1-6

 改めて中を見ても、やはりそこには衰微の気配が強かった。

 直近に利用された形跡の無いホワイエは少々埃っぽく、湿ったカビの匂いが漂っている。極端に汚れてはいないが、天井の蛍光照明の金具は役目を終えたようにひっそり錆びていた。


「……やっぱ誰もいないな」


 仕方なくライルはそのまま足を進め、最奥にある大きな両開きの扉に手をかける。

 その先は、広い空間だった。中心には大きな円形の床があって、上空からはべったりとした地明かりが注いでいる。さらにそれを囲うように、二階部分にはずらりと座席が並んでいた。


「舞台……か」


 円形のステージを中心に客がそれを囲む。これはいわゆるサーカスの舞台であった。


(看板は、やっぱその通りの意味だったのか)


 ライルはステージの中心に移動し、周囲を睥睨する。電気が点いているということは誰かいるのだろうが、場は静かだ。ふと思い出してズボンのポケットから例のチケットを取り出してみるが、やはりそれは奇妙なチケットというだけだった。


「……何なんだ。いったい」

「ようこそ、アルカンサーカスへ」

「うおおっ!?」


 突然の背後からの声に、ライルは前につんのめる。姿勢を戻して振り返ると、そこにはシエルが立っていた。


「もー。そんなに驚かなくても」


 砕けた表情を見せる彼女の衣服は、昨日と少し違っていた。昨日の服の上に改造してあるらしい黒の燕尾コートを羽織って、頭には黒いシルクハットを乗せている。さらにスカートから覗くむき出しの太ももには、レッグホルスターが巻かれていた。


「お前、その格好……」

「色は違うけど、ちょっと似てるかな? ランスロットに」

「コスプレ見せられるために来たんじゃねーぞ」

「まぁまぁお兄さん、慌てなさんな」


 少女はライルの手からチケットを奪うと、ちぎって半券を差し返す。ライルは半券を受け取ったが、意味があるように思えず、適当にポケットにねじ込む。

 だがシエルは満足そうに笑った。


「よし、これでキミは今日のお客ゲストだよ」

「は?」

「じゃまずは、あいさつ代わりってことで」


 彼女はニヤリとすると、どこからともなく、錆色のドミノマスクを取り出した。形はチケットに印刷されていたものと同じだが、現物はより重厚で、表面には細い真鍮管がうねっていた。シエルはそれを顔に装着し――目を煌めかせた。両手を大仰に広げて、宣言する。


「さぁ、アルカンサーカス特別公演の始まりだよ! イッツ・ショウタイム!」


 声と同時に上方の照明が消え、舞台の縁に白い明かりが移る。さらに底抜けに陽気なビッグバンドジャズが流れだして、舞台はまさに幕開きという様相。だが同時に舞台を囲うようにせりあがった高い鉄格子が雰囲気を一気に剣呑にする。


「おい! これどういうつもりだ!」

「こういうつもり♪」


 軽快な声と共に、彼女は太もものホルスターから銀色の小型拳銃を抜いて構えた。


(ベルベット……!?)


