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 起き抜けの騒動に対して、その後はゆるりとしたものだった。〈公演〉がなければアルカンサーカスは基本的に休日のようなもの。お宝情報も頻繁に入ってくるわけでもないし、情報が出そろっているものはシエルたちがこの半年間であらかた奪って、一定の区切りがついている。

 しかし朝食時、ライルが何気なく今後の活動について話題を振ったところ、シエルはこんなことを言ってきた。



「実は奪取が難しいお宝が、残ってはいるんだよね」


 言って、向かいの席に座る彼は紅茶に口を付ける。

 食卓にはシエルから時計回りにミア、ベルティナ、ユアンと座っていて、ガストンは例の如く欠席している。窓枠では、エリザベートがせわしなく野菜の切れ端をつついていた。

 ライルはユアン作のミックスサンドを飲み込んで、


「難しいってのはあれか? 警備が厳重とかか?」

「そんなとこ」

「そういうお宝、結構あるのか?」

「ううん、今情報があるのは一つだよ。……シャドーエメラルドって知ってる?」

「もちろんだ」


 ――シャドーエメラルド。およそ二百年前、シュタルニア領内で巨大な原石が採掘された宝石の名だ。しかしエメラルドとはいうものの、組成が似ているというだけでまったく別の鉱石で、その名はいわば俗名である。研磨された現物はソフトボール大と巨大なものだが、その名の通り色も黒く輝きもくすんでいて、宝石としての価値は無いに等しい。

 ただ珍しいもの好きだった当時の皇帝が原石を買い取り研磨させたため、皇室ゆかりの品として有名になったのである。また鉱石成分自体は他には類を見ないものなので、学術的な価値も一応ある。ただ管理している文化省が損壊を恐れていたため、成分研究などはほとんどされていないようだが。確か美術館から盗まれたのは、十五年ほど前だったか。


「それを、昨日のマフィアのボスが持ってるみたいなんだよね」

「キース・ドラモンドか。……つーことは」

「そ。ドラモンド経営のカジノホテルの金庫に、シャドーエメラルドが眠ってるんだよ」

「なるほど。難しいわけだ」

「金庫室は指紋、網膜、カードキーの三重ロック。おまけに入り口の扉も壁も戦車砲の直撃に耐える超合金製」

「ほぅ。まさしく難攻不落だな」


 シエルが難しいと言った理由に、改めてライルも納得する。


「しかもドラモンド・ファミリーはグルシリアの一大マフィアでしょ。部下の数も相当数だし、それだけでも厄介なんだよ」

「昨日みたいに組織の一角を不意打するならともかく、本城のカジノ攻略は難関ってか」

「今んとこ、攻略法は思いつかない」


 言い切って、シエルはふた切れ目のミックスサンドにかぶりつく。


「しっかし昨日の船といい、いろいろ筒抜けだなそのマフィアも」


 するとそれにはユアンが答えた。


「裏社会では闇商人として有名だからね。公安部も初期からマークし続けているみたいだよ」

「けど、シャドーエメラルドの情報っていつのだ? もう売られてたりとかは?」

「報告ないし、まだ持ってると思うけれどね。……情報自体は二か月くらい前だっけ?」


 シエルがミックスサンドを租借しながら首を縦に振る。


「まぁ、どっちかってーと、シャドーエメラルドはマニア向けか」


 シエルは、口の中のものを飲み込んで、


「むしろ、もっと盗みやすそうなとこに買われちゃえばいいんだけどね。もう今は、そうなるのを待とうかなって思ってたり」

(ふむ……)


 確かにシエルの言うことも、一理ある。しかし買われた先が盗みやすいとは限らないし、その後もお宝を確実に追跡できるとは限らない。彼もそれはわかったうえで言っているのだろうが、ライルとしては情報が確実なうちに動いておくべきだとも思った。

