4-8

 シエルに続いて三階に上がり、普段は通らない廊下最奥の一角へ。そこの天井には引き出し式の隠し階段があり、それを登って屋根裏、さらに梯子を使って四角い点検口をくぐれば、頭上は星空だった。

 アルカンサーカス屋上――屋根の中ほどが長方形に窪んで陸屋根になったそこは、テラスのようでもあった。


「こんなとこがあったのか……」


 ライルはその場で顎を上げた。冴えた月光が注いでいたが、空は晴れていて星はよく見えた。首都とはいえ、全体的に古風で明かりの少ないこの街は星空もまた美しいのだ。さらに街並みも昼間とは違った景色で趣深い。屋上の高さは三階より少し高い程度なのだが、フェルゼンにそこまでの高層建築はないので、これでも十分街を見渡せた。


「びっくりした? この屋上、下から見ただけじゃわかんないんだよね」


 背後の点検口から顔を出したシエルが言ってくる。ライルは彼に手を貸して屋上へ引っ張り、二人して屋上に並び立つ。澄んだ夜気が静かに流れて、シエルが再び口を開いた。


「静かでいいでしょ? たまにここで手品の練習したりしてるんだ。雨降ると使えないけど」

「お気に入りの場所か」

「そういうこと。って言っても、見つけたの最近なんだけどね」

「ユアンたちは知ってるのか?」

「ううん。機会があったら教えようとは思ってたんだけど……なんか言いそびれてて。だから今のところここは、ボクたちだけの秘密の場所」

「へぇ」

「でもね。今日からこの場所はライルのものだよ」

「え?」

「プレゼント。この屋上を、ライルにあげる」


 言われて、ライルはしばしぽかんとする。


「いいのか? お気に入りの場所なんだろ?」

「いいの。ほら、ライルだって一人になりたいときとかあるでしょ。ここなら女の子だって来ないし、見えない。皆にも黙ってるから、自由に使って」


 言いながら、シエルは両手を広げてふらふらと屋上を歩き回る。


「……なるほど。とっておきってそういうことか」

「んもう……ライルってばどんなこと想像したの……」

「お前が顔を赤らめるよーなことは想像しとらんからな!?」


 口元に指をあてて照れているシエルに、ライルはきっちりツッコむ。


「……けど、本当に貰っていいのかよ。ほら、手品の練習だってしてたんだろ?」

「そんなの、別にどこでだってできるし」


 シエルは適当に、屋上の端まで歩いてゆく。


「それに、貰ってくれると嬉しい。ボクさ、ライルに何もしてあげられてないから」

「へ?」

「だってそうでしょ。入団もボクが無理やりだったし、そのくせ、ライルに頼ってばっかでさ。今日だってそう」

「……ンなこと思ってたのか」

「そりゃ思うよ。ライル優しいから、つい甘えちゃってさ。それって美しくないよね」

「…………」


 少し考えて、ライルは彼に歩み寄った。隣に並んで口を開く。


「気を遣いすぎだ。そもそも俺は、お前らに頼られるためにここに入ったんだ。しかもお前らは俺の計画に乗って、きっちり成果を出してる。何もしてないってことはないだろ」

「でも、ボクが甘えてるのは本当だから」

「それがそんなに美しくないか?」

「え……?」

「俺からすれば、そのくらいの方が、お前らしさが引き立って美しいと思うがな」


 ――と、シエルはその場でくるりと背を向けた。


「どうした?」

「ばかライル。男口説いてどーすんだ」

「え……あ、いや別に、そういうわけじゃなくてだな……」

「……ホントに、何でも盗んじゃうんだもんなぁ」

「へ? あ、あの……それってどういう……」

「わかんなくてよろしい」


 シエルは少々つんとした表情で振り向くと、ライルの鼻先を押した。


「でもありがと。許可も出たことだし、これからも心置きなく甘えることにするよ」

「いや、加減はしてほしーんだが……」

「だーめ。言ったことには責任持ってよね。美しくないよ?」

「く……」


 ライルは発言を後悔するが、今さら訂正するのもやはり美しくないので、押し黙る。


「でさ、ライル。話は戻すけど、プレゼント、貰ってくれるの?」

「……ああ、貰うよ」

「へへ。やった」


 だがライルは腕を組むとシエルに向き直った。


「けどシエル。さっきお前が言った使い方だと、ここは俺の逃げ場みたいになっちまうよな?」

「え……まぁそう、かも?」

「こんないい場所を逃げ場にすんのは、俺としちゃ美しくない。かといって、俺一人で楽しむにはちと広い。だから、一つ提案だ」




「ふぉぉぉ! 屋上ですのー!」

「へぇ。これは知らなかったな」

「星、綺麗」

「くぅぅ」


 屋上へ上がった三人(と一羽)は、興奮した様子で首を巡らせる。今しがた、ライルが下に降りて連れてきたのだ。ユアンたちはさっそく屋上の端まで行って夜景を覗き込む。


「お、あっち、タワーブリッジも見えるよ」

「クレーンが見えますの。まだ修理してるみたいですの」

「ねぇ、警察省って、あの辺?」


 三人は夜景と星空に目を輝かせて会話を弾ませ、そこに時折エリザベートの鳴き声が混じる。


「足元にだけは気を付けろよ」


 そうとだけ忠告し、ライルは後ろでその様子を見つめていたシエルのところに戻った。


「悪いな。秘密の場所だったのに、いきなり教えちまって」

「ボクはいいけど……本当によかったの?」

「いいさ。美しいものはみんなで楽しむもんだ」


 ライルはシエルと共に三人を見つめる。

 遠方を指さしていたかと思うと、今度は星空を見上げている。星座はどれだ、流れ星が見えるか。そんな風にはしゃぐ三人にライルは自然と頬を緩ませた。秘密組織の一員として息苦しく生活することになった彼らに、少しでも自由を与えてやれたことが素直に嬉しかった。


「……ありがとう。ライル」

「俺はお前からもらったこの場所を、あいつらに教えてやっただけだぞ」

「そうやって、皆のこと考えてくれてるのが嬉しいの」


 そこでシエルは空を見上げた。


「キミを引き入れたのは正解だった。〈ワン・コール〉、使ってよかった」

「え……?」


 ライルは耳を疑った。

〈ワン・コール〉――それは、ライル以外のアクターに与えられた報酬だ。アルカンサーカスに属していることを条件に、他人の権利を侵害しない願いである限り、政府がそれを一つ叶えてくれる。入団時の説明では、団員に引換チケットが配られているという話だったが。


「お前……まさかそれ使って俺を引き入れたのか?」

「うん。ライルに渡したチケット。あれがそうだよ」


 あっけらかんと言ってのける。


「いや、なんでそんなことにわざわざ……」

「だって団長や政府を納得させなきゃだし。古美術商で小説書きなんて普通はダメだって」

「だからって……」


 するとシエルはこちらの唇を人差し指で閉じた。


「それ以上は言わないで。ボクは後悔してないんだ。それに、サーカス団のためってだけで使ったんじゃないよ。キミと盗みをするのは、ボクの憧れだった」

「お前……いったい……」

「ゴメン。それもダメ。その頃のボクは、もういないの。ボクはシエル。シエル・アレルオン。魔法使いで道化師のシエルなんだよ」


 ――だが、そこで。

 ライルは何か気配を感じた。


「……あのね、ライル」


 シエルは言葉を続けようとしていたが、ライルは視線を外して空を見上げる。

 暗い夜空の奥に、やけに暗い星が見えた。

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