4-9

「中に入れっ!」


 空にそれを見つけた瞬間、ライルは叫んだ。その場の全員で急いで三階に戻る。

 見えたのは間違いなく、あの黒い飛空船。

 見間違い、あるいは偶然。そうであってほしいと願うライルだったが、直後、連続した爆発音と共に建物が大きく震えた。ライルらは床に放り出され、起き上がろうとしても、立て続けに爆轟と振動が襲う。さらに外からは覚えのある声が響いた。


『おいてめぇらぁ! そこにいるんだろ! さっさとシャドーエメラルドを返しな!』


 スピーカーを介した女の声。それは間違いなくクローゼの声だった。


「そんな……なんであいつら……!」


 シエルがつぶやくと同時、またしても建物が轟音と共に軋む。ベルテが悲鳴を上げ、一行はその場に縫い留められる。爆発音はアルカンサーカスの周囲からも聞こえており、連中がこの建物一帯を空爆しているのは明らかだった。


「ここはまずい! 一階まで降りるぞ!」

 空爆の切れ目にライルは叫んで、そばに倒れていたシエルを引き起こす。階段へ向かいながら、ライルは歯噛みした。


(くそっ……なんでここがバレたんだっ!)


 ジェスターやシャドーエメラルドに発信機が付けられていないかは、抜かりなくチェックしている。追手もなかった。奴らは一体どうやって自分たちを追跡してきたのか。

 続く空爆に何度か足止めを食うが、ライルらはどうにか階段にたどり着いて駆け下りる。


「一階に降りたら〈奈落〉へ入れ! あそこなら安全だ!」


 仮に空爆で建物が崩壊しても、あの空間ならシェルター代わりになるかもしれない。

 それに敵が例の黒部隊を投入してきても、縦横の迷路になった〈奈落〉ならば時間は稼げるはずだ。外へ逃げられれば一番いいのだが、頭上を押さえられている状態で外に出ては何をされるかわからない。連中は人殺しをなんとも思わぬような連中なのだから。

 だがその時、ライルの耳は下から駆け上ってくる複数の足音を拾った。


(っ! くそったれ!)


 階下から十数名の黒部隊が駆け上ってくるのが見えた。迅速に降下、展開していたらしい彼女らは勢いを止めることなくライルらに向かって殺到する。


「ち! ダメだ引き返せ!」


 一行は慌てて三階へ転進した。しかし三階の廊下に戻ったとき、進路には黒部隊が集結していた。廊下の最奥は大きく吹き飛んで大穴が開いていて、その先にはハッチを開けた飛空船のゴンドラが強引に接舷している。


「まずい……!」


 ほどなく背後からも黒部隊が上ってくる。前後を阻まれたライルらに、獣の如くぎらつく彼女らの視線と、マシンカービンの銃口が向けられる。


(どうする……どうすればいい……)


 女性の視線に恐怖しながらも、ライルは必死に思考を巡らせた。

 しかしこの状況をひっくり返す策など思いつかなかった。武器はないし、彼我の人数差は如何ともしがたい。ミアやベルティナもベイパーアームズなしでこの数は相手できないだろう。ユアンの音波もベイパーアームズでブーストしなければ効果は薄い。シエルは何か手品道具を仕込んでいるかもしれないが、こう追い詰められた状況では何をしても悪あがきにしかなるまい。そして自分は、女性に対して抗う術を知らない。


「ずいぶん呆気ないなぁ。コソ泥ども」


 飛空船の方に視線を移すと、ゴンドラからクローゼが歩み出てきていた。隣に戦闘服を着た総髪の女を従え、彼女は廊下を進んでくる。ライルはこみ上げる恐怖心を必死にとどめて、彼女を睨み据えた。


「おっ、お前……ななんでここがわかった……!」


 するとクローゼは顔の片側だけを歪めて嗤った。


「はは、声が震えてるぞ腰抜け。……けどそうか。やっぱり知らなかったか。人から横取りしたもん使った報いだな」

「横取りだと……?」

「ああそうさ。……そこの紫の髪の女――そいつの背中にある刺青が位置を教えてくれるんだよ。その刺青の下には特定の周波数に反応して電波を出す特殊な細胞が組み込まれてるからな」


 驚いてライルは彼女を見やるが、彼女も知らなかったようで青ざめた顔でクローゼを見つめている。そこでライルは、以前ミアが救出された施設よりも前に別の場所にいたと言っていたことを思い出す。 


