第三話 山羊のチーズとソーセージのおつまみセット

 那須なす高原こうげんに来ていた。


 こんなご時勢に、なんて言葉も当然あるでしょう。

 ですが、貧乏なライターに仕事を選べはしません。今日も口に糊するために東奔西走しなければならないのが現実なんです。

 ライターなんて家でカタカタとタイプしていればいいんじゃないの、なんて思う人も多いでしょう。実際にはあちらの企業、こちらの企業へ行っては頭を下げて、取材の予定を入れては飛び回る毎日です。

 交通費、ましてや宿泊費だって出してくれるクライアントはそうはいません。今回だって、ここまでの電車賃を数えて、ホテル代を入れたら、手元に残るのはいったい何円いくらだろう。計算したくもない……。


 このご時勢なので、当然マスクを付けて移動している。

 私が付けているのは、牛の皮でできた顔をすべて覆うことのできるものだ。目の部分は専用の眼鏡を取り付けて密封できるようにしてある。嘴のように突き出た突起にはハーブを詰めているので、こんなご時勢でも爽やかな気分で過ごせるのだ。


 当たり前のようにマスクの説明をしてしまったが、この文章を読んでいただけている未来の方もいるかもしれない。今は当たり前のように話が通じるのだが、後世の人々にもわかるように説明を追加しておこう。

 執筆中の現在、第五次世界大戦の真っ最中である。隣国――といっていいほど近い場所にある国――の狂った指導者が核兵器を撃ちまくり、日本中が穴ぼこだらけになっている。もちろん、この那須も例外ではない。空気も汚れてしまい直接呼吸するのは危険なので、出歩く時にはマスクを手放せないのが現状だ。

 今回、私は那須に空いた穴ぼこで牧場は運営できるのか、という取材に来ていた。取材内容については雑誌掲載まで待ってもらいたいが、愛らしい牛や羊、山羊たちと触れ合ううちに、とある欲望が湧いてきていた。


          ◇


 私は今日もルリエーマートのクトゥルフお母さん食堂に足を運んだ。

「麓郎ちゃん、いらっしゃい。あれ? ここは那須高原支店よ、どうしたの?」

「いや、ちょっと仕事で……」

「こんなところに来てもコンビニで済ますのねー」

 クトゥルフお母さんにたしなめられつつも、陳列棚からある商品を探す。


 これだ!

「山羊のチーズとソーセージのおつまみセット」を手にする。


「那須高原支店限定のこれが食べてみたかったんですよ」

 私は思わずクトゥルフお母さんに満面の笑顔を向けた。

「あらぁ、あらあらあら」

 笑顔を止めることのできない私に反して、クトゥルフお母さんは驚いている様子だった。クトゥルフお母さんの翼にびっしりと生えている鱗がピーンと逆立っている。

「そ、それは、ほんと、いいものなのよー。よぉく味わって食べてね」


 クトゥルフお母さんでも驚くほどの逸品を探し当てたのだろうか。

 私はウキウキしながらレジに向かっていった。


          ◇


 ホテルの部屋に入った。上手いこと探し当てた格安のホテルだ。

 狭い部屋は畳敷きで、ベッドでなく布団を敷いて寝るようになっている。小さなちゃぶ台のようなテーブルが一台あり、その上に電気ケトルとほうじ茶のティーパックが置いてあった。

 ひと心地ついた私は荷物を畳の上に置き、買ってきた食べ物を広げた。


「黒山羊のチーズとソーセージのおつまみセット」

 コンビニの袋からパッケージが見えた。

 あれ? 山羊じゃなくて黒山羊だったっけ?

 少し違和感があったが、大した違いではない。気にすることもないだろう。


 せっかくなので野菜も一緒に食べたい。ジャガイモとブロッコリーも買ってある。

 台所付きのホテルでないことはわかり切っていたので、ガスバーナーを持ってきていた。

 点火して、水を入れた鍋を乗せ、鍋の中にジャガイモを放り込む。

 20分ほど茹でて湯を捨て、水で冷やすと皮を剥く。ナイフで8等分に切ると、その上に使い切りのバターを乗せておく。

 もう一度湯を沸かして、ブロッコリーも茹でる。


 準備は整った。

 最初はビールを開ける。ソーセージと言えばドイツ、ドイツと言えばビールである。ギネスビールを買ってきてある。よく見るとアイルランドが原産国だったが、アイルランドのソーセージも有名だろうから構うことはない。

 ホテルの備え付けにあった栓抜きでビンを開ける。そして、ビンのまま一気に飲む。

 旨い! 早起きして電車に乗り、朝方から夕方まで取材を続けて、肉体的にも精神的に疲れ切った体にビールが染み渡った。ほろ苦い麦の香りが私の疲れをいたわってくれる。喉を通って全身でシュワシュワと発泡する炭酸が心地いい。


