2-4

 アルカンサーカスは、最上階の三階が生活スペースになっている。楽屋を改造した個人部屋とキッチンなどの共有スペースがあって、そこがアクターたちの家となっているのだ。ガストンは、建物の地下スペースである広大な〈奈落〉で勝手に生活しているようだが。

 ちなみに自分のことは自分でというのがアルカンサーカスの規則。しかし食事だけは当番制で、しかも基本一緒に食卓に着くという暗黙のルールがあるとのことだった。これはガストンも例外ではないらしいが、あの気質だ。すっぽかすことも多いようである。

 ライルとシエルは三階に上がって廊下に出る。

 そこでライルは、ふと訊いた。


「そういや、俺はどこで寝泊まりすりゃいいんだ?」

「あ、そうだね。ご飯の前にその荷物置かなきゃね」


 意外にも調度品がそれなりに置かれた廊下を歩いて、ライルはある部屋の前まで案内される。


「ここが今日からキミの部屋だよ」


 ドアを開けると、これまた意外にも部屋は小綺麗でそれなりに広かった。ベッドもあってソファもある。壁に備え付けられたクローゼットも大きいし、トイレもバスルームもあるようだった。おまけに日用品までいくつか置いてある。


「いいのか? こんな良さそうな部屋」

「むしろ狭くないか心配」

「贅沢な……違法組織っても、政府お抱えってなるとこうなのか?」


 荷物を床に置いて部屋を睥睨する。とそこで、ライルは壁際のキャビネットの上に黒い衣服とシルクハットを見つけた。


「これ、例のやつだな?」

「あ。うん」


 ライルはまず黒い衣服――改造燕尾コートを手に取った。これはアルカンサーカス〈公演〉時の正装で、防弾防刃繊維の防具でもある。手にしているのはユアンの予備として保管されていた一着で、サイズが合ったのでライルはこれを使うことになった。今一度袖を通してみる。


(やっぱり着心地は悪くないな)


 質感もいいし、軽くて動きやすい。あとは例のドミノマスクを着けて素顔を隠せば、アルカンサーカス・アクターの完成である。ただモノクルが必要なライルに、あれは着けられない。


(で、これだな)


 黒のシルクハット。これはシエルのおさがりである。


「……でもいいのか、お前のシルクハット貰っちまって」

「うん。ボクにはちょっと大きかったしね」

「じゃ、ありがたく」


 一応、被ってみる。


「やっぱりマスク無しでもかなり印象変わるね。色が違うからランスロットにも見えないし」

「そうか。ならいいが」

「カッコいいよ」

「……そうか」


 なんだか照れくさくなって、ライルはシルクハットとコートを脱ぐ。とりあえずしまっておこうとクローゼットを開けた。


「あっ! そこはダメ!」

「へ?」


 静止はすでに遅く、半開きになった扉は内部からの圧力で一気に開いた。中からはボールやらステッキやら謎の小箱やら……とにかく大量の手品道具らしきものがなだれてきて、ライルを直撃する。一瞬で、ライルの体は道具に埋もれた。クローゼットの前に小山ができ、そこから突き出たライルの四肢が不吉に痙攣する。


「あちゃー……」


 シエルはライルを救出しようとするが、それより早く、ライルの手足がもぞもぞ動いた。道具の小山から這い出し、ふらふらと立ち上がる。


「おい……なんだこれ……」

「あ……えっとね。実はその……今日の〈公演〉の準備しなきゃと思って、昨日の夜あれこれ作ってたんだ。でもそうしたら片付け間に合わなくなっちゃって」


 シエルは指先をつつき合わせる。


「なんでこんなに作ったんだ……」

「だって、今日初めての日でしょ? キミにどんなこと要求されるか……わかんないから」

「怪しい言い方すんな! 第一、なんでそれが俺の部屋にあるんだ!」

「ボクの部屋でもあるもん」

「へ?」


 シエルは、わざとらしく咳払いなどしてみせて、


「実はキミ、ボクと相部屋です」

「……マジで?」

「マジマジ。ここ部屋四つしかないし、他の三人の部屋はかなり狭いから」


 聞けば他三人の部屋はここの半分もないらしい。バスルームなどはあるが、到底二人が住めるような部屋ではないとのことだった。シエルはサーカスのリーダーなので、広い部屋をあてがわれているのは納得がいくが。


