5-3

 瞼の裏に光を感じて、目を開けた。

 むき出しの電球が吊られた天井はやけに簡素で見覚えなく、空気には鉄と機械油の匂いが混じっている。

 寝たまま首を振って見回す。どうやらここは小さな小屋のような場所らしかった。ドアのそばにある製図台の前では丸椅子に腰かけた小柄な老人が腕組して舟をこいでいて、頭の上には小ぶりなカラスが乗っている。自分は上着を脱がされ、上半身に包帯が巻かれた状態でシンプルなパイプベッドに寝かされていた。


「くあー」


 こちらが起きているのに気づいたカラスが飛んで、鳴き声で老人が目を覚ます。


「お、もう起きたか。タフだな、片目の」


 ……片目の? 俺のことか?

 ゆっくり起き上がる。肩口や背中に痛みが走って――その瞬間、ライルは覚醒した。


「っガストン! あれからどれだけ経った!?」


 ライルはベッドから身を乗り出すようにして叫んだ。ガストンは拍子抜けした雰囲気で、作業着の懐から油まみれの懐中時計を取り出す。


「まだ二時間ほどしか経ってねぇよ。……ってか元気だなおめぇ」

「二時間……飛空船ならもうシュタルニアは出てるか……くそっ!」


 ライルは顔をしかめ、拳でベッドを叩く。


「おいおい、ちっと落ち着け片目の。……まぁけど、その分じゃ体は心配なさそうだな。見た目より出血も大したことなかったし、弾の当たりどころがよかったんだろうな」


 言われて、ライルはぺたぺたと体を触る。じくじくとした痛みも、改めて実感する。


「……これ、手当てはお前が?」

「おうよ。救護キットくらいはあるからな。銃弾抜いて縫合しといた。メンテは得意なんだ」

「メンテっておい」

「ぬはは、冗談だ」

「お前が言うと洒落にならんぞ……」


 返しつつ、ライルは今一度小屋を見回す。


「ここ、どこなんだ?」

「〈奈落〉の底。俺の部屋だ」

「お前が上からここまで運んでくれたのか?」

「おうよ。けど俺を呼びに来たのはこいつだぜ」


 ガストンは親指でエリザベートを指す。


「上がやかましいと思って舞台裏に出てみりゃ、なんか黒いねーちゃんらがわらわら出ていくとこでな。そうしたらこいつが飛んできた」

「くあっ」

「で、こいつについてきゃ廊下でおめぇが血まみれで倒れとるわ、どっかんどっかん始まるわで、とりあえず〈奈落〉に逃げたのよ」


 ガストンが腕を組み、禿頭には再びエリザベートが乗っかる。ライルはガストンとエリザベートにそれぞれ視線を送って、


「そうか……。助かった。サンキュな」

「くあー」

「へっ。礼なんざよせやい。それより片目の、何があった?」

「……ああ」


 ライルはグラン・ミネラからの事の顛末をガストンに語った。シエルたちが連れ去られたこと。クローゼらのこと。シャドーエメラルドのことも。一通り聞き終わったガストンは唸りながら、顎をさすった。


「またえらい連中がいたもんだなぁ。ナニモンだそいつら?」

「まだ闇企業ってことくらいしかわからん。ヴェスパー社、って名前、聞いたことないか?」

「ねぇなぁ……」

「……そうか」


 ライルはしばらく目を伏せて黙考したが、短く息を吐くと、ベッドから足を降ろして立ちあがった。血が足りない気配と痛みはあったが、立てないことはなかった。ベッドの柵にかけられていた血が付いたままのシャツを手にする。


「すまん、世話になった」

「どこ行く気だ?」

「決まってんだろ。シエルたちを取り返しに行くんだ」


 敵の行方はわからないが、ここでじっとしているわけにはいかない。何とか連中を追う手立てを探さなければ。


「言っとくが、上は瓦礫の山でジェスターも潰れてるぜ」

「だろうな」


 静かに返しつつも、ライルは拳を握る。シエルたちの家は一瞬で失われたのだ。彼らにとって大切な場所だったはずなのに。彼らの最後の表情が頭から離れない。


「けどそれでも行かなきゃならねーんだ。大事なものを奪われてじっとしてるなんて、美しくないだろ」

「けど敵は女なんじゃねぇのか? 悪いが、例の眼鏡はまだできてねぇぞ」

「関係ない。今はあいつらとこのまま会えなくなる方がずっと怖い」


 するとガストンがにかにかと笑った。


「良い目、良い覚悟だな。片目の」

「?」

「開けてみな」


 ガストンがドアを視線で示し、ライルはノブを引く。その先はライトアップされた広大な格納庫だった。そして今そこには一機の白い飛空船が堂々と鎮座していた。

 楕円の気嚢は大型飛空船より小さいが、それに対してゴンドラが大きめで機体表面には無数の配管がうねっている。後部には巨大な噴進器のようなものが付いていて、気嚢の上部には蒸気機関車のように煙突が突き出していた。