 それは自分が持っているのと同じ銃。そんなところまでランスロットに似せているのか。


「ち……!」


 向けられた銃口に殺気を感じ、ライルは袖を振って自身の〈ベルベット〉を取り出した。

 刹那、シエルがトリガーを引いた。だがライルはぎりぎりで反応して銃口の向きから弾道を予測。同じくトリガーを引く。

 撃発音は二度。しかし弾丸は二発とも、両者の間でぶつかって弾けた。


「んな……何しやがんだっ!」


 動悸を無理やり押さえつけてライルは吠える。弾道からして、シエルの銃撃は明らかに本気だった。しかし彼女は感心したようにその場で腕を組む。


「うーん、準備万端なのはさすがだね。っていうか余裕で撃ち落としたね」

「余裕なもんか! 客を撃ち殺す気か!」

「でもさすがに予備の弾までは持ってきてないでしょ」

「話を聞けぇっ!」


 ライルのツッコみも空しく、シエルはすぐさま右手で虚空を薙いだ。瞬き一つの間に彼女の手に数枚のトランプカードが出現し、シエルはそれを散弾の如く鋭く投擲してくる。


「っ!」


 ライルは反射的に飛び退いた。数秒前までライルがいた床に、カードが次々と突き刺さる。どうやら、ただのトランプカードではないらしい。


「まだまだっ!」


 さらにシエルが右手を振ると、今度はその指の間に三つの小さなボールが現れる。色はすべて青で、彼女がボールを地面に投げつけると、濃密な白煙が猛烈に広がった。独特の臭気を持つ煙は舞台の円周に沿うようにドーナツ状にたちこめ、シエルの姿は煙の中に掻き消える。


「あーもう誰だ! 運命とか言ったやつはっ!」


 予備弾丸を持ってこなかったことを後悔しつつ〈ベルベット〉を収納して、床に突き刺さったトランプカードを一枚手に取る。発砲までしてくる相手に得物がカードというのは心もとなく思ったが、カードの縁には金属の感触があった。見た目より武器として使えるらしい。


(この状況で、有効な奇襲は――)


 舌打ちしながら左目を閉じて、天井を見上げる。


『三番! シュート!』


 彼女の声と同時に、直上にあったピンスポットライトが灯り、光の束が強烈に降り注いだ。

 次いで背後から気配が近づいてくる。


「光も暗くなるでしょ?」

「――ならねーな」


 ライルは左目を開けると、振り向きざまにシエルを視認してカードを薙ぐ。その一撃は彼女が繰り出した小剣での一閃を的確に捕らえて弾き、剣をその手から弾き飛ばす。


「目を閉じてりゃ、光の目くらましの効果は薄くなる」

「海賊かっての」

「どうも、癖でなっ!」


 小剣が床で跳ねる音を聞きながら、即座にライルはシエルにカードを投げつける。


「やば……!」


 彼女の目が驚愕に見開かれる――が、ライルの投げたカードは、彼女の体をすり抜けた。


「は!?」

「えへへ。騙されたね?」


 シエルが笑顔に変わると、次の瞬間には、彼女の体が無数のカードとなって消える。

 手品だ。そうわかっていても、タネがまるで分らない。


「こっちこっち♪」


 背後からの声に振り向くと、数歩先にシエルがいた。再び手近なカードを拾って投げるが、やはり当たった瞬間、彼女の体はカードと化す。


「だーっ! 変な手品使いやがって!」

「どうも、得意なもんで」


 今度の声は上から。見ればライルの手前、三メートルほどの上空に、上下逆さまでシエルが立っていた。ワイヤーなどは見えず、どうやっているのか髪も衣服も重力に逆らっている。


「どうこれ、すごくない?」

「く、悔しいが結構すごい……ってンなことはどーでもいいんだ! いい加減事情を――」


 だがそこで、彼女の懐からぴろぴろと電子音が鳴って、ライルの言葉を遮った。


「ありゃ、時間だ」

「は? 時間?」

「そ、ボクの出番はおしまいです」


 シエルがぱちんと指を鳴らすと電子音が止まり、さらにライルの周囲に赤いボールが降ってきた。ボールは火薬の音と共に弾けて紙吹雪を吐き出す。


「じゃあね」


 告げて、シエルは黄色いボールを取り出して床に落とした。落ちたボールがぼうんと膨らんで、同時に彼女は重力の方向を切り替えたようにそこへ落下する。器用に空中で姿勢を整えてボールに着地。そのまま体を弾ませて、シエルは煙幕の中に消えてしまった。


「うおいこら待て! どこ行くんだ!」

『決まってんじゃん。舞台裏ー』

「ふざけんな!」

道化師クラウンはふざけるのがお仕事でーす』


 普通なら声の発生源を辿れそうなものだったが、煙幕の中の彼女の声は不思議な広がり方をしていて位置が掴めなかった。ベテランの演者などは声の指向性を完璧に制御すると言われるが、そういうものかもしれない。

