2-13

 給油地点まであと一時間というところで、その連絡は入った。


「は? 盗まれた?」


 ブリッジの船長椅子で、クローゼは眉をひそめた。隣にはヴァレリー。


「はい。正午ごろ、カトリーヌがフェルゼンツインタワーブリッジを通過する際に事故が発生。そこを何者かが襲撃してきたそうです。襲撃者の正確な人数は不明ですが、少女と思しき二名がわが社の警備兵セキュリティガードを全て撃破。その間に別動隊が『春の踊り』を奪い、一団は護衛艇で逃走。現在も行方は不明です」

「行方不明って……保護ケースに発信機仕込んであったでしょ?」

「逃走の途中、レーム川に捨てられたようです。中身だけ、持っていかれました」


 直後、甲高い電子音が鳴った。

 まるで追い打ちをかけるようなタイミングに顔をしかめるクローゼだったが、懐からフォンを取り出すと、一瞬躊躇いながらも受信ボタンを押し込む。


「……はい。クローゼです」

『今、カトリーヌの船員から報告が上がった。[春の踊り]が盗まれたそうだな。警備兵も全滅だそうじゃないか』


 中年男のがらがら声。相手はキース・ドラモンドだった。クローゼは胸中で舌打ちする。


「……絵の件につきましては、ご安心ください。すぐに捜索にあたりますので」

『…………』

「ご要望とあらば、盗みを働いた賊どもも捕えます。ですので、少しお時間を――」

『……もういい』

「え……?」

『今捜索と言ったな? つまり目星はついとらんわけだ』

「それは……」


 ドラモンドは鼻を鳴らす。


『絵を探し、入手したことは評価してやる。だが最後の最後でこの体たらくは看過できんな』

「……申し訳ございません」

『無論、しくじったのはウチの船員馬鹿どもも同じだがね。しかしお前たちが賊を速やかに排除していれば、こうはならなかったはずだ』

「仰る通りでございます」

『ふん。わかっているなら、話は早いな。もうお前たちは信用ならん』


 ――ぞくりと、クローゼの背筋に悪寒が走った。

 待て。何を言うつもりだ。


『今夜の取引――シャドーエメラルドの件は、なかったことにさせてもらう』


 それを聞いて、クローゼは思わず立ち上がった。


「お待ちくださいミスター・ドラモンド! どうかチャンスを!」

『チャンス? は。たった二人に全滅させられるようなお粗末な護衛しかつけられんお前たちに、絵を探せるのか? 回収はいつになる? 儂もそう暇ではないぞ』

「で、ではご提案が! 『春の踊り』の査定金額の倍を、現金一括で即日お支払いするというのは――」


 だがドラモンドは声に一層の嫌悪を乗せた。


『クローゼ。これは信用の問題だ。金を積めば済むという話じゃあない。儂も、金で済む問題とそうでない問題の分別はあるつもりだ』


 そこで彼は反論の間を開けたようだったが、クローゼは何も言い返せなかった。


『お前のような弱者と、もう話すことはない。失せろ』


 それを最後に、電信は切れた。




 クローゼはフォンを耳から離してその場で立ち尽くす。しびれていた手先からフォンが滑り落ちて床で跳ねても指先一つ反応させず、茫漠とした瞳で虚空を見つめる。


「主幹。引き返しますか? それとも、絵の捜索を?」


 クローゼは答えなかったが、思い出したように船長椅子に戻り、腰掛ける。握りつぶすように前髪を掴んで、息を吐いて。しばらくして震える唇を開いた。


「ヴァレりん。イクリプスに出動要請。サジタリウスに乗せて給油地点に」


 しかしその言葉に、ヴァレリーは一瞬思考の間を置く。


「……今すぐ申請しても、今日明日とはいかないかもしれません。東方大陸からの出動であることもそうですが、上層部の許可も必要です」

「いいよ。待ってやるから。イクリプスもサジタリウスも完全武装。兵器も武器も積めるだけ」

「戦争でも始める気ですか」


 ゆらりと、クローゼの深淵の双眸がヴァレリーに向けられる。唇が、歪んで。


「冗談。軽い研修だよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る