 それに難攻不落の金庫と聞けば、元怪盗として血が騒ぐ。ライルは腕を組み、聞いた話を脳内で整理しつつ、何か手はないものかと黙考する。

 が。


「ああ、考え事されてるライル様も素敵ですの」


 不意に入ったベルティナの一言に、ライルは肩をこけさせた。


「なあ、ベルティナ。その様ってのはどうにかならんのか……?」

「やだもうライル様ったら、ベルテとお呼びくださいませと、先ほども申しましたのに」


 ベルティナは頬に手を当て肩をくねらせる。

 昨日、〈公演〉の後から、彼女はこんな感じである。ライルの盗みの演出、読みに感動したようで、昨日の今日でベルティナの態度は百八十度変わった。


「昨日は信じられんとか言って睨んできたくせに……」

「喧嘩の後は、燃えるものですの」

「……それ、なんか違わねーか?」

「いつか小説の方も読ませてくださいませね?」

「あ、ああ機会があったらな……」


 ライルは頬を引きつらせるが、ベルティナは特に気にした様子もなく、胸の前で手を組み合わせて一心不乱に見つめてくる。


「ふふ。やっぱり見事口説き落としたねぇ」


 茶化してくるユアンに、ライルはうろんな目を向けた。シエルも何か言いたげにニヤニヤしていたが、それはきっぱり無視した。



「――よし。下見に行こう」


 食事も終わりかけた頃。呼びかけと独り言の中間のような口調でライルは告げた。全員の視線が、自然とライルに集まる。

 シエルが瞳を数回瞬かせて、


「下見?」

「そうだ。昨日はかなりぶっつけ本番だったが、本来盗みには下見が必要なんだ。実際に行って奴のカジノを探る。確かカジノがあるのは、グルシリアのミネラだったよな?」

「そうだけど……ドラモンドのカジノを攻略する気?」

「それができるか、判断するために下見に行くんだよ。客として入って、カジノの内情をできる限り探る。ついでにミネラ市街の地理情報なんかも集めるとベストだ」

「全員で行くの?」


 ライルは短く黙考して、


「そうだな。行くなら全員だ。情報収集も分担できるし、良い経験にもなるだろ。国は跨ぐから、ちと遠出にはなるが」


 ちなみにシュタルニアとその周辺諸国は政治経済同盟を結んでいるため、域内国境において検問というものはない。言語も母国語とは別に共通言語を用いるし、貨幣単位も統一されているので、一般的な国境越えの障害はほとんどないに等しい。


「移動に使うのはジェスター。ルートは国間フリーウェイ。飛ばせば、ここから七時間ぐらいで着くはずだ。細かい予定はこの後詰めるが準備に丸一日、出発は明後日ってとこでどうだ?」


 ライルは順にアクターたちを見回す。実際に動くにはベイドリックの許可が必要だろうが、盗みのために必要なことだ。そうそう反対されるとは思えない。

 するとベルティナが元気よく手を挙げた。


「私、行きたいですの! というかライル様の提案なら大賛成ですの!」


 それを見て、ユアンは小さく笑う。


「僕もいいよ。フェルゼンにいても、今は市警が殺気立ってて動きにくいしね」

「私も、いいと思う」


 ミアも続く。

 しかし残ったシエルは、難しい顔をしていた。


「シエルは反対?」


 と、ユアン。


「ううん。反対ってわけじゃないけど……下見でも、マフィアの本城なんて凄く危ないんじゃないかなって……でも、お宝の情報が確かなうちに動くのも大事だと思うし……」


 仲間のための心配と、国のための使命。どちらを取るかで悩んでいるらしい。気づけば、行き場を無くした灰の双眸がこちらに向いて震えていた。

 ライルはどう言葉をかけるべきか迷ったが――そこで一つ思いついて、さりげなく顔の横で指をはじいてみせた。部屋での一幕とは違い、甘く優しく微笑みながら。

 ――怪盗ランスロットに任せろ。

 それを見たシエルは小さく笑った。目を伏せ、しばらくして口を開く。


「……うん。やってみよっか。お宝を前にして尻込みするなんて、泥棒らしくないよね」


 開かれた灰の瞳に、もはや震えはなく。きっかけひとつで静謐な意志が宿り始めていた。



 こうして、次の仕事は決まった。

 ライルは公安部がよこしたカジノの基本情報に目を通し、計画を詰める。

 舞台の名は、グラン・ミネラ。

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