「あ、寝場所はちゃんとベッドとソファで交代にするから安心して。ごめんね。一応秘密の組織だし、家具の搬入も今すぐってわけにいかなくて」


 シエルは申し訳なさそうにするが、ライルとしては寝場所のことなどどうでもよかった。


「あの……部屋が足りないなら、寝泊まりは舞台裏とかでもいいんだが」

「ダメダメ。キミまだ一応監視対象だから。これは団長命令でもあるんだよ」

「いや、でもお前と相部屋ってのは……」

「男同士なんだから、問題ないでしょ」

「そりゃそーだけど……」


 そこでシエルははっとなったようにして――悪戯っぽく目を細めた。


「もしかしてキミって、男の子をそういう目で見ちゃう人?」

「ちがわい! なんでそーなるんだ!」

「だって女の人苦手なんだし、その経緯でそっちに目覚めたのかもって」

「アホか! むしろ逆だ! お前が女にしか見えんのが問題なんだ!」

「可愛いって? ありがとー」

「言ってねぇぞ!?」


 にへにへしているシエルを、ライルは半眼で見つめる。


「というかお前さ、なんで女物着てんだ?」

「もちろん正体を隠すためだよ。ドミノマスクとコートで隠して、女の子の恰好する。完璧」

「普段からそうしてる意味はあるのか……」

「やるからには徹底的にやらないと」


 だがそこで、シエルは苦笑した。


「やっぱりライル的には、この格好ダメ?」

「あ、いや……ちゃんと理由もあるみたいだし、ダメとは言わんが……」

「でも、怖くなるでしょ?」

「……だからって、お前がそれに振り回されることないだろ。この病気は俺の自業自得だし、慣れる努力はするさ」

「ふぅん。……じゃさ、それとは別に、変だったりはしないかな?」

「……いや? さっきも言ったが女にしか見えん。……そうだな。調子の取れた美しさがある」


 シエルはくすりとして、


「もう、ボクは骨董品かー?」

「そう思ったんだから仕方ねーだろ」


 告げると、シエルは少しだけ視線を逸らして歩み寄ってくる。


「……なんだ?」

「――ありがと」


 シエルは跳ねるように背伸びして、ライルの頬に口づけた。一瞬のフレンチ・キス。思考が止まりかけたライルだったが、されたことを再認識すると思い切り後じさった。


「お、お……お前……なにを……」


 キスされた頬に思わず手で触れるが、その熱さに自分でも驚く。

 だがその時、シエルが噴き出した。


「ぷっ、ははははは! ライル顔真っ赤―!」


 さらにひとしきり笑った後、シエルは口に手を当ててほくそ笑む。


「ねー、男にキスされて、なんでそんなに赤くなるのー?」

「い、いや!? 別に俺は――」

「えー、がっつり反応したよねぇ? ほっぺにキスなんて挨拶でもするでしょー?」

「ち、違うぞ! これは、あれだ! 女にされたみたいでびっくりしただけだ!」

「顔が真っ青になってたら、信じてあげたけどね?」


 言ってシエルは、芝居がかったしぐさでこめかみに指をあてる。


「あー、でもこれは問題だなぁ。同室になったらボク襲われちゃうかもなぁ」

「襲うわけねーだろ!」

「それともあれかな? 男の子じゃなくて、女装してる男の子がストライクな感じ?」

「だから違うというとろーが!」

「やー、ケダモノー」

「誰がケダモノだっ!」

「少年趣味ー」

「だーっ! もーわかった! 今後の生活で、俺が人畜無害なノーマルだってことをきっちり証明してやる!」

「ふぅん。じゃあボクと同室でもいいの?」

「ああいいさ! お前も格好そのままでいろよ!」


 ライルはびしりと指を突きつける。

 だがシエルは急に真剣な表情になると、細い顎に指をあてた。


「……でも待ってライル。それ証明しちゃったら、女性恐怖症が治らない限り、この後まともに恋人できないってことになるよ」

「なに真面目に分析してんだ! 余計なお世話だ!」

「とりあえず、ガストンに例の眼鏡の制作を急ぐように言っとく」

「どーいう気の回し方だそれはっ!」


 朝っぱらから部屋で騒ぐ二人。

 騒ぎを聞きつけたベルティナが怒鳴り込んでくるまで、それは続いた。

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