第一幕 男か、女か、それが大問題だ

1-1

 シュタルニア帝国。西フェルゼンの一角に、その店はある。

 焼成煉瓦と石材を使った古の息吹を感じさせる瀟洒な街並みの中、肩身狭そうに立つ色あせた木造の小さな平屋。緩い勾配の三角屋根の下には『カートライト美術店』と書かれた看板が右下がりに掲げられている。

 店舗スペースは薄暗く、晴れた日中でも表から店の奥は見えない。中はわずかに通路を開けて棚が設置されており、多種多様な壺や絵画、食器、彫刻、刀剣類などがひしめいていた。しかし雑多に見えてその配置はどこか調子よく、また店全体の掃除も行き届いているようだった。

 と、そこで店の奥から、スーツを着た一人の老紳士と、茶色の胸当てエプロンをつけた青年が談笑しながら出てきた。



「――うん。実に素晴らしかったよ。どれも目移りしてしまうね」


 スーツ姿の老紳士は気さくに握手の手を差し出す。


「それはよかったです。またいつでもいらしてください」


 ライルは笑顔で応えて、握手に応じた。

 ――黒髪をざっくり整えた、二十歳そこそこといった見た目の青年である。服装は白のカラーシャツにサスペンダーで吊った黒のスラックス。エプロンの胸元には『店長』と書かれた名札が光っていた。分厚い黒縁眼鏡をかけており、シンプルな服装と相まって外見は今一つ野暮ったい。しかし通った鼻筋と切れ長の黒瞳をよく見れば、素が美青年であることは明白だった。


「でも本当、今日は何も買わずにすまないね。……あまり買うと、妻の機嫌が悪くなるから」

「では今度は、奥様へのプレゼントも一緒にお買い求めください」

「ははは。商売がうまいね。でもいい案だ。考えておくよ」


 老紳士は軽く会釈をして、手にしていたソフトハットを被ると店から立ち去る。

 ライルはその背中を見送ると、表から店内を眺めた。腕を組み、左目を閉じたりなどしながら、じっくり視線を這わせる。


「この壺は、もうちょい奥の方が美しいな」


 目を付けたのは、入り口近くの棚にあった一抱えほどの古びた飾り壺だった。しっかり両手で抱いて、慎重に奥の棚へと移動させる。


「よし、この上の方に……」


 腰をいれて、高めの棚段に壺を置こうとする。

 が。


「見て、あの人!」

「きゃーっ! かっこいぃー!」

「!?!?」


 背後から突然聞こえた若い女性の声に、ライルは体と思考を硬直させた。拍子に壺は滑り落ち、足の上に落ちて派手に割れる。


「いっ!」


 激痛により一瞬で我に返ったライルだったが、飛び退いたはずみで後ろにあった棚にぶつかってしまう。さらにその衝撃で、棚に乗っていた円筒径のガラス細工が中空に放り出された。

 キャッチしようとしたのがまずかった。

 無理な体勢で手を伸ばしたライルは思い切りバランスを崩した。ガラス細工を取り損ねたうえ、近くの壁にかけてあった絵画に指をひっかけて床に転ぶ。建付けの悪い平屋は大きく揺れ、次いで絵画の上――ウォールシェルフにあった装飾剣がライルに向かって勢いよく落下した。


「ひょっ!」


 変な悲鳴と共にライルが身をひねると、体の数ミリ横の床に剣がざっくり突き立った。


「……し、死ぬかと思った……」


 激しく跳ねる心臓を抑えて、ふらふらと立ち上がる。店は酷いありさまだったが、片付けるより先に、ライルは店先にそっと顔だけのぞかせた。


「……いない、よな?」


 通りはいつも通りの風景だった。何ということもない平日の昼下がり。セメント・コンクリートで舗装された狭い車道に車通りは少なく、精緻な石畳の歩道にも通行人の姿はまばらだった。さっきの声の主はもうどこかへ行ってしまったようで、通りにそれらしい女性の姿はない。ついでに言えば、彼女らが誰のことを指してはしゃいでいたのかもわからなかった。


「ああびっくりした……あの手の台詞は一番堪えるんだから勘弁してくれよ……」


 痛む足を労わりつつ、一気に老け込んだ面持ちで散らかった店内に戻る。インテリアとして飾っていた花瓶も落ちていて、床にできた水たまりでは白いアイリスの花が一輪萎れていた。


「……片付けよ」


 ライルはため息と共につぶやくと、アイリスを拾って奥のゴミ箱に放った。

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