第三十五話 おむすび(ツナマヨネーズ、熟成紅鮭、紀州南高梅)

 明日の会議の準備のために、とある出版社を訪れていた。

 年若い編集者(といっても私より年上だが)と組んでプレゼンのようなことをするため、まずはそのための資料をまとめるのが仕事だった。

 ごちゃごちゃと内容をまとめるのに時間がかかり、昼に来たのにもう夜も更けてきている。もうすっかりその会社の人たちは帰っていた。


 年若い編集者はもともとは九州人きゅーしゅーじんで、東京に来てまだ日が浅いらしく、九州の言葉でそのまま話す。このように、方言をそのまま使うことは、東京出身者には割と受けがいいものだが、私は良し悪しだと思っていた。周囲が標準語ばかり話す中で方言を使っていると、次第に方言と標準語が混ざり合い、そのどちらでもないキメラ言語を話すようになってしまうからだ。


 どうにか資料をまとめたのは良かったものの、今度はプリンターの調子が悪くなってしまった。会議では紙の資料を配らなければならないのだ。

 仕方なく、もう一つあるフロアのプリンターを使わせてもらうことになった。


 もう一つのフロアだが、もともとは別の会社であったのが、最近合併されて、同じ会社の別の部署になった場所だった。そのため、九州人も大して面識のある人はおらず、他人の領域に入るような緊張感があった。

 どうにかプリンターから資料を印刷し、一人分ずつにまとめていく。そんな作業をしていると、そのフロアにただ一人残っていた人が話しかけてきた。

「それって誰に頼まれてやってんの?」

 どうやら学生のバイトか何かだと間違えられたらしい。まあ、私はバイトみたいなものといっても、そう遠くはないのだが。


 なんだか、どっと疲れを感じながら、その会社を去った。

 帰りにはルリエーマートのクトゥルフお母さん食堂に寄って帰ろう。そう思っていた。


        ◇


 すっかり遅くなってしまったが、ルリエーマートのクトゥルフお母さん食堂にやって来た。

「あらぁ、麓郎ちゃん、いらっしゃい。随分、遅くなったのねぇ。お仕事、お疲れさま」

 クトゥルフお母さんが労いの言葉をかけてくれる。その声は透き通っているようでいて、直接脳を揺さぶるかのような鋭い響きもあった。その魅力的な声は、疲れた私の心を癒やすのに十分なものだ。


「お昼から何も食べていないんだ。ボリュームのあるものが食べたいな」

 私がそう呟くと、クトゥルフお母さんがにこやかに返事をしてくれる。

「じゃあ、お弁当か丼ものがいいのかしら。それとも、おむすび? 今日のおむすびは結構面白いかも」

 そう言うと、クトゥルフお母さんは悪戯っぽく微笑んだ。その言葉に興味を引かれた私はおむすびコーナーを見てみることにした。


 おむすびは種類も多く、どれを買うか迷ったが、無難なものを買うことにする。

 そして、それらを持ってレジに並ぶことになった。


        ◇


 おむすびに合う飲み物は何だろう。

 今日は玄米茶にした。寒さの増してきた昨今、帰ってきて温かいお茶をすするのは何よりもありがたい幸せのひと時だ。

 日本茶もいいが、玄米茶のような穀物の香りのするお茶は食欲を誘ってくれる。ご飯もの、とくにおむすびへの相性は抜群だ。


 まずはツナマヨネーズから食べることにしよう。

 最初に手を付けておいてなんだが、私はツナマヨネーズを認めてはいない。コンビニエンスストアーのおむすびで人気一位といえば、ツナマヨネーズかもしれないが、それ以外の場でツナマヨネーズのおむすびなんて見たことがない。

 本来、おむすびにマヨネーズなんてバランスが悪いし、ツナとかいうマグロの油漬けも新参に過ぎないのではないだろうか。


 そんな憤りを持ったまま、おむすびに齧りつくことにする。

 手に取って見ると、一般的なおにぎりより三角形が細長く、俵結びというか、コーン状とでもいうような印象があった。

 まず、海苔のパリパリッとした小気味のいい歯ごたえ、音が私を喜ばせてくれる。磯の香りが口いっぱい、いや、鼻にも喉にも伝わってきた。それと同時にお米のふっくらとしながらも重厚な噛み応え、まるで炊き立てのような芳醇な香り、ほのかな甘さが味わえる。

 まだ具材に届かないながらも、すでにおむすびの美味しさに酔いしれるようだ。


 続いてもう一口。ついにツナマヨネーズが口の中に入ってくる。

 マヨネーズの特徴的な旨味と香り、それにマッチしたしょっぱさがツナを新たな次元に引き上げている。このまろやかな味わいがご飯に合っているとは誰が思いついたのだろうか。

