第二十六話 唐揚げ弁当

 今日も取材に行ってきた。

 牧場の取材の続きである。といっても、そこまで遠い場所ではなかったため、日帰りで戻ってくることができた。


 牧場とはいうが、馬だけがいる小さな厩舎のような場所だ。

 馬はまばらに放たれており、すでにミュータント化しているのか、異相の馬ばかりだ。その中でもひと際目に着いたのは、全身を白い毛で覆われた、馬とも思えないようなチンチクリンな風体をした馬だった。さらにおかしなことに、頭の上に野ネズミが乗っかっており、ネズミはまるで乗馬をしているかのようなたたずまいで、その馬を操縦しているようだった。

 牧場の人に馬の頭にネズミが乗っていると告げたものの、それを当たり前のように流されてしまう。どうやら、そんなものらしい。


 その馬の毛は地面まで垂れ下がるほど長く、真っ白だった。口は耳の近くまで裂けており、顔のほとんどが口というありさまだ。そして、前足と後足がそれぞれ4本ずつあった。

 野ネズミは普通のネズミのようであったが、帰りがけにもう一度見ると舞い降りてきたとんびに搔っ攫われているところだった。


 取材の本題にあまり関わらない、ここで書ける話でいうとこんな感じだった。

 帰りも馬だったため、思ったよりも体力を消耗している。腹が減った。


 ルリエーマートのクトゥルフお母さん食堂に寄って帰ろう。


        ◇


 ルリエーマートのクトゥルフお母さん食堂にやって来た。

「あらぁ、麓郎ちゃん、いらっしゃい。今日もお疲れのようねぇ」

 クトゥルフお母さんが労ってくれる。実際に私は疲れていた。それより何より、お腹が減っていた。ぐぐぅーと腹が鳴っているほどだ。お腹が鳴るほどにお腹が減るとは、今時珍しいほどのわかりやすさだ。

「うふふ。お腹が減っているのね。今日は何をお求めかしら? お弁当がいいかなぁ」

 クトゥルフお母さんの微笑みとともに、その背中の翼も小刻みに揺れた。


 彼女の言葉に従って、お弁当を見てみることにする。弁当の種類はさすがに多い。大きく分ければ、和食系、洋食系、中華系とあるが、その中で、今一つどのカテゴリに入るかわからないものを手にすることにした。

 唐揚げ弁当だった。オーソドックスながら、いつ食べても美味しく、満腹感もある。これを嫌いな人はほとんどいないのではないだろうか。


「麓郎ちゃん、今日、お馬さん見に行ったんじゃない?」

 唐揚げ弁当を選んだ私にクトゥルフお母さんが話しかけてきた。ドキリとする。そんなに馬臭かっただろうか。

「でしょ! だから、それが食べたくなったのね」

 クトゥルフお母さんは自分の推理が当たったことに大喜びだ。私は彼女の言葉が不可解だと思いつつも、あまり気にせずにレジまで進んでいった。


        ◇


 さて、今日の疲れを労うのにすべきことがある。当然、酒を飲むことである。真夏の労働者であるならば、その酒はビールであるべきだろう。

 銀色に輝く辛口の麦酒を買ってある。


 グラスにビールを入れはじめた。初めはドボドボと大胆に注ぎ、三分の一くらい入ったら、グラスを倒して静かに注ごう。残りはひらすらチョロチョロと辛抱強く少しずつ注ぐ。こうするとビールと泡の配分が黄金比になるのだ。何かの漫画に描いてあった。


 その美しさに満足したら、一気に喉元に流し込もう。

 さらりとした飲み口で、切れ味が冴えている! らしい。このビールの宣伝文句によれば。

 確かに言われてみれば辛口である。そして、冷え切ったビールは何物にも代えがたい美味しさがある。清涼感が喉を通っていくかのようである。

 ただ、どのビールも同じような素晴らしさは感じるし、取り立ててこのビールでなければ、とは思わない。ビール会社はどこも切磋琢磨して美味しさの底上げをし続けているということだろう。


