第五話 ホルモン焼き
リモートワークというわけでもないが、今日は家で仕事をしていた。
大きい仕事とは言えないが、短めの記事を量産する仕事を請け負っている。原稿一つにつき500円という少額の仕事ではあるが、それが20件ある。合計1万円になるので、貧乏なライターとしては嬉しい収入だった。
取引先のおばちゃんが私の金のなさを見かねて割り振ってくれたらしい。ありがたいことだ。
原稿を一つ仕上げるのにかかかるのは5~10分くらい。つまり、かかる時間は3時間20分。時給に換算すると約3千円。これはなかなかに美味しい仕事ではないか。
文字数は一つにつき上限117文字と決まっていた。とはいっても、記事の見映えを考えた場合、108文字程度であれば許容範囲だと言われている。しかし、こう言われてしまうときっちり117文字でまとめたいと思うのが人情ではないか。
そう思ったのが間違いだったかもしれない。
気がついたら仕事開始から12時間を経過し、ようやく原稿を書き終えた。変なところでこだわりを持ってしまったのがいけないのかもしれない。
あとは、原稿のデータを送れば仕事完了だ。
私は取引先と連絡するため、窓を開けて口笛を吹いた。口笛に呼応してバイオ鳩がやって来る。
私はデータを取り込んだメモリーカードをバイオ鳩の胸元にかざした。ピッと音が鳴り、正しく保存される。
そして、バイオ鳩に向かって挨拶の言葉を告げる。
「平素よりお世話になっております。ご依頼いただい原稿が出来上がりましたので、お送りいたします。よろしくご査収ください。敬具」
パソコンにタイプするのとは違って修正は効かないので、一言一言丁寧に発声した。取引先についた時にバイオ鳩が声真似をしてこの挨拶を繰り返してくれる。
そして、送り先の住所とこちらの住所を背中にあるタッチパネルに入力した。
あとは放してやれば取引先に届けてくれる。
昔はメールだとかラインだとか、インターネットを通じて連絡し合っていたというが、そんなものはとっくに廃れていた。
なんでも、ハッキングやらネットウィルスやらで脆弱なシステムだったとか。さらに、データそのものを管理するサーバーが外国にあったりして問題に発展したという。今となってはとても考えらない恐ろしい話だ。
今はどの町にも生息しているバイオ鳩を使って通信が行われている。口笛を吹けばすぐに来てくれるし、データが盗まれたり、壊されたりといった心配とは無縁だ。
今後もこの通信手段が続いていくことだろう。
◇
さて、仕事も終わったことだし、お腹がすいた。疲れ果てたので、なにか元気の出るものを食べることにしよう。
今日もルリエーマートのクトゥルフお母さん食堂にやって来た。
「麓郎ちゃん、今日もいらっしゃい。あらぁ、お疲れかしら。少しやつれてるんじゃなぁい?」
クトゥルフお母さんが優しく出迎えてくれた。ねぎらいの言葉が嬉しい。ほかのコンビニにはないアットホームな温かさが魅力的だ。
「仕事が思ったよりかかっちゃって、もうクタクタなんだ。精の出るものって、なにかないかなぁ」
せっかくなので、クトゥルフお母さんにチョイスを任せてみた。
クトゥルフお母さんは人差し指をほっぺたに当てると、首をかしげる。何か考えてくれているらしい。
その指には長く鋭い爪が伸びており、真紅のマニキュアが塗られていた。食堂の店員としては少し派手に思えるが、彼女にはよく似合っている。
「そうねー、ホルモン焼きはどうかしら?」
そういってパック詰めされたホルモンを出してくれた。味付けのされた生肉が入っており、フライパン調理を前提としたものらしい。
少し手間がかかるなー、とは思わなくはなかったが、せっかくクトゥルフお母さんが選んでくれたんだ。今日はひとり焼肉としゃれ込むことにしよう。
「きっと、自分の血肉が戻ってきたみたいに元気になるわぁ」
◇
「まあ、焼けばいいだけだよな」
一人の部屋で一人つぶやく。
独り言なんて人には聞かれたくないが、誰もいないと思うと、ついつぶやいてしまう。これは一人暮らしの特権のようなものだろう。
フライパンを取り出すと、火にかける。しばらくしてフライパンが温まってくると、油を敷いて満遍なく行き渡らせる。
そして、パックに入った状態のホルモンを菜箸で取り出して、一個一個フライパンに敷き詰めていく。ホルモン炒めでなくホルモン焼きなので、かき混ぜずにしばらく様子を見ればいいのだろう。
焼き加減を見てひっくり返す。いい焼き色だった。香ばしいにおいが漂ってくる。
焼き上がったホルモンを皿に並べる。
ホルモンだけだと食材に偏りがあるので、もやしも焼いてみる。フライパンにタレが残っているので、味付けは特にしなくてもいいだろう。
準備ができたのでビールを飲む。疲れ果てた時にはやはりビールだ。一日中パソコンの前にいたので、肉体的は疲れてないはずだがやはりビールだ。
ビールとはいったが、実際には発泡酒というか、ビールの偽物みたいなやつだが、それもいい。
グっグっグっ、うぃー。
一息で飲み干す勢いで飲む。そして、本当に一息で飲み干してしまった。
あっ。
ホルモンと合わせる別の酒を考えなければならなくない。