 残された黄色の大玉が、ライルをあざ笑うかのようにぱちんと破裂する。


「あぁ、わからん! 状況がわからん! 俺何やってんだ!?」

『それじゃ次の演目プログラム、いっくよー』

「はぁっ!?」


 間を置かず、煙の幕を突き破って誰かがステージに飛び出してきた。シエルと同じくドミノマスクと燕尾コートを身に着けていたが、紫のショートヘアが別人であることを証明する。最初はいなかったはずだし、鉄格子をどうやって抜けたのかは知らないが。

 その人物はライルと数メートルの距離を置いて立つと、顔を上げた。


「ミア・アルジーナ。よろしく」


 静かで朴訥な声。マスクのせいで素顔は知れないが、声音や体格からして十代後半の少女か。コートの中はショートパンツスタイルで、足にはマスクと同じ意匠のブーツを履いていた。

 彼女は、短く告げた。


「始める」


 言うが早いか、彼女は長い足を回転させて一気に距離を詰めてくる。


「ひぃっ……!」


 女性の接近に、ライルは慄いた。しかし少女――ミアはお構いなしに肉薄し、勢いのまま片足を引き絞った。直後、彼女のブーツから白煙が噴き出したかと思うと、異常な加速がついた鋭い回し蹴りが飛ぶ。


「ひぇっ!」


 ライルは反射的に飛び退いた。それは蹴りを避けたというより、女性を避けたというべき挙動だったが――


「……外した?」


 ドミノマスクの奥にあるミアの赤い瞳が驚愕に見開かれる。だが次の瞬間には闘争の炎がそこに宿り、彼女はブーツを唸らせると左右上下から怒涛の蹴技を繰り出してきた。


「待て待て待て待てぇっ!」


 ライルはおじけて逃げ惑うが、ミアが攻撃の手――いや足を止めることはなかった。むしろ彼女の攻撃は休む間もなく一心不乱に加速する。それも滑らかにしなやかに、舞踊の如く。もはやその体捌きは人間離れしていて、兎にも角にも隙が無い。


(こ、こんなん当たったらじんましんだけじゃ済まんぞっ……!)


 だがついに、ライルは足をもつれさせてよろけた。彼女がその隙を逃すはずはなく、神速のハイキックが眼前に迫る。しかしその時、シエルの声が響いた。


『ミアー、三分経ったよー。捌けてー』


 呼びかけに、ミアは片足を上げた姿勢でぴたりと動きを止めた。かかげられた足はライルの眼前数ミリのところで止まっており、彼女はその足をゆっくり引き下げる。


「……バイバイ」


 告げると、ミアはさっさと踵を返し、ブーツで加速してスモークの中へ消えてしまった。


「た、助かった――」


 と思ったのもつかの間。入れ替わって、今度はボリュームのある黄色髪をリボンでツーテールにした人物がスモークの中から飛び出してきた。

 ドミノマスクに燕尾コートはやはり同じくで、中はフリルブラウスとチェックのコルセットスカート。かなり小柄で、十二歳前後の少女というところか。ただ彼女は体格に不釣り合いなほど巨大な機械腕メカニカルアームを両腕に装備していた。


「ベルティナ・シーザーといいますの」


 彼女は機械腕でスカートの両側をつまんで優雅に一礼する。対してライルはその場で体を硬直させ、脂汗を浮かべていた。


 ――子供は大丈夫っ……子供は大丈夫っ……。


 だがその時、マスクに秘められたベルティナの青の瞳に、明らかな激浪の気配が漂った。


「ひとこと、言わせていただきますの。私はもうシュタルニア淑女レディですの」


 ……どうやら、声に出ていたらしい。

 彼女は顔の下半分だけで笑顔を作って、ずんずん迫ってくる。


「あ、あの、ちょっと待って……」


 ぶちっと何かが切れる音がした――ような気がした。


「ぶっ飛ばしますのぉっ!」

「あわわわわわ!」


 直前で振りかぶられた機械の拳は異様なほど巨大に見え、ライルはあわてて逃げ出す。だがベルティナは構わずその拳を振り下ろした。彼女の身が跳ねるほどの渾身の一撃は床を強打し――そこに直径二メートルほどの深いクレーターを作り出した。


