第十三話 海老ときのこのトマトクリームスパゲティ

 皆さんはストリートパフォーマーなるものをご存知だろうか。

「パフォーマンスって普通はインターネットを通して、動画か配信でやるものじゃないの?」と思っているのではないだろうか。

 それが最近では路上でパフォーマンスをするのが流行っているというのだから、若者の文化というものは風変りだと思ってしまう。


 実際に路上でやるのだから、編集もできなければ、加工してエフェクトを乗せたりなんてこともできない。

「そんなもののどこが面白いんだろう」

 かくいう私も少し前まではそう思っていた。

 しかし、実際に観てみると、画面の加工に頼らない、技術力や話術がたまらなく面白いと感じるのだ。


 つい先ほどもストリートパフォーマーを眺めていた。

 今日やっていたのは、アップルパイを食べながらくっちゃべるという、少し前の私なら見向きもしなかったようなパフォーマンスである。これが時間を忘れるほど面白いのだ。


 なお、パフォーマーの前にはカンカンが置かれている。なんと、これに現金を投げ入れることができる。文字通りの投げ銭だ。

 普通はクレジットカード会社を通して送る投げ銭を直接現金でだせるというのだ。あまりにも画期的なことだし、実に上手い呼び名をつけたものだと感心してしまう。


 彼らのチャレンジシブな姿勢を見ていると、胸の中に熱いものが甦ってくる。

 私ももう20代中盤である。結果を出さなければと、つい視野狭窄になってしまう。

 彼らを見習って新しいことをしていかなくては、そんな決意を新たにした。


 それはそうとお腹が減ったので、なにか買って帰ろう。


          ◇


 ルリエーマートのクトゥルフお母さん食堂にやって来た。

「あらぁ、麓郎ちゃん、いらっしゃい。今日はお休みだったのかしら?」

 いつものようにクトゥルフお母さんが出迎えてくれた。なぜか、私がオフにしていたことに気づいている。一日中パフォーマンスを観ていたので、気の緩みが顔に出ているのだろうか。

「そうなんだ。昨日一区切りついたから、今日は休んでたんだ」

 クトゥルフお母さんは私の言葉を聞いてにっこり微笑む。笑顔になると瞼の輝くような模様の鱗がはっきりと見える。

「麓郎ちゃんは働き過ぎなのよぉ。ゆっくり休んでね」


 陳列棚を眺める。今日はどうしようかな。

 久しぶりにスパゲティを食べようと考える。となると、どれがいいだろうか。

「クトゥルフお母さん、スパゲティはどれがいいかな?」

 クトゥルフお母さんは頬に手を当てて少し考える。


「そうねぇ。これなんかどうかしら?」

 それは、海老ときのこのトマトクリームスパゲティだった。濃厚な味わいのパスタのようだ。

「これなら、お休みの日に遠出した気分になれるかもしれないわ」

 本場イタリアの味が楽しめるということだろうか。

 私はクトゥルフお母さんのお薦めに従うことにした。


          ◇


 家に帰る途中、なんでだか、帰り道に何度か犬に吠えられた。

 近所にこんなに犬がいたのかという驚きとともに、なぜ吠えられなければいけないのか腑に落ちないものを感じる。

 手に持っているスパゲティにでも反応してるのだろうか。


 スパゲティに合う酒は何かなと考えてもいたが、今日はレモンサワーのノンアルコールを買ってきた。連日お酒ばかり飲んでいるので、敢えてのノンアルである。

 ノンアルコールのビールやサワーなんて、ちゃんちゃら可笑しいと思っていたが、もうそんなこだわり、引っ掛かりから飛び立たなければいけないのだ。

 なお、このノンアルサワーは先ほどのストリートパフォーマーが薦めていた。


 レモンサワーを飲む。

 一口飲んで驚く。レモンの果汁がガツンと来るような感覚だった。

 ひたすら酸っぱく、それでいて爽やか。甘くもなければ炭酸も薄い。それにも関わらず、この満足感はなんだ?