そう思ったが、いい酒があった。もらいもののどぶろくを棚の奥から引っぱり出す。
ホルモンといえばマッコリという意見もあるかもしれないが、どぶろくだって負けてはいない。同じく乳酸菌の含まれる酒なので似たようなものだ。
酒ばかり飲んでいる場合じゃない。私はホルモン焼きに挑む。
二種類の肉があり、ひとつはシマチョウ、もうひとつはテッチャンとある。意味としてはどちらも大腸のはずだが、見た目も味わいもだいぶ違うように思う。
まずはシマチョウを食べる。
脂身のような味わいが口の中でとろける。そして、鶏皮のように弾力のある歯ごたえで口の中に肉が残り、その独特な旨味と風味を伝えてくれる。
この風味はどう表現したらいいだろうか。私は風の吹き抜ける高原を連想し、そこで大岩を持ち上げる男たちが思い浮かべる。爽やかさと力強さの両立した上質の旨味だった。
シマチョウが大好きだ。口の中に溶けていく感覚と、この独特な旨味。何回食べても飽きない魅力がある。思わずガツガツと食べてしまう。
それに合わせるようにもやしも口に入れる。もやしの味付けは物足りないものであったが、ホルモンと一緒に食べるのにちょうどよい。味付けと脂身の濃さを見事に中和している。これは正解だ。
どぶろくも飲む。
ラベルの説明書きには冷やして飲むように書いてあるが、それは間に合わなかった。よく振って飲むようにとも書いてある。これは間に合ったので必死で振る。
グラスに注いで、一口飲む。
うん、美味い。乳酸菌の酸っぱい香りが広がり、甘くて少し辛い日本酒的な味わいもある。独特なのは酒粕のつぶつぶが口や舌を刺激することだった。
なにより、脂っこくなった味覚をリフレッシュしてくれる。素晴らしいお酒だ。
次いで、テッチャンを食べる。
シマチョウよりも皮がしっかりした肉である。口に入れると確かにコリコリとした噛み応えが感じられるのだが、それ以上に溢れてくる肉汁からその旨味が伝わってくる。シマチョウのおまけだと思っていたのだが、これには思わず満面の笑みを浮かべた。
これは美味いぞ。テッチャンもガツガツと口にし、もやしも同時に箸を進めシャキシャキとした食感を同時に味わう。これは完成された美味しさといえる。
ひと心地ついて、ホルモンをゆっくり食べながら、どぶろくを飲む。まったりとこの二つを味わいながら、なんとなく学生時代を思い出した。
友人たちとよく行ったホルモン焼き屋は、ピッチャーの代わりにやかんに入れてどぶろくが出てきた。やかんの口から直接どぶろくを飲み干しながら、友人たちとは互いの夢や失恋の話を熱く交わしたものだ。
そんなノストラジックな感傷も与えてくれる。素晴らしいホルモン焼きだったといえよう。
◇
気がついたら眠っていた。食事をしながら寝てしまうとはやはり疲れていたのだろうか。
シャワーでも浴びようかと立ち上がった瞬間、胃の中に違和感があった。そして何か込み上がってくるものがある。
ヴォエッ
急激にえずくと、口の中から巨大な黒い塊を吐き出していた。
私は吐き出したことの苦しさでむせ、ゲホッゲホッと咳をする。喉が胃液で焼けて苦しいが、咳を止めることもできない。両者を天秤にかけるような苦しさに涙目になりながら、水道に向かい、うがいをしようとする。
そんな時、口から吐き出された黒い塊が脈動する。そして、塊に亀裂が入ると、ベリベリと皮を剝がすように人と思しきものが出てきた。
全裸の中肉中背の男。逆立った茶髪。三白眼で目つきが少し鋭い。
しかし、どこかで見たような顔であった。
しばらく呆然とその男を見ていたが、次第に自分と似ているのだと気づき始めた。
いや、似ているどころではない。瓜二つといっていいだろう。
ドッペルゲンゲルという言葉がある。自分とそっくりな分身を見かけることをいうが、それは肉体から霊魂が分離・実体化したものであり、それを見たものは近いうちに死ぬといわれている。
「ドッペルゲンゲルという言葉がある。自分とそっくりな分身を見かけることだが、それは死の前兆といわれている」
ドッペルゲンゲルは、私が考えたのと同じようなことを口走った。私はギョッとして彼を見つめる。
ドッペルゲンゲルはそんな私の姿を見て、なにか納得したような表情をしてポリポリと頭を搔いた。
「ああ、そうか。そうだよなぁ」
ドッペルゲンゲルは独り言をつぶやきながら、背中を見せる。彼の背後には出しっぱなしになっていた包丁とまな板があった。そして、包丁を掴むと、振り向きざまに私の左胸を一突きした。
胸からは血がどくどくと湧き出す。さらにその包丁が抜かれると、もの凄い勢いで血が噴き出した。私の意識は次第に薄れるが、失血にはなぜか心地よい感覚があった。冬に温かい布団から抜け出せないように、抗いがたい眠りの快感に誘われている。
返り血を浴びた私のドッペルゲンゲルはその様子を感情もなく眺めていた。
「どっちもドッペルゲンゲルを見たのだから、どっちかが死ななきゃいけない」
それは一人暮らしの特権である、独り言だった。
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