「じ、冗談だろ、おい……!」

「逃げるなですのっ!」


 彼女は指を広げて両手の機械腕を構えた。蒸気と共に第一関節が射出され、ワイヤーで繋がれた十本の指先がライルに迫る。こけつまろびつ駆けだすが、運悪くワイヤーのうち一本が右足に絡みついた。


「げっ!」

「こっち来るですの!」

「だああああああっ!」


 ベルティナがワイヤーを素早く引き戻し、床に倒れこんだライルはそのまま彼女の下まで引きずられる。彼女の足元で拘束は解かれたが、手の関節を元に戻したベルティナは、組み合わせた両手を頭上高く掲げた。


「ぺちゃんこにして差し上げますのっ!」

「ひょえええええええっ!」


 手が振り下ろされると同時、裏返った悲鳴を漏らしてライルは床を転がった。真横にできた馬鹿でかいクレーターは見なかったことにして、転がった勢いを利用して跳ね起きる。だがまたしてもワイヤーガンが襲ってきて、逃げた隙には彼女が拳をぶち込んでくる。デタラメなパワーにライルは翻弄され、いっそ笑えてきた。


(ひひひっ、死ぬっ! 死ぬぅっ!)


 だがきっかり三分経った時、猛獣の如く暴れまわっていた彼女は途端に攻撃の手を止めた。鋼鉄の指でびしりとこちらを指さして、


「次子供扱いしたら、許しませんの!」


 捨て台詞を残して、ベルティナはスモークの中へずんずん消えていく。


(……もうやだおうち帰るぅっ……)


 引きつった表情のライルは、立っているのがやっとだった。次また似たようなのが出てきたら、今度こそおしまいかもしれない。

 しかし間髪入れず、煙から人影が出てくる。もはやおなじみのマスクとコートに、緑色のベストと馬術着のような衣装を合わせた人物で、中途半端な長さの緑髪を後ろで一つに縛っている。マスクから覗く橙色の光には落ち着いた雰囲気があるが、年齢は自分より少し下だろうか。見る限り武器のようなものは持っていなさそうだが、その代わりというべきか、右肩にやけに小さいカラスを乗せていた。


「僕はユアン・ジューディス。肩にいるのはエリザベート。よろしくね」


 響いた声は緩く優しい。しかしそれは明らかに男性の声だった。

 ただ彼も、先の彼女らと同じく攻撃の意思を見せる。肩のカラスを上空に飛び立たせると、素早く接近して右の拳を引いてきた。しかしライルは繰り出された正拳を片手で受け止めると、もう片方の手で口をふさいではらはらと涙した。


「よかったっ……男でよかったっ……ほっとするぅっ……」

「うん。その台詞はアブないね?」


 ユアンがツッコむが、その時シエルの声が飛んだ。


『ちょっとユアンー、手加減する気でしょー。ベイパーアームズつけてないし』

「いやぁ、さすがに一対一では卑怯じゃないかなと思って」

『テストにならないってばー』

「……仕方ないなぁ」


 ユアンは改めて向き直った。


「じゃあ耐久テストだ」

「は?」


 次にユアンが口を開いた瞬間、鼓膜に奇妙な高音が滑り込んだ。と同時に脳が揺れるような違和感がして、視界が歪む。思わず膝をつきそうになるが、その場で何とか堪える。


「お前……一体何した……」

「おお。頑張るね。軽くやっただけだからすぐ治るよ。……シエル、これでどう?」

『……うーん。どうします? 団長』


 答える声は、二階の観覧席から響いた。


「いや、十分だよ。皆よくやってくれた。ここで幕引きとしよう」

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