 まるでレモンを丸ごとかじっているかのような感覚。それでありながら、しっかり飲物サワーで、ごくごくと飲めてしまう。

 アルコール入りでも、これほど美味しいサワーは滅多にないのではないだろうか。


 チーン


 そして、スパゲティである。

 フタを開けた瞬間に濃厚な海老の香りが漂ってきた。その匂いを嗅いで気づく。私はお腹がすいていたのだ。

 まずはスパゲティからだ。

 フォークをスプーンで支え、クルクル巻いて麺を絡め取る。

 本場のイタリアではスプーンは使わず、皿で支えて巻き取るという向きもある。スプーンを使うのはアメリカの流儀なのだとか。別にアメリカ流で問題なかろう。


 口に入れた瞬間に、海老の濃厚な風味が口に広がってくる。甘さと酸っぱさ、それに適度な塩加減が食欲をそそる。

 麺を噛みしめる。もちもちとした食感でありながら腰がしっかりしており食べ応えがある。なにより、ソースがしっかり絡まっているので、海老の旨さがダイレクトに伝わってくる。


 今度は海老をスパゲティに絡めて食べてみる。

 海老のプリプリした食感とともに、味わい深い甘さが感じられる。どこか薫り高く上品にも感じられるが、その旨さは単純に満足感、満腹感を刺激してくれるものでもある。もっと海老を食べたい、そんな気分になってくる。


 海老と一緒にキノコを味わう。

 このキノコは何だろう。傘がないため見た目からは判断できない。

 柔らかいがシャキシャキとした食感。食べ進めるうちになんともいえない芳香が感じ取れる。

 なにより、海老との相性がばっちりだった。まるで元々ひとつの肉体であるかのように、お互いの旨味を引き立て合っている。

 キノコのシャキシャキと海老のプリプリを同時に味わうことで、得も言われぬ新たな食感があるなんて信じられるだろうか。宇宙的な重なりともいうべき、新しい味わいを発見したとも思えるほどだ。


          ◇


――ギコギコ


 奇妙な音が響いていた。何の音かはわからない。

 ふと、右肩に違和感があった。見ると、急に腕が肩ごと、私の身体から外れた。ポトリと床に落ちる。

 しかし、痛みはまるでないのだ。


 気づくと左腕が外れ、両足が外れる。そして、ついには私の頭が首から外れた。

 私の頭はそのまま落ちずに私の喉元から現れた、翼を持つ生物が持ち上げ、地面に軟着陸した。

 その生物は海老や昆虫のような甲殻で全身が覆われている。

 生物はなおも私を解体する作業を続け、耳や鼻、頭蓋骨までもが私の頭から外されていく。


 思い至るのは、冥王星のさらに先にあるという太陽系の最奥、ユッグゴトフより飛来するという忌まわしき生物、ミ=ゴだった。彼らは生身のまま宇宙空間を渡るらしい。

 ミ=ゴたちは甲殻に覆われた肉体を持つが、実際には菌類としての性質を持っている。戦闘能力はないに等しく、銃や猟犬によって容易く退治されたという話をよく聞く。しかし、退治されたといってもその肉体を人類が保管できたという例はなく、その痕跡は一夜にして残らず消え去ってしまうのだ。

 彼らは卓越した外科医の技術を持っており、生きたまま脳を摘出し移植する。


 今まさに私の脳が摘出されるところだった。脳と五感が切り離され、私はすべての感覚が遮断した。

 だが、少しの時間を経て、ミ=ゴによって人工的な五感が与えられる。私の脳は円筒状のカプセルに保存されたようだ。

 このカプセルは素晴らしいことに視覚があれば聴覚もある。嗅覚と味覚はよくわからないが、触覚はない。だが、触覚の有無は良し悪しであろう。


 私はミ=ゴに抱えられて、空に飛び立った。このまま宇宙に向かうようだ。

 私のほかにもカプセルはいくつも抱えられている。彼らも一緒にユッグゴトフへ向かうのだろう。

 これは幸運というべきものだ。ルリエーマートのクトゥルフお母さん食堂のスパゲティを食べるだけで、なんと宇宙旅行が楽しめるのだ。しかも、新しいことに挑戦しなければ、そんな気持ちを抱いた直後にである。

 こんな素晴らしい体験ができるなんて、どれだけ魅力的なコンビニエンスストアなのだ!


 いつの間にか地上が遥か彼方になっていた。そろそろ成層圏を越えるのだろうか。

 そんな時、私のカプセルがつるりと滑った。多くのカプセルの中から抜け落ちてしまったのだ。

 カプセルは地上めがけて落下し、私の脳もろとも……。

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