「さて訊こうかコソ泥ども。シャドーエメラルドはどこへやった?」

「おお前らみたいな人殺しに教えるかっ……!」

「――押さえろ」


 クローゼの一声で、黒部隊がライルらに襲い掛かった。


「っう、うわぁぁぁぁぁぁっ!」


 ライルはたまらず悲鳴を上げた。モノクルなどもはや効果はなく、女性に群がられるシチュエーションはそのまま三年前のビジョンと重なった。

 彼女らは滑らかな体捌きで迫り、人数差を利用しつつも的確な拘束術でライルらをうつ伏せに床に引き倒す。個々の膂力も強く、一度拘束されてしまえば抜け出すことは困難だった。怪力を誇るベルティナも例外ではないようで、彼女もがっちりと拘束されている。

 唯一、空中に逃れたエリザベートは自由だったが、部隊員の一人に乱暴につかまれ壁にぶつけられると、力なく階下へ飛び去ってしまった。


「ひっ、はな、離してくれっ……!」


 女性が至近にいる事実に、ライルの血の気が引いてゆく。クローゼはその様子を満足そうに見つめてから、口を開いた。


「さぁもう一度聞くぞ! シャドーエメラルドがどこにあるか言え! 言わなきゃどうなるかはわかるよなぁ?」


 視界の端に、ぬらりと銀色の殺意が光った。黒部隊の持つ重厚なククリナイフがそれぞれの顔の横に構えられ、ライルらは息をのむ。抵抗に意味がないのは明らかだった。

 しばらく沈黙が流れて、シエルが口を開いた。


「……わかった。教える」


 低く深く慨嘆を孕んだ声が廊下に響く。


「シャドーエメラルドはボクの部屋だ。ここから一番手前の部屋、そのクローゼットの奥に」


 クローゼは自身の斜め後ろにあったドアを一瞥する。


「もし嘘だったらお前以外を二人殺すぞ?」

「嘘じゃないよ」

「ははは! どうだろう。嘘つきは泥棒の始まりって言うしなぁ」


 言いつつ、クローゼは顎をしゃくって部隊の一部を部屋に向かわせる。


「さてと。じゃあシャドーエメラルドを手に入れ次第撤収だ。それと、髪と目の色がおかしい奴は全員連れて行け」

(なに……!)


 シエルたちを押さえていた黒部隊が動いて彼らを引っ立てた。そのまま無理やり飛空船へと移動させ始める。


「ちょっと! ボクら捕まえてどうしようってのさ!」

「そうさ! 君らの狙いはシャドーエメラルドなんだろう!」

「嫌ですの! 私は行かないですの!」

「黙って歩け。抵抗すればあの残った男を殺すぞ」

「く……」


 シエルは押し黙り、他の三人もそれ以上抵抗しようとはしなかった。しかし彼らの瞳には不安が揺れていて、ライルは胸を締め付けられる。しかし女性への恐怖で、体は動いてくれない。

 やがてシエルらはそのまま飛空船の中へと消えてしまった。

 するとクローゼがこちらに近づいてきた。目の前まで来ると片足を上げ、ライルの脇腹をヒールで思い切り踏みつける。


「うぐっ……!」

「目の前で仲間盗まれる気分はどうだ? ええ? 腰抜け?」


 嘲笑混じりに、クローゼ。


「さっきの話しぶりじゃ、お前もグラン・ミネラにはいたんだろ? こんなヘタレの分際でよくもまぁ邪魔してくれたよなぁ?」

「お前……なんであいつらを連れてくんだ?」

「カジノで面白い能力を見せてくれただろう? あたしはあいつらが欲しくなった。それに、盗まれたものは返してもらわないとな」

「さっきも似たようなこと言ってたな……? 横取りがどうとか……」

「あの女の刺青を見つけて、ちょっと気になってなぁ。試しに会社のデータベースを漁ったんだ。そうしたら三年前、シュタルニアにあったウチの施設で強奪事件が起こってたんだよ」


