2-5
「まったく。今日はお昼から〈公演〉ですの。あんまり時間ないですの」
「「すいません……」」
ぷりぷり怒るベルティナに付き従うように廊下を歩きながら、ライルとシエルは謝罪する。
三人は、そのままキッチンへ。
キッチンの扉は廊下の中ほどにあり、入るとブラウンブレットと卵の焼ける香りが鼻孔をくすぐった。中は白壁に囲まれたワンルームだったが、大きめの窓があるおかげで圧迫感はない。聞けば元は給湯室だったそうで、壁を抜いて部屋を広げ、無理やりキッチンに改造したらしい。
中央には長方形のテーブルがあって、その周りには木製の椅子が六脚。一つは簡易な丸椅子だ。また壁に沿うようにシンク、コンロ、保冷庫や食器棚などが設置されていた。
コンロの前でフライパンを握るのはエプロン姿のミア。隣のシンクでは、袖をまくったユアンが使った調理器具を洗っていた。さすがにエリザベートは乗せていない。
「お、来たね。ご両人」
「もうすぐ、できる」
二人はこちらに気づいて言葉を放る。ライルとシエルは遅くなったことを詫び、シエルはベルティナと共に食器を準備しはじめた。
「あ、そうだ。ガストンご飯いらないって」
「わかった。ガストンの分は保冷庫入れとく」
「もう、ルールは守ってもらわないと困りますの」
「まぁまぁ、いつものことじゃないか」
四人の間でそんな会話が交わされるが、勝手がわからず手持無沙汰なライルは、その場で今一度キッチンを見回した。
シンクや食器棚は古いが、掃除は行き届いていた。そばの壁際にはラックがあって、小瓶や根菜が詰め込まれている。小ぶりなオーブンもあって、雰囲気は一般家庭と変わりない。
「どうしたの? なにか珍しい?」
気づいたシエルが、テーブルに皿を置きながら訊いてくる。
「ん? いや、むしろ普通なんだなと思って」
「……どんな想像してたんですの」
とこれはベルティナ。ライルは左目をつぶって彼女をイモに変え、緊張をほぐす。ちなみにこうしてしまえば、相手の声もあまり気にならなかった。
「えっと、ほら。公安の組織だっていうから、もっとストイックな感じなのかと思ってな」
「ここは、特別なんですの」
「……まぁ、そうか。そうだよな」
後頭部を掻きながら苦笑いを浮かべる。だが浮かんでいたグラスがテーブルに置かれると、イモが近づいてきた。思わず目を開けると、ベルティナが腰に両手をあててじっと睨んできていた。
「あの……べ、ベルティナ? 何か?」
「もっとしゃきっとするですの。現実の盗みは甘くはないですの。小説の中みたいにうまくはいかないですの」
(……この設定、ホントに通ってんだな……)
ベルティナの反応を見る限り、信じているのだろう。これで入団を許可したベイドリックにも驚くが、通そうと思ったシエルもシエルである。まぁそれだけこのサーカスの維持に切羽詰まっていたのかもしれないが。
ライルは一度咳払いし、ベルティナを正眼に捉えた。両目でしっかり彼女を見据え、告げる。
「ベルティナ。盗みの難しさは、俺もわかってるつもりだ。だがらこそ、今日の演出もベストを尽くして組み立てた。内容はこの後の打ち合わせで詳しく説明する」
「一晩で演出を組んだことは評価しますの。でもその出来を信用できると思いますの?」
「いや、思わない。だから俺じゃなく、俺を推薦したシエルのことを信じてやってくれ」
ベルティナはしばらく眉根を寄せていたが、
「……まぁ、いいですの」
彼女はぷいとそっぽを向いて離れ、食事の準備に戻る。
ライルはくるりと後ろを向いて、詰めていた息を吐き出した。
(……っは……耐えた。女との会話に耐えたぞ……)
真面目な会話でイモに変えるわけにもいかないと思い、ライルはがんばった。おかげで誠意は伝わったようで、ベルティナも納得してくれたようだが。
すると背後から、緩やかな声が響いた。
「うーん。なかなかやるねぇ。ライル君」
振り返ると、そばにユアンが立っていた。
「……なんだ、やるって」
「そりゃベルテのことさ。女の子が怖いわりに、うまく口説くじゃないか」
「そんなんじゃねーよ」
肩をすくめつつ、ポケットに両手を突っ込む。
「いやいや、僕から見ても筋は良いと思うけどね」
「……お前は得意なのか? そういうの」
「あ、言ってなかったっけ。僕は昔、路上で女の人に媚びてお金とか食べ物貰ってたんだよ」
言われて、ライルは彼らが元はストリートチルドレンであったことを思い出す。
「なかなかに卑しいものでしょ? 軽蔑した?」
「……いや。理由はどうあれ、女が得意な奴は羨ましいよ」
ユアンはくすりと笑った。
「本当に、男だと普通に喋れるんだね」
「まーな」
「シエルとは?」
「……油断するとダメだな」
「そっか。綺麗だものね、彼」
そこでライルは声のボリュームを落とす。
「なぁユアン。あいつ本当に男か?」
ユアンはシエルをちらりと見て、
