3-6

 準備にあてた一日は、あっという間に過ぎた。

 出発前夜、ライルらは必要な道具類を全てジェスターに積み込んで、潜入の手順を再度確認した。ジェスターの蒸気エンジンもガストンにメンテナンスしてもらい、給水も済ませる。

 実はシエルたちは国外〈公演〉も既に何度か経験済みのようで、出発準備はスムーズに終わった。しかしその夜。ライルらにはもう一つ大事な作業が残っていた。



「これで最後だ」


 一階の舞台裏に降りてきたライルは、抱えていた樹脂製のコンテナボックスをそっと床に置いた。中には半透明の緩衝材で梱包された美術品が詰まっていて、同じようなものが舞台裏には数十個集められていた。この場にはアクターも全員集まっている。みな動きやすいシンプルな服装で、ミアは前にも見たトレーニングウエア姿だ。


「うん。じゃ降りようか」


 シエルは持っていたドミノマスクを手の中で起動させると、回線を開いて呼びかける。


「ガストン、準備できたよ」

『おう、わかった』


 ほどなくして、〈奈落〉へ続く階段からガストンが現れた。ライルらはそれぞれコンテナを抱えて彼の前に集まる。


「ようし、じゃついてこい」


 ガストンは揚々と告げて踵を返し、一行は彼に続いて〈奈落〉へと降りた。



 さて奈落とは、一般的には地獄やどん底という意味のある単語である。

 舞台用語では舞台直下や花道の下にある地下室を差し、役者の出捌けをサポートする隠し通路や舞台装置の基部などが存在する。

 アルカンサーカスにおける〈奈落〉も主には舞台用語同様の意味だが、実際はもう少し意味合いが広く、建物の地下階すべてを〈奈落〉と呼称していた。発電機などもここに存在し、建物の心臓部ともいえる。またここにはアルカンサーカスが盗んだお宝を政府が回収するための設備もあり、今ライルらはそのお宝回収に向けての作業をしているのだった。

 ちなみにお宝の回収は明日の午後だが、出発の日の朝に作業などしていられない。なのでこの作業は今晩やっておく必要があった。


「……にしても、気が滅入る場所だな」


 コンテナを抱えてガストンの背中に続いて、ライルはぼやく。周囲は赤色灯、配管、鉄板、金網、ところにより蒸気という、なんともヘビーデューティーな空間だった。雰囲気は三日前の〈公演〉で潜入したタワーブリッジの地下ピットに近いか。

 しかしこちらは通路の幅も狭く天井も低いため、歩くとかなり圧迫感がある。おまけに噴き出す蒸気のせいで暑く、しかも通路全体が獣の喉のように震えて唸っていて、不快感や恐怖心をこれでもかと刺激される。なお入り組んだ通路の各所には扉があり、それらは舞台下や観客席下、発電室などにそれぞれ繋がっているらしかった。


「次右に曲がったら足下に配管がある。気ぃつけろ」


 右折すると、ガストンの言葉通り、太い配管が通路を横断していた。

 跨いで進むと、シエルがぽつりと言う。


「うーん、また変わってるなぁ」

「……やっぱそうなのか」


 実はこの〈奈落〉という空間、ガストンが自分の都合で勝手に拡張しては構造を頻繁に変えているらしい。さすがに部屋の位置は変えないらしいが、彼の案内なしに入ると迷う危険があったりする。三か月ごとの作業なのにわざわざガストンに案内を頼んでいるのもそのせいである。


「相も変わらず無茶苦茶な爺さんだな……」

「ねぇガストン。なんでこんな何回も変えるの?」


 そう、シエルが訊いても、


「ぬはは! 新鮮だろ!」


 と、これである。彼はベイドリックの古い友人らしいが、今後彼を完全に理解する日は来ないかもしれないと、ライルは真面目にそう思った。

 しばらく通路を進んで、ガストンはある部屋の前で止まった。鉄製の扉を通り抜けると、奥は四角い部屋で、床には壁の中にまで伸びる大型ベルトコンベアが一台あった。


(これが回収装置か)


 このコンベアの先には連動するリフトがあり、そのリフトはサーカス隣の無人家屋に繋がっている。コンベアに乗せればお宝が自動的に無人家屋に搬入される仕組みだ。

 回収当日は政府が運送業者を装い、その無人家屋からお宝を回収していく。これはまだ応急的なシステムらしいが、とりあえず問題なく機能しているようである。

 するとそこでガストンが告げた。


「じゃあ儂はこれでな。今日の通路は右、右、下、左、上、真ん中。簡単だったろ」

「……なぁ、毎回それだけ教えりゃいいんじゃねーか? あと目印とか」

「こら、甘えるな片目の。儂も暇じゃあねぇ」


 言うだけ言って、ガストンは部屋を出てゆく。

 ライルはシエルを見て、


「俺がおかしいのか?」


 問いかけに、シエルは肩をすくめるだけだった。



「ああ……やっと終わった……」


 無事最後のお宝――この前の『春の踊り』だ――の搬入を終え、ライルは舞台裏に戻ってきた。地下の熱気で噴き出した汗をシャツの袖でぬぐい、ため息をつく。

 三か月分とはいえお宝は基本かさばるし重く、作業の単純さに比べて重労働だった。加えてあの暑さだ。美術品にダメージが出ないように手早くやらねばならないし、荷物を抱えての往復は堪えるものがある。とはいえ盗んでその都度搬入するのも、防犯上好ましくない。


「お疲れー」


 先に戻っていたシエルたちは、舞台裏の床や資材にそれぞれ腰を下ろしていた。火照った体を冷ますために全員衣服をくつろげていて、ミアなどはトレーニングウエアの上着を腰に巻いて、ゆるいタンクトップ姿。ユアンも上着を一枚脱いで、インナーのまま床に座り込んでいる。


「いやぁライル君のおかげで早く終わったよ。梱包も手際良いし」

「まぁ、慣れてるからな」


 言いつつ、上階への階段に腰を下ろす。


「古美術品の発送とか、よくしてたのかい?」

「そんなとこだ」


 お宝の梱包など、ランスロット時代からもやっている。今回お宝の数はそれなりにあったが、どう包むのが効率よく、また安全かを知り尽くしたライルにとっては、朝飯前だった。


「ライル様ぁ、やっぱりさすがですのぅぅ……」


 既に眠いのか、資材に腰掛けるベルティナはぼんやりした声で反応する。


「ベルテ。寝るなよ。風邪ひくぞ」

「はいですのぅ……」


 ベルティナの隣にいたシエルは苦笑して、


「ありゃ、ほっとくと寝そうだね」

「……上、戻る?」

「そうだね。明日もあるし」


 そんな会話を交わして全員立ち上がる。ベルティナは、ミアが両手で抱える。

 とその時、ライルはミアの背中――首の下、ちょうどタンクトップに隠れるかとどうかという辺りにそれを見つけた。


(刺青……?)


 縁が白く色付けされた、こぶし大の黒い円。はっきりと見えたわけではないが、それは明らかに体に彫られたものだった。


(自分で入れたのか? ……あ、いや、研究機関で無理やりってこともあるか)


 だがインナー姿のユアンを盗み見ても、それらしいものは見つからなかった。


(……まぁ、何でもいいか)


 好んで刺青を入れるような性格には思えないが、自分も彼女のことをよく知っているわけではない。その程度のことと割り切ってライルは、部屋に戻る。

 戻ってからは、シエルと明日のことを話しつつも、普段と変わらぬナイトルーティン。

 眠る前になれば、彼女の刺青のことはすっかり頭から消えていた。

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