2-8

 時を同じくして。

 フェルゼンツインタワーブリッジの東管制塔にほど近い水面に、黒い潜水服とゴーグル、シュノーケルを身に着けた二人組が静かに顔を出した。二人は合図するように頷き合うと、塔の下部に備え付けられた短い梯子に手をかける。先端には外壁メンテナンス用に作られた古いタイプの水密扉があって、先行した一人は潜水服の中から曲がった針金を取り出した。

 それを開閉ハンドルの横にある防水鍵穴シリンダーに突っ込んで約三秒。かちりと小気味のいい音がして、ハンドルを回せば、扉はあっさり開いた。

 二人は再度頷き合うと、素早く中へ潜り込んだ。



 扉の先は、広大な空間だった。吹き抜け構造で、セメント・コンクリート製の壁に沿って鉄板で足場が組まれ、中央には巨大な円柱型の柱が環状に配置されている。また壁には大型の配管が這わされていて、ごうんごうんと鳴いていた。

 ここは東管制塔の下部――一般的に下層ピットと呼ばれる空間である。


「よし、ここで潜水服は放棄だ」


 ライルは告げて、潜水服一式とピッキング用の針金をその場に捨てた。その隣では、灰色の髪が躍り出す。


「ふは。潜水服って動きにくいねー」

「俺が昔使ってた、古いタイプだからな。リサイズも、きっちりは出来ねぇし」


 潜水服の中のライルとシエルの服装は、既に燕尾コート姿だった。さらにライルは潜水服内に隠していたシルクハットを身に着け、モノクルもかける。シエルはドミノマスクをセットして、乱れた髪を直していた。


「それにしても、ホントにあっさり入り込めたね」

「国の要衝とはいえこの塔の設備は基本的に古いからな。監視映像機の数も少ないし、警備も人間頼みだ。だから警備官の隙さえ突けばすんなり忍び込める。ついでに警備官も男ばっかだ」

「それ、調べたの?」

「ランスロットやってた時に、何かに使えるかもと思ってな。ま、結局使わなかったが」


 言いつつ、ライルは袖に仕込んだ〈ベルベット〉の機構をチェックする。同じくシエルも、レッグホルスターにある自分の〈ベルベット〉を取り出して確認していた。


「……なぁシエル。護身銃なんざいくつもあるわけだが、なんでそれを選んだんだ?」

「盗みやるなら、ランスロットにあやかろうかと」

「……お前ホントよく知ってんな」

「ボクの魔法はすごいからねー」

「じゃあ今日のお宝も、その魔法とやらで盗んでくれよ」

「自分でできることは、自分でやらなきゃだめです」

「そーですかい」


 掴みどころのない彼の言動にも慣れてきたライルは、ため息まじりに軽く受け流す。

 シエルは〈ベルベット〉をホルスターに戻すと、自分の体を何か所かぺたぺたと触ってから顔を上げた。


「手品道具もオッケー。ボクは準備できたよ」

「よし。じゃあユアンたちに連絡を取ってくれ」

「りょーかい」


 シエルはドミノマスクのサイドにあるボタンを押す。すると白い蒸気がぱしゅっと噴き出し、ドミノマスクが起動した。

 実はこのドミノマスク、ガストン特製の蒸気演算器を搭載した暗号通信装置でもある。比較的短距離の通信しかできないが、音声はクリアで感度良好という優れモノだ。

 モノクルが必要なライルはこれを装備できないが、シエルと共に行動することで通信の問題を解決する形になった。つまりシエルが、ライルの指示を皆に伝達するわけだ。それにライルとしても、間近でミアやベルティナの声がすれば、思わぬ失敗を誘発しかねない。

 通信機はしばらく雑音を拾っていたが――その後声が聞こえた。


『――れぇ……こっちだと思ったんだけどなぁ』

『ふふふ。ベルティナとりっくですの』

『ユアン。この子、ジョーカー二枚入れてる』

『ちょっとミア! なんでばらすんですの!』

『あーベルテ、そういうのはよくないなぁ』

「お前ら何やっとんじゃぁぁぁっ!」


 ライルは思わず怒鳴った。


『ああ、ライル君。ごきげんよう』

「よくないっ! 何のんびり遊んでんだ!」

『いやぁ、車内が暇だろうからって、シエルがトランプ貸してくれたものでね』

「遊びに来てんじゃねーんだぞ!」


 と、これはシエルに向かって。


『まぁまぁそうかっかしないで。こっちはちゃんと定位置ついたから』

「ホントだろうな?」

『もちろん。あ、そうそう。ライル君が作ったビラに、市警が食いついたみたいだよ。まだどう扱うべきか、判断しかねてるような感じだったけれど』

「……そうか。わかった」

『じゃあこのまま、合図を待つよ』

「了解。通信終了」


 シエルがドミノマスクのスイッチを切る。


「ビラ、効果あったみたいだね」

「ああ」


 花火という火器を使って派手にビラを撒き、『命をかける』という文言を使えば、警察も無視はできない。しかもフェルゼン市警はあの手の予告状が本当に実行されることを嫌というほど知っている。最初から悪戯とは決めつけず、捜査に向けて動いてくれるのだ。

 ただ捜査を始めるとしても、今度は『大自然と人類の英知が交わる場所』という大雑把な指定が足を引っ張る。大所帯の捜査は小回りが利かないし、動くにしても時間がかかる。フェルゼン市警の足は止めたも同然だった。


「でもペリカンサーカスって何?」

「名前そのまま使うわけにもいかんだろーが」


 あのバルーンとビラはライルが一晩かけて作った手製のものだった。西フェルゼンのものは昨晩のうちに時限装置と共に仕掛け、東の方はサーカスに到着してから飛ばした。今日のリュックの中身もバルーンとチラシが大部分を占めていたわけである。


「さて、あとはこの東管制塔を穏便に占拠するぞ」

「ここからが本番だね」

「ああ。それとここからはお互いコードネームだ。いいか、道化師クラウン?」

「おっけー。演出師ディレクター


 こつんと拳を合わせて二人は駆け出し、下層ピットの階段を駆け上がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る