第四十九話 海鮮天丼
今日も仕事だ。
うんざりすることに、仕事をしなければ生きていけないのだ。
今日はインタビューに出かけていた。年若い編集者と組んでの仕事だ。
対象は最近人気上昇中のイラストレーターの人だった。
普通、イラストで人気が出るというと、SNSで話題に上がり、一躍時の人となるというのが一般的だろう。だが、この人はそれとはまったく別の道を辿っていた。
なんと、路上でイラストを売り、場合によっては、客に合わせて言葉や絵を描いていたというのだ。こんな斬新なイラストの描き方は初めて聞いた。その発想と行動力に驚きを禁じ得ない。
ストリートパフォーマンスが好きなので、路上での活動が多岐に渡っていくのを見ると、新時代の到来を感じて嬉しくなる。
どうにかインタビューの音声を取り終えて、三人でしばし談笑する。
イラストレーターといっても、私のようにフリーランスではなく、もともと所属していたデザイン会社への在籍を続けたままなのだという。
「増えたイラストの仕事は会社で請け負っているんで、俺が儲かるってことはないんですけどね。
それでも、聞いたことのない親戚からの連絡が増えましたよ。どこでそんなの聞きつけてくるんですかねぇ」
有名になると親戚が増えるというのはよく言われる話だ。とはいえ、実際にそういうことがあるのだと聞くと、なんだかさもしいものを感じる。
そんな微妙な感情を抱えたまま、編集者とともにその会社を後にし、そして別れた。
「録音起こし、頼んだよ」
編集者の別れ際の言葉で心が重くなる。録音起こしはあまり得意ではなかった。
だが、そんなことも言ってはいられない。仕事をしなければ、生きていけないのだから。
私は気分を一新すべく、ルリエーマートのクトゥルフお母さん食堂に寄ることにした。
◇
ルリエーマートのクトゥルフお母さん食堂にやって来た。
だが、クトゥルフお母さんは調理担当のおじさんと何やら話し込んでいる。聞く気はないのだが、クトゥルフお母さんの話し声が聞こえてきた。
「ねぇ、なんだか親戚が増えているみたいで、困るのよぉ」
どういうことだろう。クトゥルフお母さんも親戚が増えて困っているのだろうか。
今やルリエーマートは全世界どの町にもある一大チェーンなので、クトゥルフお母さん食堂をプロデュースするクトゥルフお母さんは有名なんてものではない。先ほどのイラストレーターの比ではないくらい、親戚や知人が増えていることだろう。
「あらぁ、麓郎ちゃん。挨拶遅れてごめんねぇ。いらっしゃい!」
クトゥルフお母さんが私に気づいた。慌てているようで汗を掻いているのが見て取れるが、まるで深海の水のように澄んだ色をした完璧な球形の汗だった。
「気にしなくていいよ。もう一仕事の前に、腹ごしらえになるようなものを買いに来たんだ」
私はクトゥルフお母さんを落ち着かせようと、今日の目的を話す。
「うふふ、そうなのね。じゃあ、ゆっくり見ていってね」
クトゥルフお母さんに案内されながら、クトゥルフお母さん食堂のお惣菜やお弁当を見ていく。
何がいいだろう。商品を眺めていて、ふと思い立って一つのお弁当を手に取った。
「これかなあ」
私が手に取ったのは海鮮天丼だった。うん、実に美味しそうだ。
「あ、あぁ。それなのねぇ。
う、うん、それは美味しいのよ」
クトゥルフお母さんの歯切れはどうも悪かった。
とはいえ、美味しいという断言もある。私は天丼を買って帰ることにした。
◇
この後、仕事が残っているとはいえ、やることは録音起こしである。
そんなものは、ちょっとやそっと酔っていてもできるような仕事だ。
私はお酒を飲むことにした。
今回は読者の方に紹介していただいたお酒である。
安納芋焼酎のkupikupiImoShochuだ。
しかし、この酒はなんなんだ。縦縞の赤いラインの入ったパッケージングである。私は縦縞の入った酒で美味い酒というのを飲んだことがない。そもそも、縦縞の入った酒を飲んだことはないが。
