2-3

 黙々と街路を歩くこと三時間少々。午前九時を過ぎて、ライルはアルカンサーカスの裏手にやってきた。昨日言われた通り、尾行されたり怪しまれたりはしていないはずだ。

 でかいリュックを背負っていようが、人の目を盗んで街を歩く程度のこと、ランスロットには容易い。普段なら道行く女性がネックだが、イモモノクルの効果は絶大だった。


「……にしても、後ろはこうなってたのか」


 裏側は、中途半端な道幅の路地になっていた。ただ路地とはいえサーカスの建物を最奥に行き止まりになっていて閑散としている。ホームレスぐらいいそうなものだが、なぜか人が寄り付かないポイントというのはどこの街にもあるものだ。ここもそういう一角なのかもしれない。

 ちなみにこの周囲の建物はアルカンサーカス設立にあたって政府が密かに買い取っているので、全て無人家屋である。


「さすが公安部。いい仕事してるよな」


 感心しつつ、サーカス建物の真裏、ガレージシャッターの横にある通用口らしきドアの前に立つ。そばの壁にはインターホンらしきボタンがあった。


「よし。俺は今日ここから新しい人生を始めるぞ。きっちり貢献して、女性恐怖症克服メガネを作ってもらって、平穏な日常を取り戻す!」


 ライルは胸の前で拳を握ると、インターホンを押し込む。


「いざ行かん! 美しい未来へっ!」


 その瞬間、足元の地面がぱっかり開いた。



「……美しく……ないぞう……」


 ライルは背後のリュックに押しつぶされるように床に転がっていた。顔を床からはがして周囲を見回すと、背後には妙に巨大なダクトがあった。自分はどうもここから滑り出てきたらしい。しかもここは、サーカス一階の舞台裏であるようだった。


「なんで一階で穴に落ちて、一階に出てくるんだ……」


 落下してからここに出るまで一瞬だったので、どういう経路を辿ったのかは全く分からない。体は無事そうなので、そこは幸いであるが。

 その時、声がした。


「おはよ、ライル」


 声のした方を向きやると、いつ来たのか、近くでシエルが屈んでいた。

 ライルは一気に思考を復活させ、リュックごと跳ね起きる。


「おまっ! おはよじゃねぇっ! なんだあの落とし穴はっ!」

「あはは……秘密の入り口。ごめんね、言うの忘れてて」


 シエルは微苦笑を浮かべて指先で頬をかく。


「な、なんつーしょーもないもんを……作ったのはガストンか?」

「そうそう。こういうの、秘密組織としては押さえとくべきかと思ってさぁ」

「発案お前か! つーか無駄だろこんなもん!」

「一見無駄と思えるものほど、いざというとき必要だったりするのです。備えあれば憂いなし」

「俺は今思いっきり憂いてるけどな!?」

「ほぅ。ちゃんと動きおるようだな」

「……ん?」


 突然割り込んできたしゃがれたバリトンに、ライルは振り返る。すると視線の先では極端な矮躯の老人がダクトをこんこん叩いていた。上背のわりに体格はがっちりしていて、その体を空色の作業着に窮屈そうに詰め込んでいる。白髪の後退した禿頭には大きなゴーグルをつけていて、手には軍手、足には作業靴。サーカスただ一人の技術屋、ガストン・ダンスクである。

 彼は無精髭の残った顎をさすりながら、


「ふむ。一度は動かしてやらにゃと思っとったんだ。感謝するぞ。片目の」

「こんなこと感謝されても微塵も嬉しくねーぞ!? ……ってか、ちょっと待て。さっきからなんか『今初めて動かしました』みたいなニュアンスを感じるんだが?」

「そうだな」

試運転テストとかは?」

「誰でするんだ。危ねぇだろが」

「アホか! こんな大掛かりなもん、テストもなしに動かすほうが危ないだろうが!」

「へっ、無事でよかったぜ」

「やかましいわ! こんなもん今すぐ撤去しやがれっ!」

「無くすとここが倒壊するかもしれんが、いいか?」

「どー作ったらンな仕組みになるんだ!?」

「ぬははっ」


 こちらの剣幕に物おじせず、彼はにかにかと笑い返してくる。昨日紹介を受けた時、シエルが変に豪気なんだと言っていたが、やはりその通りであるらしい。


「……ったく初日からこれとか、先が思いやられるな……」


 ライルは悄然と肩を落とすが、そこでシエルがくいくいとシャツの裾を引っ張ってきた。


「ん? なんだ?」

「ね。ライル。朝ごはん、食べてきた?」

「へ? ……ああ、そういや荷造りでバタバタしてて食ってないな」

「じゃ一緒に食べない? みんな上で待ってるから」

「そりゃありがたいが……なんか悪いな。来るのだいぶ遅くなったし」

「ライルに合わせて遅めに準備したから大丈夫」

「なんでこっちの行動が把握されてんだよ」

「簡単な推理だよ。今日の〈公演〉の演出準備に一晩。うっかり寝過ごしちゃって、朝バタバタ荷造り。そんなとこでしょ?」

「う……」

「にしし。ビンゴ」


 屈託なく歯を見せてシエルは笑った。少年っぽい笑顔に、ライルは彼の性別を再認識する。――見た目との差に、改めて混乱しそうにもなったが。

 シエルはガストンにも振り向いて、


「ね、ガストンも一緒に食べるでしょ?」


 しかしガストンは腕組みして、視線でダクトを示した。


「いや。作動したついでだ。俺ぁこいつのメンテしちまうよ」

「……またベルテに怒られるよ?」

「へっ、俺の蒸気機械は、機嫌が悪いとメンテもさせてくれんでな。あんな娘っ子よりそっちの方が怖いわい」


 そうとだけ言って、ガストンは寸詰まりの体を揺らして建物の地下――〈奈落〉へ続く階段へ消えてしまう。それを見送って、ライルはダクトを見上げた。


(……やっぱこれも蒸気のシステムで動いてんだな)


 ガストンは、蒸気機械のスペシャリストだ。サーカス内における機械系の装備や設備は、その動力のほとんどをガストンが独自に開発した蒸気エンジンに依存している。さらに彼は水を百パーセント瞬時に気化させる特殊な合成鉱石、『蒸気石ベイパーストーン』の開発者でもあって、それを利用する蒸気エンジンは整備が難しいものの小型軽量でパワフル。特にアクターらの持つベイパーアームズはこの恩恵を多大に受けている。


(そう考えると、あの性格も天才ゆえのもんかもな)


 見れば昨日あれだけボロボロだったステージもきれいに直っている。古今東西、馬鹿と天才は紙一重であるということか。

 ぼーっとそんなことを考えていると、シエルに手を引かれた。


「ライル、行こ? キッチンはここの三階だよ」


 早く早くと、彼は親を急かす子供のように引っ張ってくる。ライルは引かれるままに足を送り出すが、彼のしなやかでやわらかい手に女性を感じてしまい、思わず緊張した。


(でも、じんましんは出ない、と)


 昨日の膝枕を、ふと思い出す。あの時じんましんが出なかったのも、ついでに最初からシエルとそれなりに喋れたのも、無意識に彼を男だと見抜いていたからかもしれない。


(……優秀な鑑定眼なこって)


 呆れて、ライルは左目を閉じた。

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