2-9

 今回アルカンサーカスが狙う絵画の名は『春の踊り』という。

 三十年前に国立第一美術館から盗まれたもので、画家であり陶芸家でもあったラケル・モーランの作品だ。十三あるシュタルニア名画に数えられる貴重な一作でもある。

 盗まれてから長らく行方不明だったが、数週間前、美術品捜索を専門とするシュタルニアの諜報員から発見の報告が入った。その時点でお宝はキース・ドラモンド率いるマフィアの手中にあり、諜報員は輸送ルートを特定。アルカンサーカスに情報をよこした。

 ちなみに『春の踊り』が運び込まれる先は、シュタルニア北方で国境を接する国、グルシリア共和国と推定されている。ドラモンドはグルシリア南方のカジノ街、ミネラに巨大カジノホテルを経営しているので、下手をすればその堅牢な金庫に収められてしまう。なのでそれまでに、なんとしても盗み出す必要があるのだった。



「こっからは時間勝負だ! 最上階まで一気に行くぞ!」

「はーいせんせー」


 タワーブリッジ一階にある関係者用の通路を、ライルとシエルは走り抜ける。

 今この場に、警備官の姿は見えない。間もなくの跳開に備えた警備のため、多くが外に出ているのだろう。下層ピットに彼らがいなかったのもそのためである。

 監視映像機は、死角を抜けられないものだけを〈ベルベット〉で素早く破壊する。潰した映像機はまだ一つ。最上階の管制室(兼監視室)は映像機の故障としか思っていないはずだ。

 ライルは通路奥のドアを開けてその先の空間に飛び出す。そこは外とも繋がるエレベーターホールだった。しかしホールには今まさに警備に出ようとしていたらしい五人の警備官たちがいて、彼らとがっつり目が合った。


「あら……グッドタイミング……」

「なんだお前ら!?」

「どこから入った!?」


 思わぬ侵入者に警備官らは戸惑うが、それが命取り。


「クラウン!」

「お任せ!」


 ライルの合図で、シエルは腰の裏からドミノマスクと同じデザインの回転弾倉式拳銃リボルバーを取り出した。中折れ式で形式は古いが、これもれっきとしたベイパーアームズ。蒸気圧で計六発のゴム弾を連続発射可能な非致死性の武器で、名を〈モナ・リザ〉という。

 シエルは警備官らに素早く照準すると、〈モナ・リザ〉を五連射した。蒸気圧が弾ける音が連続し、強烈な圧力で押し出されたゴム弾は一発も漏れることなく警備官らのこめかみにヒットした。プロボクサーのパンチに匹敵する打撃を受けた五人の警備官はあっさり沈黙する。


「いい腕だ。……それも魔法か?」

「そんなとこ」


 さらにライルは天井の監視映像機を見つけ出して即座に破壊する。


「銃撃つとこ、見られたかな?」

「たぶんな。急ぐぞ」


 だがその時、ホール横の守衛室にいたらしい警備官二人が追加で出てきた。


「なんだ!? どうした!?」

「あちゃ、〈モナ・リザ〉リロードしとくんだった」


 言いつつシエルは、ライルのシルクハットを取った。


「おい何を……」


 戸惑うライルをしり目に、彼はシルクハットの中を相手に見せるようにしてつばを叩く。


「アブラハダブラ! 神の拳よ!」


 直後、シルクハットの中から恐ろしく巨大な赤いパンチグローブが飛び出した。ばね付きだが根元が固定されておらず、グローブは弾丸の如くすっ飛んで警備官二人を直撃する。壁とグローブに挟まれて、彼らは気絶した。シエルはシルクハットをライルの頭に戻す。


「……いつ仕込んだ? つーかどうやって収まっとったんだあんなもん」

「まほーです」


 そんな会話をしながら、二人はエレベーターへ駆け込む。乗り込んですぐ、シエルが〈ベルベット〉で映像機を破壊した。ライルは最上階へのボタンを押して、扉を閉める。

 この塔の構造は至ってシンプルである。一階と二階が警備官らの詰め所や事務所になっていて、最上階が管制室だ。東塔にエレベーターは二基あるが、構造の関係で最上階までつながるのはこの一台だけである。非常階段もあるが、登るとなれば時間はかかる。


「ねぇ、警備官って、さっきの七人だけじゃないよね?」

「当然だ。塔周辺だけでも、あと十人くらいは外にいるだろうな。それがどうした?」

「放っておいて本当に大丈夫かな? 二階にも何人かはいるだろうし……」

「……ユアン《ハンドラー》たちが心配か?」

「……うん」


 ライルは左目を閉じて、


「……なるほど。お前らの盗みが華麗になりきらない理由がわかったよ」

「え?」

「お前、仲間を信じてないな?」

「そんなこと……」

「言い方を変えよう。お前はあいつらを心配しすぎてるんだ」

「…………」

「リーダーとしての責任感なんだろうが、そのせいで効率的に動けないんだ。だからそこに隙ができる。追い詰められやすくもなるだろうな」


 思い当たる節があるのか、いくらかしゅんとした様子で、シエルは押し黙る。


「なぁクラウン。今日あいつらは、『俺を推薦したお前』を信じてくれてるんだぞ? ならお前も、あいつらを信じてやれ。……大丈夫だ。お前の『魔法』と同じように、アイツらにも『特別な力』があるんだからな」

