3-8
下見当日、ライルらは人けの少ない早朝を狙ってフェルゼンを出発した。
移動の足は予定通りジェスターで、ルートはフェルゼン東部の平野から南北に伸びる速度自由の道路、国間フリーウェイ。直線距離約六百キロを男性陣で運転を交代して走破し、六時間後にはグルシリアに。そこからは一般道を一時間ほど走り、昼過ぎにはミネラに入った。
到着の後はグラン・ミネラ周辺市街を手分けして探察。近代的な高層建築とカジノホールひしめく大都会の地理情報を集め、終われば、手ごろな路地にジェスターを隠し、夜を待った。
潜入を夜間にしたのは、客に紛れる都合上、カジノが一番賑わう時間の方が都合が良いと判断したためだ。警備する
潜入は二手に分かれ、分担して情報収集にあたる。一晩で可能な限りの情報を収集して撤収、とそんな手はずである。
やがて日が落ち、ミネラの街がネオンで目覚め始める。
頃合いを見計らって、ライルらはグラン・ミネラに向かった。
そこはまさしく宮殿だった。
武装した黒服が立つ巨大な正門を抜けると、その先はネオンで彩られた絢爛な噴水庭園。最奥に座す建物は王族の居城を思わせる豪壮さで、前時代的な意匠を取り入れた白亜の建物は、下からライトアップされてその存在感をいや増している。
高さだけ見れば市街にはそれより高いビルディングは多いがその分横に広く、ミネラにおいてこれだけの土地を確保できるドラモンドの財力を再確認させられた。
また行き交う客は貴顕紳士、淑女と言うべき人物ばかりで、ともすればどこかの社交パーティにでも迷い込んだような錯覚を覚える。気合を入れて着飾った女性と、それをエスコートする男性。客層だけ見ても、ここが超高級カジノであることは一目瞭然だった。
「はー。金もあるとこにはあるもんなんだなぁ……」
グラン・ミネラ南側の正面ロビー入り口前。立ち止まって建物を見上げていたライルは、思わず着ているダークスーツの襟元を正した。
つぶやきには、答えが返る。
「なんなら、シャドーエメラルドのついでにお金も貰っちゃおっか」
「……リスクに見合うだけ盗むとなると、かさばるな」
言いつつ、ずれたモノクルを直しながら隣に視線を移す。
そこには、淡い空色のカクテルドレスで着飾ったシエルの姿があった。長い灰色の髪はバレッタでアップにまとめ、わざと後れ毛を残している。足元は細いシルエットの黒いヒール。手には繊細なレースの付いた小ぶりなパーティーバッグを持っていた。メイクは軽く、ルージュも落ち着いた色を選択。全体的にカジュアル寄りのいで立ちだったが、このカジノのドレスコートはセミフォーマルなので問題はない。
「お前、やっぱそういう格好も似合うもんだな」
「えへへ。がんばった。でもライルとしては緊張するんじゃないの?」
「だからもう慣れたっての。どんな格好してたってお前は男だ」
「えー、つまんないなぁ」
シエルはライルから目を逸らして唇を突き出す。
このシエルの恰好は、恋人同士という設定で潜り込むためのものである。結局はそういう形が一番周囲に溶け込めるし怪しまれにくいのだ。今は別の入り口にいるユアンとミアも同じくで、今宵は両者とも大学生カップルを装う。なおペアの組み合わせは、ライルの女性恐怖症を考慮すれば自然とこうなるわけである。
ちなみに衣装や小道具は事前にフェルゼンで用意したものだ。一日の準備期間はこのためにあったようなもので、ライルらは市警を警戒しつつ変装して街に繰り出し、衣装一式をそろえた。アルカンサーカスにはかなりの額の予算が組まれているので、金銭面において苦労はない。
「よし、じゃあそろそろ行くか」
ライルは告げて、前方に視線を戻す。だが二人が正面ロビーに向かおうとしたとき、シエルのハンドバッグから唸り声が聞こえた。
『らぁぁいぃぃるぅぅさぁぁまぁぁ……』
二人してつま先をとどめ、シエルはバッグからいつものドミノマスクを取り出す。すると取り出されたのを見ていたようなタイミングで、彼女が呻いた。
『やっぱり私だけお留守番なんてヤですのぅぅ』
「いや、ンなこと言ったってお前連れては入れんから……」
ライルは半眼でドミノマスクを見つめ、彼女――ベルティナに応答する。
モノクルでイモとして見る癖がついたせいか、通信機越しという形なら、ライルも彼女やミアとは普通に話せるようになっていた。
