第四十一話 あんみつ

 頭が重い。気を抜くと、ぼぉーとしてしまう。


 朝起きてから、ずっとパズルをしていた。三色の四角形を、それぞれ同色でくっつけるというシンプルな内容だったのだが、これが意外と奥が深い。

 さまざまな制約の中でパズルを動かすことは難しく、正解を見つけたと思っても、すぐににっちもさっちもいかなくなったりする。これはパズルの制作者の意のままなのだろう。プレイヤーの心理を熟知し、どうすれば閃くか、どうすれば迷うか、そして、どうすれば詰まるかをわかっているのだ。


 そんなことをしているうちに時間が過ぎる。頭をフル回転させながら、パズルを解いていた。

 そんな時、パズルから労いの言葉が響く。

「適度に休憩を取ってくださいね」

 私が朝から何も食べずに一心不乱にパズルを解いていることをパズル制作者は知っていたというのか。タイミングもちょうどいいし、ご飯でも食べようかな。


 そうは思ったが、その前に少しだけ別の遊びをすることにした。

 早押しクイズだ。これはインターネットで1VS1で勝負できる。ある程度、実力の近しい相手がマッチングされるので、飽きずに楽しめる。

 早押しクイズというのは意外と奥が深い。問題の読み上げ時に問題の内容を把握し、先に答えた方がポイントを得られるのだが、無論、引っ掛けもある。知らない問題だとしても、自分の中の知識を手繰り寄せれば、正解を引き当てることもできた。

 これは、問題の理解力、裏を読む洞察力、正解を読み当てる推理力、早押しする度胸、それらの裏付けとなる知識量。そのすべてを試される究極の勝負なのだ。焦れば敗北し、冷静さを失ったものに栄光はない。