 いよいよ、おつまみセットに手をつける。

 まずはチーズだ。黒山羊のチーズらしいが、見た目は白い。黒山羊の乳とて、やはり白いのだ。大きさは直径5cmほどで、1~2mmほどに薄く切られている。

 口に運ぶと、獣のような香りが口いっぱいに広がる。やはり牛のチーズとはまるで違うクセがある。獣の香りはなくならないが、食べ進めていくとそのまろやかな味わい、適度な塩味を感じていく。

 うん、まあ美味いよ。なかなか美味いんじゃねーの。


 続いてソーセージ。

 ソーセージは一口サイズに切り分けられている。色はやや黒い。少しブラッドソーセージを思い起こす。

 ソーセージは腸詰と言われることもあるが、もともとは腸に肉や血を詰めて作られていた料理である。現代では腸が使われることは少なく、また、普通のソーセージでは特に意識しないのだが、豚以外のソーセージを食べるとなると、その製法を意識してしまう。山羊の腸なのか、これは、と。


 ソーセージを食べる。やはり口の中に獣の香りが広がっていく。その後で肉のジューシーさ、旨味が伝わってくる。味も濃いので、湧いてくるエネルギーを中和するためにジャガイモを一口食べる。

 これは美味い! 美味いのだがもう一工夫できるのでは、そう思うことがあった。


 ソーセージとチーズを一緒に口に運ぶ。ソーセージの肉汁の熱に触れてチーズが少し溶ける。肉の旨味とチーズのまろやかさが絡み合い、互いのクセの強さを補い合うようだ。

 これは絶品! 本当に美味い。(今までが嘘だったわけではないです。本当です。信じてください)

 チーズがソーセージを、ソーセージがチーズを引き立て合う。セットにされているのも納得の組み合わせであった。

 その勢いでブロッコリーも食べる。

 森の中で黒山羊と一体になっている、そんな感覚があった。


          ◇


 ソーセージとチーズ、ジャガイモ、ブロッコリーだけでお腹いっぱいになるものだ。私は満足を感じながら、残ったビールを腹に流し込んでいた。


――メェー


 羊のような、山羊のような鳴き声が聞こえたような気がした。

 遠くにある牧場の鳴き声が聞こえてきているのだろうか。それとも単なる空耳だろうか。

 私はあまり深く考えていなかった。


――メェーッメェーッ


 やはり聞こえる。それも近くでだ。

 腹の中から聞こえているのか?


 思い当たることがあった。

 クトゥルフお母さんは私がこの商品を買う時に驚いていた。それは驚いていたというよりも、恐れていたのではなかったか。

 そして黒山羊という標記。黒山羊といえば、千匹の仔を孕みし森の黒山羊シュブ=ニグラウスに思い至るべきだった。


 シュブ=ニグラウスとは豊穣の外なる神。クトゥルフお母さんを始めとする旧支配者とは一線を画す上位の超存在である。全宇宙を産み落とした「原始の混沌」の外的な母性、あるいは外的な感情ともいわれ、人間には窺い知ることのかなわないもののひとつである。

 そして、神であろうと、生物であろうと構わずにまぐわって、たびたび仔を設けることでも知られている。


――メェーメェーメェー


 タツノオトシゴはメスがオスの育児嚢いくじのうに卵を産み、オスが出産するという。タツノオトシゴの赤子たちは父親の腹を食い破って、この世に生を受けるのだ。

 森の黒山羊と一体になった感触があったが、その時に私の胎内に仔が産み込まれていたのだろうか。


――メェーッメェーッメェーッメェーッ


 ガシッガジッガシッガジッ


 私のはらが食われている。

 そして、一匹の仔山羊が腹を食い破って出てきた。痛みで気を失いそうになるが、それ以上に恍惚の感情が全身を支配していた。

 仔山羊は黒い体に頭部から触手を生やし、脇腹に大きな口がある。その口からは私の肉と血、それに唾液をしたたらせている。

 これが私の仔だ。胎を痛めて産んだ私の仔だ。愛おしい我が仔だ。


 ガジガジガジガジ


 私の全身は私の愛おしい仔らによって貪られている。残りの仔らも私の胎内から旅立とうとしているのだ。

 なんという喜びだろうか。

 男性の多くは出産の喜びを知らないままだろう。ならば、ルリエーマートの那須高原支店に行くべきだ。

 ジェンダーフリー、LGBTの解放を叫ぶのあれば、森の黒山羊との交わりによる、この悦びを知るべきだろう。ジェンダーフリーの真の姿を脳髄に焼きつけることができるはずだ。


 私の脳を私の愛する仔らが噛み砕く音を聞き、私の意識は途絶えた。

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