第五幕 大怪盗は死ぬほど馬鹿をするもんだ
5-1
彼を始めて目にしたのはいつだったか。
一目見て、その盗みの技術に惹かれた。颯爽とした盗みは理想的で、憧れた。国のために働かなければならない自分が、犯罪者にそんな感情を抱いてはいけないとはわかっていたが。〈ベルベット〉を使いだしたのも、そんな感情が手伝ってのことだった。彼のようにありたいと、ずっとそんな風に思っていた。だから多分、あの時も。
追手を振り切って、どれほどキャリッジを走らせただろう。
フェルゼンの見慣れた夜景が流れるようになって、ハンドルを握るノエルは安堵のため息を漏らした。時刻は深夜に近く、街路に人通りは少ない。バックミラーを見やると、後部座席では彼らが眠っていた。自分と同じ、年端も行かぬ三人の子供たち。
調査を進めている最中の独断行動。施設関係者の勝手な救護。諜報員にとって、それは許されないことだ。敵に感づかれた時点で諜報員の任務は失敗になる。おそらく奴らは明日にでもあの施設を放棄してしまうだろう。
今回の潜入目的は、謎の施設の正体を突き止めること。その任務も、これで失敗だ。
しかし後悔はしていなかった。あの施設は明らかに非人道的な目的で動いていた。ここで助けなければ彼らは殺されるかもしれない――そう思えば、体が勝手に動いていた。
唯一後悔しているとすれば、その盗み方か。敵に気づかれないどころか、施設資料の接収すらできない強引なものになってしまった。
「あの人なら、もっと華麗に盗んだのかな」
思わず、そんなことを考える。
そこからしばらく走って。狭い路地からふらりと人が出てきた。
「っ!」
ノエルは急ブレーキをかけた。キャリッジは人にぶつかる直前で停止。だが相手はキャリッジに驚くこともなくそのままゆっくり歩き去ろうとする。
「!」
その姿を見て、ノエルは息を飲んだ。
目の前にいたのは白銀のシルクハットと燕尾服を身に着けた人物だった。顔には暗金のドミノマスク。衣服は妙にボロボロだったが、見間違えようがない彼は、怪盗ランスロットだった。
ノエルは思わずキャリッジを降りた。するとその時、彼の体が前に傾いた。
「っ!」
ノエルは反射的に動いて彼を支えた。シルクハットがずれ落ちて路上を転がる。彼の体はぞっとするほど血の気が引いていて意識はなく、四肢も力ない。
何かアクシデントがあったのだと直感した。
遠くで、警察車両のサイレンが聞こえた。それは徐々に近づいてきてもいるようで。
――このままでは、彼が捕まってしまう。
「……助ける人がもう一人増えても、変わんないよね」
たとえそれが犯罪者でも。
ノエルは彼に肩を貸すようにすると、落ちたシルクハットを拾ってキャリッジの助手席側へと移動させた。
しかしその時、かしゃんと何かが落ちる音がした。
視線を彼に向けると、ドミノマスクが外れていて。
間近で見た憧れの人の素顔に、鼓動が高鳴った。
ランスロットを助手席に乗せたノエルは、ドミノマスクとシルクハットを彼に身に着けさせて、キャリッジを発進させた。人目につきにくい街路を選んで走り、あるところでキャリッジを停める。ここはとある円形広場の裏側。以前からマークしていた、街の中でも比較的人が寄り付かないポイントだった。
ランスロットの意識は、まだ戻っていないようだった。
助けるなら彼のアジトまで連れて行くべきだろうが、意識が戻らなければ聞きようがない。こちらとしても助けた三人のこともあったし、そう長く彼を連れてもいられなかった。まさか、公安のセーフハウスに連れて行くわけにもいかない。
ノエルは彼をキャリッジから降ろして、立ち並ぶ家屋の影になるような位置に座らせた。
「ごめんね。このくらいしかできない。早く逃げて」
つぶやいて、ノエルは立ち去ろうとする。彼が目を覚ましたような気がしたが、ノエルはそのまま立ち去った。
彼はたぶん、今の自分の姿を人に見られたくはないだろうから。
「ん……」
目覚めて、天井から差す白々とした蛍光電灯が目に入る。眩しさに目を細めると、電灯の隣には小さな換気ダクトが見えた。
「ここは……?」
シエルは上半身を起こす。記憶が曖昧な気がしたが、涙の跡を手でこすったとき、何があったかを思い出した。夢であってほしいと思ったが。
シエルはその場でへたり込んだまま、改めて首を巡らせる。
狭く四角い部屋だった。目の前には重厚な見た目のドアがあったが内部にドアノブはなく、外からしか開けられないようだった。部屋の隅には簡素なトイレが備え付けられている。壁の向こうからは独特のエンジン音が断続的に響いていて、ここがどこであるかはすぐ察せた。
(奴らの飛空船の……独房か)
軍用の攻撃飛空船なら、こういう部屋もあるだろう。あの薬を打たれた後、ここに運ばれたのだ。きっと他の三人も同じように収監されているのだろう。
ため息と共に、頭を振る。打たれた薬は睡眠薬だったらしい。麻酔も入っていたのか、若干体の感覚が鈍い。懐かしい夢を見たのも、そのせいかもしれない。
――あるいは。
シエルは服の隠しポケットから宝石を一つ取り出した。透明な輝きを放つ手のひらサイズのそれは、かつてシュタルニアが偽物を本物と偽って展示していた宝石。これは本物の方だ。
「……結局、返しそびれたな」
屋上で、返すつもりだったのに。
ランスロットと出会った日、キャリッジの中に忘れられていた宝石。気づいたのはセーフハウスに戻ってしばらくしてからだった。彼に返すのもその時は叶わず、国に返すべきかとも思ったが、今もどこかにいる彼との繫がりだと思うと、それはできなかった。
「ライル……」
あの空爆を思い出す。生きていてほしいが、あの女がそうそう敵を見逃すようなことはしないだろうと思えた。こんなあっけなく別れが来てしまったと思うと、自然と涙が頬を伝った。
「ダメ……道化師は、笑わなくちゃ……アルカンサーカスは、楽しくなくちゃ……ボクが、そう決めたんだから……」
助けた三人に泥棒をさせると政府が発案したとき、自分は反対した。彼らの命を、危険にさらすなど。諜報員として一線を退き、彼らの教育係を務めていれば、そのくらいの情は湧いた。
だが政府は断固として譲らなかった。だから提案したのだ。
せめて、楽しい泥棒にさせてほしい、と。
組織をサーカスとしたのも、泥棒としての後ろ暗さを背負ってほしくなかったからだ。さらに自分は、彼らを守るためにサーカスへの参加を要望した。
しかしそれに際して政府の出した条件は、諜報員としての過去も含め、自身のすべてを抹消し、素性を完璧に隠すこと。
迷いはなかった。
シエル・アレルオンを名乗り、女装しはじめたのもそこからだ。少し面倒に思っていた女顔も、元来からの灰色の髪も、ここにきて役に立った。
自分自身にかけた変身の魔法。それはシエルの特殊能力で。
その変身を、憧れの人は――ライルは、似合うと言ってくれた。
過去を抹消し続けなくてはならない自分にとって、それはどれほど支えになっただろう。怪盗時代から変わらないのだ。彼は人の心さえ魅了し、盗んでしまう。
「……もう、大好きだよ。大泥棒」
泣き笑いで、シエルは天井を見上げた。
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