌汁だ。


 そして、忘れてはいけないのが酒だ。

 今日はウォッカだ。ウォッカとはロシア語で水のことである。正確には「少しの水」とでも訳すべきだろうか。

 ロシア人はウォッカを水のように飲む。ウォッカとは水なのだ。秋刀魚の複雑な風味を楽しむうえで、余計な味わいのないウォッカは相応しいお酒だといえる。


 ウォッカは冷凍庫で冷やしておく。アルコール度数が高いので凍ることはない。それをグラスに注いで一息に飲む。これがロシア人の正しいウォッカの飲み方だ。昔読んだ漫画に書いてあった。

 癖がないスッキリした味わいだが、アルコールは強い。冷たいウォッカが舌と喉を焼き、頭がクラッとする。

 ウォッカを飲み干した私はもうロシア人だといっていいだろう。ロシア人として、これから秋刀魚を食べよう。ロシア人だって秋刀魚を食べることくらいあるわい。


 それでは秋刀魚を食べる。添付の大根おろしを秋刀魚に添え、醤油をかけた。秋刀魚は背骨に沿って箸で切り込みを入れて、肉と骨を分ける。些細なことだが、この秋刀魚は短い触手がついているのが特徴のようだ。

 まずは秋刀魚だけで食べよう。香ばしい独特の香りが食欲をそそる。脂がしっかり乗っており、口に入れた瞬間にその旨味が弾けるように伝わってくる。これは美味い! この旨さのエネルギーはご飯を頬張ることで発散しなくてはならない。急いでご飯を口の中に入れる。ご飯と秋刀魚、これは抜群の相性だ。さらに味噌汁を飲む。焼き魚、ご飯、味噌汁の流れはどんなものより美しい食のサークルだった。

 日本人で良かったと思う瞬間である。いや、今はロシア人であった。ウォッカを一口飲む。


 この秋刀魚にははらわたも付いているので、敢えてはらわたを取って口に入れる。秋刀魚を食べる喜びははらわたにあるともいえるだろう。

 秋刀魚、甘いかしょっぱいか。秋刀魚には苦みもあるのだ。この苦みと旨味のバランスこそが秋刀魚の独特の味わいを形作っているといえよう。うーん、酒が進む。


 大根おろしも一緒に食べる。大根おろしの爽やかさが秋刀魚をまた別の次元へと連れていってくれる。秋刀魚の脂っこさと大根おろしの清々しさが互いの良さを引き立て、悪い部分を打ち消している。さらにご飯を食べる。こいつはどれだけご飯があっても足りやしないぜ。


 添付されていたのは大根おろしだけではなかった。かぼすの果汁も入っていた。これを満を持してかける。未知なるかぼすを秋刀魚に求めようではないか。

 秋刀魚にはすだちという意見もあるかもしれないが、かぼすもまたいいものである。すだちの刺激的な酸味に比して、かぼすの上品な酸っぱさが秋刀魚の複雑な味わいを邪魔することなく、また新鮮な味覚を提供してくれた。


        ◇


 秋刀魚はやはり美味しい。ついつい、ご飯を食べすぎてしまった。

 ベルトを緩めてお腹をさする。


 ぼんやりしていると、地震が起こった。最初は緩やかで小さい揺れだったが、急に激しくなる。

 私は立ち上がり様子を見る。すぐに終わるだろうかと思ったが、なかなか止まらない。テーブルの下に隠れた方がいいだろうか。

 そう思った瞬間、地面から何かが飛び出してきた。その何かは私の頬を掠め、天井を貫いて去っていく。頬からは血が流れていた。ズキズキと痛む。


 しかし、それだけでは終わらない。頬の痛みなど気にしている暇はなかった。

 次々に何かが飛び出て私と私の部屋を荒らし、そして去っていく。地震は止まる気配がなかったが、このものたちが起こしているのかもしれない。私の腕は、足は、腹は、胸は、顔は傷だらけになっていった。

 そして、ずぶりと腹に何かが刺さった。血がどくどくと流れるが、腹は何かを捕まえていた。

 腹を見ると、触手がうねうねと動く何かが突き刺さっている。それは秋刀魚のように先端が尖った形状であり、秋刀魚のように青光りしているが、触手があることからイカのようにも見える。


 これはクト―ニアンだろうか。

 地中や岩盤を掘って暮らす生物であるが、シュド=メルという旧支配者に支配され、テレパシーによって意思疎通を行うといわれていた。クト―ニアンの生命は永く、少しずつしか出産しないためか、卵や子供を傷つけるものには全力で立ち向かう。


 私が食べたのはクト―ニアンの子供だったのだろう。彼らは私に復讐するつもりなのだ。

 大量のクト―ニアンが衝突し、私はズタボロになっていく。腕は千切れて、骨は折れ、もう肩から落ちそうになっている。足は傷だらけで、肉と骨がむき出しになり、もはや立っているどころではない。腹にも胸にもクト―ニアンが喰らいついており、私の臓物はほとんどが喰われていた。

 揺れの激しさは止まることなく、徐々に強くなり続けている。戸棚やテーブルからは食器や調味料、備蓄の食べ物やビンが落ち、床に散乱していった。


 ついに巨大な揺れが起きたと思うと、私の家が完全に崩れ去る。そうして現れたのは巨大なクト―ニアンであった。これがシュド=メルなのだろうか。

 シュド=メルは触手を伸ばして私を捕らえると、闇が広がる口の中に押し込めていく。私は唾液にまみれた。唾液は身体中の傷を侵食し、傷口を刺激する。そして、その歯によってゆっくりと咀嚼され、私の身体は次第にバラバラになり、さらなる深奥に吞まれていった。

 やがて、私の頭も脳も噛み砕かれる。私の意識も闇の中に消えていった。

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