 斜に構えた姿勢で食べてみたものの、そんな虚勢は続かない。こんなの美味いに決まっているだろ。


 おむすびを食べると、玄米茶を飲む。ご飯と玄米茶の相性は素晴らしい。だが、少し物足りない。アルコールが足りないのだ。

 うちにお酒はあるかなあと見回すと、黒霧島があった。言わずと知れた代表的な芋焼酎である。

 玄米茶で黒霧島を割ってみよう。飲んでみると、玄米の香ばしさに対してアルコールと芋の香りが尖っており、実にミスマッチだ。苦みも強く美味しくはない。

 だが、酔っぱらう感覚があるのでいいだろう。


 次に熟成紅鮭を食べよう。同じように海苔をパリパリと齧り、ご飯の美味しさを堪能する。

 しみじみと思うが、やはり鮭はご飯に合う。肉に染み込んだ塩味と、ほのかな甘さが、ご飯を食べたいという欲求を強くしていく。なにより、鮭の脂の染み込んだお米の味わいは格別だ。

 ご飯に合う魚のナンバーワンが鮭だということを思い起こさせてくれる。


 玄米茶割焼酎は早々に飲み干し、黒霧島はロックで飲むことにした。

 まろやかな味わいと芋らしい癖のある香り、それが氷に冷やされて引き締まっている。これは美味しいお酒だ。アルコールも強いのでトロンとした気分になる。


 最後の一つは紀州南高梅だ。コンビニエンスストアーのおむすびランキングでは上位に来ることのない具材だが、私にとっては、おむすびといえば梅干しだと思っている。

 梅と紫蘇ならではの鋭い旨味と、薫り高い味わい。酸味と塩味が強く、もはやご飯に合う合わないではなく、ご飯を食べずにはいられない、それが梅干しだろう。果肉の味わいも震えるほどで、思わず食べ進めるスピードが速くなってしまう。

 このしょっぱさと酸っぱさの合わせ技こそが梅干しである。これはヤミツキになってしまうこと請け合いだ。


        ◇


 ピンポーン


 インターホンが鳴った。こんな夜遅くに誰だろう。

 ドアを開けてギョッとする。子供のような背丈の、それでいて子供とは言えない顔をした者たちがいた。

 頭が尖り、ツルツルに禿げ上がっている。その風貌はコーンヘッドというべきものだ。にこやかな表情をしているのが、逆に不気味だった。

 反射的にドアを閉じる。それは好判断というべきだっただろう。得体の知れないものに関わることがなくて良かった。


 そう思って食堂に戻ったのだが、先ほどスルーした奇妙な者たちがすでに上がり込んでいた。彼らは蛇口の中から、ガス焜炉の中から、換気扇の外から、にょろりと侵入してくる。そうして、私の周りに奇怪な者たちが溢れかえった。


 これは、チョー=チョーじんか。そんな予感がしていた。

 チョー=チョー人は旧支配者が自らの復活のために残した眷属だとされているが、その旧支配者が何者なのかはハッキリとしていない。チャウグナール=フォーンが自ら創造したミリ・ニグリがその先祖ともされ、人間との混血が進んだ姿がチョー=チョー人とされる。

 主に東南アジアを中心に広く分布するとされていた亜人種だが、近年では人間たちの勢いに呑まれ、彼らの生息していた領域から追われ、その数を大幅に減らしているという。中には、アメリカに渡った者たちもいるらしい。一説によると、旧日本軍がアジア侵攻時に全滅させたともいわれる。

 彼らが崇拝する旧支配者も、どの一派に属するかによっても分かれ、ロイガーとツァールを崇める一族、チャウグナール=フォーンを崇める一族、クトゥルフを崇める一族に分かれていた。

 彼らには銃器を始め、近代的な機工を理解する能力はないが、反面、人間の理解できない超能力を有しているといわれている。


 次々にチョー=チョー人が集まってきていた。彼らは一様に同じような頭をしている。それは、あたかもルリエーマートのクトゥルフお母さん食堂で売っているおむすびのようであった。そして、ハッと気づく。あのおむすびの数々はチョー=チョー人の頭を縮めたものでなかったかと。

 そうだとすれば、チョー=チョー人の怒りも理解できるというものだ。


 やがて、チョー=チョー人の一人が私に目を向けた。そして、念力により、私の頭を潰すよう力を込める。だが、ただ一人の念力では頭痛が痛い程度だ。

 そう思っていると、どんどんチョー=チョー人が集まってくる。彼らは一様に私に念を送り、次第に私の頭痛もひどいものになっていった。グワングワンと異音が絶え間なく続き、それと同時に痛みが襲ってくる。そのあまりの苦痛に耐えず呻き声を上げるほどだ。


 その痛みはどんどん酷くなっていく。自分の頭を触ってみると、明らかに凸凹デコボコとした異様な膨らみ方をしているのがわかった。その凸凹は脈打つように膨らんでは収まり、収まっては膨らんでいく。そして、そのスピードはだんだんと速くなっていた。

 こんなことが物理的にあり得るのだろうか。私の脳が、頭蓋骨が、伸縮していなければ、こんなことは起こらない。この状態がより激しくなれば、どうなるのか……。


 私の頭は激しい伸縮とともに、威勢のいい音を発して破裂した。

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