第二幕 この街は舞台、人はみな役者だ
2-1
世界の空に航路が整備されたのは、今からおよそ二十年前のことである。それまでから
まだ技術的に大型船舶ほどの大量輸送は不可能だが、その未熟さはむしろ伸びしろのある分野だということの裏返しでもあり、国や企業はこぞって開発競争を繰り広げていた。そのおかげか年々、飛空船の質は上がってきている。
今や金属フレームと炭素繊維を併用した軽量強靭な船体と、ヘリウムガスの気嚢による安定した離着陸は当然。内燃機関は、推進器となるプロペラにいかに効率よく動力伝達するかを重視され、こちらは常に軽量化と高性能化のバランスが模索されている。当然新技術の開発にも余念がなく、こうして技術が進歩していけば、人間はさらなる快適さを手に入れるだろう。
そして今。楕円形の船体の下に大型のゴンドラを持つ漆黒の高速飛空船が、西方大陸に向かって航行していた。
「うーん♪ 新型のリブラ、初めて乗ったけど結構快適だなぁ」
広い操舵室。コンソールの前で働く十名ほどの航空士たちを一望できる船長椅子に座って、女は両手を組んで腕を伸ばした。
ミディアムボブの黒髪をゆるめのソバージュにした、若い女である。体つきやものごしから年齢は二十代半ばか、後半あたりに思えるが、垂れた大きな黒瞳がその予想をあいまいにする。
着ているのはパンツスーツで、ネクタイの赤以外ブラウスもヒールもすべて黒。首からは社員証を提げていて、そこには輝く星をデザインした企業ロゴと共に、ヴェスパー・ケミカルインダストリー営業部第三課主幹、レア・クローゼと記載されていた。
クローゼは懐からシガレットケースを取り出すと、細い煙草を一本咥える。
だがそこで、かつんとヒールの音と共に、彼女の隣に女が立った。
「主幹。船内は全域、禁煙です」
「……目ざといね」
女は、長い黒髪をシンプルな赤のバレッタで総髪にまとめた、怜悧な印象のある人物だった。年齢は二十代前半か。彼女もクローゼと同じく黒のスーツとヒール姿だったが、スーツはタイトなスカートタイプ。提げられた社員証の役職は主幹補佐。名はネル・ヴァレリーとあった。
「で、どう? 時間通り着けそう?」
クローゼは咥え煙草のまま肘掛に頬杖をついて、ヴァレリーを横目に捉える。
「はい。リブラの航行システムに問題はありません。今夜の取引には十分間に合うかと」
「おっけー。あ、そういえば給油地点、結局どこになったんだっけ?」
「西方大陸東部沿岸にある、わが社の
「はぁ……改めて聞くと長いよね……」
「海洋上空であれば高速航行可能ですが、いかがしますか?」
クローゼは、しばらく考えて。
「……ね、ヴァレりん。航行データって偽装できないかな?」
しかしヴァレリーはすかさず、
「昨日、会議で何か言われましたね?」
「……あはは、経費削減しろって怒られちゃった」
「なら削減してください。新型とはいえ、リブラの燃費は悪い方なので」
「えー。こんな飛空船の中に九時間カンヅメとか最悪なんだけど」
「さっき、快適だとか言ってませんでしたっけ?」
「暇だってハナシ」
「……わかりました。では暇つぶしに商談のシミュレーションにお付き合いしましょう」
だがクローゼは咥えていた煙草を手に取って、やれやれと首を振る。
「ねぇヴァレりん……そんな真面目だと恋人できないよ?」
「……セクハラです。というか、貴女もいないでしょう」
「私はいーの。今は仕事が恋人」
言いつつ、鼻歌まじりに指先で煙草を弄ぶ。
「ずいぶんご機嫌ですね」
「そりゃね。今晩の取引済んだら
「油断は禁物ですよ」
「わかってるって。今日のために今までどれだけ残業したことか。……絵の輸送は順調?」
「はい。先ほど警備隊長から連絡がありました。トラブルなし。取引時刻に現地到着予定です」
「よしよし。完璧じゃん」
「順調すぎて、少し怖くも思いますが」
クローゼはため息をつく。
「……ヴァレりんって心配性だよね。……それとも、あたしに失敗してほしいとか思ってる?」
「まさか」
「そ。ならいいけど? 心配も体に毒だよ?」
クローゼは手の中の煙草を握りつぶし、苦笑した。
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