 そこでライルははっとなる。


「そうか……あいつらがいた施設はお前らの……」

「ふん。話が早いな」


 クローゼは屈むと、こちらの前髪を掴んで顔を上げさせる。


「……けどお前、連中盗んだ奴じゃなさそうだな。……なぁ、ヴァレリー?」

「はい。報告には、十二歳前後の子供と。年齢が合致しません」


 いつの間にかクローゼの横には総髪の女が移動していた。


「人違いか。こいつが犯人なら、役員会にでも突き出してやろうかと思ったんだがな」


 クローゼはライルから手を離して立ち上がる。しかしライルはそのまま彼女を見据えた。


「お前ら……一体なんなんだ……なんで子供掴まえて改造なんか……」


 低く唸ると、クローゼは実に心地よさそうに口元だけで笑顔を作った。


「簡単だ。ビジネスだよ。強い人間、あるいは強い武器――そんなものは単純に金になるんだ」

「……闇商人か」

「そうだよ。三年前、あたしらの会社は強化兵士を作る計画を各地で進めてたんだ。お前のお仲間はその時の試作品の一つだったってわけだよ。けどこの国にあった施設はずいぶんピーキーなのを作ってたらしいな。毛髪や虹彩にも異常が出るほどに」


 彼女の言葉は全て過去形。改造人間の計画は過去のものなのだろうが、それでも彼らの外道っぷりにライルは嫌悪感を隠さず彼女を睨む。


「あの刺青も人体改造の一環、ってわけか……」

「あれはまた別さ。ウチの兵士養成施設に入ったやつらに逃走防止のためにつけられるんだ。適合しそうなやつが、改造に回されてたってだけだ」


 どうも想像以上に、彼女らの組織は手広く根を張っているらしい。


「クローゼ主幹」


 不意の声に視線を動かすと、一人の戦闘員がシエルの部屋から出て、クローゼに駆け寄った。その手にはシャドーエメラルドが握られている。

 クローゼは満足げにそれを受け取ってこちらを見やった。


「じゃ、こいつも返してもらうよ」

「く……なんでだ……お前らみたいな闇企業が、どうしてそこまでしてシャドーエメラルドを欲しがるんだ!」

「その質問二度目だなぁ……けどお前ら、自分の国の国宝のこともろくに知らないんだな」

「なんだと……?」


 クローゼは小ばかにしたように鼻を鳴らしてシャドーエメラルドを掲げる。


「こいつはな。特定の薬の効果を高める性質がある鉱物なんだよ」

「薬の効果……?」

「ちょっと前にウチの鉱脈でこれと同じ成分の鉱石が微量産出してね。調べてみればいくつかの麻薬やドーピング剤と強烈に反応した。薬効が高まったのさ。しかも火薬の中にも同じように効果が高まるものがあった」


 クローゼはうっとりとシャドーエメラルドを見つめる。


「つまりこいつを使えば強力な麻薬や兵器が低コストで開発できるんだ。依存性の高い麻薬は国を弱らせ、凶悪な兵器は国を強くする。世界のパワーバランスはあたしらの思いのままだ」


 あまりにスケールの大きな話にライルは真偽を疑ったが、彼女がこうまでして手に入れたがるからには、それは真実なのだろう。


「美しい宝を……そんなことに……」

「美しさぁ? そんなもんが何になる。この世は物理的な力と経済力こそが正義なんだよ。お前を押さえてる兵士も、産出したサンプルで試作したドーピング剤を入れた強化兵士だ。まぁ女にしか適合しなかったんだが……なかなかいい性能だろ?」

「人を物みたいに……俺は絶対、お前らを認めない……!」

「ふぅん」


 クローゼは黒いオートマチックを抜くとこちらに照準した。背後の戦闘員が退避した直後、ライルの体に複数の弾丸が突き刺さった。肩口と、背中、さらに脇腹。衝撃の後、銃創に焼けるような感覚が走ってライルは悶える。


「どうだ? 今お前が這いつくばってあたしが立ってる。これが全てた」

「ぐ……」

「くく。いい声、いい顔だ。自分が嫌悪する相手に踏みにじられる気分はどうだ? あたしにたてついたこと、せいぜい後悔しろよ」


 言葉と共にクローゼが踵を返す気配がした。


「よし、これでスッキリした。帰るぞヴァレリー」

「はい」


 しかし追いすがろうにも、女性への恐怖と傷痕の激痛で動けない。意識まで薄れてゆく。


「じゃあな腰抜け。……そうだ。アフターサービスでここを更地にしてやるよ。屈辱と瓦礫にまみれてみじめに死ね。コソ泥」


 吐き捨てられたクローゼのその声を最後に、ライルの意識は途切れた。

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