「うん……」


 か細い返事に、ライルは少し表情を穏やかにする。


「けど優しいんだな。お前は。良いと思うぞ。そういうのは」

「そうかな」

「当たり前だろ」


 するとその時、館内に放送が流れた。


『――東管制塔の監視映像機に、不審な二人組を確認。二人組は一階で警備官に暴行を加え、現在エレベーターで上層へ向かっている模様。管制塔内部の者、および付近の外部警備の者は至急塔内に戻り、彼らを捜索せよ。繰り返す――』

「なかなか優秀だな。こりゃたぶん、上で管制室の人間が待ち構えてるぞ」

「じゃ、ボクに任せて」


 シエルは〈モナ・リザ〉の弾倉にゴム弾を込めると、腰裏にしまう。


「どうする気だ? 即座に撃ってくるかもしれんぞ」

「大丈夫」


 ほどなくして、最上階でエレベーターが止まった。開いたドアの前には予想通り、リボルバーを構えた管制員が二人。だが次の瞬間、シエルが涙を流してエレベーターから駆けだした。


「助けてくださいっ!」


 一瞬の変わり身で、シエルは管制員の一人にすがるように抱きつく。突然すぎる事態に身動きできなかった彼らは目を白黒させていて、そこに畳みかけるようにシエルはライルを指さす。


「私、あの人に攫われて……うわぁぁん怖かったぁっ!」


 迫真の演技で、シエルは相手をぎゅうーっと抱きしめる。


「……あれ……え、でも君、確か銃を――」

「あの人にやれって脅されたんですっ! 銃は気絶させるだけのゴム弾だからって。やらないと今夜、お前に特製のゴム弾をうち込んでやるぞって」

「な、なんだって……!」


 さらにシエルは目をうるうるさせて顔を上げる。


「信じて、くれますよね……?」


 管制員らは顔を見合わせると、強く頷き合ってシエルを背後に匿った。


「観念しろ! このド変態が!」

「こんないたいけな子に、今夜何する気だったんだド変態め!」

「男って単純だな……」

「そーだねー」


 ぱかんぱかん! と彼らの背後で〈モナ・リザ〉がさく裂して、管制官二人が沈黙した。

 ライルは小さく笑いながら、


「ったく。落ち込んでたかと思ったら」

「きっかけ一つで、役者アクターは変われるんだよ?」


 ライルがエレベーターから出ると、シエルは中に黄色のボールを放り込む。

 ボールは中で一気に膨らんで、ドアの閉鎖を妨げた。


「で、どうだった? ボクの演技」

「突破方法としてはスマートだったし、良いアドリブだった。度胸も評価できる。満点だ」


 言って、シエルの頭に手を乗せてやると、彼は心底嬉しそうに口元を綻ばせた。




 管制室に着いたライルは、まずこうアナウンスした。


「あー東塔の全職員に次ぐ。謎の二人組は最上階にて確保した。現在は別室に隔離中。市警に通報したので、各員は通常勤務に戻るよーに。なお最上階へのエレベーターは破壊されていて使えません。警察の捜査が終わるまで階段を使った上階への立ち入りもご遠慮ください。以上」


 ライルはコンソールのフェーダーを下げると、跳開システムのチェックに入る。

 管制室は入り口側を除いたすべての壁に大窓があり、広く橋の周囲を見渡せるようになっていた。あえて言うなら船の船橋に近い。眼下の橋は跳開に備えて交通規制されていて、東西の橋入り口で車両は止められている。そして南には、中型の貨物船が見えていた。情報通り前方上甲板には複数の警備兵の姿が見え、船の左右には護衛艇も並走している。


(……キース・ドラモンドか)


 情報によれば、彼の一派は闇商人としての側面が強いらしい。グルシリアマフィアの実力者でもある彼らは、美術品だけでなく武器や麻薬なども手広く扱い、徹底機に金儲けをしているそうだ。今回の『春の踊り』も十中八九、転売目当ての購入だろう。


(俺が一番嫌いなタイプだ)


 ライルは壁にかかっていた時計を見た。正午一分前。時間はばっちりである。


(……久しぶりだな。この感覚は)


 計画通りにぴたりとパズルがはまるこの快感。ワンミスが命取りになるスリル。しかもこれは前座。クライマックスはこれからなのだ。

 ライルは口角を上げて、シエルに告げた。


「クラウン、ハンドラーたちに連絡。――ショウタイムだ」

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