ともかく、こんな酒が美味しいだなんて、甚だ疑問だね。
そんな感情に支配されつつ、私はkupikupiとやらをグラスに注ぎ、一杯あおる。
芋焼酎ならではの濃厚な香りとともに、安納芋らしい濃密な甘さが口中に広がっていく。ただ、鶴見ほど芋の味がガツンと来る感じではない。
まあ。飲みやすい酒なんじゃないか。
このお酒は炭酸で割ってこそのものらしい。
グラスに氷を入れ、kupikupiを注ぎ、レモンを絞り、炭酸をなみなみとついだ。
そして一口。さっぱりして飲みやすくなった。炭酸の刺激とともに芋の濃厚な味わいが強く感じられ、互いが際立っているように感じられる。
うん、美味しいんじゃないの。
さあ、天丼だ。蓋を開けると、揚げたての天ぷらが顔を出した。
香ばしい揚げ物の匂いが漂ってくる。そこにタレをかけると、醤油にも似た甘い匂いが油の匂いと混ざり合い、何とも言えない、食欲をそそるものになった。
まずは基本、海老から行こう。
サクサクの衣を齧ると、プリプリッと弾けるように海老の美味しさが飛び込んでくる。
さらにもう一口。今度はタレがたっぷりかかっていた。タレの甘さと塩辛さ、海老の旨味をしっかりと味わうと、そのままご飯をかっこんだ。やはり、ご飯と一緒に味わってこその海老天だといえる。
次はインゲン。
衣と鞘との一体感が素晴らしく、サクサクした歯応えとともに、鞘の中から豆が放たれた。鞘の苦みと豆の甘さとのバランスが良く、インゲンならではの味わいが嬉しい。脂っこさの中に清涼感をもたらしている。
このまま、海鮮→野菜→海鮮のループで進もう。次はイカだ。
イカの弾力のある歯応えはサクサクの衣と対照的で、その落差が奇妙な食感を生む。海の恵みを思わせる旨味もしっかりしており、食べ応えがあった。
これもまたご飯が進む。イカと一緒にご飯を頬張り、その味を噛みしめよう。
ここで味噌汁を飲む。
ネギたっぷりの味噌汁は味が濃く調整されており、飲むだけで落ち着くものだ。これで気分を一新し、天丼とまた向かい合う。
レンコン。シャクシャクした食感が油物の中で際立っている。
しっかり揚がっているため、衣との相性も良く、レンコンそのものの風味と油の旨味が融合していた。
タレもしっかり絡めて、ご飯を食べる。これが最高の気分だ。ご飯の減りが激しいことに注意だ。
そして、かき揚げ。
サクッとした歯ごたえとともに、衣と一体化したセリと桜海老の味わいが楽しめる。セリの奥深さと桜海老の旨味が、軽快な食感とともに伝わってきた。奥深くも長く続く芳醇な香りが堪らない。
さらに食べ進めると、衣の奥からホタテが出現した。思ったよりも大粒のホタテだった。サクッとした噛み応えの奥に柔らかさがある。海の深さを感じさせるような旨味が溢れ出てきた。
一口食べるごとにバラエティ豊かな表情を見せてくれる。かき揚げとは素晴らしいものだ。
大根の漬物を食べる。
丼ものに添えられた漬物は名脇役というべきだ。パリパリとした感触は天ぷらにないものだし、甘さのあるしょっぱさはそれだけでご飯を頬張りたくなる魅力を持っている。このアクセントは丼ものにとって必要不可欠なものだろう。
そして、最後の具材。マイタケだ。
キノコはどうしてこんなにも美味しいのだろう。サクサクと噛み砕くと、森の深さを思わせる特徴的な香りが広がっていく。マイタケに凝縮された旨味が解放されているようだ。
実に上品な味わいだが、天丼のタレとも相性が良く、当然ご飯を食べ進めるエネルギーを持っている。その旨味を堪能しつつ、ご飯の最後の一口を食べ切った。
食事の余韻を楽しみつつ、漬物の残りを食べ、味噌汁を飲み干した。
ついでに、kupikupiをゴクリと飲む。満足感に浸った。
◇
満腹感とアルコールの火照りで、うとうとしていた。夢心地の中、このまま寝てしまいそうだ。
私の眼前に広がるのは、どこか見知らぬ草原だった。清々しい空気とともに、まるで翼が生えたかのように草原を駆け抜けていく。
だが、急に飛び方がわからなくなった。藻掻くことすらできないままに、真っ逆さまに落下していく。