『あぁぁぁ、今子供扱いしましたのぅぅ……』
「直接的な表現は避けたってのにどーせいっちゅーんだ……」
呪詛のような彼女の言葉に、ため息まじりに返答する。
今回、ベルティナは隠したジェスターの中で留守番である。役目は主に荷物番。
連れて入れるならそうしてやりたいが、さすがに彼女の見た目では、どうコーディネートしても入り口で止められる。ごまかして強引に入る手もないではないが、下見の段階で目立つのは避けたいところであった。
『うぅぅ暇ですのぅ……私も潜入したいですのぅぅ』
「わがまま言うなって。計画話したときは、納得してくれたじゃねーか」
『しぶしぶですのぅぅ……』
「それはそうかもしれんが……でもほら、あれだぞ。留守番だって重要なんだぞ。ジェスターの中にも貴重品は残ってるし」
荷物の中には念のため持ってきたベイパーアームズなどもある。実際、盗まれてはまずい。
『うぅぅ……』
「それにもしジェスターそのものが盗まれるようなことがあったら、帰るの大変だ」
『……それはそうですけどぉ……』
(お)
少しだけ、気勢が変わった。ライルはそこに勝機を見る。
「いいかベルテ。これはお前だからこそ、頼めることでもあるんだ」
『……ホントですの?』
「ああホントだぞ。パワフルなベルテが、ちゃんとジェスターを守ってくれてるから、こっちも安心して潜入できる」
『そ、それほどでもないですの……』
良い感じだ。このまま一気に。
「いいか。演者だけじゃ舞台は成り立たないだろ。盗みだって一緒なんだ」
『……裏方も重要、ですの』
「その通り。だからベルテ。留守番、頼めるな?」
『くぁ!』
……くぁ?
『ち、ちょっとエリザベート! まだ出てきちゃダメですの!』
『くぁぁっ! くぁくぁくぁぁっ!』
『ちょっと飛ばないで……い、いたっ! 痛いですの! 足に髪が引っかかってますの!』
なんとなく事情を察して、ライルは一度シエルと顔を見合わせる。
「あー、ベルテ? お前……」
『し、してないですの! エリザベートをこっそり連れてきたりはしてないですの! 寂しくなりそうだから話し相手が欲しかったとか、そんな子供みたいなことも思っていませんの!』
ベルティナは全部暴露して慌てふためく。
「乗ってても全然気がつかんかったな……」
「どこに隠してたんだろうねー」
シエルが眉尻を下げて苦笑する。
まぁ、ジェスターには隠し収納がいくつもあるので、隠すのは難しいことではないかもしれない。ただなんとなくエリザベートの声が不機嫌そうなので、あまり居心地のいい場所ではなかったのだろうと察する。ライルは咳払いして、
「……あー、その、なんだ。ベルテ。留守番頼むぞ」
『わ、わかりましたの! お任せくださいですの! あ、エリザベートはいないですけど、ユアンには内緒ですの!』
何となく、彼にはバレているような気もするが。
『そ、それではごきげんようですの!』
『くぁー!』
慌ただしく、通信は切れた。同時にライルは深く息を吐き出す。
「結局なんだったんだ……」
「あはは……」
シエルはドミノマスクをバッグにしまう。
「でもさ、ライルすごいよね。女の子と話せてるじゃん」
「元からモノクル使えば喋れたんだし、気を付ければ、これくらいはなんとかな」
「……ふぅん。ボクのことだけじゃなくて、他でも結構頑張ってるんだね?」
「そりゃ一緒に暮らす以上、慣れる努力はしないとだろ?」
一昨日の朝にあったミアの一件を思い出す。仕方ないとはいえ、あれはまだ少し後悔していたりする。シエルは前に回り込んで微笑と共にこちらを見上げてきた。
「さすがランスロット。心がけが美しいね」
「見直しただろ?」
「ううん。むかつく。ライルのくせに」
「なんじゃそら……」
ライルは半眼でシエルを睨むが、彼は笑顔のまま腕を引いた。
「さ、行こ、ライル。初デートが高級カジノとか、ボクたちやばいね」
「あのな……遊びに来たんじゃねーんだぞ」
「わかってるってばー」
言いつつも、彼の笑顔は消えず。
しかしライルもそれ以上は咎めず、二人はグラン・ミネラへと足を踏み入れた。
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