3-3
「ったく朝っぱらからなんでこーなる……」
無事ベルティナと話を付けたライルは身支度を整えるべく、部屋までの廊下を戻っていた。
床に視線を落としてだらだらと足を送り出しながら、右目のモノクルを手で直す。部屋を飛び出したときはモノクルのことを完全に失念していたため、実は一度部屋に取りに戻っていたりする。朝からばたばた駆けまわって、まったくもって美しくない。
「でもまぁ無駄にこじれなかったのはセーフってとこか」
あの時すぐに部屋を飛び出した判断は正しかった。何はともあれ、誤解は早期に解決しておくに限るのだ。ベルティナがこちらになついていて素直だったのも、功を奏したわけだが。
「けどこれからは気を付けねーとな……共同生活、どこで誰が見てるかわからん……」
「何を、見るの?」
「何ってそりゃ……」
言いかけて、違和感を覚えて言葉を切る。顔を上げると、そこにはいつの間にかミアが立っていた。シンプルなトレーニングウエア姿で首にはタオルをかけている。
「っ……!」
ライルはあわてて左目を閉じ、彼女をイモに変えた。
「何か、あった?」
「い、いや? 別に何もないぞ」
「そう」
次第に緊張がほぐれ、心の余裕が戻る。
「トレーニング、今終わったのか?」
「うん。撃破数、六百二十六。新記録」
「朝からよくやるなぁ……」
ミアは、サーカス団で唯一トレーニングを日課にしている。他のアクターもやらないことはないらしいが、国から訓練が課されているわけではないので、やらない日の方が多いようだ。
それにそもそも、強化人間である彼らはトレーニングなどせずとも、基本的な身体能力はある程度高かったりする。ユアンのような例もあるにはあるが。
「にしてもアレだな。やっぱ妙技ってのは、日々の努力に裏打ちされてるもんだな」
「……大げさ。私の体は普通の人間じゃない。〈公演〉の時はベイパーアームズだってある」
「強化人間だろうが〈ハチャトゥリアン〉を使おうが、あの蹴りのしなやかさは基礎がなってなきゃできないさ。妙技っつったのは単純な技術だけの話じゃない。お前の戦いは美しいのさ」
「……美しい……?」
「ああ。
すると、ジャガイモが少し下を向いた。
「……トレーニングは、昔からの習慣なだけだし」
「昔ってことは、保護施設の頃からか?」
「……もっと前」
(前?)
もしかすると、例の研究施設とやらで訓練をさせられていたのかもしれない。その習慣が抜けないということだろうか。
するとミアは速足気味にライルの横を抜けた。
「あの、じゃあ私、シャワー浴びてから、キッチン行くから」
「わかった。伝えとく」
「それじゃ」
いつも以上に朴訥に告げて、ミアは廊下の奥に歩いてゆく。ライルはなんとなくそれを見送っていたが――彼女はあるところで立ち止まり、振り返ってきた。
「昨日の〈公演〉、楽しかった。今日からまた、よろしく」
「――あ」
ライルは思わず、左目を見開いた。
しかしその時既に、彼女は前を向いて歩き始めてしまっていた。今更呼び止めるのも滑稽な気がして、ライルは少し歯がゆく思う。
「…………」
ライルはいつもの癖として左目を閉じる。
一体、どんな表情で彼女はそれを伝えてくれたのだろうか。
イモに変えていなければ、見えたはずなのに。
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