落ちる先は草原ではなく、暗澹たる夜の海だった。私は海の中に落ち、その昏い水の中で、巨大な何かを見る。果てしないほどに深い海の中に、巨大な人影が私を見つめていた。
影はあまりにも巨大で、同時に不気味だった。私は為すすべもなく蹂躙される存在でしかない。巨大なものの
ハッとする。あまりの恐怖で目が覚めた。気づかないうちに寝ていたようだ。
悪夢から醒めたはずだったが、私の家の食堂には奇妙な存在が充満していた。
目に入ってきたのは、触手で全身が覆われた不定形のものであった。その瞳は蛸のような長方形であり、目だけでいえばクトゥルフお母さんを思わせる。不定形の身体は海老のような姿を取る瞬間もあった。
このものはガタノトーアだろうか。
ふと思い出す。ガタノトーアはクトゥルフお母さんとイダ=ヤーの子である、そんな噂がまことしやかに語られていた。
食堂にいるのはガタノトーアだけではない。
触手に囲われた単眼のような姿の神もいた。その姿はやはり一定ではなかったが、単眼を守る触手は豆を守るサヤエンドウのような印象すらある。
これはクトゥルフお母さんの子供たちとされる、ゾス三神の一柱、イソグサなのであろうか。
さらに姿を現すのは、ヒトデのようにゴワゴワした触手を生やし、蛇のようにうねる髭を蓄えた神である。その全身はイカのような柔軟さを持ち、大気中を漂っている。
ゾス三神の三男といわれるゾス=オムモグであろうか。ゾス=オムモグは夢を通して人間に語りかけ、人心を操るといわれる。私はこのものによって奇妙な夢を見たのだろうか。
しかし、これだけで終わりではなかった。
やはり触手に覆われた不定形の姿であるが、体中に穴が開いた姿からはなんとなくレンコンを連想する。それでいて、流線型の身体からは女性的なものを感じていた。
まさか、ゾス三神の秘匿された妹神といわれるクティラであろうか。クトゥルフお母さんは滅んだ後、彼女の子宮に受胎し復活するといわれている。
巨大な殻に覆われた双子の神もいる。殻の中には、ホタテのような貝柱があり、節足の足と鋭い爪が覗いている。
このものはヌクトゥーサとヌクトゥールであろうか。クトゥルフお母さんとカサゴサの間に生まれた双子とされているが、その存在だけが知られ、どのような存在なのかは人間には窺うことができないといわれる。
蛸のような頭を持ち、無数の触手を持つ神もいた。その容姿とは裏腹に、どことなくキノコのような、菌で構成された姿のような印象があった。
クトゥルフお母さんの双子の兄弟を名乗るクタニドなる神がいるが、そのもののように感じられる。
青白い芋虫のような大根のような神もいる。これはクトゥルフお母さんの配偶者と噂されるイダ=ヤーだろうか。
触手の塊のような存在もあった。長ネギのように二重三重に触手が重ねられている。やはり、クトゥルフお母さんの配偶者と語られるカサグサのように思える。
そして、無数のタコのようなイカのような桜海老のような神々がいる。クトゥルフお母さんの落とし子とされるクトゥルヒだろうか。
改めて、クトゥルフお母さんの親戚縁者の多さに驚愕する。まるで、後付けでどんどん増やされているようにも思えてくる。
「なんだか親戚が増えているみたいで、困るのよぉ」
クトゥルフお母さんの言葉はどういう意味だったのだろう。
神々は実際の質量を持っているわけではない。どんなに巨大な存在であれ、無数の神々が私の部屋に存在することは矛盾することではない。
だが、神は圧力を持った存在だ。
私は延々と増え続ける神の圧力に圧倒され、押し潰され、私の肉体は圧迫されていく。立っていることも、座っていることもままならなくなり、私は伏したままその激痛に耐える。私の骨は粉々に砕け、臓器は潰れ、脳もまた破裂していく。
私は神々の存在に耐えることができなかった。
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