「ムキィ―ッ!」


 私は吠えていた。

 全然勝てないではないか。全然知っている問題が来ないではないか。

 イライラが最高潮に達してくる。そのイライラを解消すべく勝負に挑むが、いったい何連敗目であろうか。


 ふと、冷静になって窓を見る。すでに空はオレンジ色の夕日が沈み始めていた。グキュゥウという腹の音も鳴る。

 お腹が減っていた。というか、一日をどれだけ無駄にしたのだろう。それに、知恵熱が出るように頭が重かった。


 まあ、いいさ。

 深く考えることはやめ、私はルリエーマートのクトゥルフお母さん食堂に行くことにした。何か食べるものを買わなくては。


        ◇


 ルリエーマートのクトゥルフお母さん食堂にやって来た。

「あらぁ、麓郎ちゃん、いらっしゃい。うふふ、今日はお休みを満喫しているのねぇ」

 クトゥルフお母さんは私を労ってくれない。むしろ、なんでバレてるんだ。

「いやぁ、今日はいろいろ大変だったんだよ、うん、大変だった」

 すでにバレているのにも関わらず、私はなぜか取り繕うようなことを言った。言葉を発しながら、自分の痛々しさに悶えそうになる


「うふふ、それで今日は何が欲しいのかしらぁ」

 クトゥルフお母さんが尋ねてくる。クトゥルフお母さんが右手で触手をかき分けると、さらさらの触手がきらめくようになびいていく。

 その姿に見惚れながらも、私は言葉を紡いだ。

「なんだか頭が疲れて重いから、糖分のあるものがほしいんだよね。お薦めのスイーツはあるかな?」

 そう尋ねると、クトゥルフお母さんは頬に人差し指を当て、少し考え込んだ。そして、すぐに明るい笑顔になり、私におススメを教えてくれる。


「今日はあんみつが入ってるんだけど、それならどうかしらぁ」

 あんみつとは久しぶりに聞く言葉である。そんなのあるのと言わんばかりに、私の嗅覚が敏感になっていくのを感じた。

「あんみつは和風スイーツだけど、フルーツや具材も多いし、麓郎ちゃんにぴったりじゃないかしらぁ」

 クトゥルフお母さんに言われると、なるほど確かに、と思えてくる。


 私は薦められたあんみつを手に持ってみた。ずしりと重い。これは食べ出がありそうだ。

 ふと、自分が空腹であることに気づく。よく考えると、朝から何も食べていないのだ。現在の腹の減り方を思うとピッタリな食べ物だといえた。


        ◇


 さて、酒だ。

 甘味に酒など合うのかと思うかもしれないが、相応しいお酒があるのだ。


 抹茶のリキュールといわれるヘルメスグリーンティを用意していた。

 どんなお酒か、まずは一口飲んでみよう。抹茶の香りは確かにあるが、甘すぎる。このまま飲むような酒ではない。

 珍しく、カクテルを作ることにしよう。


 グリーンティをグラスに注ぎ、その半分の量の牛乳とウォッカを入れて、かき混ぜる。草原を意味するグリーンフィールズというカクテルの出来上がりだ。グリーンとホワイトが混ざり合った色合いが美しい。

 これはグリーンティの瓶の裏側に作り方が書いてあった。シェイクしろとかふざけたことが書いてあるが、かき混ぜておけばいいだろう。


 飲んでみよう。

 抹茶の味わいだが、やはり甘い。牛乳のまろやかさでは抑えきれないのか、ウォッカの香りが少し尖がっている。これはレシピが悪いのだろうか、私の作り方が悪いのだろうか。いまいち判然としない。これだからリキュールというやつは質が悪い。


 あんみつを食べることにする。

 まず、見た目が美しい。あんこを中心に、チェリー、みつまめ、パイン、緑色とピンク色の求肥ぎゅうひ、みかんに杏子あんずにプルーンが並んでいる。その下には寒天が沈んでいた。寒天はまるでぷるんぷるんと動いているかのようだ。

 そこに、備え付けの黒蜜をかけると、とろーりと意思でもあるかのように溶けていった。


 それでは食べることにしよう。

 最初はスタンダードにあんこと寒天で食べてみた。あんこの甘さは満足感のある甘さだ。西洋菓子の甘さと比較すると、どこかさっぱりとした印象がありつつも、腹持ちの良さを感じさせるものがあった。小豆の香ばしい匂いもいい。

 寒天のコリコリとした感触が合わさり、楽しい食感となる。シロップの爽やかな甘み、黒蜜の濃厚な甘さがグラデーションのように加わり、不思議と調和された味わいが出来上がっていく。

 これだけで、あんみつの完成された、しかし、どこかアンバランスな魅力が詰まっていた。


 ここで、グリーンフィールズを一口。うん、うん、うん。あんみつの甘さとグリーンティの甘さが致命的に合わない。

 別のカクテルを作ることにしよう。グラスに氷を入れて、グリーンティを少し、それに烏龍茶をとくとくと注いだ。緑色と茶色が混ざり合い、深い色合いが生まれる。照葉樹林というレシピだ。これも瓶の裏にある。

 抹茶の深い味わいと烏龍茶のドライな味わいが合わさって、いい感じ。甘さも抑えられたので、これならあんみつとも合うだろう。


 引き続き、あんみつを食べていく。

 パインは甘く、それ以上に酸っぱい。それがあんこや黒蜜の濃厚な甘さと加わり、重厚な味わいに変化する。シャリシャリとした食感も楽しく、寒天と合わさると合奏しているかのような楽しさがあった。


 求肥の食感も面白い。モチモチとしているが、お餅よりも歯応えが強く、独特の食感だ。緑色の求肥はヨモギの香りで、ピンク色の求肥は桜餅のような甘い香り。これも、寒天と合わさるとまた美味しい。

 寒天の食感と包容力は目を見張るものがある。


 みかんは甘く酸っぱい。このバランスがいい。寒天との相性も言わずもがなだ。

 杏子は酸味が強く香りが高い。爽やかさを感じるがやはり甘みも強い。

 プルーンは甘味が強く、ずっしりと重い。たっぷりの甘さは寒天との相性が抜群だ。

 それぞれに美味しいのだが、これにみつまめの独特の風味が加わると、得も言われぬ味わいとなる。みつまめは甘く香ばしい。じょりっとした特有の歯応えがあり、新しい美味しさへの扉を開いている。