「ガストン……これは……」

「蒸気飛空船『ハーレクイン』。高出力の蒸気エンジン載っけた俺の自信作だ。飛ばせば高速飛空船以上の速度が出るぜ。まぁ、まだ未完成で燃費は悪ぃし、武器もねぇんだがな。けど航行はできるはずだ」

「こんなもんいつから……」

「アルカンサーカスが始まったときから、趣味でコツコツ作っとったのよ。〈奈落〉のスペースはだいぶ圧迫したけどな」


 前に入った〈奈落〉の構造が入り組んで狭苦しかったのはこんなものが下にあったせいか。〈奈落〉の構造が頻繁に変わっていたのも、造船する上でのスペースを確保していたのだろう。


「けど、こんなもん動かせるのか? 飛空船飛ばすのには結構人手がいるだろ」

「蒸気演算機である程度自動化されてる。地形情報もある程度入力済みだし、最悪一人でも飛ばせるぜ。今回は俺が運転してやる」

「いいのか?」

「こいつの初フライトを他の奴に任せられるかよ。付き合うぜ。片目の」

「……すまん。恩にきる」

「礼なんざいいっつったろうが」


 ばしりと背中を叩かれ、ライルは傷口の痛みに涙目になる。が、それでも笑みは消えなかった。エリザベートも肩に飛んできて、軽く頬をつついてくる。彼女もついてくる気のようだ。


「それとこれも渡しとくぜ」


 ガストンは一度小屋に戻ると、一本のステッキを持って出てきた。真鍮管のうねる機械的なデザインで、先端には透明なガラス玉の装飾がある。


「これは?」

「おめぇのベイパーアームズだ。名前は自分でつけろ」

「こんなもんまで作っててくれたのか」

「おうよ。……カチコミに行くなら武器は必要だろ」


 ライルは再度の決意と共に、ステッキを強く握りしめる。


「……けど悔しいな。これで連中の移動先がはっきりしてりゃ完璧なんだが」

「予想はつくぞ」


 背後からの声に振り向くと、小屋の影から一人の男が歩み出た。

 整えられた白髪交じりのブロンドに藍色の瞳。多少変装していて、いつもの背広姿ではなくラフな普段着だったが、そこにいたのはベイドリックだった。彼は手に、多少潰れて汚れた円筒形のハットボックスを抱えていたが、ライルは今はあえて無視する。


「……どーやって入ったんですかね」

「裏手に来たら、急に地面が開いたんだ」

「ああ……」


 ライルは何となく察する。彼は例の秘密の入り口で落ちてきたらしい。大方、建物が倒壊したことで開閉機能がいかれたのだろう。


「そりゃ大変でしたね。それで盗み聞きですか」

「この小屋に、壁などあってないようなものだ」

「そりゃそうですね。……で、予想がつくってのは?」

「以前報告にあったヴェスパー社についていくつか報告が上がった。あれは東方大陸の企業のようだ。それ以外のことはまだ掴めないが、ここから東へ行った海洋の沿岸に、同企業が保有する船渠があるようだ。東方大陸への航行には必ず一度給油が必要になる」

「……なるほど」


 ライルは確信の笑みを浮かべると、彼に歩み寄った。一呼吸おいて口を開く。


「その箱の中身、見ましたか?」

「ああ」


 答えを聞いて、ライルは小さく息を吐き出す。運がいいんだか、悪いんだか。しかしそれは気を落としたため息ではなく、未練を吹っ切るための、一つのきっかけ作りだった。


「それは、俺のです」

「察しはしたよ。どうりで優秀なはずだ」

「誉め言葉と、受け取っておきます」

「だが残念だが、見逃すわけにはいかない。君がどれだけ泥棒として優秀だろうと、身勝手な犯罪歴がある者を、我々が使うわけにはいかないんだ」


 ライルは決然とベイドリックを見返した。


「わかっていますよ。ですが逮捕は待ってください。俺にはやるべきことがあります」

「休戦か? ランスロット」

「はい。……シエルたちは必ず盗み返します。俺自身の誇りにかけて。逮捕はその後で受け入れましょう」

「お前の予告なら、信ぴょう性はあるか」


 ベイドリックは小さく笑って、


「こんなことをお前に言うのは変な気分だが……今すぐ犯人を追ってくれ。私も公安部の飛空船で後から追いかける。連中の行為は盗みであると同時に、明確なテロだ。何とか足止めして時間を稼いでほしい」

「結構ですが、着いた時には、ショウは終わっているかもしれませんよ?」

「たまには警察に華を放ってくれてもいいだろう?」

「……努力しましょう」


 ライルは左目を閉じて、にやりとした。

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