「男性だよ。それとわかるものを直に確認したわけじゃないけど」
「……どーも信じられん」
「気持ちはわかるよ。普通にしてると女の子にしか見えないしね」
「なんつーか、本物のペテンを見せられてる感じだ」
「面白いね、それ」
その時、こつこつという音が会話を遮った。二人して音の方向――窓を見ると、小さなカラスが外から窓枠をつついていた。カラスの首には小さな円筒が提げられている。
「ああ。帰ってきたね」
言いながらユアンは窓に近づき、小さく引き開けてそのカラス――エリザベートを招き入れる。しかしエリザベートはじっと窓枠に掴まるだけで部屋には入ってこようとせず、首を巡らせながらつぶらな瞳をくるくる向けていた。なんともおとなしい鳥だ。
ユアンはエリザベートが提げている円筒を優しく外すと、蓋を開けた。中には小さな紙が一枚入っていて、ユアンはそれを読み上げた。
「〈公演〉の成功を祈る。団長。――だってさ」
(……ホントに連絡手段として使ってんだな……)
このカラス、ユアンのペットであると同時に、ベイドリックとアルカンサーカスの連絡用に使われている伝書鳩――もとい伝書カラスなのである。ユアンとは公安部の保護施設からの付き合いで、当時から利口な鳥だったのだとか。ベイドリックはそこに目を付けたらしい。
普通の通信手段を使わないのは、盗聴や電波の発信源特定を避けるため。また通信技術の発達した現代においては意外性もあって、秘密組織としては好都合なのだとか。
ちなみにお宝の情報もエリザベートを介して提供され、情報は最新の小型電子チップに収められてエリザベートに託される。それをこちらにある専用の印刷機を通して刷り出すわけだ。なんとも新旧入り混じった仕組みだが、こういうちぐはぐさはライルとしても嫌いではない。
「けど〈公演〉前にトップからの連絡がそれだけか? あのオッサンもいい加減だな」
ユアンは紙を指でくるくる丸めながら、
「最初は、〈公演〉内容にもそれなりに干渉はあったんだけれど、最近は減ってきたね。僕たちも盗みの質が悪いとはいえ一応成果は出してるし、信用されてきてるのかもね」
それに加え、秘匿性のバランスの問題もあるのだろうとライルは思った。しっかり管理しようとすればそれだけ関係性を疑われるリスクが増える。かといって奔放にやらせるわけにもいかない。この辺りのバランスをシュタルニア政府も模索しているということなのだろう。
「そういや、その成果とやらはどうしてんだ? ここに保管してあったりするのか?」
するとユアンはきょとんとしてから――楽しそうに笑った。
「シエル。彼、気づいてないみたいだよ」
「みたいだねぇ」
いつの間にかテーブルに着いていたシエルは、両手で頬杖をついてにやにやしている。
「探してみたら?」
促され、ライルは訝りつつも首を巡らせるが――それは簡単に見つかった。
「なっ……」
食器棚の中、下段にぽつんと置かれているのは絵皿の名作、サイモン・ル・ダノワの『オースピシャス』だった。十年前にシュタルニア第一国立美術館から盗まれたもので、三百年前に皇室に献上されたという本物の国宝である。
さらにその上段には、安っぽいグラスに紛れて、モザイク技法で宗教的なモチーフが描かれた繊細なガラス細工が置かれていた。古代シュタルニアで流通したとされる『シュタルニアグラス』の一つで、あの模様はラティフォリス教会が所有していた逸品だろう。
そのほかにも食器棚には国宝級の陶器、ガラス工芸品がいたるところに収められていた。中にはライルが初めて直接目にするものもある。
「いやちょっとこれ……リーダー?」
ライルは唖然としたが、シエルは言ったものだった。
「いやぁ、だいぶ増えてきたし、最近片付かなくってさぁ」
「国の宝を何だと思っとるんだお前は!?」
「へーきへーき。国に引き渡すまでの仮保管だから」
「……引き渡しっていつだ」
「三日後。引き渡し自体は、三か月に一回」
「三か月もこうなのか……」
「管理はちゃんとやってるから大丈夫。それにキッチンにある分はこれだけだから安心して」
「……まさか、他の場所にも同じように置いてあるのか?」
「そーだよ。この建物のいろんなとこにね」
「全く気が付かなかったぞ……」
「さっき階段上るとき、リュックで落としそうにはなってた」
「怖いこと言うな! つーかちゃんと管理してねーだろ!」
だがシエルはふっとキザに笑って左目を閉じると、見えないシルクハットのつばをはじいた。
「――こんな素晴らしい作品、金庫に閉じ込めるのは可哀そうだ」
「やめんかっ!」
一応正体を隠している身でありながら、そこはきっちりツッコむライルだった。
――その後、食事を終えて。
予定通り〈公演〉の打ち合わせが開始された。
ライルは他のアクターに計画を説明。
そして
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