 では、唐揚げを食べよう。

 弁当箱の中に鎮座すると肉の塊を口にする。噛みしめると、ゴロッとした肉の厚さが感じられ、口の中で肉汁があふれてくる。唐揚げの衣の中に閉じ込められた肉の旨さを一気に解放するかのようだ。

 衣についた味付けは塩辛めだが、その分だけご飯が進む。唐揚げを噛みしめつつ、ご飯も口一杯に頬張っていく。これほど幸せなことがあるだろうか。一日の労働で疲れ切り、失われたエネルギーを今取り戻しているのだ。自分の体の中の燃え尽きつつある内燃機関が再び燃え上がり始める、そんな感覚だった。


 この唐揚げ弁当には唐揚げと白米のほかに、タクワンがついている。唐揚げを一つ食べ終わったので、これに手を出してみよう。

 シャクシャクしたいい歯ごたえが心地よく、味もしっかりしていて美味だ。ご飯にもよく合う。


 ちょっとした箸休めをしたところで、唐揚げをもう一つ。

 噛みしめると、チーズのようにとろけるような、まろやかな舌触りが感じられた。唐揚げ一つごとに違った美味しさを味あわせてくれるのだろうか。

 そして、もう一つ。今度は肉の旨さがガツンとくるような衝撃的な旨さに、弾力のある噛み心地。それでいて柔らかく、口の中に入ってくると溶けていくようだった。鶏肉としての美味しさもあるが、それとは別の何か……、そう牛か馬のような本格的な赤身肉の味わいがあるかのようだった。


 これは美味しい。気がついた時には、弁当箱の中身は空になってしまっていた。一瞬で食べきってしまったような錯覚がある。

 満足感と、少しの寂しさを感じつつ、私は箸を置いた。


        ◇


 ひと心地ついた私は奇妙な音を聞いた。


――シャクシャクシャク


 何かの動物の音のように感じた。しかし、近くに動物なんているはずがない。家の外から聞こえているようにも思えない。

 だが、そんな疑問とは裏腹にその音は次第に近くなってくる。いや、近くなっているのではない。大きくなってきているのだ。


――シャク


 その音が自分の体内で鳴っているのだと実感を持った時、その音と同時に激痛が私を襲った。悶絶するような痛みとともに、私の腹は馬のような顔をした奇妙な生物に食い破られていた。

 腹からは血がボトボトと流れ、私の意識は遠くなりかける。


――シャクシャク


 だが、それでも馬のような生物はなおも私の身体を食い破ろうとする。血が噴き出され、私の部屋中を赤く染めていった。あまりの激痛で失いかけていた意識も戻る。

 私の腹は完全に食い破られ、腹から下の半身は私の胴体から離れた。そして、残った私の上半身は馬のような生物の背に転がり込んでいた。だが、その背は馬のものではなかった。鳥のような翼を持ち羽毛に覆われた体なのである。


 これが話に聞くシャンタク鳥なのだろうか。

 馬のような頭に鳥の身体を持つ巨大なクリーチャー。ドリームランド(夢の世界)に生息するといわれるが、現実の世界にも存在するという証言も少なからず存在する。ニャルラトホテプや忘れられた神ゴル=ゴロスに仕えるとされる。

 乗り物として騎乗することも可能だというが、乗ったが最後、その行き先は……盲目にして白痴の魔王アザトースの膝下だといわれている。


 シャンタク鳥は羽ばたき始め、やがて宙を舞った。そして、大空へと飛び立ち、いずこかもわからぬ異様な空間を飛び続ける。

 それは一瞬のようでもあったし、永遠のように長くもあった。いくつもの夜を越え、昼を越え、様々な山脈と海と宇宙を越えていった。通り過ぎていった場所は万華鏡のように美しくも不可解な景色だと思えたし、悪夢のように不条理を繰り返す暗澹たるもののようにも思えた。

 それでも、私には行く先がわかっていた。


 ああ、ついにアザトースの元へ行くんだ……。


 しかし、私の意識はここまでだった。度重なる出血は、時とともに私の考える力を奪い、私の生命を確実に擦り減らしていたのだ。

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