 甘いものを食べていて実感することは、「美味い」の語源は「甘い」であるということ。それだけで幸せがこみ上げてくる。

 甘いシロップとともに、残りの寒天とみつまめを味わいながら、私はそう思っていた。


        ◇


 気がつくと、涙を流していた。

 あんみつの美味しさに感動して、気づかないうちに涙を流していたのだろうか。


 そうではなかった。

 涙をぬぐうと、私の指には、黒い粘着質なものがどろぉっと纏わりついていた。これが私の目から流れていたのか。

 いや、目からだけではない。鼻からも耳からもその粘着質な液状のものが流れている。


「げほぉっ」


 思わずえずくと、口の中からも黒い液体が吐き出される。

 その液体は床で合流すると、無定形の奇妙な姿を取り始める。その不可解な物体は黒いような、茶色のような、ちょうど黒蜜のような褐色だった。それは液体もあると同時に、寒天のようにプルンとした個体でもある。


 私が吐き出す液体も、私の目から、耳から、鼻から流れ出る液体も急速にその流れるスピードを増していた。やがて、私の穴という穴から黒い液体は流れ始める。ついには毛穴の一本一本からも流れだしていた。毛穴を黒い液体が通るたびに、奇妙な痛みが走る。


 黒い液体が部屋中を覆うようになると、奇妙な音を発し始めた。それはこの世のものとは思えない不気味なもので、音が鳴るたびに怖気が走る。

 やがて、黒い液体は発光し、七色の光を放った。もはや液体とも固体とも取れなくなったその物質は部屋中を圧迫すると、今度は私に向かって迫ってきた。

 もはや、私に逃げ道はなくなっている。


 これはニョグタではないだろうか。

 ありえべからざるもの。ニョグタとは無定形の黒い塊として現れる旧支配者である。ツァトゥグアあるいはウボ=サスラが生み出したとされ、ヨスの大洞窟、あるいはアークトゥルスの暗黒世界を棲み家とするという。

 およそ信者といえるものはなく、魔女や魔術師の中にはニョグタと接触して力を得ようとする者もあるが、例外なく不幸に見舞われた。また、いにしえのものと関係があったという説もあり、古のものはニョグタから授けられた知識によってその文化を成熟させたという。そして、ニョグタの姿を元にショゴスを生み出し、古のものはショゴスの暴走によって滅びた。


 だが、ニョグタを追い払うことは比較的容易だという。生命と純粋ささえ示せば、ニョグタは興味を失い、本拠地に戻っていくらしい。

 よし、私の生命と純粋さを示すぞ! ……うん。生命と純粋さって何だ? 何をすれば、それを示せるんだ?

 正直、何の見当も突かなかった。


 そう思っていたものの、気がつくと、ニョグタはどこかへ去っていた。

 いつの間にか、私の生命と純粋さを示せていたのだ。

 私は拍子抜けして、思わず、部屋の中で座り込む。


 ただ、残された私が直面したのは、部屋中に充満した不快な臭いだった。肉が腐ったような異様な臭いがする。ニョグタの残した臭いなのだろうか。

 しかし、ふと自分の手が目に入った時、その匂いの元がわかる。私の指は腐っていた。指は異常なほどに膨れ上がり、黒くくすんでいる。そして、異様な腐臭を放っていた。

 いや、そこだけではない。私の顔も膨らみ、急速に腐りつつある。ニョグタに触れていた部分がすべて腐っているのだろうか。


 ならば、私の全身のほとんどがニョグタに触れていたはずだ。


 私の顔中が膨らんでいた。耳も、鼻も、唇も。それに、耳の中の鼓膜も、鼻腔も、口内も、喉も、胃も食道も膨らみ、そして腐っていく。体内から発せられる腐臭に気が狂いそうになるが、幸いというべきか、すぐに鼻の奥にある嗅粘膜きゅうねんまくも腐り、嗅覚を失っていた。


 私の足も腐り、胴体も腐る。筋肉も腐り、座っていることさえままならずに、私の身体は崩れ落ちた。

 その腐敗の浸食は私の脳へも伝わっていく。何も考えることができなくなるが、急速に腐った肉は空気中へと散乱していっていることはわかった。

 私の肉体は骨だけを残し、このまま空気と一体化し、そして、世界へと蔓延していくのだろう。

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